村の危機 - 4
語り:ミレイユ・カロ
教会前に、巨体が飛び出してきた。
土を裂くような踏み込みとともに放たれた咆哮が、腹の底まで震わせる。
(魔化? 本当に魔物になるの?)
考える暇もない。魔物はまっすぐダリウスへ突進した。
ダリウスは反射の速さで弓を引き、矢を放つ。
鋭い弦音とともに矢が胸へ深く刺さり、そのすぐ横を、セラのスリングが駆け抜ける。
石は額に的確に命中し、巨体が揺らいだ。
その影の下を鵺が駆け抜け、鉤爪で脇腹を裂く。
赤黒い血が陽光を弾いた。
だが、巨躯は怯むどころか怒気を増していた。
呻き声を漏らしながら突進し、手にした斧を高く掲げる。
「っ――!」
斧が振り下ろされた瞬間、空気が押し潰されたような圧が走った。
地面が砕け、砂塵が弾ける。
もし、あれが一瞬でも遅ければ、ダリウスの身体は今ごろ、地に縫い付けられていただろう。
彼自身もその事実を悟ったらしい。
瞳の奥に、はっきりと恐怖が浮かんでいた。
ほんの刹那、息を呑んだまま動きが止まった。
(ダリウスが……震えるほどの速さ……)
しかしその後、追いすがる巨体の脚を見た瞬間、私は違和感を覚えた。
(体が……重い? 斧は速いのに、走ると妙に遅く見える。
方向を変えるたび、あの巨体がぐらりと揺れている……)
ダリウスも同じことに気づいたようだった。
後退しながら、セラへ声を投げる。
「セラ! 距離を取って撃ち続けろ! あいつ、脚が鈍い!」
「わかった!」
セラは素早く間合いを取り、再びスリングを構える。
その前を、鵺が低く走り抜けた。
ミノタウロスの視界に鵺が入り込むたび、ミノタウロスはわずかに顔をそちらへ向け、動きが乱れる。
鵺はさらに反対側へ回り込み、跳ねるように移動して巨体の注意を散らした。
(当てやすくしてる……)
矢と石が次々と巨体を叩くたび、「ギャッ」「グワッ」と苦鳴が上がる。
それでも怪物の視線は、ただ執念深くダリウスだけを追い続けていた。
そして――倒れていた仲間の死体に手を伸ばした。
「まさか……!」
巨腕が死体を掴み上げ、躊躇なく放り投げる。
空を裂く音。重みと速度が混ざった、嫌な唸りが耳を打つ。
「来るぞ!」
ダリウスが身を翻すと、死体はその背をかすめて飛び、そのまま教会の窓を粉砕して中へ消えた。
割れたガラスが陽光を反射し、散っていく。
直後、教会の扉が乱暴に開いた。
「おい、何だ今の音は!」
「ちょっ、ま……あれ、ヤンじゃねぇのか!? こいつはまずいぞ……!」
三人のグリーヴが飛び出し、怪物の姿を見た瞬間に顔色を変えた。
「ラド隊長ーっ! ヤンが……例の牛みてぇのになって暴れてます!!」
奥から、男が一人ゆっくりと姿を現した。
陽光の下でも、顔の輪郭のどこかが歪んだように見える。
笑っているのか、怒っているのか、判別できない奇妙な表情だった。
ラドとよばれた男。
彼は周囲をざっと見回し、低く吐き捨てた。
「……気に入らねぇ。」
その一言で、手下たちは背筋を伸ばす。
ラドは顎をしゃくった。
「あいつら、やっちまえ。」
「は、はい……でも……あの変な化物、何だよ……。」
鵺を見た瞬間、三人の足がすくんだ。
混乱の中、ダリウスが叫ぶ。
「セラ! ミノタウロスは俺が引き受ける!
そっちの連中は頼んだ!」
「わかった!」
セラが風の精を呼ぶように腕を伸ばすと、空気が唸った。
「吹け! 私の風!」
つむじ風がグリーヴ四人を包む。
三人がふらつき、呻きながら地面へ転がった。
本当に船酔いにでもかかったような有様だ。
ただ一人、ラドだけが、まるで風など吹かなかったかのように微動だにしなかった。
(効いていない……確か、魔法を帯びていると効かないんだっけ?)
ラドは地に伏した手下たちを見下ろし、つまらなそうに呟く。
「……気に入らねぇ。」
「気に入らねぇなぁ……。」
「ほんっと、気に入らねぇ……!」
三度繰り返すごとに声音が歪み、狂気が濃くなっていく。
そして荒々しく手を掲げた。
「――魔化!」
指輪が激しく輝き、ラドの身体が膨張し、裂けた。
骨が変形し、筋肉が盛り上がり、毛が噴き出す。
狼――いや、獣そのもの。
ウェアウルフと化したラドが、唸り声を響かせた。
「全員……噛み殺してやる。」
言葉と同時に、鵺がセラの前へ飛び出した。
青黒の鵺と濃灰のウェアウルフが、閃光のように交錯した。
鉤爪が閃き、互いの身体を切り裂く。
鵺の傷が、セラの胸元へ鈍い痛みとなって跳ね返った。
「っ……!」
セラが胸を押さえて膝をつく。
私は思わず駆け寄りそうになった。
「速い……。」
セラが震える声で漏らす。
だが、私には二匹の動きがほとんど見えなかった。
ただ、影と影がぶつかりあい、形を変えているようにしか――
それほどまでに、速すぎたのだ。




