村の危機 - 1
語り:ミレイユ・カロ
森を抜けてしばらく歩いたころ、前方の道から細かな砂埃が舞い上がった。
荷台をぎしぎし揺らしながら走ってくるのは、一台の馬車だ。
御者台には白髪まじりの老人。
荷台から飛び降りたのは、十五歳ほどの少女が二人。
泥だらけの服のまま、必死の形相でこちらへ駆け寄ってくる。
「お、お願いです、助けてください……!」
「いやです……戻りたくない……!」
涙に濡れた声が、風に震えて響く。
何があったのか訊ねようと口を開いたが、その前に――
――ドスン、ドスン。
重い蹄音が空気を揺らした。
馬に乗って現れたのは、不潔そのものの暴漢二人。
油と汗にまみれた服、黒ずんだ革鎧、何層にもこびりついた垢。
山賊という言葉がそのまま歩いているような風体だった。
暴漢たちは馬を止めるなり、地面に飛び降り、剣を抜きながら近づいてきた。
「おい。娘を渡せ。」
「俺たちのもんだ。手間かけさせるなよ。」
セラが少女たちの前に立ちふさがり、背中で庇う。
ダリウスは無言で一歩前へ出て、剣の柄に手を添えた。
「娘たちを渡すつもりはない。」
その声音は冷静だが、はっきりと怒気が滲んでいた。
「へぇ……兄ちゃん、強気じゃねぇか。」
暴漢の一人がいやに口角を上げる。
「こいつらはな、俺たちに嫁として献上されたんだよ。
そこの御者は人さらいだ。」
「いやです! 絶対にいやです!!」
「助けて……行きたくありません……!」
娘たちは泣きながら、首を振ってしがみつこうとする。
その姿を見たダリウスの表情がかすかに固くなった。
「誰の献上かは知らないが、泣いて嫌がる娘を見過ごすことはできない。
今すぐ引き返せ。」
さらりと抜き放たれた剣が陽光を鋭く弾いた。
「しょうがねぇな。」
男が肩をすくめたかと思った次の瞬間――
――バッ。
いつ拾ったのか、掌から砂が舞い、ダリウスの顔に散った。
「……っ!」
ダリウスが一瞬だけまぶたを閉じる。
「今だァ!」
もう一人の暴漢が剣を振りかざし、一直線に踏み込む。
「ダリウス!」
私が叫ぶより速く、セラが前へ躍り出る。
「退きなよ!」
セラの足が暴漢の顔面をとらえ、鈍く肉のぶつかる音が響いた。
男の身体が横へ大きく弾かれ、地面に転がる。
「チッ!」
砂を投げた方が剣を振り上げ、ダリウスへ迫る。
ダリウスは片目を細め、視界を確かめるように踏み込み――
――一閃。
剣が唸り、男の胸元を深くえぐった。
暴漢は膝から崩れ落ち、動かなくなる。
生き残ったほうは顔を押さえ、血まみれでこちらを睨みつけた。
「覚えてろ……!
手前ら、俺たちとの決まりごとを破りやがったんだ……!
村ごと皆殺しにしてやる!!」
そう吐き捨て、馬へよじ登り、怒声とともに逃げ去っていく。
――静寂。
あたりが急に静まり返り、胸の奥がきゅっと強ばった。
何が起きたのかを理解する前に、空気だけが凍りついていく。
娘たちはへたり込み、泣きながら私の袖を掴んだ。
「ダリウス! 大丈夫ですか!?」
私が駆け寄り名を呼ぶ。
その“ダリウス”という声に、反応したのは別の人物だった。
「いま……ダリウスと……?」
御者台から下りてきた老人が、震える目でこちらを見つめていた。
しわだらけの指が震え、胸元を握りしめる。
「ひとつ……確かめさせてください……
あなた様……
ダリウス・エルネスト様でいらっしゃいますか?」
ダリウスがはっと目を見開く。
「その名を、どこで?」
老人は深く、深く頭を垂れ、声を震わせて名乗った。
「わ、わたくしは……エルネスト家で長く執事を務めておりました……
シメオンでございます……!
こんな場所でお目にかかれるとは……
夢にも存じませなんだ、ダリウス坊ちゃま……!」
頬を伝う涙が、ぽたり、土に落ちる。
その姿は、必死に礼を尽くす古い時代の執事そのものだった。
「シメオン……健在であったか。」
ダリウスの声も、珍しく揺れていた。
私もセラも、ただ呆然と立ち尽くす。
(え……ダリウスって……坊ちゃまだったの?)
緊張と驚愕が入り混じった空気の中、
シメオンは震える声で、すがるように言葉を紡いだ。
「坊ちゃま……どうか……どうか……
我らの村をお救いください……!
このままでは……!」
その悲痛な訴えに、胸の奥がひやりと冷えた。
道は開けたはずなのに、また別の闇へ足を踏み入れてしまったような、そんな予感が背の奥をじわりと登ってくる。




