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聖環  作者: 北寄 貝


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市街地戦 - 2

語り:ミレイユ・カロ

「早く、逃げないと!」

 私は思わず叫んでいた。

 対岸の炎は、風にあおられて広がり続けている。

 鐘の音も、悲鳴も、もうはっきりと聞こえる。

 けれどダリウスは、窓辺に立ったまま、落ち着いていた。

「慌てる必要はない。」

「えっ?」

 私とセラの声が重なる。

「火を放ったのは、国教騎士団の手勢で間違いない。

 だが、俺たちは奴らと戦いに来たわけじゃない。

 ましてや、リンドンを救うためにここにいるわけでもない。

 この騒ぎに、自分から巻き込まれる理由はない。」

 あまりに冷静だった。

「でも……帝国軍が、ここまで来て火をつけたらどうするの?」

 セラが問いかける。

「火攻に遭った街区の民は、ロブソン川以北へ逃げてくる。

 そうなれば、こちらは人であふれる。

 そんな場所を正面から攻めるのは、非効率だ。」

「国教騎士団は、そんなに優しいのかしら?」

 セラの声には、皮肉が混じる。

「優しいんじゃない。

 人ごみに阻まれて兵の機動が制限されるのを嫌うだけだ。」

 外を見る。

 炎はまだ遠い。

 目下の通りには、野次馬と、荷を抱えて走る人影がいくつか見えた。

 ダリウスの読み通りだ。

「とはいえ、無防備でいる気はない。

 いつでも出られるようにしておこう。」

 私たちは急いで身支度を始めた。

 着替えながら、私はぽつりと漏らした。

「リンドンの人たち……かわいそう。」

 ダリウスは背を向けたまま、淡々と言う。

「これが戦争だ。」

 感情の色がなかった。

 セラは、窓の外を見つめながら言った。

「せめて、市井の人は助けてあげたいけれど……

 火事だけは、どうにもならないわね。」

 そのとき。

 激しくドアが叩かれた。

「開けてください!」

 ダリウスが扉を開けると、宿屋の主人が青ざめた顔で立っていた。

「ロブソン川のこっち側にも火が回ってきました!

 早く逃げてください!」

 それだけを一気にまくし立て、主人は次の部屋へ走っていった。

「……信じられん。」

 ダリウスが低く呟く。

「こっちは安全なんじゃなかったの?」

 セラが皮肉を込めて言う。

「こっちにも火を放つなんて……

 元帥の作戦とは、とても思えない。」

 ダリウスの声は、困惑を隠せていなかった。

 私たちは荷をまとめ、宿を飛び出した。

 通りには、先ほどまで見えていた人影がない。

 焦げた木と煙の匂いが漂う。

「カンタベリオンへ向かうなら、ロブソン川を渡る必要がある。

 だが……今は間が悪いな。」

「とりあえず、川沿いを下流へ。

 渡れる橋を探しましょう。」

 セラが即座に言う。

 私たちは歩き出した。

 その矢先だった。

 路地から、三人の黒ずくめの男たちが飛び出してきた。

 互いに、目を見開く。

 顔を覆う布の奥で、目だけがぎらりと光った。

 男たちは短剣を抜いた。

「やっちまえ!」

 叫びと同時に、こちらへ踏み込んでくる。

 その瞬間。

 空気がねじれた。

 竜巻のようなつむじ風が巻き起こり、

 私たちと黒ずくめたちを包み込む。

 ――聖環の、眩暈の風。

 視界が白く揺れる。

 黒ずくめたちは、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 地面に這いつくばり、呻き声を上げている。

 私は息を整えながら、その光景を見下ろした。

 そのとき、路地の奥からダリウスの声が響いた。

「宿に火をつけられたぞ!」

 振り向くと、さきほど出た宿の屋根から、炎が上がっていた。

「ミレイユ!」

 セラが叫ぶ。

「宿屋の主人に知らせてあげて!」

「わかりました!」

 私は走り出した。

 煙が目にしみる。

 状況は、刻一刻と変わっていく。

 燃え広がる炎と、崩れゆく夜に、追いつくのがやっとだった。

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