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創世の伝記 2

彼等が去ってしばらくした後、惑星には最初のミクァルドが誕生した。ミクァルドは数を増やし、数世代が過ぎた頃、新大陸のニルスは完全にミクァルドと入れ替わった。

 丁度その頃、南北のニルス達には大きな変化が芽吹き始めていた。ニルス達の文明が飛躍的に発展し始めた。北と南のニルス達は既に、互いが国家と呼べる集団を形成しており、その接点では交易と呼ぶに相応しい往来が形成されていた。その交易は物資だけではなく、知識もまた行き来する。互いの物と技術、そして知恵が合わさり文明の進化を加速させた。彼等の造る建物は砂嵐にもビクともしない。灼熱の夏も極寒の冬も建物の中の暮らしを脅かすことは叶わない。彼等は道を作り、それは人と物資の往来をより安易にさせた。また彼等は船を造り、海で漁をし、大量の物資を運んだ。病は呪術から医術の手に渡り、薬草の知識も積み重ねられた。大きく増えた人口は、その大半を農業が支え、それらが貧富の差を生み出した。惑星には、これまで無かった物や風習や概念が、これまでにない速度で次々と生まれ、ニルス達はそれに翻弄された。この大きな変化が残した轍を過去へ過去へと辿ると、たった1つの点に辿り着く。その点は前回艦隊が去った所にある。前回、艦隊が去った時、今回艦隊が去った跡。その違い。それは男爵の存在。

 男爵は前回、己の欲望を満たす為に惑星に残った。彼の前に跪く数千、数万のニルス。その光景は彼にとって禁断の快楽だった。その快楽を少しでも長く持続させる為に、彼はニルスを愚かで無知で美しい生命体のままにしておく必要があった。その良し悪しは別にして、彼の行動がニルス達の進歩の歯止めになっていたのは事実。彼はニルス達の中で暮らし、間近で見て、触れて、感じ取り、ニルス達の成長を促しながら、抑制し、制御した。これらの行動がニルス文明の成長を緩慢にし、急激な変化を抑えていた。しかし、艦隊が去った後、彼のテロメアは時の中で削られ、やがて効力を失い、その最期はニルス達に見守られ、丁寧に埋葬され、・・・ニルスだけが残った。

 ニルスは教育によって火を扱う事が出来た。しかし、それでも当初は火に怯え、遠巻きに眺める事さえ嫌った。だが、一旦それに慣れると松明を作り出すまではあっという間だった。また、ニルスは教育を受けなくても石を使っていた。獲物を捕らえたり、トドメをさす時にも使用した。ニルス同士の諍いの場にも石はよく使われた。その諍いの場で、手にした石が偶然に割れ、尖った先が敵の体を深く傷つけた。それから直ぐに槍が出来た。より重い石を使って打撃での破壊力を増した斧も出来た。過程で薄く割れた石は刃となった。他方、増えた人口は、男爵の助言もあり農業の発展が十分に支え、獲物の減る冬も飢える事は無い。生きる事に余裕が生まれ、技術が『余裕』を『楽』へと変化させた。『楽』は堕落を誘い、多くの『余裕』を持つ物から順に飲み込まれた。

 抑制の無い成長は暴走する。技術の発達は武器の発達と同義だった。1つの諍いで失われる命は飛躍的に増え、命の意味も概念も矮小化していった。

 そして、次にこの惑星を訪れたのは艦隊では無く、1人の『上』だった。


 これまでの経験を踏まえると、この訪問は早過ぎる程に早かった。ニルスやミクァルド達にしてみれば随分と長い時間であっただろうが、艦隊の出現周期に慣れた私にしてみれば、時間を置いたと言うよりも、艦隊が去るのを待っていたと言った方がしっくりくる。おそらく、そうなのだろう。その人物はニルスの地に静かに降り立つと両の手を大きく広げ、空を見上げ、ゆっくりと目を閉じて言った。

「・・思った通りだ。ここは生々しい生命に溢れている」

 その人物は男の様に猛々しい瞳を持ち、女の様に柔らかな表情を持っていた。獅子の様に堂々と歩いたが、猫の様に足音は無かった。そして真っ直ぐに神殿へと向かい、ゆったりとした動きで玉座に腰を下ろした。

 そこは大陸南部。ニルスの多く居住する地域。男爵の亡骸が眠る場所。

 ニルス達はその人物を目にしたが、誰も近付こうとはせず、ヒソヒソと声を顰めて話し合った。しかし、神殿の神官達はそうもしていられない。明らかに自分達とは異質な存在。そして、伝え聞いた神を思い起こさせる存在。その存在が神殿を訪れ、玉座に腰を下ろした。今すぐその御前に進み出て膝を折り、深く深く頭を垂れるべきであろう事は容易に想像出来る。しかし、神の来訪は自らよりも高位を示す。これまで常に視線を下に向けていられた生活は一変する。古くから伝わる教えに倣えば、今手にしている多くの物を失い、富める者も、権力者も、常に下に見ていた労働階級に混ぜ込まれ、贅も欲も縁遠い物となる。そんな保身的思考が行動を遅らせる。

(そもそも、神は実在するのか? ただの言い伝えではなかったのか。あの玉座に座る人物は、自分達とは異質なだけで、神たる証拠はどこにもない)

卑しい心は都合の良い言葉を見付けると、それにしがみ付く。そして多くの場合、そんな心根が悲惨な結果を招く。

 玉座の人物は神官達の心中を理解していた。そしてそれを薄く笑い、神官達の思考が次の段階へ移行するのを、しばし待った。神官達は衣の内側で冷たい汗が背中を流れ落ちるのを感じながらも平静を装い、思考を巡らせた。そして最も愚かな答えに辿り着く。

「神を騙ろうとする不届者」

「あまつさえ玉座に腰を下ろすなど言語道断」

口々に断罪の言葉を吐き捨て、自分らは遠巻きの位置で衛兵を呼び立てた。玉座の人物はここまで待っていた。衛兵が駆け付け、十分な目撃者が揃うと、1人の神官を指差した。そして、その指をクンと下に向ける。それに合わせて、指さされた神官はガクリと膝から崩れ、事切れた。次に玉座の人物は隣の神官を指差すと、今度はその指をツイと横に走らせた。すると、指を刺された神官の頭がゴトリと床に落ちた。次の神官には掌を向けた。開いた指をグッと握ると、神官の体からバキバキと鈍い音がして、頭も顔も体全体もが大岩に押し潰された様に潰れた。ここでやっとニルス達は状況を理解した。大声で叫びながら逃げ出す者、ヘナヘナと力を失い、その場にへたり込む者、失禁する者、泣き出す者、覚束ない声で許しを乞う者。玉座の人物は「・・名が必要だな」と呟いて、「我が名はアダルス」と名乗った。

 アダルスはニルスについての多くの事を知っていた。風習・習慣・制度・心理・肉体の構造と、その能力。その知識に従い、大勢のニルスの前で最高権力者を処刑した。罪名は『堕落』。その処刑を済ませると、再び玉座で静かに時を過ごした。新たな権力者に取り入ろうとやって来る者を一瞥しては、無表情と無言を通した。

 アダルスの存在は噂の形で瞬く間に広がった。少ない情報は憶測で補強され、ニルス達の間で噂が交わされる度に変容していった。それが数百、数千、数万回と繰り返され、曖昧だった輪郭が徐々に形を成していった。その中核に埋まるのは2つの事実。1つは理解の及ばない力で神官が殺された事。もう1つは衛兵には一切の被害が無かった事。最初の事実がニルスの地への神の再来を確信させた。もう1つの事実は、殺された者と殺されなかった者。そこにどんな違いがあったのか。その議論を呼び起こした。

「王と神官が殺された。神に仇をなそうとしたからだ」

「いや、王は断罪された。あれは処刑であり、堕落を罰された」

「堕落は罰される」

「神の御心を推し量れ」

「神の御心に従えば殺されない」

「神の御心に従っていれば恵を享受出来る」

「教えを乞え」

「教えを乞おう」

「教えに従おう」

アダルスはゆっくりと玉座から立ち上がり、多くのニルスが視線を向ける中で初めて声を発した。


「頭を垂れよ」


 その一言からニルスは恐怖によって支配された。神殿から流れ出た恐怖は瞬く間にニルス社会に伝播し、浸透した。

 アダルスは常に玉座に居た。殺さずに残した神官達にはアダルスの言葉を必ず実現する責務を課した。しかし、無理難題を押し付ける事は無かった。その言葉は常に正しく、指示は的確だった。アダルスは、玉座に居ながら何故か街の状況を詳細に理解しており、街の治安から公共工事に至るまで、様々な分野の指示を出し、技術を教え、心の有り様も説いた。道徳に関する言葉は特に多く、堕落については変わらず厳し過ぎる程の断罪で臨んだ。結果、ニルス達の行動は恐怖によって狭められた正しい道を流れ、街は安定し、発展の一助となった。

 そんな日々の中、徐々に神殿を訪れる者が出始めた。アダルスに助けを乞う者達だった。ある時は病気の子を抱いた母親。ある時は痩せ細った老人。ある時は薄い衣を纏った女。ある時は軽薄な笑顔を顔に貼り付けた男。アダルスは、そんなニルス達を殆ど一瞥のみで遇らったが、稀に願いを聞き入れる事もあった。ただ、その成否の基準は曖昧で、それが慈悲によるものか、欲の表れか、得を見越してのものなのか、側で見ている神官達にも判別がつかなかった。そうしてアダルスの日々は続く。街には常に安定があり、徐々に豊かさが浸透した。他方、そこからはみ出す物は容赦なく断罪され、多くが命を奪われた。ある者はアダルスを崇拝し、ある者は恐怖に怯え、ある者は遠巻きにアダルスを見た。ニルスの社会と心理の中心にアダルスが鎮座するまで、そう時間は掛からなかった。


 大陸南部へのアダルス降臨から少し遅れて、北のニルス居住地は大混乱に陥っていた。街の上空に鉄の雲が現れ、街全体をすっぽりと影で覆っていた。真下に居たニルス達は混乱し、皆、逃げ惑う。叫び声を上げながら四方八方へとニルスは逃げ回ったが、そこに生まれた空間に、4人の人物が立っていた。

 その人物達は明らかにニルスとは違う風貌で、1人の男はピシリと背を立てて、着ている服には1筋の皺も無い。隣の女は妖艶で艶かしい雰囲気を纏っている。もう1人は最も体格が良く、他の3人とは頭一つ分大柄で、腕も足も2人分の太さ。最後の1人は逆に小柄な女で、短い髪に整った顔立ちをしていたが、その瞳は恐ろしく冷たい印象を持たせた。4人のいた場所は神殿の入り口近く。4人は真っ直ぐに神殿に向けて歩き始めた。ニルス達はその光景を物陰からコソコソと見る者や、距離を置いて遠巻きに眺める者等、反応は様々だった。しかし、そんな曖昧な空気はすぐに消し飛ばされた。

 4人が神殿の入り口に差し掛かった時、神殿から神官が数名出てきた。その目は、伝え聞いていた神が降り立った可能性を孕みながらも、偽物であるとの可能性も捨てては居なかった。1番前に居た背筋の伸びた男は、神官達の姿を認めると、大柄な男に視線を送った。大柄な男は、その視線を受けると腰から剣を抜き、神官達に向けた後で、ツイと横へ振った。途端に、神官達の首がボトリボトリと地を転がった。周囲から「ヒィィ」と悲鳴が上がる。

この時、ニルス達は目を疑った。大柄の男が手にした剣は特段に長い訳ではない。そして、大柄な男から神官達の間には、その剣を持った腕をどんなに伸ばしても届かない距離がある。剣を振った際も、数体の首を一振りで落とす程の勢いがあったわけではない。まるで空を撫でる程度の動きだった。それは少し離れた所にいたニルスにも確認出来ていた。ニルスにとって恐ろしくもあり、不思議でもある光景だった。

