水の気配
語り:ミレイユ・カロ
スシッチまでの二日間の航海を終えたあと、私たちは陸路でカンタベリオンを目指すことにした。
湾を渡って船で行くこともできた。
けれど、ロウズヘイブンやアストリアといったフランカ帝国の影響下にある港で騒ぎを起こしてきた私たちが、同じ影響下の港に立ち寄れば、さらに面倒を招きかねない。
その点、陸路は過酷だ。
アルビオン島最大の都市リンドンを経由し、四、五日は歩き続けることになる。
それでも、セラは迷わなかった。
「リンドンを治めているグリーブス家は、アルヴェイン家と古くからの付き合いがあるわ。
もし私を知っている人がいたとしても、無用な騒ぎにはならないはず。」
要するに――
危険はあるが、制御できる。
そういう判断だった。
ダリウスも、それに異を唱えなかった。
こうして私たちは、スシッチでトマスとクラリスに別れを告げ、陸路に入り、初日の宿泊地であるソードーに辿り着いた。
日が落ち、酒場で夕食をとっていたときのことだ。
料理を運んできた女将が、私たちの顔を一巡させて、気さくに声をかけてきた。
「で、あんたたち、どこから来たんだい?」
ダリウスが、自然な調子で答える。
「スシッチから。
兄妹三人で、リンドンに仕事を探しに行くところなんだ。」
もちろん、嘘だ。
でも、正直に身分を明かす理由もない。
女将は、皿を置く手を止めた。
「今は、リンドンはやめときな。」
「……どうしてだ?」
ダリウスが尋ねると、女将は顔をしかめた。
「カンタベリオンを飲み込んだフランカ帝国の軍隊が、今度はリンドンに向かってるって話さ。」
その言葉を聞いた瞬間、
セラの脳裏に浮かんだ名前は、一つだけだった。
――ルキウス・ヴァルメイン。
「リンドンは……持ちこたえそう?」
セラが、抑えた声で尋ねる。
女将は、腕を組んで考え込み、やがて、カウンターで一人で食事をしていた男に声をかけた。
「ちょいと、あんた。
リンドンから来たんだろ?
この子ら、これからリンドンに行くらしくてさ。」
呼ばれたのは、中年の男だった。
旅装も使い込まれていて、逃げてきたばかりだというのが、何となく分かる。
「仕事探しだって?」
男は、ダリウスの話を聞いていたらしい。
「今のリンドンで仕事なんて、あるとすりゃ傭兵くらいだな。」
「勝てそうなのか?」
ダリウスが率直に聞く。
男は、首を振った。
「俺は軍人じゃないから分からんが……
帝国軍は、めっぽう強いって話だ。
グリーブス家じゃ、太刀打ちできないんじゃないかってのが、もっぱらの評判でな。
だから俺も、逃げてきた。」
「……やはり、最低でもリンドンまでは取るつもりか。」
ダリウスが、小さく呟く。
男は、さらに声を落とした。
「それで、グリーブス家は、魔法使いの力を借りようとしてるらしい。」
「魔法使い?」
「簡単に言えば、大量の魔法具をかき集めてるって話だ。」
ルーメン教徒なら、魔法具を個人的に持つことは許されていない。
けれど、島全体で見れば、ルーメン教は少数派だ。
多くの人間にとって、魔法具は便利な道具にすぎない。
男は、少し言いにくそうに付け加えた。
「それだけじゃない。“水の魔女”にも、出陣を願おうとしてるって噂だ。」
「……水の、魔女?」
思わず、私の口から言葉が漏れた。
男は、はっとした顔をして、
しまった、というように目を伏せる。
「いや……何でも、とんでもなく強い魔物を飼ってる魔女がいるらしいってだけでな。
そいつの力が借りられりゃ、勝てるかもしれないって話だが……
正直、眉唾だ。」
私は、黙り込んだ。
――水の魔女。
――魔女が使役する、魔物。
その二つの言葉だけで、十分だった。
水の聖環の保持者。
そう考えるしかなかった。
視線を上げると、セラも、ダリウスも、同じことに思い至った顔をしていた。




