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聖環  作者: 北寄 貝


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帰郷 - 7

語り:ミレイユ・カロ

「マーカス卿。」

 レオンが、不満を隠そうともせずに言った。

「何がおかしいのです。」

 名を呼ばれた男――マーカスは、肩を揺らして笑いを収めた。

「いやなに。」

 どこか愉快そうな声音だった。

「娘が、わざわざ命の危険を冒してまで父親に会いに来たのだ。」

 ゆっくりと言葉を転がす。

「この機を逃す手はあるまい。」

 レオンの眉がわずかに寄る。

「無論だ。

 すぐにでも捕らえに行くつもりだ。」

 その言葉に、マーカスは軽く手を振った。

「まあまあ、そう焦るな。」

 宥めるようでいて、どこか人を食った調子だった。

「婚約者から三下り半を突きつけられ、意気消沈しているやもしれん。」

 くすり、と笑う。

「ここは父と兄で、優しく迎えに行ってやろうではないか。」

 言葉の端々に、わずかな嘲りが混じっていた。

 私は思う。

 ――この人は、すべて分かっている。

 事情を知った上で、わざと二人を揺さぶっている。

 エドマンドが、即座に反応した。

「父と私で説得に行けと?」

 声音が険しくなる。

 マーカスは肩をすくめた。

「二人だけで行けとは言わん。」

 あっさりと否定する。

「私と、部下の百名がついて行ってやろう。」

 その一言。

 空気がわずかに変わった。

 そのとき、ほんの一瞬だが、ヨークの肩がほんのわずかに動いた。

 エドマンドが一歩踏み出す。

「これはアルヴェイン家の問題です。」

 きっぱりと言い切る。

「カンタベリオンの兵を出す。手助けは不要です。」

 マーカスは、楽しげに目を細めた。

「アルヴェイン家の問題、か……」

 繰り返す。

「だからこそ、だ。」

 声音がわずかに低くなる。

「身内の問題となれば、兵も情に流されるやもしれん。」

 一歩、ゆっくりと前に出る。

「その場合は面倒だ。」

 淡々と言い放つ。

「それに――」

 わずかに間を置く。

「聖環の力を前にして、怖気づかれても困る。」

 室内の空気が、ひやりと冷えた気がした。

 マーカスはセラの持つ魔法具が聖環だと認識している。

 ――この人も、知っている。

「ならば、私の配下だけで十分だ。」

 断言だった。

 エドマンドはなおも何か言いたげに口を開きかける。

 だが、言葉は続かなかった。

 しばしの沈黙ののち、

「……承知しました。」

 不本意さを押し殺した声で、引き下がる。

 そのやり取りを、レオンは黙って見ていた。

 やがて、マーカスが視線を巡らせる。

 そして、ヨークに向けた。

「貴様の部隊もついてこい。」

 短く命じる。

「はっ。」

 ヨークが即座に応じる。

 次に、その視線がこちらへ向いた。

「お前もだ。」

 一瞬、言われた意味が分からなかった。

「ヨーク隊とともに来い。」

 言葉が、遅れて胸に落ちる。

 私が、ついていく。

 理解が追いつかない。

 ――なぜ?

 レオンが、わずかに身を乗り出した。

「マーカス卿。」

 控えめながらも、はっきりと異を唱える。

「ミレイユは当家の召使いに過ぎません。戦場に連れて行くのはいかがかと……」

 マーカスは、ちらりとレオンを見た。

 その目には、わずかな苛立ちすら浮かんでいない。

 ただ、切り捨てるような冷たさだけがあった。

「余計なことを考えるな。」

 ぴしゃりと言い放つ。

「息子とともに、さっさと支度を整えろ。」

 一拍。

「西門前で待て。」

 命令だった。

 レオンは一瞬、言葉を失う。

 だが、すぐに頭を下げた。

「……承知しました。」

 エドマンドも、不満を押し殺した顔で続く。

 二人はそのまま踵を返し、執務室を後にした。

 扉が閉まる音が、やけに重く響く。

 残されたのは、マーカスと、ヨークと、私。

 マーカスはすぐにヨークへ向き直った。

「貴様も、その娘を連れて西門へ行け。」

「はっ。」

 ヨークが応じる。

 私は、まだ状況を飲み込めずにいた。

 そのときだった。

 不意に、視線を感じた。

 顔を上げる。

 マーカスと、目が合った。

 ほんの一瞬。

 だが、その視線は、逃がさないと言わんばかりに絡みつく。

 マーカスは何も言わない。

 ただ――

 ゆっくりと、口角を上げた。

 笑っている。

 だが、それは愉快だからではない。

 何かを見透かしたような、あるいは、すでにすべてを知っている者の笑みだった。

 ――この人は、危ない。

 直感が、そう告げていた。

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