背筋の伸びた男は言った。

「神の出迎えに遅れる者等、いらぬ」

次に小柄な女が辺りを2〜3度見回して、次に上空へと目をやった。すると、周囲のニルス数体の服の胸辺りに、何かの印が浮かび上がる。それは紋章の様に見える。4体の獅子が冠を形作っていた。

小柄な女は言う。

「胸に紋章の現れた者、ついて来なさい」

周りのニルスは慌てて自らの胸を確認した。何の変化も無い者は胸を撫で下ろし、紋章の現れた者は顔を青くした。そのうちの1体は急に落ち着きを無くし、視線を泳がせる。

(逃げなければ、逃げなければ。何をされるか分からない。きっと、殺される。逃げなければ)

頭の中ではその言葉が何度も繰り返されるが、足が恐怖で動かない。小柄な女が続けた。

「紋章の現れたものを逃せば、その周囲に居た者は全て殺す」

その言葉が終わった途端、紋章の現れたニルスは他のニルス達に囲まれた。もう逃げ出す術は無い。それを確認すると、4人は神殿への階段を登り始める。その後ろには青い顔をした紋章持ちのニルスが7名。トボトボとした足取りで後に続く。そこから少し距離を置いて他のニルスが数十体、逃げ道を阻む様に続いた。

 4人は神殿の構造を完全に理解していた。迷う事も、立ち止まることも、問う事もなく玉座の間に辿り着く。そこには既に4つの玉座が置かれてあり、4人はそれぞれ腰を下ろした。紋章持ちのニルスは4人の前で膝をついた。妖艶な女がその前に進み出て言った。

「貴方達は今この時から、この神殿の神官。私達の言葉を聞き、届け、守るのが役目。私達の言葉は『絶対』。そして『絶対』には例外は無い」

紋章持ちのニルス達は深々と頭を下げた。今すぐ殺される訳ではないと安堵する者、これからも常に傍の恐怖と共に過ごす未来へ絶望する者。それぞれの心中には微妙に違う反応があった。妖艶な女は続ける。

「今日はもう家に帰りなさい。そして明日、子供を連れて来なさい。小さい方から順に2人」

すると、1体のニルスが床に頭を擦り付ける様にして、半ば叫ぶ様に言った。

「私には、子供がおりません! どうかお見逃しを!」

妖艶な女は言った。

「ええ、知っています。貴方は別。胸を見なさい。他の物は赤い紋章。貴方の紋章は青い」

確かに、そのニルスの胸に現れた紋章は他と違い青い。7体のニルスは互いに胸の紋章を見合わせた。妖艶な女は更に続ける。

「青い紋章はより私達に近い。これから貴方は私達と神官の間に立つ者。繋ぐ者。私達に向けられる全ての言葉は、貴方を通して伝えられる」

これが、4人の敷いた制度における『権力』の始まりだった。

 神殿から全てのニルスが去ると、大柄な男が不満気な顔で言った。

「これからはずっと、こんな物を持ち歩かねばならないのか。邪魔でかなわぬ」

その視線は腰の剣へと向けられている。すると、背筋の伸びた男が答えた。

「お前の役目は軍神だ。ガリスクラムよ。剣はニルス達においては戦いの象徴。お前がいかなる存在であるのか、それを効果的に示すにはピッタリではないか」

「わかっている。わかってはいるが、邪魔な物は邪魔だ」

ガリスクラムはまだ不満気な顔を変えようとはしない。横の妖艶な女が言う。

「よろしいではありませんか。勇ましい殿方は魅力的ですよ」

ガリスクラムが妖艶な女を見て答えた。

「シル=ロスよ。貴君の役目は豊穣・・大地の女神といったところか。議会直轄の審問官よりも似合うのではないか?」

シル=ロスは僅かに微笑んで答えた。「ええ、私もそう思っていた所です」

 そんなやり取りを更に隣の小柄な女は冷ややかに見つめていたが、ボソリと呟いた。

「我々の成そうとしている事に比べれば、そんな事は瑣末な事だ。どうでもいい」

ガリスクラムは右の眉をピクリと上げて反応する。

「どうやら、クロノイヤ博士には余裕が無いと見える。確かに確かに、この任務の成否、クロノイヤ博士に依る処が大きい。その上、しくじれば命を含めた全てが無に帰す・・となれば、余裕を無くすのも無理はない」

クロノイヤはギリとした視線でガリスクラムを睨みつけ、「事の重大さを理解できぬ低脳は、お気楽で羨ましいな」と言い返す。ガリスクラムがガタリと音を立てて立ち上がった時、

「いい加減にしろ!」と背筋の伸びた男の怒声が飛んだ。しかし、クロノイヤは怯む事なく言い返す。

「ティュフム次官、この任務を成功裏に終わらせたければ、今すぐその大男を本国へ帰す事だ」

ティュフムは呆れたように小さくため息をつくと「先づは、状況の正確な把握からだ」と胸のポケットから端末を取り出した。それに合わせてガリスクラムとクロノイヤも矛を納め、端末を取り出す。よく見ると、部屋の壁にはいつの間にか大型の端末が既に設置されており、4人の動きに合わせて起動した。そこには様々なデータらしき文字やグラフが並び、一部は忙しく変化していた。4人はしばし、手元の端末と大型のモニターを交互に見た。最初に口を開いたのはティュフムだった。

「シル=ロス。大陸南部の様子は?」

「既に『上』から1名。大陸南部の街に降りている事は確認しています。ですが、『誰か』まではわかりません」

「情報遮蔽か?」

「いえ、更に上級技術です。あちらの事を探ろうとすると、とんでもない量の情報が返って来ます。その中に真情報が交じっているのは確実ですが、解析には相当の時間が必要です」

「こちらの手の内は想定済みか。それでも、何か解っている事もあるのだろう?」

「はい。既に神としての地盤を固め、従来の方向を継承しているようです。近いうちに目的に踏み込んだ行動に出ると思われます」

「ふむ・・その目的は何なのか、見当位はついているのか?」

そう問うティュフムの視線はクロノイヤに向けられた。クロノイヤは端末から視線を外し、言いにくそうに答えた。

「例の如く、情報は錯綜している。『上』の目的が何なのか、正確には掴めていない。ただ、それに必要な何かを、この惑星で調達しようとしている。・・そこまでしか分からない」

「・・つまり、何も分かっていないと言う事か」

ティュフムの突き放すような言葉に、クロノイヤは奥歯を噛み締めるしかなかった。ティュフムが続けた。

「ひとまず、南に関しては現状の諜報体制を継続。明日からは、こちらのニルスに注力する。『本国』にはもう、悠長にしている時間はない」

 翌日。玉座の間には4柱の神。部屋の中央には神官を任命された7体のニルスと、男児と女児が6体づつの12体のニルス種の子供。その間には2つの台が置かれている。クロノイヤは玉座を降り、ニルス達の前へ進み出て言った。

「子供達は、前へ。赤子はこの台へ乗せなさい」

10体の幼児達はオドオドとしながらも前へと進み出る。2体の赤子は親の手によって台へと乗せられた。クロノイヤは一旦、後ろを振り返りティュフムを見る。ティュフムはコクリと頷き、それを受けたクロノイヤは一番端の赤子へ近付いた。後ろの親達も落ち着かない表情でそれを見る。クロノイヤは手に何かを持っている。それは小柄なクロノイヤの掌よりも随分小さな石に見える。それは黒く透き通っており、角の取れた菱形をしている。クロノイヤはそれを赤子の額に当てた。すると石から黒いモヤモヤとした光が流れ出す。その光が赤子の顔に纏わり付くと、赤子はグッタリと力を失った。まるで魂を抜かれたかの様に全身から力が消え失せ微動だにしない。子供達の並ぶ列の後ろで、1体のニルスがガクリと膝から崩れ落ち、呆然とした目で横たわる我が子を見つめていた。他のニルスも子供達も同じだった。言葉を発する者はおらず、底なしの闇の中のような静寂に包まれた。クロノイヤは隣の赤子へ向きを変える。その目には何の感情も無く、事務手続きを進める様に作業を進める。その時、静寂を破ったのは1体のニルスだった。

「お止め下さい! どうか! 命だけは!」

そのニルスは、そう叫んで我が子の元へ駆け寄ろうとする。クロノイヤは一瞥も無く作業を進める。だが、ガリスクラムが、手にした剣を鞘に収めたまま「ガン!」と床に突き付けた。その音はニルス達の耳に届くと同時に、心を抉った。それは無言の抑止。脅迫。残酷な問い掛け。赤子の命を乗せる天秤の反対側に何を乗せるのかは明白だった。しかし、そんな問い掛けは必要ない。

(今すぐ、我が子を抱いて、この残酷な運命から解き放ってやりたい)

心では強くそう願った。・・にもかかわらず、足が動かない。床に突き付けられた剣の音に驚き、怯んで、反射的に立ち止まった。その一瞬で神の存在を再認識してしまった。そこには神が居る。不思議な力を持ち、ニルスの命を奪うのに毛程の躊躇もない。そんな神がそこに居る。その認識だけで、足は動かず、声も出ず、恐怖に縛られた身体は身動きも出来ない。

「あ・・・」

それはクロノイヤが不意に漏らした声だった。既にクロノイヤは次の子供へ向いていたが、その視線は床へと向かっている。そこには次の女児がおり、床は小便で濡れていた。クロノイヤは嫌そうな顔を隠そうともせず、出来るだけ女児と距離を置き、手を伸ばして、その額に石を当てた。モヤモヤとした黒い光が女児の顔に纏わりついて、女児は小便の上に崩れるように倒れた。

 そこでシル=ロスが言った。

「説明くらいしてあげたらどうです? クロノイヤさん。・・貴女、いずれ・・踏みますよ?」

そう言ってクロノイヤの足元を指差した。クロノイヤは小さく舌打ちし、ニルス達の方を見ると「死にはしない」とだけ言い、再び作業へ戻る。

 数分で12体全ての処置を終えたクロノイヤは、ツカツカと自分の玉座へ戻った。それとほぼ同時に「オギャァ!オギャァ!」と元気な赤子の泣き声が響く。倒れていた子供達も次々と起き上がった。後ろのニルス達から歓声と拍手が起こった。ティュフムが玉座から降りて言った。

「これから毎日、神殿へ来い。毎日少しずつ、お前達に宝を授けよう。それは目には見えぬ。だが、何にも勝る宝だ」

 それから毎日、12体の子供達は神殿を訪れ、同じ様に石を額に当てられ、崩れ落ち、そして目覚めた。初日以外に小便を漏らす者は居なかった。体を硬直させ、恐怖に震える者も居なかった。それどころか、日を追うにつれ、自らの中に起きる変化を感じ、翌日を心待ちにするようになった。

 そんな生活が数週間続いた後、12体の子供達は親元を離れ神殿で暮らす事を命じられた。赤子はともかく、1番年上でも6歳程度、親離れなどしてようも無かったが、不満を口にする事も、寂しさに泣き出す者も居なかった。寧ろ、成長の証だと喜んだ。そんな子供達を見て、親は一様にガックリと肩を落とし、『子を奪われた』と虚無感に苛まれたが、神の命に逆らうには相当な覚悟と勇気が必要であったし、どんなに覚悟と勇気を持ち合わせていても、あっさりと殺されるであろう事は明白だった。せめてもの慰めは、親は皆神官であった為、毎日、子供の顔を見ることは出来たし、会話も接触も禁じられはしなかったので、親子の絆は健在だった事。しかし、手放しで喜べはしない。子ども達は『成長』と呼ぶには早すぎる速度で変化していったからだ。1年も経つと、子供の得意分野が顕著に現れ始め、4柱の神は、それぞれの役割をもって直接、指導にあたった。その後、子供達には10歳を迎えた者から順に神殿を出る事を命じ、その度に、ニルス達には街の外郭に家を建てさせた。

