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聖環  作者: 北寄 貝


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19/62

風の厄難 - 1

語り:ダリウス・エルネスト

柄にもなく、見送りなどというセンチメンタルな行動に後悔していた。

ミレイユの見送りには、もともとセラと、ヴァルメイン家に仕える衛士二人で行くはずだった。

エリアスに、見送りでもしてやれよ、と言われて軽く考えた結果がこれだ。

まったく、俺は何をしている。


ミレイユが船頭に詰め寄るのを見守りながら、胸の内で嫌な予感が膨らんでいた。

「どうして乗せてくださらないのですか……?

 私はただ、アルビオンに戻りたいだけなのに……」


船頭は鼻で笑った。

「だから言ったろうが。魔女の身内なんざ、乗せりゃ船が沈む。縁起でもねぇ。」


“魔女”。

港のざわめきが一瞬で凍りついた。

セラは自分に向けられたその言葉を飲み込んだ。

だが次に、船頭がミレイユを指さして吐き捨てる。

「その娘もだ。魔女のそばにいたんじゃ、同じ穴の狢だろうよ。」


セラの肩がわずかに震えた。

怒り――それと、侮辱された友を思う痛み。

「……私をどう呼ぼうと構いません。

 でもミレイユを巻き込むのは、絶対に許しません。」


声は震えていないのに、その静けさが、かえって周囲の空気を張り詰めさせた。


船頭は挑むように顎を上げる。

「なぁに、気に入らねぇならよそへ行きな。

 あんたの連れを乗せようなんざ、この港に誰一人いねぇ。」


周囲を見渡すと、野次馬の水夫たちが、誰も目を合わせず――しかし確かに拒絶していた。


これ以上続けば、事態は悪化するだけだ。

俺は前に出て、船頭に向かって声を発した。

「この方はヴァルメイン元帥の御子息、エリアス将軍の婚約者だ。

 依頼はヴァルメイン家としての依頼でもある。

 それでも拒むと?」


一瞬、港に緊張が走った。

だが、船頭は眉ひとつ動かさず返してきた。

「……へぇ、そりゃご立派なこった。

 だがな、乗せた以上はこっちの責任だが、乗せる相手は俺が決める。

 死にたくねぇんでね。」


言葉の応酬が続こうとした、その時。


――甲高い悲鳴が上がった。


男女のものが入り混じった、切迫した声だ。

俺はセラたちのすぐそばにいたので、状況を確認しに半歩だけ前へ出る。


人々が散り、視界が開けた。


そこに――剣を持った二人の男。

どこかで見た姿だと思った瞬間、セラの表情が強張った。


(ロウズヘイブンの――?)


セラと目が合う。

互いの疑念が、そのまま答えになった。


間違いない。あの二人だ。


だが、姿はまったく違っていた。

瞳は赤く濁り、理性の影すら感じられない、獣の眼だけが残っていた。

呼吸は荒く、唇の端からは泡のようなものがこぼれていた。


「……あれは……もはや正気じゃない。」


人々が後ずさると、自然とセラへ向かう通路が開く。

二人はその道を見つけた獣のように――

セラへまっすぐ突進した。


「下がってください!」


俺は衛士とともに前に躍り出た。


刃が交差した瞬間、腕にまるで岩をぶつけられたような衝撃が走った。

耐えられず、俺は数歩後退し、港の石畳に膝をついた。


「ぐっ……なんて力だ……!」


隣では、衛士が構えたレイピアを叩き折られ、そのまま胸を裂かれて倒れた。


(異常な膂力……魔法具の力なのか?)


もう一人の衛士も一撃で沈む。

たかが見送りの護衛と武装を怠った、と責めるのも今となっては酷だろう。


獣のような唸り声をあげて、二人の男はセラへ迫る。


だがセラはすでにスリングを構えていた。

足を半歩開き、腕を伸ばす姿は、練度の高い戦士そのもの。

次の瞬間、溜める動作をすべて省いたような、滑らかすぎる腕の振りで石を放った。


――頭蓋に石がめり込み、男が倒れる。


常人なら即死の傷。

それなのに男は痙攣しながら跳ね起きて再度襲いかかる。


「まだ……動く……?」


セラの指輪が淡く光り、風がぶつかるように男たちの全身を揺らした。


本来なら立っていられるはずがない。

あの風を浴びれば誰もが平衡を失い、その場に崩れ落ちる。


だが――

男たちは頭を振り、よろめきながらも、むしろ加速するように前へ突っ込んできた。


「……風が効かない……!?」


俺は全力で駆け、横から体当たりをぶつけた。

一人が港の縁から転げ落ち、水面を叩く。


男は手足をでたらめに動かし、泳ぐでもなく、ただ狂ったようにもがいて、やがて力尽きて沈んだ。


振り向けば、もう一人が迫っている。


だがセラの姿に、俺は一瞬息を呑んだ。


四肢に――

虎の脚の幻影が重なって見えた。


(鵺の力を……纏っている……!?

 誰にも悟らせまいと、意識だけで制御しているのか)


男の剣が振り下ろされる。

セラは軽やかな一歩でかわし、転がる衛士のレイピアを拾い上げた。


男とセラの視線がぶつかった。


――短いにらみ合い。

互いの呼吸が測られる、一瞬の間。


男が踏み込んだ。

剣が振り下ろされる。


その直前、セラの身体がすっと横へ沈む。

猫科の獣が重心を滑らせるような、無駄のない動きだった。


剣が空を斬りわずかに体勢を崩す。

その“揺れ”を見て、セラが前へ出た。


手にしたレイピアを、男の喉元へ――

ためらいなく、鋭く突き入れる。


男はその場に崩れ落ちた。


港は、凪いだ海のように静まり返る。

だが次に聞こえてきたのは、波音ではなく、人々のささやきだった。


「……魔女だ……」

「化け物か……?」

「疫病神を連れ歩きやがって……」


胸が灼けるようだった。

セラは俯き、ミレイユは涙をこらえ、俺は拳を握った。


「……ここは、もう危険です。

 ミレイユ殿と一緒に屋敷に戻りましょう。」


セラは小さく頷いた。

ミレイユの肩をそっと抱き、馬車へ乗り込む。


「ダリウス隊長……すみません……」

「あなたは悪くない。」


馬車が走り出す。

俺はその後ろ姿を見送りながら――

胸に刺さった不安が、風にも消えず残り続けていた。

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