森の中 - 2
語り:ミレイユ・カロ
短剣を弾き落とされた初老の男が、荒い息を吐きながら後ずさった。
その背後で、森の奥からゆっくりと足音が近づいてくる。
木々の陰から姿を現したのは、三十歳ほどに見える女性だった。
黒のローブをまとい、落ち着いた、けれど芯のある眼差しをしている。
その佇まいは、荒事とは無縁のはずの人でありながら、妙に場を制する力があった。
「クラリス!」
初老の男が女性の名を叫んだ。
男たちの視線が一斉に彼女へ向く。
「見つかった以上、こいつらを生かしちゃおけねぇ!
もう――」
「キア。」
女性は淡々と名を呼んだ。
その一言で、森の空気がまた静まり返る。
「よく見なさい。
彼の棒さばきを。」
クラリスはダリウスを指し示すように視線を送った。
ダリウスは、枝を手に構えたまま、一歩も退かずに立っている。
「武人の動きです。
戦士でもないあなた方が束になっても敵いません。」
初老の男――キアと呼ばれた彼は、唇を噛みしめた。
「うるせぇ!」
殴りかかろうと身を乗り出した瞬間、他の男たちが慌てて押しとどめた。
「やめろ、キア!」
「相手が悪すぎる!」
男たちは敵意よりも、恐怖と焦りで動いているように見えた。
クラリスは男たちの様子を横目に、ダリウスへ向き直る。
「あなた方は……何者です?
大きな音がしたので様子を見に来てみれば……
森を散策していた、という風には見えませんが。」
ダリウスは短い呼吸を整えながら答えた。
「仲間が傷ついた。
争う気はない。ただ、それだけだ。」
クラリスは一度小さく頷き、それから静かに言った。
「私たちは、人探しをしているだけです。
あなた方に敵対する理由はありません。」
その後セラを見やり、慎重に言葉を選ぶように続けた。
「そちらのお嬢さん、とても具合が悪そうですね。
もし、このお嬢さんを癒すことで、私たちを見逃していただけるのなら……
お互いに余計な争いを避けられます。」
(私たちを殺すつもりだったキアを思えば、
“見逃してほしい”と考えるのは当然……)
疑念は消えないけれど、筋道だけは理解できる。
ダリウスがふっと息を吐く。
「こちらに争う気はない。
あなた方が手を出さぬ限り、我々は誰も傷つけるつもりはない。」
その返答に、クラリスはほっとしたように息をついた。
「話はまとまりましたね。では――」
クラリスはセラ様のそばへ膝をつき、そっと右手を差し出した。
手首には銀のブレスレット。
その細工は簡素だが、どこか祈りの場にふさわしい静けさを帯びている。
やがて、右手とブレスレットが淡い光に包まれた。
「ひどい消耗です。
いったい、何を……」
言いかけて、クラリスの目に悲しみが宿る。
「……可哀そうに。」
その声は、驚くほど優しかった。
指先からこぼれる光がセラの胸元に触れた瞬間、乱れていた呼吸が少しずつ整ってゆく。
「セラ様……」
セラの呼吸が整っていくのを見届けた瞬間、胸の奥に張りついていた冷たさがすっとほどけた。
いつの間にか震えていた指先も、ようやく静まっていく。
――大丈夫だ。助かった。
そう思えるだけの余裕が、ようやく戻ってきた。
(助かった。でも……まだ終わっていない。
どう転ぶか分からない状況は続いている……)
光と森の匂いの中で、私は静かに息をついた。




