息子の仇 - 2
語り:ミレイユ・カロ
私たち六人は、ただ必死に走った。
地面を蹴る音、荒い息、枝を払う音が、森の奥へ吸い込まれていく。
やがて、小川が視界に現れた。
幅は二メートルほど。勢いをつければ跳べる距離だ。
「順番に渡れ!」
ダリウスの声に、私たちは次々と跳び越えていく。
ダリウス、セラ、私、クラリス、一人目の水夫――
最後の男が走り込み、足を伸ばした瞬間。
「う、うわあっ――!」
足が届かず、水音とともに悲鳴が上がった。
同時に、遠くから複数の声が響く。
「こっちから声がした!」
「出てこいッ!!」
馬の蹄の音と、人の駆ける音が、どんどん近づいてくる。
(追いつかれる……!)
セラが振り返り、私とダリウスを見る。
「ここで迎え撃ちましょう。
ダリウスさんも、そのつもりなのでしょう?」
その声音には、揺るがぬ強さがあった。
ダリウスは短く頷いた。
「そのつもりでした。
小川を越えておけば、こちらが幾分か有利になりますから……
あなたも気づいていましたね。」
ダリウスはクラリスへ向き直る。
「クラリス殿、戦える力は?」
クラリスは手にした短剣を見下ろし、小さく首を振った。
「持ってはいるけれど……
私も、この者たちも、武人と戦えるような者ではありません。」
「分かりました。では――」
ダリウスは男たちに向かい、
「短剣を私へ。あなた方は枝か石で、最低限の身を守ることだけ考えてください。」
と、静かに指示した。
彼らは息を呑みつつも従い、短剣をダリウスへ渡す。
セラが私へ向き直った。
「二人とも、イヤーカフは着けていますね?」
「はい!」
私とダリウスは同時に頷いた。
「では……ミレイユ、スリング用の石を集めて。
今のうちに、できるだけ。」
「はい!」
私は地面から適当な大きさの石を拾い集め、腰袋に入れていく。
その間、セラはクラリスへ声をかけた。
「クラリスさん。
その腕輪……あなた自身も癒せるのですよね?」
「ええ。多少の疲労や痛みなら、自分へも使えます。」
「よかった。」
会話は一瞬だった。
でも次の瞬間、セラのまわりの空気がどこか違う、と直感した。
風が動き出す寸前のような、あの微かな前触れ。
やがて――
木々の間から甲冑の音とともに、騎兵と歩兵の一団が姿を現した。
ざっと見て十人ほど。
その後方には、ロバに乗ったキアの姿もある。
「いたぞッ! やっぱりあっちに逃げたんだ!」
「キアとやら、どいつだ!?」
キアは震える腕でセラを指さし、叫んだ。
「あいつだッ! あの娘が息子の仇だ!!」
クラリスが苦い表情を浮かべ、私たちへ言った。
「……事情は、ここを切り抜けたら話します。」
私たちは小川を挟み、敵と対峙する形になった。
水の流れが間にあっても、距離は決して安全ではない。
その中の騎兵の一人が、前に出て声を張り上げた。
「そこの女! 男! 無駄な抵抗はするな!
おとなしく投降すれば命は助けてやる!」
セラはダリウスへ、小声で問う。
「昨日の、火の指輪に支配された兵とは違います。
意識がはっきりしています。」
「確かに。目の焦点も動きも正常です。
エリアスの指輪とは無関係でしょう。」
セラは小さく息を吸い、指輪へ触れた。
「そうですか。では。」
そして――
風の中で凛と声を響かせた。
「――吹け、私の風!」
指輪が鋭い光を放つ。
次の瞬間、小川の水面が揺れ、足元の枯葉が舞い上がった。
つむじ風が巻き起こり、円を描いて広がり、
こちら側を除くすべての者――兵士も馬もロバも――
その渦に呑まれた。
「うっ……!」
「おえっ……!」
「馬が……!?」
「ぐ……ぐるぐるする……!」
兵たちは次々と体勢を崩し、地面に手をついた。
馬もロバもふらつき、その場でよろめく。
誰もが酷い眩暈に襲われ地に伏していく。
風が止んだあとも、セラと、イヤーカフで守られたダリウスと私は、地に足をつけていた。
「クラリスさん、自分を癒して!」
「分かり……ました……」
クラリスはすぐに腕輪を押さえ、その手を自分の胸へ。
光がクラリスを包み、揺れていた呼吸がみるみる均されていく。
さっきまで顔に浮かんでいた青ざめた色が、ゆっくりと戻っていった。
私は石を握りしめながら、その光景を見守った。
(ここからが、本番……!)
風が止んでも、緊張はまだ解けない。




