迷いの森 - 5
語り:ダリウス・エルネスト
ロバの背から、老婆はひょいと軽やかに降りた。
「騒がしいから様子を見に来てみれば……何だい、これは。」
独り言のように言いながら、迷いなく鵺とウェアウルフの方へ歩き出す。
「婆さん、危ないぞ!」
思わず手を伸ばして制する。
ウェアウルフは今も暴れている。
鵺が押さえ込んでいるとはいえ、油断はできない。
老婆は立ち止まり、俺をじろりと見た。
「危ないかどうかは、見りゃ分かるさ。
これは何なのか聞いているんだがね。」
声は低いが、強い。
俺は言葉を詰まらせ、鵺とウェアウルフを見る。
唸り声と爪の音が森に響いている。
セラが一歩前に出た。
「聖環の魔物と……魔法具で魔物になった友達です。」
回りくどさを捨てた、率直な物言いだった。
普通の人間には意味が通じないだろう。
だがセラは、この老婆が魔女だと踏んだのだろう。
「聖環だって?」
老婆の目がわずかに見開かれる。
「あなたが、アルシア・シウ?」
「そうだよ。」
セラの問いに、あっさりと肯定した。
セラが息を詰める。
「あなたはアルビオン島最高の魔女だと聞いたわ。
だからお願い、ミレイユ……友達を、助けてほしいの。」
言葉が溢れる。
アルシアは魔物たちとセラを交互に見やった。
「なんだかせわしないねぇ。」
そう言いながら、また歩き出す。
まるで暴れる獣など目に入っていないかのように。
俺の中で違和感が走る。
アルシアは魔物を恐れていない。
状況を理解した上で、恐れていない。
「友達っていうのは、この犬みたいなのかい?」
ウェアウルフを指さす。
セラの顔が一瞬だけ複雑に歪む。
「……そうよ。」
アルシアは肩掛け鞄から赤い木の実を取り出した。
キイチゴに似ているが、色がやけに濃い。
そして、暴れるウェアウルフの口へ、ひょいと放り込む。
「あっ。」
俺とセラの声が重なる。
次の瞬間。
ウェアウルフの動きが鈍る。
力が抜ける。
唸り声が低くなり、やがてぐったりと地面に伏した。
「今、何を……ミレイユは……」
セラの声が揺れる。
「酔っぱらっているだけさ。」
アルシアは平然と言う。
「特製の果物だよ。獣を酔っぱらわせる。今はただ、酩酊してるだけさ。」
セラが大きく息を吐く。
その瞬間、風が巻き、鵺が消えた。
静寂。
俺は眉をひそめる。
ウェアウルフは意識を失っているように見える。
だが、それでも戻らない。
「……あんたとは色々話したいがね。」
アルシアがセラを見て言う。
「先に“お友達”をどうにかしないと、落ち着いて話もできないだろう?」
「もちろん。」
セラは即答する。
アルシアはウェアウルフの右手を取った。
「こんな酷い魔法具、どこで見つけたんだい。」
責めるような声音。
「話すと長いの。あとでちゃんと話すわ。
なりゆきで……つけるしかなかったの。」
アルシアは小さく鼻を鳴らす。
「道具がないとどうにもならない。
家に連れていくよ。」
そう言って、自分の手首に巻いていた紐を外し、ウェアウルフの手首に結ぶ。
そして――
ひょい、と持ち上げた。
片手で。
信じがたい光景だった。
か細い身体のどこにそんな力がある。
セラと目が合う。
同じ表情をしている。
アルシアはウェアウルフをロバの背に、布でも掛けるように乗せた。
「行くよ。ついておいで。」
何事もなかったように歩き出す。
目の前の光景が、まだ現実として噛み合わない。
迷いの森は、俺たちを迷わせる前に、もっと大きなものを突きつけてきたらしい。




