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聖環  作者: 北寄 貝


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134/136

次兄 - 4

語り:ミレイユ・カロ

 トリスタンの一言で、通りの空気が一瞬にして変わった。

 兵たちが槍を下ろす。

 金属の擦れる音がいくつも重なった。

 その先端は、まっすぐセラへと向けられている。

 私は息を呑んだ。

 次の瞬間、セラが右手を掲げた。

「吹け、私の風!」

 言葉と同時に、突風が通りを駆け抜けた。

 石畳の砂が巻き上がり、市場の布がばさりと大きくはためく。

 木箱が転がり、積まれていた果物が通りに散らばった。

 市場の商人や客たちがうめき声をあげながら次々と倒れていく。

 眩暈の風――この風を浴びると酷い船酔い状態に陥る。

 それはトリスタンとその手勢も同じ。

 けれど。

 誰も倒れない。

 兵たちは踏みとどまり、槍を構えたままだった。

「……効いてない。

 ならば奴らは既に魔力を帯びている……」

 ダリウスが低く言った。

 私は兵たちの手元を見た。

 指輪。

 腕輪。

 首飾り。

 金属や石の光が、風の中でかすかに揺れている。

「魔法具……」

 思わず声が漏れた。

 その声を聞いたのか、トリスタンが小さく肩をすくめた。

「魔女相手に生身で来ると思うかい?」

 そう言って、指に嵌めた指輪をくるりと回した。

 淡い光が一瞬だけ瞬く。

 次の瞬間、トリスタンの姿勢が変わった。

 重心が低くなり、身体の力が内側から膨らんだように見える。

 周囲の兵たちも同じ動きをした。

「身体がデカくなってる……ルキウスのあれに近い……身体強化か?」

 ダリウスが低く呟く。

 魔法具による身体強化――確かルキウスは身体が大きくなるのに加えて腕が増えていたことを思い出す。

 ダリウスが剣を抜く。

「セラ、下がれ。」

 言うが早いか、兵たちが一斉に動いた。

 槍の穂先が突き出される。

 ダリウスは一歩前に出て、それを迎えた。

 鋼がぶつかる音が響く。

 ダリウスの剣が槍を弾く。

 返す刃で一人の兵を押し返す。

 しかしすぐに別の槍が横から突き出される。

「くっ……!」

 ダリウスは身をひねってそれを避けた。

 けれど兵の動きは、明らかに速い。

 強化されている。

 しかも数が多い。

 ダリウスはセラと私をかばうように戦っている。

 だから大きく踏み込むこともできない。

 槍がまた突き出される。

 剣がそれを弾く。

 火花が散る。

 私は拳を握りしめた。

 ――魔化すれば。

 頭の奥で声がした。

 ウェアウルフになれば、この兵たちと戦える。

 けれど。

 胸の奥が冷たくなる。

 迷いの森で感じた、あの衝動。

 壊したい。

 引き裂きたい。

 殺したい。

 あれがまた来たら。

 もしダリウスに牙を向けてしまったら。

 セラを襲ってしまったら。

 私は唇を噛んだ。

 動けない。

 その時だった。

「……兄さんがその気なら。」

 セラの声が聞こえた。

 振り向く。

 セラが右手を高く掲げていた。

「来い、私の風!」

 風が集まり始める。

 通りの落ち葉が舞い上がり、空気が渦を巻く。

 次の瞬間。

 渦の中心から、黒い影が現れた。

 低い唸り声。

 巨大な身体。

 鵺だ。

 兵たちが思わず足を止める。

 鵺は地面を蹴った。

 一瞬で兵の一人に迫り、爪で弾き飛ばす。

 兵の身体が石畳の上を転がった。

 蛇の尾がうねり、別の兵の腕に噛みつく。

 悲鳴が上がる。

 兵たちの陣形が崩れた。

 ダリウスは槍を払いながら、鵺とトリスタンの方へ目を向けた。

 その時、トリスタンが前に出た。

「下がれ。」

 兵たちが一瞬ためらう。

 トリスタンは剣を抜いた。

 そして、左手の腕輪に触れた。

 光。

 さっきより強い。

 トリスタンの身体がさらに引き締まる。

 次の瞬間、トリスタンは鵺へと踏み込んだ。

 速い。

 剣が閃く。

 鵺の爪とぶつかる。

 金属と爪が激しく擦れた。

 鵺が跳び退く。

 トリスタンが追う。

 剣が再び振るわれる。

 鵺の蛇尾が横から襲う。

 トリスタンはそれを身をひねって避けた。

 けれど。

 鵺の動きは速い。

 鋭い爪がトリスタンの剣を弾く。

 衝撃でトリスタンが半歩下がる。

 また一歩、押される。

 鵺が唸り声を上げた。

 鵺の爪が振り下ろされる。

 トリスタンは剣で受けた。

 甲高い衝突音が通りに響く。

 だが、重い。

 爪が押し込んでくる。

 トリスタンの足が石畳の上で滑った。

 半歩、下がる。

 次の瞬間、鵺の蛇尾が横から走った。

 黒い影のような速さだった。

 トリスタンは気付くのが一瞬遅れた。

「っ!」

 蛇の牙が肩口をかすめる。

 血が散る。

 トリスタンは歯を食いしばり、身体を強引にひねって距離を取る。

 だが鵺は止まらない。

 地面を蹴り、巨大な身体が跳ぶ。

 影が覆いかぶさる。

 トリスタンは剣を横に振った。

 鵺の前脚と刃がぶつかる。

 衝撃が腕を貫いた。

 骨まで響くような重さだった。

 トリスタンの剣が弾かれる。

 鵺の爪が胸を薙いだ。

 鋭い痛み。

 鎧の留め具が弾け、金具が石畳に転がる。

 トリスタンはたまらず膝をついた。

 血が胸元から流れ落ちる。

 それでも、トリスタンはすぐに立ち上がった。

 剣を握り直す。

 呼吸が荒い。

 だが目だけはまだ死んでいない。

 鵺が低く唸った。

 二人の間に、張り詰めた沈黙が落ちた。

 その瞬間。

 セラの声が響いた。

「もうやめて!」

 通りが静まり返る。

 鵺が動きを止める。

 トリスタンも剣を構えたまま動かない。

 しばらく沈黙が続いた。

 トリスタンがゆっくり顔を上げる。

 そしてセラを見た。

「参ったな……兄の面目丸つぶれだね。」

 トリスタンが自嘲する。

「私……トリスタン兄さんを傷つけたくない……」

 セラの沈痛な面持ち。

「セラは優しいね。」

 トリスタンが慈しむような微笑みを見せ、小さく息をついた。

 その時だった。

 鈍い音がした。

 何かが、弾けるような音。

 次の瞬間。

 トリスタンの身体が、内側から爆ぜた。

 血と肉片が石畳に飛び散る。

 私は何が起きたのか理解できなかった。

 通りに、重たい沈黙が落ちた。

 セラが立ち尽くしている。

 兵たちも動かない。

 誰も言葉を発さなかった。

 ただ、風だけが通りを吹き抜けていた。

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