 最初の子供は商人になった。大陸北部の隅々に交易路を作り、商品と共に知識と情報を集めた。次の子は政を収めた。街のリーダーとして神の声を民に届け、進むべく道を指し示した。次の子は天文学。また次の子は軍師。次の子は詩人となり、職人、植物学者、医者、踊り子、杜氏、教師となり、最後の子は大工になった。こうして12体の子供達は、街をグルリと囲むように配置された家に移り住み、密接な関係を保ち、協力し合い、街に多くの功績を生み残す。

 最後の子供が神殿から出た後。神殿に残るのは4柱の神と7体の神官。ティュフムが言う。

「これで種は蒔き終わった」クロノイヤが手元の端末を見ながら答える。

「はい。脳波、生体反応、共に正常です。思想、知識、技術にも不安点はありません。これからも助言は必要でしょうが、次の段階へ移行しても差し支えないでしょう」

「南はどうなっている?」この質問にはシル=ロスが答えた。

「情報遮断は相変わらず強力に稼働しています。日々、解析が進むどころか、解析の必要となる情報が大量に流れ込む為、ここの設備では解析は現実的ではありません。ですので、ニルスを境界辺りへ送り込んでいます」

「危険ではないのか?」

「それは、ニルスの命が・・と言う意味ですか?」

「諜報活動の露呈についてだ」

「それでしたら、問題ありません。境界部へは自らの意思で行きましたから。肥沃な土地と、鉱石を求めて」

「そんな調査結果は無かったが?」

「あると信じている間は留まるでしょう」

「そのニルスが南の情報に触れられるのか?」

「ええ、ニルスの中でも美形を選びましたから」

「・・・ニルスにも美醜があるのか?」

シル=ロスは「フフ・・」と笑って答える。

「ニルスにも独自の美醜があるのですよ」

「まぁ、それはいい・・・成果は?」

シル=ロスは表情を引き締め、美しい顔を更に凛とさせて答えた。

「南の神殿に居る者は『アダルス』と名乗っているそうです。他者の名を騙っていないのであれば、『上』から『降りてきた者』と見て良いでしょう」

「あの『アダルス』か・・。目的は?」

「そこまではまだ・・ですが、アダルスは大陸南部の複数箇所に神殿を建設し、神官を置いて自らの意思の伝播と社会の監視にあてています。また、医療、軍事、建設関連を整備し、体系を確立。中央集権体制が出来上がりつつあります。作物の品種改良に着手した痕跡もあり、より強固で巨大な社会形成を目指しているようです。それと・・余談ではありますが、アダルスの言はニルスの精神性にも及んでおりまして・・」

「ブラフだろう」

それまで黙って聞いていたガリスクラムが口を挟んだ。3人の視線を集め、ガリスクラムは続けた。

「アダルスは当然、我らの存在を知っている。我らが南を探っている事も知っている。情報の遮断にあれだけの力を入れているのだ。ブラフの1つや2つ、無い方がおかしい。・・それに、考えてもみろ。我らでさえ到達出来ない『上』の精神世界をニルスが理解できるとは思えん。猿に芸を仕込んだ所で、その意図までは理解出来んよ」

シル=ロスは困惑した表情で答える。

「それにしては、入れ込んでいるように思えますが・・」

「そう印象付けてブラフは成立するのだ。ブラフでなければ、お遊びか気まぐれ程度の物だ、議題に上げるまでもない」

シル=ロスの言葉をガリスクラムは一笑に付した。シル=ロスもまた、自らの言葉ではあったが、半信半疑の状態を拭い切れず、それ以上の言及を避けた。

 その様子を見てティュフムが言った。

「不確定な物に憶測を重ねても意味はない。事実だけを正確に報告する。そして下された命令に従うまでだ。計画通り、次の段階へ移ろう」

ティュフムは神官に命じ、周辺の街や村から人足を集めた。集められたニルス達は街外れにある洞穴をひたすら掘り進む事になった。そこに従事したニルスは後に語る。

「洞穴の奥へ進むとデカい鉄の蜘蛛が居て、そいつと一緒に穴を掘った。そいつは時々手を止めて、一旦止まるとしばらく動かない。動き始めると物凄い速さで穴を掘るが、止まっている時間が長くて、日に掘る距離は俺達全員を合わせた位。でもそいつは飯も食わないし、俺達を襲ったりもしない。仲間の1人が話しかけたが返事もしない。調子に乗ってケツを蹴飛ばしたら、そこがグニャリと凹んで、すぐに戻った。鉄なのに柔らかかった。鉄なのに勝手に直った。・・・蹴飛ばしたヤツ? 死んだよ。神官にその場で殺された」

別のニルスはこう言った。

「穴を掘って、出てきた石を籠に入れて運ぶんだ。洞穴の奥にデッカイ部屋があってな。そこに運ぶ。その部屋には鉄の壁が幾つもあって、宝石が付いてる。その宝石はキラキラチカチカ光る。その鉄の壁の1つに穴が開いてて、その穴に運んだ石を放り込むんだ。壁の後ろでガガガ、とかガキンガキンとけたたましい音がしてな。おっかねぇ音だ。でもそれだけ。他には何も起こらん。穴の開いた鉄の壁に、どんだけ石を放り込んでも一杯にもならん。何度放り込んでも穴が塞がることはない」


 大陸南部。アダルスの神殿では、玉座に座ったアダルスが薄い笑みを浮かべポツリと呟いた。

「・・計画当初の目標に立ち戻り、とうとう穴を掘り始めたか。・・ご苦労な事だ」

この頃、大陸南部アダルスの支配地域では文明が飛躍的に進歩していた。建物はより強固になり快適度も増した。街のあちこちにまで水路が通され、ニルス達は街外れまでの水汲みから解放された。農作物は品種・収穫量共に倍増し市場はいつも活気に溢れている。医療も質が向上し、体制も整えられて病による死者も苦しみも減った。ニルスの生活は向上し、個体数も大きく増えた。神官達はそれらの功績をアダルスの力だと方々で語り、アダルス本人とそこに仕える自分へ、ニルス達の尊敬を集めた。一方でアダルスは『罪』には厳しく対処した。多くの罪を『堕落』であるとして断罪した。これには非情なまでに冷酷で、時には罪人の言い分さえ聞かずに首を刎ね、酷い時は罪人が神殿に上がる階段の途中で首を刎ねた。当然、そこはニルスの衆目に晒される場所で、多くのニルスがそれを目撃した。また、処刑の方法も斬首のみで、ニルス達にはより強烈な印象を植え付けた。その噂は瞬く間に南部の隅々にまで広がり、アダルスは尊敬と恐怖の両方を一身に集めた。アダルスはその2つの感情を『畏れ』と呼び、神官達に「これこそが信仰」と説いた。

 アダルスの敷いた集権体制により、中央神殿の他に南部各地には30を超える神殿が建設されていた。そこには常に15名程度の神官を置き、アダルスの言葉は中央から迅速に地方へと伝えられる。また『巡礼』と称し、地方の神官は地元のニルスを数名連れて中央へ赴き、中央の神官から直接説法を受ける制度も定めた。

 その中でアダルスは『幸福』の概念をより理解し易い形へと変え、広く布教する事に特に注力した。その概念は神官達によって地域の隅々にまで伝えられ、幸福の追求こそが生きる指針であると説かれた。ニルス達は『畏れ』によりそれを受け入れ、その後長きに渡って広く深く浸透する事になる。その際の力の入れ様と、その結果を見るに、それがアダルスの目的に沿う物であろう事は理解にた易い。しかし、ニルスが幸福と言う概念を得て、それを生涯追求し続けた所で、それがアダルスにどんな影響や利益をもたらすのか。それが分からない限り、アダルスの真の目的は見えて来ない。それとも、そこがアダルスの目指した場所なのか。・・・いや、北部4柱のアダルスに向かう意識を見る限り、もっと別の目的があるのだろうと思える。



 それから、ニルスは数世代の時を過ごした。大陸の南部ではアダルスの指し示す方向に揺るぎはなく、ニルスとニルス社会は真っ直ぐに進み続け、アダルスは信仰の拡大と深化にのめり込む様になった。今や、時折、神殿を出て、歩き、各地を訪れ、時に罰し、時に説き、時に救い、時に示した。ニルスが数世代を過ごしても、アダルスは老いる事はなく、知識は枯れる事もない。南部のニルスにとって神その物だった。北部でも同様で、4柱の教えに従いニルス社会は拡大し、選ばれた12の子供達は大人になり、12の支族を形成して死んでいった。12の支族は緊密に連携し、社会を支え、発展を牽引した。街外れの洞穴では労働者も増え、採石は順調に進む。今はもう4柱の教えが無くても12の支族が代わりを十分に努めていた。それ故に、4柱の意識は必然的にアダルスに割く時間が増えた。4柱は未だにアダルスの目的も、正確な動向も把握出来ていなかった。次第に4柱の心中には焦りが芽生えるが、それをおくびにも出さないだけの胆力は、4人共が持ち合わせている。しかし、その焦りと、それを隠し通す事に意識を向けた事、そして一向に判然としないアダルスの動向、それらに注意を払い過ぎた事によって、1つの変化を見落としていた。

 その変化は暗い宇宙空間で起きた。この惑星と隣の火星との間。そこにある小惑星帯。その日、そこにある小惑星の数が1つ増えた。勿論、正確には小惑星では無い。対外的に小惑星にカモフラージュした船だった。その船は、これまでの艦隊の物と比べても小ぶりで、乗組員もせいぜい100名程度。電波も出さず、明かりも最小限で、この惑星から見ると、常に小惑星の影に隠れる位置にいた。その隠匿は十分な準備と、時間と、完全に練られた計画なのだろう、あのアダルスでさえ気付いていない様だった。

「これ以上の接近はリスクが高いな」

「ええ、ここからは小型艇と転送装置を使いましょう」

「ニルスの状況は掴めているのか?」

「はい。前回、密かに設置した監視装置は完全に作動しています。街や社会、ニルス自体も大きく変貌しているのが手に取るように分かります」

「ミクァルド達がどうしているのか。楽しみでもあり、心配でもあります」

その船の艦橋には、遠征隊の艦長・ラスロ博士・副長の姿があった。相変わらず、彼等の姿に大きな変化は無かったが、服装や髪型だけではなく制服や肌の色、目の色も変わっている。しかし、最も大きな変化は別にある。どんなに注意深く小惑星帯を見渡しても、他に船がない。これでは艦隊とは言えないし、そもそも艦長達の乗る船は、これまでと比べると小さ過ぎた。おそらく乗員も一千名程度だろう。

 惑星から距離を取り、船の規模も小さくしている。これだけを見ても、今回の訪問が『通常』では無い事は明らか。かつ、『正式』でもないのだろうと推測できる。そんな艦内では、しばらくの間、乗組員達は様々なデータに目を通していた。入念な事前準備と共に、現地での情報収集。そして今後の計画との付き合わせ。それは膨大な作業だったが、乗組員達は脇目も振らず作業をこなした。艦内は慌ただしい空気が充満し、立ち止まる者は1人として居なかった。そのうち、ポツポツと完了報告が上がってくる。概ね状況に問題が無い事が解ると、艦長とラスロ博士は数名の部下と共に小型艇に乗り込み、惑星への上陸準備に移った。艦橋で指揮を執る副長が通信を飛ばす。

「艦長、全ての報告が揃いました。問題ありません」

「そうか、皆によくやったと伝えてくれ。こちらも準備は完了した」

「了解です。では、予定通り、ニルス大陸が惑星の反対側に位置したタイミングで、小型艇の発艦と物資の転送を開始します」

「了解だ」

「発艦後は惑星の自転速度に合わせ、最大加速を行います。常にニルス大陸を惑星の反対側に位置させた状態で惑星を周回。徐々に惑星へ接近します。発艦後の急加速はダンパーの能力限界ギリギリです。衝撃に備えて下さい」

「ああ、了解している」

「では、秒読み開始!」

副長の命令で艦橋乗組員の視線は正面の大モニターに集中した。そこには丸い惑星が描かれており、中心に小さく赤い点が光る。それが船から見た惑星の正反対の位置。少し離れてニルスの居住する大陸も描かれている。大陸の中には緑の点が光っており、ゆっくりと赤い点へ近付いている。艦長達の乗船する小型艇にも同じ表示があり、全員が固唾を飲んで注目していた。

