迷いの森 - 11
語り:ミレイユ・カロ
セラはしばらく炉の火を見つめていたが、やがて顔を上げた。
「でも……」
少し迷うような声。
「別人格になってしまうと分かっていれば、融合するのを躊躇するのは分かるわ。」
指先で聖環をなぞる。
「でも、大抵の人はそんなこと知らないんじゃないかしら。」
アルシアは黙って聞いている。
「それに……人を餌にするようになるなんて、普通は思わないんじゃない?」
小屋の外で風が鳴った。
枝が擦れ合う音が、遠くの波のように続く。
私はセラの言葉を聞きながら考えた。
アルシアが言った理由は、確かに筋が通っている。
でも、それはあくまで――
知っていれば、だ。
知らなければ、躊躇する理由にはならない。
アルシアはしばらく黙っていたが、やがて私の方を見た。
「ねぇ、あんた。」
突然呼ばれて、背筋が伸びる。
「あんたがさっき魔化したとき――」
静かな声。
「意識が喰われていくような感覚があっただろう?」
胸の奥が冷たくなった。
「自分じゃなくなるようで、怖くなかったかい?」
私は少しだけ俯いた。
思い出してしまう。
胸の奥から湧き上がってきた衝動。
壊したい。
引き裂きたい。
目の前のものを全部。
あれは――
自分じゃなかった。
「……怖かったです。」
それだけ言った。
アルシアは小さく頷いた。
「融合を一発勝負でやるような馬鹿は、まずいない。」
炉の火が静かに揺れる。
「大抵は試すんだよ。」
指で卓を軽く叩く。
「その過程で、その娘みたいに、自分が自分じゃなくなっていく感覚を味わう。」
アルシアはセラを見た。
「そして怖くなる。」
外で小鳥が鳴いた。
「誰かに教えられなくたって、体験から分かるのさ。」
ハーブティーの湯気がゆっくりと上がる。
「だから躊躇するようになる」
セラは何も言わず、黙ったままだった。
アルシアは肩をすくめた。
「まあ、あたしの聖環の知識なんて、この辺が限界さ。」
杯を持ち上げる。
「あとは自分で調べるんだね。」
少しだけ間を置く。
「もしくは――」
視線をセラに向ける。
「娘を助けてから聞きに来てくれたらありがたいけどね。」
セラの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
その意味を理解した顔。
「……私の問題が片付いたら――」
小さく言う。
「追いかけるわ。」
アルシアはふっと笑った。
「期待しないで待っててみるかね。」
ダリウスが腕を組んだまま言った。
「一つ、気になっていることがある。」
アルシアが視線だけ向ける。
「セラの風の聖環は、アルヴェイン家の家宝なのか?」
少し眉を寄せる。
「水の聖環はシウ家の家宝だと言っていたが……」
セラは首を振った。
「いいえ。」
聖環を見下ろす。
「家宝じゃないわ。」
少し考えるように言う。
「渡されるまで存在も知らなかった。」
炉の火がぱちりと弾けた。
「母の形見だって言われて渡されたけど……母はどこで手に入れたのかしら。」
アルシアは少し顎に手を当てた。
「風の聖環自体はね……」
窓の外の森を見やる。
「アルビオン島の北の方に、昔からあったらしい。」
ゆっくり続ける。
「でも、それがどうやってカンタベリオンのアルヴェイン家に流れ着いたのかは分からない。」
ダリウスが聞いた。
「知っている可能性があるのは?」
アルシアは肩をすくめた。
「レオン・アルヴェイン。」
指を一本立てる。
「それと、モルヴァン・エルドレッド司教。」
「なぜその二人だ?」
ダリウスが聞く。
アルシアは苦笑した。
「勘だよ。」
少し間を置く。
「ただね――」
炉の火が静かに揺れる。
「ルーメン教が、かなり噛んでる気がするんだ。」
ダリウスが眉を寄せた。
「なぜルーメン教?」
アルシアは手を振った。
「だから勘だって言っただろ。」
少し笑う。
「深く聞くんじゃないよ。」
それからセラを見た。
「これからカンタベリオンに向かうんだろ?」
セラは静かに頷いた。
アルシアはゆっくり言った。
「じゃあ最後に一つだけ。」
声が低くなる。
「あたしからの忠告だ。」
小屋の中が静まり返る。
「この先、ルーメン教の信者を信じるんじゃないよ。」
アルシアの目は、真剣そのものだった。
炉の火だけが、静かに揺れていた。




