風と火 - 3
語り:ダリウス・エルネスト
熱に呑まれた十二人の部下が、一斉にこちらへ迫る。
かつて共に剣を磨いた仲間たちが、赤く濁った眼で刃を振り上げる光景は、胸を裂くようだった。
最初に飛びかかってきた三名を、黒い影がまとめて吹き飛ばした。
鵺だ。
その一撃は、風を裂くという生易しいものではなかった。
(……なんという威力……!
あれほど鍛えた三名を、一合で……?)
戦士としての本能が驚愕し、同時に納得した。
あれが“魔物”という存在なのだ。
だが、残り九名がミレイユへ殺到してくる。
「危ない!」
考えるより先に身体が動いた。
俺はミレイユの前に飛び込み、迫る刃を肩から体当たりで弾き飛ばす。
兵士が床を転がり、剣が跳ねた。
「ミレイユ殿、剣を!」
震える手で差し出された剣を受け取り、倒れた部下の胸へ一息で突き立てる。
「……許せ」
心は痛むが、彼らに“戻る道”はもうない。
背後からセラの声が飛んだ。
「ダリウス!
ミレイユを守るのに集中して!
ほかは鵺がやるから!」
声は荒く、息は乱れていた。
セラも限界なのだと分かる。
「承知!」
俺はミレイユに寄り添いながら、兵を迎え撃った。
(こいつらの剣……正面から受ければ押し切られる……港で分かっている……!)
熱に呑まれた兵の膂力は常より遥かに強い。
斬撃を“受けてはいけない”。
だから――流す。
剣を滑らせ、相手の力を少しだけ逸らす。
軌道がぶれた兵の身体へ、迷いなく刃を返す。
一人。
また一人。
自分が教えた剣筋だからこそ、崩し方も分かる。
その事実が、胸を締めつけた。
(……俺が教えた剣だ。
俺が斬らねば……ミレイユ殿も、セラ様も死ぬ……)
その時――
一際速い足音。
気配で誰か分かった。
「ウィル……!」
真面目で、誠実な青年。
もうそこにはいなかった。
剣をいなし、刃の裏で力を流す。
火花が散り、ウィルの体勢がわずかに崩れる。
「……すまん」
その胸へ、深く剣を突き入れた。
「お前は……勇敢な騎士だった……」
残りの兵へ、鵺が咆哮しながら襲いかかる。
黒い影が走るたび、肉が裂け、骨が砕ける音がする。
一人。
二人。
四人。
六人。
鵺の爪撃は、まさに死の稲妻だった。
誰一人、抵抗の暇もない。
十二人の部下が、全員地に伏した。
広間に残ったのは、息を荒げるセラ様と、震えるミレイユ、そして俺だけ。
「セラ様……!」
ミレイユが駆け寄る。
その声は涙で震えていた。
「朝からずっと戦って……もう限界なの……!
ダリウスさん、助けて……!」
「もちろんだ……!」
俺がセラ様を支えようとしたとき――
「――見事だな、鵺。」
エリアスが静かに歩み出た。
その声は、本当に感嘆しているかのようだった。
「ここまでとは思わなかった。
正直、侮っていたよ。
ならば……こちらも然るべき力を出そう。」
右手が掲げられる。
二つの指輪が、赤と白の光を強く放つ。
「――来い、“悪魔”」
瞬間、広間の空気が裂けた。
赤い炎が渦を巻き、白い光がその中心を貫く。
光と炎がねじれ、裂け、その亀裂から“何か”が這い出てくる。
黒山羊の頭。
黒山羊の足。
額に刻まれた逆五芒星。
人間の胴に、鳥の鉤爪の腕。
背には蝙蝠の翼――その羽ばたきが炎を散らす。
その喉から、獣とも風ともつかぬ低い唸りが漏れた。
それだけで、背筋に冷たいものが這い上がる。
まさしく、悪魔。
俺は言葉を失った。
ミレイユは悲鳴も出せず、セラ様は息を呑んだまま固まっている。
エリアスはひとつ息を吸い、わずかに目を細めた。
「ここで終わりだ。
セラ。ミレイユ。ダリウス。」
悪魔の鉤爪に赤い炎が灯る。
その熱がこちらへ伸びる。
そして――
火をまとった鉤爪が、鵺へ襲いかかった。