 緑の点が赤の点へと近付き、・・・重なる。

「小型艇、発艦! 同時に物資の転送開始!」

副長の叫ぶ様な号令で小型艇は船を離れ、恐ろしい程の加速で惑星へと突き進む。同時に船の貨物庫では幾つかの物資が音もなく消えた。小型艇では艦長達が歯を食いしばり加速Gに耐えている。ラスロに至っては目をきつく閉じ、「う、うう、うぅ・・」と苦しそうな声を漏らしている。・・数十秒後、小型艇は目標速度へ到達。安定航行へ移行した。艦長以下の乗組員は大きく息を吐き、安堵の表情を浮かべる。母船からはもう、肉眼では小型艇の姿は見えない。副長は冷静にモニターを見る。異常の兆候が無い事を確認すると、乗組員へ聞いた。

「惑星上に変化は?」

「地上から上空へ向かう物体、ありません」

「周回軌道上、変化なし」

「本艦周辺、異常無し」

「小型艇の状況は?」

「各機器、正常稼働を確認。異常ありません」

「小型艇周辺、及び予定航路上、問題無し」

「小型艇乗組員は?」

「各員の生命サイン、全て正常値。問題ありません」

各報告を受けて、副長は大きく安堵の息を吐いた。そしてモニターに映る小型艇の小さな点滅を見ながらポツリと呟いた。

「リスクを避ける為、仕方ないとはいえ・・向こうから何も報告が無いのは、無闇な不安を残すものだな」艦橋乗組員の1人が答える。

「良好なデータが揃っていても、不安になる物ですか?」副長は鼻先で小さく笑いながら答えた。

「この座り慣れない椅子に座っていると、そうなるんだよ」

そう言って、艦長席の肘掛けを軽く叩いた。

 それから小型艇は惑星の周りを周回しながら、少しづつ惑星に接近していた。惑星の自転速度に合わせ、ニルス大陸は常に惑星の向こう側に有る。その位置を維持したまま惑星を8周半周回し、大気圏と接触。更に高度をゆっくりと落とし、地表へ近づいて行く。不思議な事に、小型艇が大気圏にすっぽりと入り、相当な速度で、大気を切り裂いて進んでいるのに、小型艇は赤く燃えもせず、火花もない。音も煙も無く、振動も無い。ただ船体が進行方向と平行に1、5倍程延びただけで、何かしらを艇から放出する事もない。これまでの遠征隊も幾度となく地上へ降りたが、その際の乗り物はもっと大きく、地表に対し、ほぼ垂直にゆっくりと降りて行った。とは言え、鳥の飛ぶ速度の数倍早かったが、今回の小型艇と比べると随分と鈍足だ。それと比べると、今回の小型艇は地表に対し、平行に近い航路を取り、惑星の自転速度とほぼ同じ速度で航行している。そして、大気との摩擦による熱も音も振動もない。大陸南北の支配者から姿を隠すためか、それとも隠密行動に使える船が他に無かったのか。それとも、彼等の技術では、どちらの航法も可能で状況に合わせて選択出来るのか。・・何にしても、小型艇は無事ミクァルドの住まう大陸へ無事に着陸し、他の者達には気付かれずに済んだようだ。

 ミクァルド達は突然現れた訪問者と乗り物に大いに驚いたが、その訪問者が伝説に伝え聞く始祖神であると気付くと、大いに湧き上がった。ミクァルド達はワラワラと艦長達の周りに集まり、膝をついて大きく頭を下げると、次に手を引いて場所を移し、そこで賑やかな宴会を催した。酒を飲み、歌い、踊った。ミクァルド達も艦長達乗組員も笑顔で1日を過ごした。

 ミクァルド達の用意した寝所で一晩を過ごした艦長達は、翌日から精力的に行動を始めた。限られた時間、かつ、ニルスの大陸側に気付かれぬよう細心の注意が必要だった。特に艦長らが警戒したのはアダルスの存在だった。どうやら艦長達でさえ『上』の存在は脅威であり、得体の知れぬ部分が多いらしい。本国政府側の4柱については、使用機器やその能力におおよその見当がついており、警戒を怠る事はなかったが、必要にして十分なレベルで留める事が出来ていた。しかし、アダルスに対する警戒は神経質に思える程で、空を呑気に飛ぶ1羽の鳥にでさえ警戒の視線を向けていた。

 一通りの調査を済ませると、次に技術供与と教育が行われた。ラスロはこれに際し、「ミクァルドに与えるのは、ミクァルドの理解の範囲内の技術や理念」という決まりを敷いた。これにより、作業にあたる隊員達の手間は増え、ミクァルドの技術の進歩はニルスに比べると大幅に遅れる事になる。ニルスの大陸南北で起こっている文明の爆発的進化を知っている隊員達からは、当然、反対意見が噴出したが、ラスロは「手に余る進歩は文明を壊す」と一歩も譲らない。いずれ訪れるであろうニルスとミクァルドの邂逅。その際に技術や文明レベルの差はミクァルドの奴隷化や、最悪の場合、破滅を予測させたが、それでもラスロは譲らない。艦長も困り顔ではあったが、「方針の立案はラスロ博士に一任している」と、最終決定を下した。その決定により、隊員達は丁寧に根気強くミクァルド達と接し、技術においても教育においても、ミクァルド達は1段ずつ着実に登って行く事になった。

 そんなある日、艦長とラスロは定期的な報告を行う為、再び惑星を8周半周り船に戻って来た。船に戻ると処理しなければならない事が山積みになっており、2人はすぐに持ち場に分かれた。ラスロは研究室に篭りデータの分析に取り掛かる。艦長は艦橋に入り船の指揮を副長から受け取った。2人の持ち帰ったデータは小型の記憶装置を手渡しする形で各班の代表に渡された。そこから分析が始まる。艦長を含む地上班が離船してから、警戒の為に一切の通信を行わず、地上の様子もミクァルドの様子も知らされていなかった乗組員達は、誰もが艦長とラスロの土産話を楽しみにしていたが、それを聞けるのは、しばらく経ってからだった。

 艦内での作業が落ち着いた頃、上級士官と各班の代表者達はミーティングルームに集められた。以前は、艦長と副長、そしてラスロの3人で行われていた密談を、今ではドアの向こうの足音を気にせず行える。それが艦長には誇らしくもあり、純粋な喜びでもあった。部下に隠し事を持たずにいられる安堵もある。しかし、この日、ラスロは艦長以上に御機嫌だった。

「それではミーティングを始めよう」

艦長の一言からミーティングが開始された。担当部署の代表らが現状の報告を上げ、全員に共有される。終始、和やかに進むミーティングの中、艦長が言った。

「そろそろ、ラスロ博士が御機嫌な理由を聞きたいのだが」

参加者の皆がクスリと笑い、全員の注目がラスロに向いた。ラスロはコホンと小さく咳払いしてすまし顔を作るが、緩んだ表情が隠しきれていない。

「ニルス及びにミクァルドに関して、大変興味深い兆候が確認されています。主に、両種族の差異に関してですが、これは我々の望む方向にあり、計画の順調な進行を表す物です」

「差異とは・・具体的には?」

艦長が促すと、ラスロはもう満面の笑みを隠そうともせず、少々上擦った声で話し始めた。

「現在、ニルス及びミクァルドの両種族には『職人』と呼べる職種が存在しています。この職種自体は、かなり以前から存在していましたが、近年、そのレベルを上げ、制作物には他者が真似できない完成度を与えることで、その職種を完全に確立するに至っています。因みに、南部ニルスは製鉄。北部ではガラスのレベルが飛躍的に高まっています。これはアダルスやティュフムらによる技術と知識の供与によって得た産物ではありますが、ニルス達はこれを完全に習得し、今では多少ながらオプションを付けるにまで至っています。一方、ミクァルドは刃物の製作に長けており、その切れ味には目を見張るものがあります」

「それが君の言う『差異』かね?」

艦長が問うと、ラスロはニンマリとした笑顔で応え、話を続けた。

「興味深いのは、ここからです。・・職人は物を作り、それを売って収入にします。つまり、需要者と供給者が居り、供給は需要者の要望に答える形で成立しますが、ニルスとミクァルドでは、ここに差異が生まれているのです。ニルスは需要者の要求に対し七割程度の完成度まで到達した時点で、それを需要者に売り渡します。これは完成度の低い物を売っているのではなく、ニルスの職人にはここからが肝心なのです。例えば、ナイフ。ナイフは手に持って使用するので、手の形、大きさ、指の長さ等、個々人の違いが完成度に直結します。なので、七割程度まで出来上がると、一旦、それを売り渡し、そこから時間をかけ、需要者の使用感も聞きながら完成度を高めて行くのです。そうして出来上がった物は、それを使用する者にとって、唯一無二の完成度となります。一方、ミクァルドは供給側、つまり制作者の意図を完全に具現化させてから売り渡すのです。勿論、使用者の身体的特徴や使用用途、力量等、製作前に考慮できる部分は完全に含まれた状態で・・です。結果、逸品と呼べる物が出来上がり、使用者が握り方や使い方を工夫し、製作物の能力が十分に活かされるよう努力します。・・・どうです? 大変に興味深い違いでしょう?」

ラスロは大きく手を広げて皆に問いかけた。部屋中に湧き上がる歓声を一身に受け止める準備も出来ている。しかし、ラスロの思惑とは裏腹に、ミーティング参加者に口を開く者は居らず、互いに顔を見合わせる。ここで副長が口を開いた。

「えっと、要約すると・・ニルスは利用者・・つまり顧客と共に完成度を高めてゆくのに対し、ミクァルドは顧客が製作物に寄せて行って能力を発揮させている・・と?」

「その通り!」ラスロの声がまた一段大きくなった。

「皆さんピンと来ていない様ですが、この違いは文化の違いなのです。種族における性質の違いと言っても良い。ニルスは険しい山道であろうと、極寒の大地であろうと、己の道を己の向く方向へ真っ直ぐに作ります。逆にミクァルドは、そこに在る物に寄り添い、地形や環境に沿った道を作ります。この違いが何処で生まれているのか? 考えてみて下さい。それは思考が生まれ、性質が鎮座する場所。個や種の深い深い場所に有る筈です。こんな根源的で文化的な差異が生じているのです。・・・皆さん、忘れていはいませんよね? 彼等は元々、・・同じ種だったのですよ?」

そこまで聞いて、皆はやっと事の重大さに気が付き始めた。元々が同じ種族で在るならば、生まれる発想も似通った物になるのは道理。環境や状況によってブレは生じるだろうが、『性質』と呼べる部分にまで違いが及ぶ事は少ない。草食動物はサバンナで暮らそうが、山岳地帯で生きようが草食動物。群れを作る生き物は、どんなに環境に恵まれても単独で生き続けるのは難しい。しかし、稀に例外は生まれる。食性を肉食へ変え、群れを離れて孤高に生きる。そんな『例外』とでも呼ぶべき稀有な事象。それを今、目の当たりにしている。ラスロの言いたい事は、そう言う事なのだろう。

「そ、そうか・・」

「なる・・ほど・・」

部屋の中は多少の困惑を内包しながらも俄かに湧き立った。理解が追いついても、感情が追い付いていない感じだった。ラスロはそれを大いに不満に捉え、「え? どうして?」とか「もっとほら!」とか科学者らしからぬ稚拙な言葉で応酬したが、ラスロの期待に応えられる者は居らず、「これまでの努力が結実しようとしているのに・・」とガックリと肩を落とした。見かねた艦長が助け舟を出す。

「つまりだ・・ミクァルドは種族の根本的な部分から変容し始めている。ニルスが絶滅へと歩む道の楔となる存在に成ろうとしている。我々の目指す目標へ着実に進んでいるのだ」

