裏 - 1
語り:ミレイユ・カロ
カンタベリオンの西門を出てから、どれくらい歩いただろう。
丘を登りきるころには、日が傾きかけていた。
空は淡い橙に染まり、低い雲の端だけが金色に光っている。
風は冷たく、草をなでる音がさやさやと耳に届いた。
足元の土は乾いていて、踏みしめるたびに軽く音がする。
その先に――
監視塔が見えた。
丘の上にぽつりと立つ石の塔。
周囲に背の低い林が広がり、その縁を抜ければ、もう目と鼻の先だ。
私は思わず息を飲んだ。
――来てしまった。
ここまで、何も起きていない。
本来ならこの道中で、ヨークの作戦は実行されるはずだった。
アルヴェイン家の誰かを奇襲で捕らえ、主導権を握る。
けれど――
(このまま、着いてしまう……?)
私は、思わず振り返った。
少し後方。
木々の隙間から、マーカスの部隊が見える。
百人ほどの兵が、整然と続いている。
その中心に、レオンとエドマンドの姿もあった。
そして。
――見られている。
はっきりとした根拠はないのに、そう感じた。
マーカスの視線。
あの人は、全部分かっている気がする。
私は視線を前に戻し、ヨーク隊の面々を見る。
皆、落ち着きがない。
視線が泳ぎ、足取りがわずかに揺れている。
きっと同じことを思っている。
――このまま着いていいのか?
その空気が、はっきりと伝わってきた。
先頭を歩いていたヨークが、不意に立ち止まる。
そして、振り返った。
その表情には、はっきりと戸惑いが浮かんでいた。
そこへ、後続の部隊が追いついてくる。
マーカスが、こちらを見た。
何も言わない。
ただ、待っている。
ヨークが、一歩前に出た。
「……監視塔は、もうすぐです。」
言葉を選ぶように言う。
「どうします?」
指示を仰ぐ声だった。
マーカスは、間を置かずに答えた。
「まずはお前たちだけで行け。」
淡々とした口調だった。
「監視塔から引きずり出してこい。」
その言葉に、空気が一瞬で凍りついた。
ヨークが、わずかにたじろぐ。
「いや……でも、魔物が――」
言いかけたところで、
「こいつらも連れて行け。」
マーカスが遮った。
指し示したのは、レオンとエドマンドだった。
「……!」
二人が、同時に息を呑む。
けれど。
反論はなかった。
できなかったのか、しなかったのかは分からない。
「……分かりました。」
レオンが言い、エドマンドも無言で頷く。
それで、決まった。
逃げ場はない。
ヨークは、短く息を吐いた。
「……行くぞ。」
その声で、全員が動く。
林へ入る。
木々の間を抜ける風が、ひゅうと音を立てた。
枝葉が揺れ、光がまだらに差し込む。
足音だけが、やけに大きく感じられる。
誰も口を開かない。
それぞれ、違う思惑を抱えたまま。
それでも――進むしかない。
やがて、林を抜けた。
視界が開ける。
目の前に、丘の上に突き立てられた槍のような監視塔が現れた。
ヨークが、門の前に立つ。
大きく息を吸い込んだ。
「セラ・アルヴェイン! ダリウス・エルネスト!」
声が、丘に響く。
「……」
反応はない。
風の音だけが返ってくる。
ヨークは構わず続けた。
「レオン・アルヴェインとエドマンド・アルヴェインを連れてきた!」
その声は、さっきよりも強かった。
「お前たちの目的が戦でないことは、このミレイユ・カロから聞いている!」
心臓が、どくりと鳴る。
「我らを中に入れろ!」
それでも。
何も起きない。
塔は、沈黙したままだった。
(……いない?)
ふと、そう思った。
いや。
(いるはず……でも――)
私は周囲を見回す。
塔の窓。屋上。柵の影。
どこにも動きはない。
(……見てる。)
どこかから、この様子を。
セラとダリウスは、ここにいない。
あるいは――
(隠れている?)
ヨークの言っていた“状況に合わせた調整”。
その通りに動いているのかもしれない。
ヨークが、もう一度声を張り上げる。
「セラ・アルヴェイン! ダリウス・エルネスト!」
その瞬間だった。
――ぎぃ、と。
門の上の木製の窓が、ゆっくりと開いた。
全員の視線が、一斉にそこへ向く。
そこに、二つの影があった。
セラと、ダリウス。
私は、息を止めた。
(……え?)
頭が、ついていかない。
(いないんじゃ……なかったの?)
予想が、崩れる。
作戦も。
読みも。
全部。
一気に、分からなくなった。




