次兄 - 6
語り:ミレイユ・カロ
私はまだ周囲を見ていた。
屋根の上。
通りの奥。
教会の塔。
誰かがまだこちらを見ている気がする。
でも、人影は見つからない。
背筋の冷たい感覚だけが残っていた。
ダリウスは剣を構えたまま通りを見渡している。
兵たちは完全に腰が引けていた。
誰も近づいてこない。
誰も戦おうとしない。
ただ遠巻きに、血の広がった石畳を見ているだけだ。
私は視線を戻した。
セラはまだそこにいた。
膝をついたまま。
肩が小さく震えている。
泣いている。
どうすればいいのか分からない。
私はただ隣に立っていた。
やがて。
セラの呼吸が少し落ち着いた。
ゆっくり顔を上げる。
涙で濡れた頬を袖で拭う。
そして、石畳を見た。
赤黒い血が、まだゆっくり広がっている。
割れた鎧の破片。
砕けた剣。
人の形は、もうどこにも残っていない。
セラはしばらくそれを見つめていた。
それから、静かに手を伸ばす。
血に濡れた鎧の破片をどける。
その下から、小さな金属の輪を拾い上げた。
身体強化の指輪。
さっきトリスタンが使っていた魔法具だ。
セラはそれを見つめた。
ほんの少しの間。
それから立ち上がる。
まだ少しふらついていた。
でも足は止まらない。
ダリウスの方へ歩いていく。
私はその背中を見ていた。
セラはダリウスの前で止まった。
手を差し出す。
掌の上に、指輪が乗っている。
「……これ」
声はもう震えていなかった。
「ダリウス。これ、要る?」
ダリウスはすぐには手を出さなかった。
指輪を見ている。
その目は、ほんの一瞬だけ迷ったように見えた。
ダリウスは視線を落とした。
それから、小さく息を吐く。
剣を持っていない方の手を差し出した。
指輪を受け取る。
「……今は預かるだけにしておく。」
静かな声だった。
セラは何も言わなかった。
ただ、小さくうなずく。
セラはもう一度だけ石畳を見た。
そこには、兄の形をしたものは何も残っていなかった。
ダリウスは指輪を掌で包み、腰の袋にしまった。
通りの空気はまだ重かった。
兵の一人が、ゆっくり後ずさる。
別の兵が槍を下ろす。
「……撤退だ。」
誰かが小さく言った。
数人が逃げるように通りの奥へ消えていく。
残った者も、もう戦う気はないらしい。
ただ呆然と立ち尽くしている。
鵺は通りの中央で動かなかった。
黄金の目だけが静かに周囲を見ている。
低い唸り声ももう止んでいた。
風がまた吹く。
市場の布が大きく揺れる。
転がった果物が石畳の上で少し転がる。
その音だけがやけに大きく聞こえた。
セラは通りの向こうを見ていた。
教会の塔の方だ。
さっき私が影を見た気がした場所。
涙はもう流れていない。
顔も崩れていない。
けれど、その目は違っていた。
怒っている。
叫ぶような怒りじゃない。
燃え上がるような怒りでもない。
もっと静かなものだ。
火が、奥でずっと燃え続けているような。
そんな目だった。
その火がどこまで燃え広がるのか、私にはまだ分からなかった。