すると、参加者の1人が言った。

「私は今ひとつ理解出来ていないのですが、ミクァルドの種としての根源的な変化が、ニルスの破滅回避へと繋がるのでしょうか?」

その質問を聞いて、ラスロは「なるほど、そこが繋がっていなければ、浅い反応になるのも無理はないか・・」そう呟いて質問に答えた。

「ニルス全滅の最も可能性が高いストーリーはニルス同士による紛争や戦争です。ニルス種の攻撃性の高さは周知の事実ですが、このまま技術の進歩が進めば諍いの規模は拡大し、比例して死者数も増加するでしょう。これは多くの文明に起こる事で、我々の歴史も例外ではありません」

そこで他の参加者が手を挙げた。

「しかし、我々は絶滅してはいません。ニルスは我々の遺伝子も持っているのですから、自浄により全滅を回避するのではないでしょうか?」

「勿論、その可能性を否定は出来ません。それを望んでもいます。しかし、可能性はあっても、とても小さいと言わざるを得ないのです」

ラスロの言葉に部屋は静まり返った。皆の視線が説明を求めていた。ラスロは少し悲しげに説明を始めた。

「ニルスは、その誕生から現在に至るまで、絶えず諍いの歴史を刻んで来ました。その要因が根源的な資質にある限り、その状態が変化するのは難しい。ニルスが種として成長し、進化を遂げ、自らの性質を抑え込むに至るには莫大な時間を要します。しかし、ニルスはアダルスやティュフムらの支援を得て、飛躍的に個体数を増やしています。これが兵数の増加に繋がり、必然的に戦争規模が拡大します。また、アダルスやティュフムらは技術革新の指導や供与も行なっています。ニルス達は与えられた技術の内面を知らずに、得られる便利さや快適さを、何の疑問も持たずに享受している。手に余る技術を、その怖さも知らずに使いこなしています。自分の能力以上の力を、気軽に手に入れられ、行使出来る。その恐ろしさを我々は知っています。ですが、ニルス達は知りません。神によって与えられた物は、疑う必要もないのですから。そして、アダルスもティュフムらも物理的な安全装置を用意していません。長い間、『上』からの示される指針に沿って生きてきた我々には思い当たる節がある筈です。『使用者が使用法を間違えなければ、エラーは起きない』これが『上』の示す指針です。アダルスはニルスにも同じ方針でコントロールしようとしている。ティュフムらもそれをなぞるのみ。そしてアダルスは、こう考えています。『種として成熟すれば葛藤は生じない』・・・個体数の増加による戦争規模の拡大。技術の革新によって起こる兵器の進化。大陸全土を一瞬にして焼き尽くす兵器を開発した時、ニルスは種としての進化を迎えているでしょうか?」

ラスロの問いかけに、先ほどの参加者が意見を述べた。

「しかし、博士。南北のニルスにはアダルスやティュフムらが居ます。ここまで創り上げたニルス種の全滅を彼等が黙って見ている筈がない。それに兵器は国によって管理される物です。アダルスやティュフムが目を光らせているのでは?」

ラスロはコクリと頷いてから答えた。

「ニルス内の攻撃性による諍いは、先の男爵の時代から懸念材料でした。男爵はこれを信仰によってコントロールしようと試みた。この施策は一定の効果を上げました。これに倣い、アダルスもその流れを継承しています。アダルスの行動を見てティュフムらも同様の手段を取っています。しかし、ニルスの諍いは無くなってはいません。かの大陸では今現在でも紛争が起きています。当然、アダルスはそれを認識している筈です。ですが、紛争は継続しています。アダルスは未然に防ぐ事も、強制的に停戦させる事も出来る筈。ですが、何故かそうはしません。北側も同様なのです。一方ではニルス同士で殺し合いが起きぬよう信仰を説き、一度、殺し合いが始まれば黙認。これが現状であり、事実なのです。兵器に関しても、ある程度以上の物は管理下にある筈です。兵器の技術革新についても同様に注意を払っていると思われます。しかし、技術の革新は兵器以外の所でも進みます。日々の暮らしの中で起こる、ちょっとした技術革新。包丁が剣へと変貌するのにアダルスの助言は必要ありません。これが怖いのです。兵器であれば管理されますが、生活用品にまでは目が届かない。そこで生まれた革新は、いずれ、兵器へと転用される。平和利用の名の下に無邪気に開発された成果が、他者を殺める道具へと変貌します。その時、アダルスはその使用を止めないでしょう」

「・・それは、現在、紛争を止めない理由と同じ理由ですか?」

「はい。・・その理由が何なのかは分かりません。ですが、・・ええ、そう思われます」

再び、部屋の中に静寂が充満し、重い空気が居座った。しかし、ラスロは直ぐに顔を上げ、少し高いトーンで言った。

「それを回避する為のミクァルドです! そして、その計画は順調に成果を上げている」

艦長にも僅かに笑顔が戻る。

「そう言う話だったな」

「ええ、随分と寄り道が長くなりましたが、先程の質問に答えましょう」

そう言ってラスロは再び説明を始めた。

「アダルスはニルスの攻撃性を抑える為、信仰を利用していますが、『信仰』には2つの機序があります。1つは神からの罰を避けるために行いを正す『外圧』。もう1つは神に認められ、その存在に近づく為に自らを律する『内省』。これが両立すれば理想的ですが、・・特にニルス種は、どちらか一方に偏る傾向が強い。そして現在、ニルス種に取っての信仰とは、『外圧』である側面の割合が大きい。この要因はいくつかありますが・・大きなものは2つ。1つは主従関係。男爵もそうでしたが、アダルスもティュフムらもニルス社会に君臨する事を選びました。恐怖による支配は最も効果的で効率的です。結果、彼等の言葉は逆らう余地の無い、『信仰』の形をした『命令』となりました。第2に言語です。現在、ニルスの使用する言語は数十に派生していますが、元は同じ。男爵によってもたらされた言語であり、我々の使用する第一言語です。この言語は、我々の持つ言語の中でも、内容を端的に伝えるのに効果的で、指示、命令、主張の際に最も適した言語であると言えます。同時に、音が美しく芸術面においても感情を伝えやすい言語です。神から神官へ言葉が伝えられ、それを神官が民へ伝えた時。そこには感情が強調され、混ざります。それが伝聞で広まる時、更に感情は強調され、端的に先鋭化した内容は恐怖心を刺激します。こうして『信仰』はニルスを縛る縄となり、抑えつける重しとなります」

その時、副長が口を挟んだ。

「そこですよ。縛ったり、抑えつけるだけであれば、それは『信仰』ではなく『法』と変わらない。『上』の用いる手段にしては稚拙ではありませんか?」

ラスロは答える。

「ある一面だけに限れば、『信仰』も『法』もかわりません。執行者が違うだけですね。ですが、何故、『上』がそんな稚拙とも表現されるような手段を取ったのか? それは必要にして十分だったから・・と思われます。つまり、その程度の制御で目的に達する事ができる。そう判断したのではないでしょうか」

そこでまた副長が口を挟む。

「目的と言っても、北はともかく、南部では採掘さえ行われていません。何か、他に目的が?」

ラスロは表情を一変させ厳しい眼差しを皆に向ける。

「ええ、そう思います。ですが、それが何なのかは分かりません。北部では採掘を開始しているところを見れば、おそらく、ティュフムら・・いえ、本国政府さえも理解してはいないでしょう。・・・当初、ニルス作成の目的は地表面における採石でした。隕石の衝突による予想外の地殻部組成の変化。それによる採石機器の不具合。そして計画の遅延。その対策がニルスでした。その段階では、ニルスには労働力以外の必要性は無かった。ただ石を掘り、運んでいれば良かったのです。単純な作業を理解する知能と労働をこなす体力があれば十分でした。それ以上の知性も自我も必要ありません。ですが、『上』はそこに変更を加え、より我々に近い設計をした。そこから膨大な時間をかけ、今のニルスが作られたのです。そして今尚、ニルスは変化を促され、進化の過程にあります。今となっては、遠征隊の当初の目的よりも優先度は高い。これは目的の重要度を表しています。それだけの目的が『上』にはあると思われます」

『上』の目的とは何か。艦長以下、皆が思い思いに逡巡する。眉間に皺を寄せ、顎に手を当て、胸の前で腕を組み、定まらない視線を天井に向け、押し黙って考えた。その時、ラスロが奇声に近い声を上げた。

「ああ!なんてこと! また話が脱線してしまいました!」

そう言って両手で顔を覆った後、その手をずらし、バサリと雑に髪をかき上げると、にこやかな表情で言い放った。

「話を戻しましょう!」

それからラスロは、しっかりとした口調で皆に話した。

 ミクァルドに対し、我々は神を演じ、信仰をもたらすが、その信仰は『外圧』ではなく『内省』を促す事を目的とする事。その為に君臨し支配するのではなく、寄り添い、共生する事が必要だと言う事。ニルスとは別の言語を選択したのは、その言語が論理的思考を育み、理性的で規律のある社会形成を狙っての事。それらに適応させる内科的処置を施した所、体格が貧弱傾向にあり、筋力、生命力がニルスより劣る弊害が生じた事。言語の変更により感性に乏しく、感情の起伏も緩やかで、芸術面の表現はニルスに遠く及ばない事。そうした前提を話した上で、「やっと質問に答えられるわね」と前置きしてから話した。

「そう遠くない将来。ニルスとミクァルドは邂逅の時を迎えるでしょう。その時、互いを知り学ぶ筈です。ニルスは、ミクァルドの規律と力に頼らずとも理不尽な暴力から身を守る術を。ミクァルドは困難を打ち砕く個の力と感情の美しさを。それだけではありません。互いに欠けた部分を埋める存在に出会い、学び、取り入れて成長する。それは生活、思想、習慣、生きる事のあらゆる場面に波及します。そうしてニルス種は新たな文化を手に入れるのです。その文化こそが、ニルス種を不幸な運命に向かう道の、軌道を変更する鍵だと思っています」

そこまで話しても、参加者の反応はラスロの予測したレベルには遠く及ばない。皆、半信半疑の表情でラスロを見る。参加者の1人が手を挙げて言った。

「それだけですか? もっと、直接的な方策があるのだと思っていました。例えば、全ての武器を無力化するとか・・」ラスロは答える。

「この方法も十分に直接的だと思っていますよ。・・確かに、全武器の無力化は効果的な方法ですね。その瞬間に戦争は消滅します。ですが、狩猟も激減しますね。素手で行える狩は、そう多くありません。農作業も縮小します。鍬も他者に向ければ武器になる。いっそ、諍いそのものを禁じます。神の命により完全な遵守を強制します。喧嘩をしただけで処罰になります。子供は行動の半分を奪われるでしょう。・・・奪っても抑えても上手くはいきません。ミクァルドがニルスに新しい道を示し、ニルスがそれを体験する事で、ニルスは内面から変化して行きます。そう成ることで、ニルスは手にした武器の正しい使い方を知り、悍ましい未来に誘う武器のみを、捨て去る事が出来るでしょう」

そこで副長が呟く様に言った。

「ニルスの内面からの変化・・しかし、大局的にそれはアダルスの方法と同じなのでは?」

「ええ、・・アダルスも、ニルスの内面的変化を促そうとしています。そして、・・誤解のない様、言っておきますが、アダルスのやり方は正しいと、私は思っています」

そこで参加者達には少なからず動揺が走った。アダルスのやり方が正しいのであれば、アダルスに任せておけば良い。自分らが大きなリスクを背負ってまで取り組んできた意味はあるのか、そもそも、アダルスのやり方では絶滅を回避出来ないから、我々は立ち上がったのではないのか・・と。誰かがそれを口にしなくても、それはラスロも承知の上。疑問を融解させるべく話し始めた。

「アダルスの意思は『上』の意思です。我々の遥か先を見通し、より多くを知っています。そんな彼等が、我々に否定出来る程度の愚行を選択する訳がありません。アダルスの方法は正しい。・・もっと正確に言えば『アダルスの目標の上で正しい』・・です」

