市街地戦 - 7
語り:ミレイユ・カロ
フランカ帝国軍の最後尾が橋を渡り切り、煤けた旗の赤が遠ざかっていくのを、私はぼんやりと見送っていた。
焦げた木材の匂いと、まだ燻る屋根の煙が、リンドンの空を鈍く曇らせている。
――入れ替わるように。
南の街道から、別の軍勢が橋へとなだれ込んできた。
「……あれ」
私が声を上げるより早く、セラが目を細め、掲げられた旗を指さした。
「あの旗、グリーブス家の旗よ。」
橋の中央で翻るそれは、深紅の地に、黒い獅子が銀の塔を踏み据える意匠だった。
獅子の爪は誇張されるほど長く、塔は三層、尖塔の先には小さな星が描かれている。
誇りと統治の象徴――そう教わったことがある。
グリーブス家。
リンドンを治める家門。
それが、今ごろ。
私は胸の奥に引っかかる違和感を覚えた。
なぜ、今なのか。
フランカ帝国軍が街を蹂躙していたとき、彼らはどこにいたのだろう。
それはきっと、私だけの疑問ではなかった。
「来るのが遅ぇんだよ!」
「今までどこで遊んでいやがった!」
「家が燃えちまったのは誰のせいだ!」
橋の両側から、罵声が飛ぶ。
つい先ほどまでルキウスとフレヤの戦いを固唾を呑んで見守っていた民衆が、今度は新たな軍勢に牙を剥いている。
グリーブス軍の兵士たちは、一様に疲れた顔をしていた。
鎧は泥と血に汚れ、肩で息をしている者もいる。
それでも隊列は崩さず、民衆の怒号に対して何の反応も示さない。
……無視しているのか、耐えているのか。
やがて、小石がひとつ、盾に当たって乾いた音を立てた。
それを合図にしたかのように、小石がどんどん投げ込まれる。
「まずいな……」
ダリウスが低く唸った。
「この状況は非常にまずい。早くここから離れるぞ。」
彼は私とセラの背を押す。
「暴動が起きそうね。」
セラの声は静かだったが、瞳は鋭く群衆を観察している。
そのときだった。
悲鳴。
短く、鋭い、喉を裂くような叫び。
振り返った私は、見てしまった。
隊列の端にいた歩兵が、最前列で罵っていた男の胸を、槍で一突きにしていた。
時間が止まったように感じた。
刺された男は目を見開いたまま、ゆっくりと崩れ落ちる。
「俺たちはカンタベリオン軍と戦ってたんだ! 追撃を振り切って、命からがら戻ってきたんだぞ! それを……!」
歩兵は怒鳴った。怒りと疲労と、どこか崩れかけた誇りが混ざった声だった。
弁明というより、叫びに近い。
それが火種になった。
罵声は怒号へ変わり、小石は瓦礫へと変わる。
人の頭ほどもある塊が、盾に叩きつけられた。
鈍い音。呻き声。
グリーブス軍は盾で受け、あるいは躱し――次の瞬間、剣が振るわれ、槍が突き出された。
誰彼かまわず。
血飛沫が上がる。
逃げようとする民衆が押し合い、将棋倒しになり、悲鳴が重なり合う。
前にも後ろにも進めない人波の中で、子どもが泣いている。
「こんな時に……内輪もめなんて……」
気づけば、私は口にしていた。
ダリウスが歯を食いしばる。
「軍が民を傷つけるなんて、あってはならないことのはずだが……アルビオンでは違うのか?」
セラに問いかける。
「いいわけないでしょ。」
即答だった。
そのあと、彼女は小さく息を吐く。
「……やりたくないけど、しょうがないわね。」
右手がゆっくりと掲げられる。
ふと見ると、傍で子どもが泣いている。
その小さな背中を、セラは一瞬だけ見つめた。
ほんのわずかに、彼女の指先が揺れる。
それでも、右手は掲げられた。
「吹け――私の風!」
次の瞬間、地面を這うような風が巻き起こった。
砂と灰を巻き上げ、布をはためかせ、旗を大きく揺らす。
やがてそれは中心を持ち、渦を巻き、竜巻のようなつむじ風へと変わった。
風を浴びた者から、次々に膝をつく。
兵も、民も、区別はない。
目を回し、武器を取り落とし、地面に転がる。
奪う風――平衡感覚を奪い、立つ力を奪う、眩暈の風。
セラは淡々と歩を進める。
彼女の周囲だけが静寂を広げていく。
一人、また一人と倒れ、呻き声が弱まり、瓦礫も止む。
やがて、私たちの周囲で立っている者は、誰一人いなくなっていた。
焦げた匂いと、風の残響だけが、瓦礫の街に漂っている。
守るはずの者と、守られるはずの者。
その両方が、同じ石畳に倒れている。
違いは、もうどこにもなかった。
リンドンの空は、まだ灰色のままだった。




