森の中 - 3
語り:ミレイユ・カロ
セラの呼吸が落ち着いてゆくのを見届けた後も、胸の奥の緊張は消え切らなかった。
けれど、ほんのわずかに心が軽くなったのも事実だ。
私は迷いながらも、思い切ってクラリスに声をかけた。
「……あの……。
セラ様だけでなく、ダリウス様のことも……みていただけないでしょうか。
私のせいで傷を負わせてしまって……」
声が震えてしまい、恥ずかしさで胸が詰まった。
クラリスは一瞬だけ目を瞬き、それから、ふっと柔らかな笑みを見せた。
「あなた、自分より仲間の心配をするのね。
ええ、もちろん手は貸すわ。ただ、その前に……」
そっと私の頬へ手を伸ばした。
思わず身を引きかけたが、クラリスの目はとても穏やかだった。
「この傷……放っておくと残るわ。」
銀のブレスレットが淡く光り、私の頬を包んだ。
ひりついていた痛みがゆっくり消えていき、触れてみると、そこにあったはずの擦り傷が跡形もない。
「ありがとうございます……」
声が自然に漏れた。
クラリスは小さくうなずくと、今度は構えを解いたダリウスの前へ移動した。
ダリウスは立っているのもやっとのはずなのに、クラリスが近づくと、礼を失わぬよう姿勢を正そうとした。
「癒しの力は、魔法具のものなのですね。
どこでそのような――」
と、問いを口にしかけた瞬間、クラリスはやんわりと手を上げて遮った。
「知らなくてよいことは、お互いに触れずにおきましょう。
その方が、あとあと面倒が少ないものです。」
静かだが、どこか含みのある言い方だった。
ダリウスはほんの一拍だけ考え――
「……なるほど。承知しました。」
と、素直に引き下がった。
クラリスは右手を掲げ、再び銀の光を呼び起こす。
光がダリウスを包むと、苦痛に歪んでいた表情がゆっくり緩んだ。
「はっきりと楽になりました。礼を申します。」
「どういたしまして。」
クラリスが微笑むと、ダリウスは姿勢を正し、礼の代わりと言わんばかりに言葉を続けた。
「もし、カテドラ周辺でお知りになりたいことがあれば、分かる範囲でお答えしましょう。
それくらいの借りは返さねばなりません。」
クラリスはすぐには答えず、同行してきた男たちへ静かに視線を送った。
キアは途端に顔をしかめた。
「おい、待て! 本気で信じる気か!」
「キア、黙れ!」
「ここまで来て何も掴めないまま帰れるか!」
他の男たちがキアを抑え、そのうちの一人が言った。
「俺たちも……手掛かりが欲しいんだ。頼む。」
クラリスは短く息を吐き、ダリウスへ向き直った。
「では、こちらの事情から話しましょう。」
その声音には先ほどよりわずかに重さが加わっていた。
「彼らは水夫です。
ノルドハイムとアルビオン島を往来する、ノルドハイムの商船に乗っていました。」
ノルドハイム――
ノルドハイム連邦。
フランカ帝国と半世紀以上にわたり戦争を続けている北方の連邦国家。
クラリスは一度ためらい、言葉を続けた。
「数日前、その船がフランカ側に拿捕されたと聞きました。
この者たちは、その日だけ非番で……港に残っていた者たちです。」
私は思わず息を呑んだ。
「この者たちは、連れて行かれた船長と三十名ほどの仲間を探しに来ました。
私は、彼らとともに船の様子を確認するよう船主に依頼された傭兵です。」
キアは俯きながら、短く唸った。
「俺の息子も……その中にいるんだ……」
言葉にするのも辛い、という声音だった。
その時――
セラがゆっくりと目を開けた。
「……もしかしたら……あなたたちの仲間……
死んでいるかもしれません……」
唐突な、しかしあまりに静かな声だった。
「セラ様……!」
驚いて身を寄せる私たちをよそに、セラは伏せたままの視線で続ける。
「アストリア港から西の……入り江……
今朝……死体がたくさん……あれが……」
私は「あっ」と声を漏らした。
ダリウスもすぐに悟ったらしく、
「心当たりがあるのか、ミレイユ殿?」
と、低く問うてきた。
クラリスたちの視線が一斉に私に注がれる。
喉がつまって声が出ない。
代わりに、セラが淡々と告げた。
「殺したのは……わたし……です。」
刹那、キアが飛びかかろうと体勢を崩した。
「この娘が息子を――!」
「やめろ! キア!」
「落ち着け!!」
男たちが必死に押さえつける。
クラリスは厳しい声で命じた。
「全員、動かないで!
……行きましょう。現場を確かめる必要があります。」
男たちは迷いながらも従い、クラリスがまとめて森の奥へ歩き出す。
去り際、クラリスは振り返り、疲れ果てて横たわるセラへ穏やかに微笑んだ。
「どうか、お大事に。」
その言葉を合図にするように、彼女たちは海の方へ向かって歩き去っていった。
セラ、ダリウス、そして私。
森は静まり返り、残ったのは三人のかすかな呼吸音だけだった