その言葉を聞いても、表情を変える者はいない。『判断』に至るには『理解』が必要だ。ラスロは続ける。

「このままの状況が継続すれば、将来、ニルスは全滅します。これは私だけではなく、本国の科学者、そして多くの思考機も同じ答えを出しています。ですが、『上』は間違いを犯さない。その大前提が存在する以上、『上』にとってニルスの全滅は、受け入れられる結果なのです。・・すると、1つ別の疑問が湧きます。『わざわざニルスを作ったのに?』や『最初から必要がなかったのでは?』と思うでしょう。実は、その答えも単純です。答えは『ニルスの全滅までに、目標に到達できるから』・・です」

部屋の中はザワついた。ニルスに対する『上』の価値観が、自分達とはあまりにも違いすぎた。参加者の1人が言う。

「・・・使い捨てなんて・・その目標とは何なのですか」

ラスロは伏目がちではあったが、しっかりとした口調で答えた。

「それは分かりません。ですが、アダルスは諍い事を『罪』と説きました。その一方で紛争を黙認。その矛盾を放置しているのも、ニルスの自壊が、目標到達まで起こらなければ良し。もしくは・・ニルス内の諍いが目標到達への一助になる・・なのであると推察できます」

そう話し終えたラスロは確証を内包する表情をしていた。参加者は皆、視線を落とし、自らの感情と向き合う為の思考を巡らせる。その中で艦長は、腕組をし、「うむ」と大きく頷いてから、「それが答えの様だな」と応えた。視線を上げた副長が続く。

「やっと理解できました。この長いミーティングの意義も。博士が珍しく、まどろっこしい話し方をする理由も」

こうしてミーティングは終わり、参加者達はそれぞれの持ち場へと戻っていった。部屋には艦長と副長、そしてラスロ博士が残った。肩から重い荷物を下ろした様な、緩い空気があった。しかし、艦長はまだ硬い表情を崩していない。ラスロは皆が部屋を出るのを確認してから、艦長へと視線を移した。その視線に応えるように艦長は言った。

「博士は、『上』の目標を『分からない』と言ったが、それはどの程度の『分からない』なのかね?」

ラスロは天井を見上げ、逡巡し、1つ息を吐いてから答えた。

「8割は・・全く、さっぱり、手掛かりも無い程の『分からない』です。残りの2割は、荒唐無稽で確証の欠片も無い推察が混ざっています」

「では、その2割の部分を聞かせてもらえるかな?」

ラスロは意外にも「フフ・・」と微笑み、「本当に荒唐無稽なのですよ」と断ってから、直ぐに表情を締め、真っ直ぐな視線で答えた。

「生体型ハーモニクスです」

・・・・・時が止まったのかと思う程、3人の動きがしばらく止まった。艦長の眉がピクリと動き、現実を取り戻し始めたが、同時に心中では動揺がうねりを上げ始め、視線は無意味に左右へと走り、眉間に深く皺を寄せた。副長はもっとあからさまに『信じられない』と表情が語っている。そんな数秒を置いてから、艦長は「あり得るのか?」と聞き、副長は「想像上の物なのでは?」と聞いた。言葉は違えど、2人共が想像上の空論だと理解しているのは明白だった。そして質問を投げかけておきながら、2人で話し始めた。副長が言う。

「確か・・『上』が研究を行っていましたね。鉱石で理論を構築したものの、恒星レベルのコストで部屋を照らすようなものだと話題になりました。その後、機械型に移行するも実験段階にも進めなかったと」

「それも、随分昔の話だったな」

「ええ、別に有機体での実験も試みたらしいですが、立ち消えになりました」

そう話すと、やはり信じられないと言った顔をラスロに向ける。ラスロは半ば呆れ顔で言った。

「お2人はこれまで、『上』の研究過程にある正しい情報を受け取った事がありますか?」

「・・・そう言えば」

副長が呟いてから続けた。

「以前、海洋研究と言いつつ、重力場操作の研究成果を発表した事がありましたね」

「ああ、それも、海洋研究の副次的成果だと言い張って、結局は時空圧縮の研究をしていたと暴露されていた」艦長がそう応じると、ラスロは呆れ顔を更に強めて言った。

「その暴露も彼等の意図の内ですよ。実際は、今も深海底で次元転移の研究が行われています」

艦長と副長は思わず言葉を失った。

「そこまでするのか」

「一体、何の為に・・」

ショックを受け、ポトリと呟く2人だったが、ラスロは淡々と続ける。

「どこまでが真実なのかは分かりません。全てが真実なのかもしれないし、全てが嘘で、もっと別の目的があるのかもしれない。彼等の真意を探ろうとする程、無駄な物はありません」

艦長は大きく息を吐き、気を取り直す。一旦、気持ちを落ち着かせ、頭の中を整理してから再び質問した。

「では、博士の推論の根拠は何だね?」

「少し、長い話になりますが・・」

そう断ってからラスロは話し始めた。

「このニルス計画。その始まりは地表面における作業遅延の補助でした。その目的に沿えば、ニルスには現在のような知能は必要なかった。そもそも、生命体である必要も無かったのです。機械で十分に事足りる。あの惑星には、それを制作する十分な資源もある。エネルギーも供給できる。手間も時間も省けます。しかし、男爵は生命体を生み出す事を提案した。おそらく自らの研究を完成させる機会だと判断したのでしょう。彼の研究は、本国で進めるには障害があった。倫理的に未解決な部分が少なくありませんから。遠く離れたこの惑星であれば、・・そう考えたのだと思います。そして、『上』がその提案に乗ってきた。計画の初期段階で提出されたニルスの設計書は、『上』が基礎を作り、男爵が微調整を行なった物だったのです。私はここに、『上』の意図が隠されていると考えました。私はニルスの設計レシピを精査し、その兆候を見つけました。どれも僅かな数値の揺らぎでしかありません。その殆どは誤差の範囲。誤差にさえ含まれない物も少なくありません。ですが、視点を引いて全体を俯瞰すると、不必要な数値が混在しているのです。その数値を洗い出し、数値の意味を組み合わせ、浮かび上がったのが・・」

「生体ハーモニクスか・・」

「ニルスの特出した感性と芸術性。その表現力。それらを持った個体が数十万。惑星の1大陸と言う、ある意味、閉鎖された地域。どれもがハーモニクスにおける基礎的な前提条件です。遺伝因子・環境・状態・状況。それらが揃っています」

「しかし・・」副長が口を挟む。

「いくらなんでも、生体型ハーモニクスは飛躍し過ぎなのでは?」

「ええ、言いたい事はわかります。理論さえ確立していない技術です。必要条件さえ未解のままですから実験にもなりません」

「そうですよ。順番はある。まずは理論の完成が先です」

副長は肩を窄ませて、そう言った。しかし、ラスロは真っ直ぐな目で静かに応えた。

「理論が完成していないと言い切れますか?」

おそらく、この時の副長の胸には、後悔と反省が去来しただろう。

(ああ、そうだ。博士がまどろっこしい話し方をする時は、こんな時だ)・・と。


 ここは銀河の中心から遠く離れた辺境。星々の集まる中心部とは逆に、暗い質量の割合が大きい場所。彼等はその星で、この星の重要性も知らずに、本来生まれる筈のない種族を誕生させた。それが何を意味するのか。それが何をもたらすのかも知らないまま。・・いや、彼等の一部はそれに薄々気付いているのかもしれない。


 あれから、この惑星は恒星の周りを2度周回した。艦長らはすっかりミクァルド達の社会に馴染み、交流の頻度も増えた。艦長らは意識してミクァルド達との間に一線を引き、ミクァルド達を自らの社会に招く事をしなかったが、逆にミクァルド達の社会へは積極的に接触した。一時を共に過ごし、共に笑い、時に酒を飲み、与えるべき物を与え、罰するべき者を罰した。定められた時間を地上で過ごすと、船に戻り、遠隔でミクァルド達を見守りながら、再び時が来ると地上に降りた。そのうち、休日を地上で過ごす者も出始め、艦内ではミクァルドの話題が増えた。

 彼等は高過ぎない場所から、少しだけ膝を折って、ミクァルド達と同じ視線で世界を見た。そんな時間を重ねるうち、ミクァルド達の中には独自の『神』の概念が形成されていった。

 『神』とは、感謝の先に在る者。共に笑う時、教えを受ける時、畏れに震える時、ただひたすら祈る時、恩恵、裁き、罰。それら全てが感謝の先に在る。ミクァルド達にとって、感謝の時が神を傍に感じる時となった。

 艦長達にとっても幸福を感じる時間だった。ミクァルド達は屈託なく笑い。大粒の涙を流して泣く。新しい知識に貪欲で、真っ直ぐで真剣な目を向ける。毎日をひたむきに生き、諍いが起これば、相手に打ち勝つよりも、それを終わらせる事を美徳とした。そんなミクァルド達との時間が、艦長や乗組員達の心を癒し、幸福感を与えてくれた。

 その頃、ニルスの大陸では、大きな歪みが顕在化しようとしていた。


 アダルスはニルス達の前で多くは語らなかった。口数は少なく、要点を端的に伝える。アダルスの能力が優れているのか、それでも誤解の生じる事は少なかったが、言葉の少なさは明瞭を演出する効果と共に、解釈に幅を持たせてしまう。神の言葉を直に受けることのできるごく限られた少数である神官は、その魔力にじわじわと侵食されていた。当然、アダルスには織り込み済みの事だったが、アダルスにとっては意識を向ける程の事でもなかった。

 アダルスの神官は、1日の多くの時間を玉座の間で過ごす。アダルスからの言葉を、何時間でもひたすら待ち続けた。アダルスは食事も摂らない。女も要求しない。発せられる言葉は「街に上下水道を通せ」や「南西の荒地を開拓せよ」等の指示ばかりで、詳細は書物によって示された。ただ、その言葉を忠実に遂行すれば必ず大きな成果となり、そこに暮らす者は豊かになり、利便は上がり、神官には尊敬と敬意が大波のように押し寄せた。それを知っているからこそ、アダルスの言葉を心待ちにした。

 ある日、アダルスは言った。

「南端の漁村に坑夫を集めよ」

その短い言葉が終わると、控えていた1人の神官の膝の上に、巻き物が突然現れた。受け取った神官は、飛び上がって喜びたくなる気持ちをグッと抑え、深々と頭を下げた。巻物を大事そうに胸に抱え、玉座の間を出て行く神官を、他の神官たちは恨めしい目で追った。

 南端の漁村までは遠い。しかし、神の言葉となれば護衛も従者も付く。啓示を受けた神官は、早速、20名の護衛と6名の従者。そして女を2名指名して旅支度を始めた。

 出発の前日、支度も整い、早めに休もうとベッドに入ろうとした時、大きめの地震が起こった。家全体がガタガタと音を立て、あちこちで物の割れる音がした。悲鳴が響き、家具の倒れる音がそれを打ち消した。神官はただ立ちつくし、揺れが収まるのをひたすら待った。程なくして揺れが収まると、家の中も表の通りも、ガヤガヤとした喧騒に包まれた。口々に安否を気遣い、被害を言い合っている。神官は一通り家の中を確認して回ると、誰も怪我もなく、多少の物が壊れただけで済んだのは神の思し召しだと家人に伝え、片付けを命じて床についた。

 翌日の朝。昨夜の地震による被害があちらこちらで散見された。家が壊れ、住む場所が無くなったと嘆く者。子の亡骸を抱え涙に暮れる者。瓦礫の中から生存者を救おうと必死な者。混乱に乗じて盗みをはたらく者。街は一夜にして日常を失い、悲痛な悲しみに包まれた。そんな中にあり、アダルスの命を受けた神官はいそいそと任務地へ向かう。アダルスの名を借り、助けを求め縋る者を払い除けた。

