迷いの森 - 9
語り:ミレイユ・カロ
アルシアはハーブティーの杯を指先で回しながら、セラを見た。
「仮に聖環が誰かを選べるとしてさ――」
そう言って少し首を傾ける。
「番まで選べると思うかい?」
セラは答えられず、ただ瞬きをした。
炉の火がぱちりと小さく弾ける。
アルシアは続けた。
「あんたを例えにすれば、風の聖環は、あんたがカイルを愛して、カイルもあんたを愛して、そのうえでカイルが自分から命を差し出すと決めて、初めて力を持てたんだろう?」
セラの指がわずかに震えた。
「そう考えるとね、聖環が人を選ぶなんて話は、ちょいと無理がある。
あんたとカイル、二人の人生を最初から操らなきゃいけない。」
アルシアは肩をすくめた。
「いくら神秘の魔法具だって、そんな器用な真似ができるとは思えないね。」
窓の外で、風が森を揺らした。
枝がこすれる音が、遠くで波のように広がる。
アルシアはさらに言葉を重ねる。
「神のいたずらって言う人もいるがね――」
杯を口に運ぶ。
「聖環の仕組みそのものが、神の考えそうなことと相性が悪い。
そんなものを人間に使わせるように運命づけるってのも、妙な話だろう?」
ダリウスが腕を組んだまま言った。
「悪意はないんだが……」
少し言葉を探す。
「ずいぶん論理的な解釈なんだな。
魔女とは思えない」
アルシアは鼻で笑った。
「聖環が使えるなんてのはね、偶然に偶然が重なった結果なんだよ。」
棚の小箱の影が、火の揺らぎで静かに動く。
「だから記録だってほとんど残ってない。
残ってるものも、どれもこれも話が食い違ってる。」
アルシアは肩を竦める。
「だったら、その中で筋の通る話を組み立てるしかないだろう?」
セラがぽつりと言った。
「それで、“たまたま”っていうのがあなたの結論なのね。」
アルシアは少しだけ沈黙した。
その顔に、さっきまでとは違う影が落ちる。
「調べたのは、あたしじゃない。」
静かな声。
「娘だよ。」
セラが顔を上げた。
「フレヤが?」
「ああ。」
炉の火がまた小さく鳴った。
「娘はね、幼いころから水の聖環を扱えると分かっていた。」
アルシアは遠くを見るように続ける。
「それで好奇心だろうね。
若いころから聖環について調べ始めた。」
少し笑う。
「時にはフランカ帝国のルーメン教総本山にまで行ってね。」
セラが小さく呟いた。
「ルキウス・ヴァルメインと知り合ったのは……その時なのかしら」
アルシアは肩をすくめた。
「詳しいことは聞いてないがね。
帝国で面倒な男に付きまとわれた、とは言っていたね。」
窓の外で小鳥が鳴いた。
「それがルキウスかどうかは、あたしには分からない。」
ダリウスが尋ねる。
「フレヤが水の聖環を扱えると、どうやって分かった?」
アルシアは当然のことのように答えた。
「聖環はね、使える人間が身に着けると、淡く光るのさ。」
指先で杯の縁を軽く叩く。
「水の聖環はシウ家の家宝だった。
娘につけたら光った。
それだけの話だよ。」
セラは自分の指にはまった聖環を見た。
淡い光が、かすかに揺れている。
「私のも確かに光っているわ。」
少し眉を寄せる。
「でも……私に渡された時には、もう“出来上がっていた”のよね。」
アルシアはあっさり言った。
「誰かが試したんだろうさ。
あんたの知らないところで。」
セラがちらりと私を見た。
私は慌てて手を振る。
「わ、私じゃないですよ!」
セラはくすっと笑った。
「冗談よ。」
それでも私は少し顔が熱くなった。
しばらくして、セラは小さく言った。
「でも……そこまで聖環について調べたなら……」
視線を落とす。
「逆に、使いたいなんて思わないんじゃないかしら。」
アルシアは少しだけ困った顔をした。
「娘の色恋の話をするのは、あまり気が進まないんだけどね。」
そう言って、静かに語り始めた。
フレヤは魔女として、人を癒す魔法具を作ることに長けていた。
痛みを和らげる指輪。
熱を鎮める腕輪。
傷を早く塞ぐ首飾り。
そうしたものを作り、人々を助けていた。
その中で出会ったのが、ポール・グリーブスだった。
リンドンの前領主ジーン・グリーブスの長男で、本来ならば領主を継ぐはずの人物。
けれど彼は、生まれつき体が弱かった。
ジーンとアルシアには昔から交流があり、その縁でフレヤとポールは医者と患者のような立場で知り合った。
そして、恋に落ちた。
しかしポールの体は、年を重ねるごとに弱っていった。
自分はリンドンの領主にはふさわしくない。
そう思い詰めていったのだろう。
それでも彼には、もう一つの願いがあった。
ずっとフレヤのそばにいたい。
その願いを叶える方法が、ひとつだけあった。
水の聖環。
ポールは、自らその生贄になることを選んだ。
そしてフレヤに、ひとつの言葉を残した。
――リンドンを、気にかけてやってほしい。
小屋の中に、しばらく静かな時間が流れた。
私はようやく分かった。
フレヤが言った言葉。
“私のリンドン”。
あれは街のことではなかった。
ポールのことだったのだ。




