表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖環  作者: 北寄 貝


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/62

息子の仇 - 5

語り:ミレイユ・カロ

大ムカデが倒れ、場の空気がじわりと落ち着きを取り戻したころだった。

ダリウスはゆっくりと立ち上がり、亡骸となったキアのそばに膝をついた。

胸の前で両手を組み、静かに目を閉じる。

「光の神ルーメンよ。迷える魂に、安らぎの導きを。」


同じ祈りの言葉を三度。

それはルーメン教の一般的な弔いの作法だと、侍女見習いだった頃に教わったことがある。

ダリウスに続き、セラも、私も、そして体勢を立て直せるようになった兵士たちも、手を組んで祈りを捧げた。


その静けさの中で、


パン、パン、パン。


妙に乾いた音が響いた。


見ると、クラリスと水夫の二人が、胸の前で手を三度叩いていた。

(手を……叩く?)


セラも不思議そうに見つめていると、クラリスが小声で笑った。

「船乗りはね、船の上で神様の名前で喧嘩しないように、“どの神へ祈るか” は言葉にしないの。

 代わりに、この三拍を打つのよ。」


水夫たちはひそひそと話し合っている。

「そうなのか?」

「俺は“はい・おし・まい”の三拍って教わったぞ……?」

場の空気はまだ重いのに、そのやり取りだけは少しだけ力が抜けていた。


祈りが終わると、部隊長のヨークがキアの亡骸を見下ろし、ダリウスに向き直った。

「この男の遺体は……あの入り江で見つけた遺体と一緒に埋葬しようと思う。

 聞けば、そこにはキアの息子もいるらしいな。」

ダリウスは深く頭を下げた。

「恩に着る。」

ヨークはうなずくと、こちらへ視線を移した。

「さて、俺たちはこのまま帰還するつもりだが……お前たちはどうする?」

ダリウスは少し間を置いて答える。

「言えない。……今はまだ。」

「だろうな。」

ヨークは苦笑し、だがすぐ真面目な声になる。

「なら、早めにここから立ち去ることを勧める。あちこち探してる連中もいるはずだ。」


その時、水夫の二人がヨークに詰め寄った。

「俺たちは悪いことなんてしてねぇ!

 捕まってる仲間を、どうか……釈放してやってくれないか!」


ヨークはふたりを見据え、腕を組む。

「名前は?」

禿げ頭のほうが答える。

「ゲイリーです!」

鳥の巣みたいな頭のほうが続く。

「ヌーノ……です。」

「で、お前らは何をしに来てた?」

二人は顔を見合わせ、途端に口ごもった。

ヨークはため息をつく。

「……まあいい。

 話したくないならそれでいい。

 釈放してやるから、ついて来い。」

水夫ふたりは驚いて口を開けた。

「ほ、本当に……?」

「恩に着る! ありがとう、隊長さん!」


その様子を見て、ダリウスは少し眉を寄せた。

「随分と大盤振る舞いだな。どういうつもりだ?」

ヨークは肩をすくめて笑った。

「キアって犠牲は出ちまったが……お前たちのおかげで、魔物三体と出くわして誰一人欠けずに戻れるんだ。

 安いもんだろう?」

それからセラ様をちらりと見て、苦いような笑いをこぼす。

「それに……お嬢ちゃんに挑んで勝てる気がしない。」

「……挑まれたくはありませんけど。」

セラは肩をすくめ、困ったように微笑んだ。

ヨークは手を打ち鳴らした。

「で、だ。大ムカデ三匹分の手柄は、俺たちの部隊で貰っていいよな?」

部下たちがざわめく。

「隊長?……」

「それ、カッコ悪くありません……?」

「……なあ、あれ普通に恥ずかしくないか?」

「言うな。聞こえたら斬られる。」

そんな小声のやり取りが背後から聞こえてきた。

「うるさい!

 入り江の殺人犯を捕まえるより、魔物三匹倒したほうがよっぽど評価されるんだよ!」

あまりに身もふたもない。

だが、どこか憎めない調子だった。


「それで……大ムカデ三匹分のおかげといっちゃ何だがな。」

ヨークは続ける。

「水夫二人の釈放と……そっちの連中を見逃すのと……あと一つだけだが、頼みを聞いてやる。」

クラリスがすぐに手を上げた。

「じゃあ……拿捕された船の情報がほしい。」

「船か。」

ヨークは顎をさすりながら言った。

「詳しくは知らんが……最近、帝国軍は海軍力の増強を急いでる。

 その一環で、帝国籍じゃない船を片っ端から拿捕して、軍用船に改造する作戦があるらしい。」

「つまり……?」

クラリスが息をのむ。

「お前たちの船も、いずれ帝国の軍用船に姿を変える、ってこった。」

クラリスは目を伏せたが、その顔には諦めより“手掛かりを得た確信”が浮かんでいた。

「十分です。ありがとう。」


ヨークは最後に、ダリウスを見つめた。

「ところで……あんた、ダリウスって呼ばれてたな。

 まさか……ダリウス・エルネストじゃないだろうな?」

ダリウスは静かに頷いた。

「そうだ。」

ヨークは目を見開き、そしてしみじみと言った。

「国教騎士団の……弓で幾つもの武勲を立てたあのダリウス・エルネストと、こんな森の中で会うとはな……。」

そして、自分の剣を外し、部下から弓矢をひとそろい受け取って差し出した。

「丸腰じゃ不便だろう。持ってけ。」

「本当にいいのか?」

ダリウスは驚きを隠せない。

「騎士が嬢ちゃんに守ってもらってどうする。」

ヨークは笑った。

「そっちのほうがよっぽどカッコ悪い。」

私は思わず笑いそうになってしまった。


カテドラへ向かうヨーク隊と、クラリス一行は道を分ける。

ヨーク隊が道をとり、クラリスたちが海へ向かおうと背を向けたそのとき、セラがふと歩み出た。

「あの、クラリスさん。」

呼び止められたクラリスが振り返る。

「ええ。何かしら?」

セラは胸の前でそっと両手を合わせ、深く頭を下げた。

「助けてくださって……本当に、ありがとうございました。

 あなたの癒しがなければ、私は立ち上がれませんでした。」

クラリスは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを返した。

「礼なんていいわ。できることをしただけよ。

 あなたも……ずいぶん強い娘ね。」

「強くなんてありません。

 でも、あなたが名乗ってくださったから……私も名乗ります。」

セラ様は胸に手を添え、静かに告げた。

「セラ・アルヴェインといいます。

 あなたのお名前を……忘れません。」

クラリスは少しだけ息を呑み、それから穏やかに頭を下げた。

「クラリスよ。覚えてもらえるなら光栄ね、セラ。」

二人が互いに微笑み合ったところで、私はそっと前に出て、クラリスへ癒しの腕輪を返した。

クラリスはそれを受け取り、穏やかに微笑んだ。

「あなたのおかげで皆の命が助かったわ。

 本当にありがとう。」

「私こそ……助けてもらってばかりでした。」

「またどこかで、会えるといいわね。」


彼女と水夫たちは、海のほうへ消えていった。


その背を見送りながら、私は深く息を吸った。

(……ここから、どこへ向かうんだろう)


朝の冷たい風が、森の中を静かに吹き抜けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