 街を後にし、遠ざかるにつれ神官の振る舞いは横柄さを増していった。そうして村を3つ通り過ぎた頃には、退屈だとして護衛の兵士を馬車に並走させ、脱落した者には容赦のない罰を与えた。宿に着くと、女を雑に抱き、乱暴し、辱めた。村の娘を見初め、強引に寝所へ連れ込む。逆らえば罰、それを庇うものも罰、村の全てを焼き払うと脅し、望むものを手に入れた。そうして、大陸の南端に辿り着く。そこは小さな漁村があり、神官は早速、アダルスの命に従い坑夫を募った。『漁村』に『坑夫』。その奇妙な組み合わせも、直ぐに答えは見つかった。村の外れにある草原に、大きく土地が隆起した場所があると、村長に聞いた。そこへ向かうと、確かに草原の中に小山の様な隆起した部分がある。聞けば、先日の地震の後、こうなっていたと言う。神官は「これぞ神であるアダルス様の思し召し」と高らかに宣言し、そこへ坑夫を当てがい、「ただひたすらに掘れ」と命じた。坑夫達は何を掘り出せば良いのかも分からず、ひたすらに隆起した土を掘った。程なくして、坑夫の1人が掘り返した土の中に半透明に光る物を見付ける。それは燻んだ白の色をして、光に当てるとぼんやりと光る。これまで見たこともない石だった。神官は知らせを受けると、その石を手に取り「これぞ神の啓示」として坑夫に石を集めさせた。集まった石の一部は街へ送られアダルスの元へ届く。アダルスはそれを見て、産出されたその石全てをアダルスの元へ定期的に送るよう指示した。、次に石職人を呼び、加工の技術を教えた。それに倣い加工を施すと、半透明の石は透明で澄んだ輝きを放つ石となり、その光は多くのニルスを魅了した。

 アダルスの元に送られてきた半透明の石は、加工を施すと随分と小さくなる。麻袋一杯の半透明にくすんだ石が、加工され透明な光を放つようになると、掌で十分に事足りる。アダルスはそれを3日3晩、玉座の傍に置く。時が来ると、その石をひとつまみ取り上げ、その分はニルスの市場に流した。残った石はいつの間にか消えている。神官の誰も、その行方を知らないし、消える瞬間を目にした者も居ない。市場に流通した石は物珍しさも相まって高値で取引された。その石の魅力は直ぐに噂となり、大陸南部の隅々にまで行き渡るのに時間は掛からなかった。最初に手にしたのは、街に居住するアダルス直下の神官達だった。彼等は裕福で、金額にたじろぐ事もなく望むままに石を購入した。石の持つ美しい輝きと、取引される金額。そしてそれを持つアダルスの神官。それがニルス達に魅力的に映らない筈がない。裕福な者は我先にと石を求めた。街から溢れ出たその波は、噂と共に大陸南部を駆け巡り、やがて各所に派遣された神官達にまで波及した。石は富の象徴となり、羨望の眼差しを浴びる。大陸南端の村では、派遣された神官が需要に応じ、近隣の村々からも坑夫を募り、採掘の規模はみるみる拡大していった。今や『産業』と呼べる規模にまで拡大したが、その割には村は裕福にはならず、神官を含む一部の者だけが暮らしぶりを一変させていた。

 そんな出来事が起こした巨大な波紋を大陸北部のティュフムらも察知していた。

「アダルスも、とうとう採掘を始めたのか?」

ティュフムの問いにクロノイヤが答える。

「ええ、大陸の南端で。ですが、我々の採掘とは目的が違う様です」

そう言ってクロノイヤは南部で入手した石をティユフムに見せた。それを一瞥したティュフムは興味無さ気に言う。

「・・ただの透明な石にしか見えんが?」

クロノイヤはティュフムとは対照的に、何か含みのある表情をしている。ティュフムから石を受け取ると、まじまじと見つめて言った。

「ええ、相当な硬度を持っていますが、実際に市場で求められているのは、この輝きだけですね」

「分析は?」

「ほぼ終わりました。『透明で美しい』と言う点以外は、何も取り上げる点はありません・・が、アダルスが商売の為に採掘の指示を出すとは思えません。・・と、なれば、僅かな可能性にまで目を凝らさなくてはなりません。重ねて言いますが、僅か・・ほんの僅かです。特徴とも言えない、誤差にも埋もれてしまう様な、ほんの僅かな違和感。それを感じる数値を割り出しました」

そんなクロノイヤの口上に、ガリスクラムが大きな体を揺すりながら割って入る。

「回りくどい言い回しだな! さっさと分析結果を言ったらどうだ!」

その横でシル=ロスが呆れ顔とうんざり顔の中間の表情で、ため息をついた。クロノイヤはキッとガリスクラムを睨んだが、直ぐに視線と表情を戻して話した。

「この石の放つ光・・正確には何らかの光源から受けた光が、石の内部で反射を繰り返し、外に放出された光・・ですが、その波長の一部が、精神の波長と波形が重なる部分があります。・・とは言え、繰り返しますが、ほんのわず・・」

「もうそれはいい!」ガリスクラムは明らかに苛立った様子で怒鳴った。クロノイヤは顎を上げ、挑発的な視線をガリスクラムに向ける。ガリスクラムは余裕の表情で、その視線を迎えた。間に挟まれたシル=ロスは頭を小さく左右に振って言った。

「はいはい。もう、一向に話が進まないではないですか。これまでまともに掴めなかったアダルスの動き、それがやっと見えたのですよ?」

そう言うシル=ロスも苛立ちを隠し切れてはいない。彼等4柱には焦りがあった。

 これまで、それぞれの役割を全うし、本国から示された任務は順調に推移してきた。大陸北部のニルス達は、彼等をまごう事なき『神』と崇めていたし、南部のニルスと遜色ない知識と技術を与え、それらが円滑に伝播し、受け継がれて行くよう社会制度も整えた。それら全てが完全に機能し、結果も目標値を擦っていた。しかし、アダルスについての情報は相変わらず洪水の様に押し寄せ、どれが真実なのか見当もつかない。今回の石の件も、実物を入手出来て初めて調査に踏み切れた。元来、『上』の存在との対話や対応は掴みどころがなく、煙に巻かれている感覚に陥る。そこに加えて情報の洪水。いつ出し抜かれるかわからない。もう出し抜かれているのかもしれない。そんな状況下で彼等は、アダルスを出し抜く事を求められていた。日が経つにつれ、苛立ちと焦りが増してゆくのも無理はない。

「・・で、その石が精神に影響を及ぼすのか?」

4柱の中においてティユフムだけは冷静さを保っている。少なくとも表面上は。クロノイヤはチラリとガリスクラムを見てから答える。

「その問いに正確に答えるのでしたら、『その可能性を完全に捨てることは出来ない』と言うのが正確でしょう。その程度の物です。・・・このままであれば」

ガリスクラムからギリギリと奥歯を噛み締める音が聞こえる。今度はシル=ロスが聞いた。

「何かしらの細工が出来るって事ですね。その細工が理想的に貢献した場合、効果はどの程度とお考えですか?」

「大した事はありません。最適な状況と最適な環境が整った上で、幻覚・幻聴が起こった気がする・・程度です。・・・我々が使えばね」

クロノイヤの執拗な嫌がらせに、とうとうシル=ロスもため息をついた。ティュフムは低い声で静かに言った。

「もういい加減にしろ。・・それで、我々ではなく、『上』が使用したとしたら?」

「誰に使用するかにもよりますが、幻覚を実物と思い込ませる位は可能でしょう。いずれにせよ、『上』の能力を強化する効果はあると思われます」

「それで、アダルスは何をしようとしている?」

「・・さぁ。そこはさっぱり」そう言ってクロノイヤが肩を窄めると、ガリスクラムは敵の首を取ったかのように言い放った。

「はんっ! あれだけ偉そうに講釈をたれておきながら、結局は何もわからんのではないか!」

クロノイヤは再度、ガリスクラムを睨みつけ、「何もわからないとは言っていない」と反論し、ツカツカとガリスクラムの前まで進むと、大袈裟に小馬鹿にした顔で言う。

「すぐさま結論に飛びつく大男でも理解出来るように言うとだな! 使用用途が多過ぎて、どれかに絞れない。と、いう事だ!」

ガリスクラムは紅潮した顔で立ち上がる。手には剣が握られていて、柄を握り潰しそうな程に力が込められている。

「・・・ガリスクラム」

ティュフムの低い声がガリスクラムの行動を抑える。

「兵の訓練の様子でも見てきたらどうだ?」

ガリスクラムはクロノイヤに向けていた怒りの視線を、そのままティュフムに向けるが、ティュフムの目はガリスクラムの怒りを凌駕していた。ガリスクラムは「ふん!」と鼻を鳴らしドカドカと玉座の間を出ていった。その足音が消えると、重い静寂に包まれる。ティュフムはクロノイヤに更に問うた。

「精神に作用する度合いは、薬物と比較すると?」

「効果・効能の面では薬物の方が上でしょう。しかし、石には注射や服用の必要がありません」

「・・・つまり、望まぬ相手には便利に使える・・と言うことか」

そこで話は一旦の終結を迎えると思われたが、クロノイヤはどうしても念を押しておきたかったのだろう。「くどい様ですが」と前置きして話した。

「使用者が『上』であっても、十分な効果を得るには条件があります。あの石の持つ波長と精神の持つ波長を重ねた場合、同位を示す部分はほんの一部です。受ける側の精神状態が整っていなければ、波長をリンクさせるのは難しい。その為には、適度な温度と湿度、適度な広さの空間、適度な静寂と喧騒を揃え、術者に心を開いていなければなりません。セラピストと患者の関係であれば可能ですが、その条件だけで、行動と場所が極端に制限されます。それでいて、効果は薬物以下。・・私なら、騙すなり、無理矢理なりしてでも薬物を選択しますね。そもそも、石から精神と同位の波長を持つ光を取り出すのも簡単ではないですし」

「・・では、あの石に、他に特徴は?」

「波長云々もこじつけに近い話ですが、それ以外となると、こじつけるにも相当な力技が必要になります」

「アダルス・・『上』の目的は何なのだ・・」

玉座の間に再び静寂が居座った。それは苛立ちと共にあり、焦りを刺激する。先の見えない暗闇を、手探りも出来ず、立ち止まることも許されない。どこに何があるのかわからないし、常に何かに囲まれている。腹の底に横たわる焦燥感を意識すれば、それは嬉々として巨大化し、目を曇らせ、判断を間違えさせる。今もじっと、それを待っている。それは4柱が平等に抱える苦悩だった。


 一方、大陸南部では、石の流通が激増すると共に、市場が大きく膨れ上がっていた。ニルス達が石に価値を見出し始めた為、透明な光を放つ石の他に、黒く光る石、青や緑の光を放つ石にも需要が付いた。各地で採掘が始まり、鉱夫が増え、村は活気づいた。流通が盛んになり、道が整備され、他の品々も遠方まで運べる様になった。商人は活動範囲を広め、同時に文化も広まった。元よりあった、アダルスから各地の神官へ繋がるネットワークの上に商人のネットワークが重なり、より太く、より早く、より広く、より細やかなネットワークが形成されていった。大陸南端の漁村は、今や街へと変貌し、ニルスの個体数も数倍に膨れ上がっていた。それに比例する様に、神官の横暴は増した。常に食い物を側に置く為に、それを持ち運ぶ者を必要とした。果物の種を吐き出し、肉の骨を放り投げるので、それを始末する者も必要だった。椅子に座れば足を置く者が必要で、機嫌が悪ければ足蹴にされる者を必要とした。目についた女は例外なく服を剥ぎ取り、朝となく昼となく、相手が少女だろうと体調不良だろうと構う事もなく、夫が居れば、殺されるか妻を差し出すかの二択しかなく、泣く泣く差し出された妻が、喜びに満ち溢れていなければ、夫は殺された。そして、神官を蝕む、もう1つの因子はカネだった。神官はアダルスへ送る石の一部を懐に収めていた。石職人の1人を買収し、懐の石を加工させた。それを商人を介し各地で売り捌いた。仕組みさえ作ってしまえば、寝てる間も女をいたぶっていても金は入って来る。鉱山を仕切っているのは自分だから、石の保管場所はどこでも指定出来る。どこかの保管場所から石が全て消えてしまっても、『アダルス様へ送られた』としか思われない。日を追い、年を追う毎にその割合は少しづつ増え、神官の富は飛躍的に増えた。

