森を出る - 1
語り:ミレイユ・カロ
ヨーク隊の背が森の奥へ消えていくのを見送り終えたあと、ダリウスはすぐに周囲へ視線を走らせた。
「行きましょう。
ヨークが言っていたとおり、この森に長居はできません。」
緊張を引きずったまま、私も歩き出そうとしたが、ふと我に返る。
どこへ向かうのか――それが、まるで見えていなかった。
「森を出るのは……いいですけど……」
私は足を止め、ふたりを見上げた。
「……どこへ行けばいいんです?」
ダリウスは答えに詰まり、困ったようにセラを見る。
セラはじっと森の入口の方角を見つめ、ぽつりと言った。
「……クラリスたちって……どうやって、この森まで来たんだろう。」
「え?」
思わず聞き返してしまう。
ダリウスが軽く顎に手を当てた。
「……確かに。
ノルドハイムから歩いてきたとすれば、一ヶ月以上はかかる。
しかし彼らは、船を拿捕されたのは数日前と言っていましたね。」
「つまり、陸路じゃない……?」
私が続けると、ダリウスは頷いた。
「船で来た、と考えるのが自然でしょう。」
セラが小さく息を吸い、言葉を継ぐ。
「じゃあ……フランカとノルドハイムって戦争中だけど、航路は繋がってるってこと、だよね。」
「その可能性が高いですね。」
ダリウスは短く答える。
セラは私の手をそっと取った。
「ミレイユ……。
あなたは、ノルドハイム領の港から船に乗れば、アルビオン島に帰れるはずだよ。」
「…………え?」
胸の奥がひゅっと縮んだ。
思わず握り返した手が震える。
(……帰れ、って……。
つまり、ここには……いらないって……?)
ひどく冷たいものが胸に広がり、呼吸が浅くなる。
セラは私の表情に気づいたのか、眉を寄せて、静かに言葉を重ねた。
「違うの。
私やダリウスさんは……戦う術がある。
でも、あなたは……ただの侍女だった。
このまま一生“お尋ね者”として逃げ続けるなんて……そんなの、あまりに酷い。」
「……っ」
「本来の予定どおり、アルビオン島に帰るのが一番いいと思う。
あなたの人生を……これ以上壊したくない。」
その優しさが、胸に痛かった。
否定されたわけじゃないと分かっているのに、消えてしまいたいほどの惨めさが押し寄せる。
(……でも、ここでごねても……どうしようもない。)
私は深く息を吸い、頭を下げた。
「……仰せのままに。
北の港を……目指しましょう。」
声が震えていたかもしれない。
そのとき、セラがためらいがちに言葉を継いだ。
「それと……これからは、敬称はもうやめよう。
“様”とか“さん”とか……そういうの。」
「え……?」
とっさに言葉が出なかった。
「主と侍女って関係じゃ、もう動けないでしょ。
仲間として呼んでほしいの。
“セラ”って。」
胸がどきりと鳴る。
名前をそのまま呼ぶなんて、これまで一度も考えたことがなかった。
「……じゃあ……」
声が震えないように深呼吸して、私は少しだけ視線を落としたまま言った。
「……セラ。」
呼んだ瞬間、胸の奥の冷たさがすっと薄れた。
セラは嬉しそうに微笑む。
「うん。
よくできました。」
胸の奥がほんのり温かくなった。
そのとき、横でダリウスが軽く咳払いをした。
「えー……その流れだと……私も、ですか?」
どこか気まずそうな声だった。
セラは吹き出しそうになりながらも、きっぱり答えた。
「もちろん。ダリウス“さん”じゃなくて、ダリウス。」
「……了解しました。」
どこか照れくさそうに視線を逸らしたあと、ふと遠くの木々の向こうへ目を向け――
「ただ……状況は厳しい。」
声色が自然に引き締まった。
ダリウスは真顔に戻る。
「現実問題として、一ヶ月以上歩きでノルドハイム領を目指すのは無謀です。
今の私たちは丸腰に近いし、物資も路銀もない。また追われている最中です。
もちろん正面突破なんて到底できません。」
確かに、その通りだった。
「だから、森を抜けてカテドラを大きく迂回し、海岸線へ出る。
そこで密航船を探す。
物資は……道中の村で調達するしかない。
金は……何とかやりくりする。」
「……うん。それしかないね。」
セラも頷いた。
私は不安を抱えたまま、ふたりの後に続く。
「行こう。ミレイユ、ダリウス。」
木漏れ日へ向かって歩き出す背中を追いながら思う。
(ここからどうなるかなんて、わからない。
でも……“仲間”って呼ばれた以上、逃げない。)
森を吹き抜ける風が、頬を優しくなでた。
三人の逃亡の旅は、こうして始まった。




