次兄 - 2
語り:ミレイユ・カロ
丘を下りると、街道はそのまま町の中へ続いていた。
城壁も門もない。
旅人や荷車が通ることを前提にした町なのだろう。
アシュカラーは街道が交わる町だと、さっきセラが言っていた。
確かに、道幅は広く、両脇の家々もどこか商売向きの造りに見える。
けれど、町に入った瞬間、胸の奥がざわついた。
静かすぎる。
市場町なら、もっと声が飛び交っていてもいいはずだ。
呼び込みの声や、荷を運ぶ怒鳴り声、家畜の鳴き声――そういう雑多な音が混じり合っているのが普通だ。
だが、今聞こえるのは靴底が石畳を叩く乾いた音くらいだった。
通りを歩く人影はある。
けれど皆、どこか急ぎ足で、目を合わせようとしない。
私はさりげなく辺りを見回した。
通りの角に、兵が二人立っている。
赤地の外套。
帝国の鎧。
私は思わず視線を逸らした。
ダリウスが言った通り、帝国軍がこの町を落としたのだろう。
ただ、兵の数は多くない。
それよりも目につくのは、黒い獅子の紋章だった。
アルヴェイン家。
三人ほどの兵が通りを巡回している。
鎧の形も、歩き方も、見慣れたものだ。
「……アルヴェイン兵の方が多いわね。」
小声でセラが言った。
私も頷く。
帝国兵は、町の要所に少数いるだけだ。
巡回しているのはむしろアルヴェイン家の兵だった。
ダリウスが短く言う。
「帝国は主力を引き上げたんだろう。
統治は任せたってことか。」
セラは何も答えなかった。
ただ、フードの影から町の奥を見つめている。
視線の先には石造りの教会があった。
町の中央に建つ塔は、周囲の木組みの家々より頭ひとつ高い。
塔の上には旗が翻っている。
アルヴェイン家の旗。
そして、ルーメン教の紋章。
私は思わず目を細めた。
教会の前には兵が集まっている。
「……拠点ね。」
セラが小さく呟いた。
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
「市場を抜けましょう。」
セラは教会から目を離さないまま言った。
「あそこは通りたくないわ。」
ダリウスが頷く。
「了解。」
私たちは通りを右に折れ、市場広場の方へ向かった。
広場に入ると、ようやく人の数が増えた。
野菜を並べた台。
干し肉の屋台。
荷を下ろす荷車。
形だけなら、普通の市場だ。
だが、やはり静かだった。
商人たちは小声で話している。
笑い声もほとんど聞こえない。
兵がいるせいだろう。
広場の端にはアルヴェイン兵が数人立っていた。
槍を肩にかけ、通りを見張っている。
私は無意識にフードを深くかぶった。
できるだけ目立たないように歩く。
市場を横切れば、町の西側の街道に出られるはずだ。
そこから北へ向かえば、カンタベリオンへ続く道に戻れる。
早く通り抜けたい。
そう思っていた、そのときだった。
石畳の通りの向こうから、蹄の音が聞こえてきた。
私は顔を上げた。
騎兵の一団がこちらへ向かってくる。
鎧の胸に刻まれた紋章を見て、私は思わず息を止めた。
黒い獅子。
アルヴェイン家。
先頭の騎士の顔が見える。
その顔を見た瞬間、胸がざわついた。
見覚えがある。
城で何度も見た顔だ。
けれど、こんなところにいるはずがない。
私は思わず足を止めた。
「……」
隣でセラの気配が固まる。
そして、小さく呟いた。
「……トリスタン兄様。」
騎兵の先頭の男がこちらを見た。
最初は気づかなかったようだった。
けれど、セラの声を聞いた瞬間、目を丸くした。
馬を引き寄せる。
「……セラ?」
本当に信じられないものを見るような顔だった。
「お前……」
トリスタンはしばらく言葉を失っていた。
そして、眉をひそめる。
「なんでこんなところにいる?」
ダリウスが、わずかに私の前に出た。
市場の空気が、わずかに揺れた。
近くで野菜を並べていた商人が手を止める。
周囲の兵たちの視線が、一斉にこちらへ向いた。
トリスタンはゆっくりと馬を進め、私たちの前で止めた。
「いや、待て。
お前、ノルドハイムに逃げたんじゃなかったのか?」
セラは教皇暗殺に失敗してノルドハイム連邦に亡命した、という話にでもなっているのだろうか。
アルビオン島には真実は何も伝わっていないのだと痛感した。
セラは何も答えなかった。
トリスタンはしばらく妹を見つめ、それから困ったように息を吐いた。
「……参ったな。」
そう言って、ふと森の方角を見た。
迷いの森。
「もう会えないと思ってた妹に会えたんだ。
本当なら再会を喜びたいところなんだけど、僕たちは今から迷いの森に行くところなんだ。」
セラが顔を上げる。
「森に?」
トリスタンは頷いた。
「モルヴァン司教の命令でね。」
トリスタンは少し苦い顔をした。
「魔女アルシアを討て、だとさ。」




