風の試練 - 3
語り:ミレイユ・カロ
ハーピーが再び甲高く鳴いた。
それは、獲物を嘲るような鋭い叫びだった。
翼が空を裂き、船を大きく影で覆う。
「来るぞ――!」
ダリウスが叫んだ。
弦が鳴り、矢が一斉に放たれる。
けれど、ハーピーは矢の雨のわずかな隙間を縫うように滑り抜けた。
そのまま旋回し、再び降下。
けれど今度の軌道は、海に落ちたジョージではなかった。
――私だ。
黒い影が、一直線にこちらへ突っ込んでくる。
目が、合った。
鳥でも獣でもない、人間の瞳。
恐怖が胸を突き上げ、息が止まった。
「ミレイユ殿――!」
ダリウスの声が遠くで響いた。
次の瞬間、私は何かに強く押し倒される。
どん、と背中に衝撃。
覆いかぶさるように私を抱えたのは――ギルデン船長だった。
そのすぐ上を、鋭い風が切り裂く。
ハーピーの鉤爪が、彼の背を深々と裂いた。
赤い飛沫が、私の頬に散った。
「船長――!」
叫ぼうとした声は、凪いだ空気に吸い込まれた。
ギルデンは痛みに顔を歪めながらも、私を押しのけて立ち上がる。
ふらつきながらも、血の滴る背中で振り返り、咆哮のように叫んだ。
「てめぇら――よく覚えておけッ!
自分の命に代えても、全員を守るのが船長だ!」
その声は、まるで高波をも貫くように響いた。
血に染まった背中が、陽光の中で揺らいだ。
そして、力尽きたように膝をつき、そのまま倒れた。
「船長――!」
水夫たちが駆け寄る。
彼の体を抱え上げ、必死に止血布を巻いた。
赤が白をすぐに染め、布が次々と取り替えられる。
それでも――彼の言葉は、風の中に残っていた。
誰かが息を呑み、そして拳を握る。
「……あんたの言葉、聞いたぜ船長!」
「守るんだ、この船を!」
怒号が上がり、矢を構える音が連鎖した。
護衛たちが剣を抜き、水夫たちが槍代わりに船具を握る。
ギルデンの倒れた場所を囲むように、全員が立ち上がった。
セラはスリングを構え、ダリウスが隣で弓を引いた。
護衛たちが盾を並べ、水夫を背に陣形を組む。
矢が放たれ、スリングが唸る。
ハーピーが身を翻し、風を巻き上げた。
索具が悲鳴を上げ、矢は空中で不自然に逸れて波に落ちた。
「風を……操っているのか……?」
ダリウスがつぶやく。
彼の弓の弦がかすかに震えていた。
セラの投げた石弾は、風を割って進み、ハーピーの翼をかすめた。
羽根が散る。
ハーピーが怒りの声を上げ、再び高度を取る。
「やれる……まだやれる!」
護衛の誰かが叫ぶ。
その言葉が、皆の胸に火を灯した。
だが、その闘志を嘲るように、ハーピーは空高く舞い上がった。
陽光の中で、翼がひときわ大きく広がった。
次の標的を見定める、あの冷たい瞳が――また、こちらを見ていた。




