馬車の中
語り:ミレイユ・カロ
船上で倒れてから、三日が経った。
今は、カテドラに続く街道を進む馬車の中。
窓の外では、朝靄の中に白い塔の先が見え隠れしている。
石畳を叩く車輪の音が、心の奥まで響いていた。
セラは向かいの席に座り、薄い布の上に手を重ねていた。
頬に血色が戻り、もうすっかり元気そうに見える。
「ミレイユの料理のおかげね。本当に、あの魚のスープは絶品だったわ」
「恐縮です。港の市場で、いちばん新鮮な鯛を見つけましたから」
セラが笑う。その笑みに、三日前の青ざめた顔はもうない。
今日は、ヴァルメイン家への面会の日だ。
彼女はカンタベリオン司教領から持ってきた濃紺のドレスを着ている。
絹のような光沢が、揺れるたびに朝の光をやわらかく反射していた。
刺繍も控えめで、それがかえって彼女の凛とした雰囲気を際立たせている。
着付けを終えたとき、私は思わず息をのんだ。
「お美しいです。まるで帝国の貴婦人のよう」
セラは小さく首を振った。
「ありがとう。でもね、私は“貴婦人”なんて柄じゃないの。
帝国の婦道とか作法とか、さっぱり分からないわ」
「そう言いながらも、セラ様はきっと上手にやってのけますよ」
「堂々と“知らない”って言うだけよ」
彼女はくすっと笑い、窓の外に視線を向けた。
「……それにしても、あの時の私、ずいぶんひどい格好だったでしょう?」
「魔物相手にスリングを振り回してましたからね。貴婦人というより、戦場の英雄でした」
「まあ、あれは見られたくなかったわ。髪なんて砂だらけ」
「それでも格好よかったです」
「格好いい貴婦人なんて聞いたことないわ」
二人で顔を見合わせて笑った。
馬車の中に、久しぶりに穏やかな空気が流れた。
笑いが落ち着くと、セラはふと右手を見つめた。
「ねえ、ミレイユ。……この指輪、外れないの」
指輪は、あの日と同じく淡く光っている。
「何度試しても、びくともしないの。
でも、分かるの。これは外してはいけないものだって。
この指輪と一緒に生きていく――そんな気がするの」
私は言葉を失った。
彼女の手の中の光が、まるで呼吸をしているように見えた。
どうか、この指輪が守ってくれますように。
どうか、“セラの風”が、また彼女を導いてくれますように。
馬車の揺れが少しやわらぎ、外の光が、セラの濃紺のドレスを静かに照らしていた。




