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聖環  作者: 北寄 貝


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17/62

信と剣の間で

語り:ダリウス・エルネスト

ヴァルメイン家の屋敷が近づくにつれ、胸の奥がわずかに締めつけられた。

何度も訪れた場所だ。

灰色の石壁に囲まれた中庭、双頭の山羊の紋章――どれも見慣れた光景のはずだった。

それでも今日ばかりは、足取りが重い。


馬車が停まり、俺は先に降りて扉を開けた。

「足元にお気をつけください」

セラが裾を押さえて降り立つ。

朝の光を受けて、濃紺のドレスが穏やかに揺れた。


セラと並んで中庭を抜け、大広間へ向かう。

この屋敷の廊下は何度歩いても冷たい。

石造りの床の上に、かすかに足音が重なる。


歩きながら、俺はできるだけ平静を装った。

この面会がどう転ぶのか、正直、気が気ではない。

だが少なくとも、セラがエリアスの妻となるのは悪い話ではないと思っていた。


「この先にお会いになるエリアス様は、誠実なお方です。

 若いながらも冷静で、人を信じることを何より大切にしておられます。」

セラはふっと優しい表情を見せた。

「あなたがそう仰る方なら、きっと素晴らしいお方なのでしょうね。」

柔らかな声に、胸の緊張がわずかにほぐれた。


大広間の扉を押すと、陽光が差し込んだ。

天井の高い空間に、金糸のタペストリーが静かに揺れている。

奥にはルキウス――帝国元帥にしてエリアスの父、

そしてその隣にエリアスが座していた。

周囲には護衛の騎士が四人、沈黙を守って立っている。


セラは一歩進み、優雅に裾を持ち上げて礼をした。

「ヴァルメイン閣下、エリアス様。本日はお目にかかれて光栄に存じます。」

ルキウスはうなずき、声を低くして言う。

「遠路ご苦労であった。カンタベリオンのご令嬢、我が家はあなたを歓迎する。」

エリアスも穏やかに微笑んだ。

「ようこそお越しくださいました。お疲れはありませんか?」

セラは落ち着いた声で答えた。

「皆さまのご配慮に感謝いたします。」


席に着くと、しばし穏やかな歓談が続いた。

セラは物怖じせずに言葉を返し、話題が文化や信仰の話に及ぶと、自国の風習を簡潔に語った。

会話に耳を傾けているうちに、この縁談が教皇グレゴリウス四世とカンタベリオン司教領のモルドバン司教の仲介によって成立したものだと理解できた。


だが、やがてルキウスが「時に」と口にした瞬間、空気が変わった。

背筋が冷える。


「ここに至るまで、いくつかの戦闘があったと聞く。

 その際に発現した指輪の力、そして魔物の出現――

 ダリウスの報告と相違ないか?」


セラの視線を感じた。

「道中に起きたことは、正確にお伝えしたつもりです。」

俺がそう答えると、セラはわずかに頷き、向き直った。

「間違いありません。」


ルキウスは頷き、低く言葉を継いだ。

「魔法具は本来、教会の管理下に置かれるものだ。

 その指輪を、私に預けなさい。」


セラのまなざしがわずかに揺れた。

「申し訳ありません。……この指輪は外れません。」

「外れぬ、だと?」

ルキウスの目が細くなる。

「ならば――その指を切り落とせ。」


空気が一気に凍りついた。

セラは何も言わず、ただその瞳の奥が鋭く光った。

あの戦場で見た、戦う者の目だ。

周囲の騎士たちが、無言のまま剣の柄に手をかける。


冷や汗が背を伝う。

(やめろ……ここで戦えば終わりだ)

喉が渇き、声が出ない。


「お待ちください、父上。」

エリアスが立ち上がった。

「彼女は私の妻となる方です。

 国教騎士団員の妻の所有物は、教会の管轄と見なされる……

 いや、そう言えなくもないでしょう。

 それに、彼女が我々を害するとは思えません。

 私は、彼女を信じたい。」


ルキウスの顔が怒りで紅潮し、顎の筋が強くこわばった。

しばらく沈黙ののち、荒い息を吐いて言う。

「好きにしろ。……後で後悔しても知らんぞ。」


セラは静かに頭を下げた。

「寛大なお取り計らいに感謝いたします。」

その声は澄んでいて、どこか誇り高く響いた。


ルキウスは短く息を吐き、

「今夜、将軍と諸侯、それに教皇を招いて宴を開く。

 その場で正式な紹介を行う。」

と告げた。


エリアスが一歩近づき、

「よろしければ、少し庭を歩きながらお話ししませんか。

 お互いをよく知る機会にしたいのです。」

と穏やかに言う。


セラは一瞬ためらい、そして微笑んだ。

「喜んで。」


それで面会は終わった。

扉が閉まる音が響いた瞬間、胸の奥で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。

掌には、いつのまにか冷たい汗がにじんでいた。

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