 そんなある日。アダルスは各地の神官を全員、自らの膝下へ呼び寄せよと命を発した。命を受け、大陸南部各地から全ての神官が集結した。その数、300余名。半分は玉座の間に入り切らずに、位の低い神官は神殿の周りで跪き、祈りを捧げた。

 神殿の玉座の間にひしめく神官150余名が膝をつき、首を垂れた。それぞれがアダルスに取り入る為の秘策を胸に秘めている。しかし、あくまでも第一声はアダルスでなければならない。とっておきの秘策もアダルスの求めに応じる形でなければ効果は半減してしまう。神官達は皆、他の神官を出す抜こうと周囲の動きに神経を尖らせていた。・・が、アダルスは玉座に座したまま一言の言葉も発しない。足を組み、頬杖をしてリラックスした様子ではあるが、身動きの1つさえもない。首を垂れたまま、上目遣いで様子を見ると、どことなく退屈そうな顔にさえ見える。そんな時間の経過と共に張り詰めた空気は崩れ始め、チラチラと視線を上げる神官も見られ始めた。それでもアダルスは時折視線を天井に向け、何かを待っている様子だったが、依然として言葉を発する事はなかった。神官達の心中は次第に穏やかさを失ってゆく。アダルスは自分達を集めておいて、何故、何も言わないのか。こちらからの発言を待っているのか。そもそも、自分らは何故集められたのか。沈黙は次第に重みを増し、苦痛となりつつあった。そんな時、不意にアダルスは組んでいた足を床に下ろした。それに合わせたかのように、突如、部屋の壁が白い光を放ち始めた。神官達は驚いて周囲の壁を見渡す。光を放つ壁は不定期に色を変え、赤や青、オレンジ、緑の光の波が部屋の壁を下から上へ昇って行く。その光は美しく、神官達からは思わず「おお!」と声が上がる。そんな神官達の耳に聞きなれない歌声が遠くから聞こえてきた。それは讃美歌のように澄んだ美しい音色で、どこか、神殿の外から聞こえる様であり、空から降って来る感じでもあった。ところが、その音色は直ぐに耳障りな雑音になり、遠雷の様でもあり、豚の鳴き声の様でもあった。耳障りな雑音に眉を顰め、気が付くと壁の色もくすんだ群青になり、透明感を無くした灰色になった。神官達に嫌な予感が過ぎる。そこでアダルスはポツリと呟いた。

「獣でなければ純粋さを失い。獣であれば統制を失う。・・素材に難があったと言う事か・・」

それは小さな呟き声だった。辛うじて聞き取った神官にも意味は理解できていない。聞き返して良いものかどうか・・神官が戸惑っているとアダルスは玉座から立ち上がり、ゆっくりと神官達の前へ進み出た。同時に壁の光は消え、雑音も消えた。アダルスは神官達の目前まで来ると「お前達にとって、私の言葉とは何だ?」と聞いた。アダルスはいつもと同様、無表情だったが、その口調は幾分くだけた響きを持っていた。一体の神官がここぞとばかりに仰々しい身振りで答えた。

「標にございます!」

アダルスは冷めた目でニコリと笑い、更に問うた。

「では、標の示す道を踏み外すとは?」

「アダルス様への冒涜であり、裏切りであり、己を失う事でございます!」

「ふむ・・では、お前は正しき道を歩んでいるか?」

「勿論でございます!」

そう答えた神官は、絶好の機会を得たとばかりに懐に手を入れて何かを取り出そうとした。それは貢物であり、忠誠心を表す物であり、更なる神の恩恵を呼び込む物だったが、アダルスは行動を制するように顔を上げ、大声で皆に問うた。

「では、ここに道を踏み外した者はおらぬか?」

・・誰一人として声を上げる者も、顔を上げる者さえ居ない。この辺りで神官達は今日のアダルス言動に違和感を感じ始めていた。嫌な予感を感じ始める者も少なくなかった。

「では、皆に褒美を与えなくてはならんな」

アダルスの言葉に神官達は一斉に顔を上げた。感じ始めていた違和感や予感は、ただの杞憂だったと胸を撫で下ろし、表情も明るくなった。そして、どんな褒美を手に出来るのかと期待に胸を躍らせた。

「褒美として、皆に予言を授けよう」

神官達はザワついた。物質的な褒美を期待していた者は、ガッカリとした感情を表に出さぬ様取り繕ったし、予言の吹聴でいかに利を得るか考え始める者も居た。アダルスはゆったりと神官達を見回し、期待の視線を一身に浴びながら言った。


「今日より70日後、この世界の陸地は全て海の底となるだろう」


 玉座の間は静まり返った。神官達は皆、アダルスの言葉が理解出来ない様子。それ程にアダルスの予言は意外だった。神官は言った。

「ア・・アダルス様。世界が水に沈むとなると・・我々は・・?」

「・・お前は水の中で生きられるのか?」

神官達にとって、これ程の衝撃はなかった。褒美だと思っていた予言は、死刑宣告でしかなった。未だ信じられない様子の者も少なくない。絶望に打ちひしがれ身動きさえ出来ぬ者、慌てふためき、周りを見回すだけの者、「アダルス様!」と声を上げたはいいものの、続く言葉を見つけられぬ者。混乱が部屋中に充満し、その中でアダルスは「領地へ戻り、民に予言を伝えよ」そう言い残して・・消えた。部屋を出たのではなく、文字通り、音もなく消えた。残された神官達を、見捨てられた絶望が襲う。それでもまだ、予言を信じ切れていない。それは、アダルスを信じていたいからではなく、絶対神による無慈悲で不可避な死刑宣告を信じたくなかったから。70日後に否応なしに降りかかる理不尽な不幸を、直視出るはずがなかった。

 その後、アダルスの予言は大陸南部を駆け巡った。

「そんな馬鹿な事が起こるわけがない」と、物知り顔で突っぱねる者がいれば、絶望に苛まれ道端に座り込む者も居た。「どうせ死ぬんだ」と粗暴に走る者も居れば、ただひたすらに祈る者も居た。家族で肩を抱き合い涙を流す者、水に飲み込まれぬ様、山岳地帯を目指す者、強盗に走る者、船を占拠する者。混沌とした混乱の中、神官達は誰一人として、自らの所業を顧みる者は居なかった。

 アダルスが予言を残して消えたその時、大陸北部の神殿には南からの使者が4柱との謁見を実現させていた。

「・・南からの使い・・だと?」

ティュフムは訝しげに使者を見た。そこには痩せこけてみすぼらしい服装の男が膝をついている。これまで、一度たりともこんな事は起こらなかった。しかし、手元の端末には、使者の残したログが南部から真っ直ぐに続いている。少なくとも南部からやって来た者であることは確か。だが、動揺しているのか、緊張しているのか、その様子は明らかに挙動不審だった。

 シル=ロスがしなりしなりと使者の前へ進み出て、艶やかな笑顔で聞いた。

「要件は?」

使者は更に緊張した様子で、シル=ロスをチラリと見ると、直ぐに視線を落とし、深々と頭を下げて答えた。

「アダルス様からの伝言をお伝えに参りました」

「・・伝言だと?」

そう反応したのはガリスクラムだった。その顔には不信感が満ち溢れ、剣を握る手には力が込められた。それもその筈。ただのメッセージであれば、本国を通じて瞬時に届く。大陸を二分する遮蔽工作のせいで、直接の交信は難しいが、アダルスが他の『上』のメンバーと交信しているのは明白だったし、それが出来るのであれば、『上』から本国政府を経由してメッセージを送れば良い。そんな容易な方法を取らず、数日間の時間と手間をかけて伝言を届ける必要性が全く無い。ガリスクラムの反応は当然だった。シル=ロスもそれを十分に理解していたが、チラリと視線でガリスクラムを牽制し、穏やかな声色で聞いた。

「伝言の内容は?」

使者は言いにくそうに顔を顰め、更に深々と頭を下げて、喉奥から押し出すように答えた。

「70日の後、世界は海の底へ沈む・・と」

ガタッ!と音を立ててガリスクラムが立ち上がり、ツカツカと使者の元へ歩み寄る。そこに割って入ったのはクロノイヤだった。右手をガリスクラムへ向け、ギンとした視線でガリスクラムの動きを制した。それを確認すると、使者へと向き直り、その前へしゃがみ込み、「頭を上げなさい」と、静かに言った。使者は恐る恐る顔を上げ、クロノイヤを見る。

「その伝言、いつ聞いたの?」

「で、伝言を賜り、直ぐに街を出ました。こ、ここへ辿り着くのに7日掛かりました」

「・・と言う事は、残り63日か・・」

顎に手を当て、何かを考えているクロノイヤに向けて使者は言った。

「い、いえ・・今日より、70日後です」

クロノイヤは首を傾げ、更に聞き返す。

「・・では、あなたの聞いた言葉は『77日後』だったの?」

「いえ、私の賜った玉言は『70日後』で間違いありません」

クロノイヤは更に更に首を傾げ、少し不機嫌そうに言った。

「それはおかしいでしょう? ここまで7日掛かった。あなたは7日前に『70日後』と聞いたのならば、残りは63日の筈でしょう?」

「で・・ですが、今日から70日なのです・・」

「・・・何故、そう言い切れるの?」

クロノイヤの問う言葉が途絶えると、使者は徐に両手で顔を覆い、背中を丸め、次に頭を抱えた。「うーっ、うーっ」と小さく唸るような声も聞こえる。その内、体が小刻みに震え始め、やがて体を大きく前後に揺らした。明らかに様子がおかしい。クロノイヤは一歩二歩と後退りし使者との距離をあけた。そこにはガリスクラムが立っていた。クロノイヤの身を案じての行動だった。ガリスクラムはクロノイヤと使者の間に割って入り、手にした剣を使者へと向けた。使者はまだ意味不明な行動を継続している。これでは情報を聞き出すのは困難とガリスクラムが判断したその時、使者はぴたりと動きを止め、ポツポツと話し始めた。

「・・私は行商人です。ここからずっと南の、アダルス様の街で商いをしています。あちこちの村へ行商に行きます。何十日も家に戻らない時もあります。アダルス様の神殿がある村であれば、地図を見ずとも、どの村にも行けます・・ここまで7日で辿り着きました。・・ですが、いつもなら真っ直ぐ北へ7日ではサリドの村に辿り着くのがやっとです」

直ぐにクロノイヤが手元の端末で確認する。

「サリドの村・・アダルスの神殿からここまでの行程の半分にも満たない・・」

使者が再び答える。

「・・はい。ここに来るのは初めてですが、サリドには何度も行っています。なんとなく、感覚で分かるのです。7日でこんな遠い所まで来れる筈がない」

「・・では、どうやって来たの? 何か、・・乗り物に乗った?」

使者は再び「うーっ!」と唸り声をあげ、苦しそうに頭を抱える。体を前後に揺らし、口元からは涎を垂らす。どう見ても尋常ではない。ガリスクラムもどう対処すべきか答えを出せていない。だが、少しすると使者は再びポツリポツリと話し出した。

「・・わかりません。道程さえ朧なのです。・・ですが、7日経ったのは間違いありません」

「・・でも、あなたが不可思議にも普段以上の速度で移動したのだとしても、残りが70日だという事には関連しない。理解の及ばない体験をアダルスの存在と結び付けたくなるのは理解出来るけど・・・それはまた別の話よ」

使者はピタリと動きを止め、今度は身動ぎもしない。力が抜けたようにガックリと肩を落とし、視線はどこを見ているのが定かではない。ゆっくりと顔を上げ、ワナワナと震える手で空中の何かを包む様な仕草をする。その顔に表情は無く、顎を伝う涎を拭おうともしない。そんな魂の抜け殻のような状態のまま、語った。

「アダルス様の街を出て、ここに来るまでに何度も蛇を見ました。大きいのや細っこいの、とぐろを巻いていたり、鎌首を上げてこっちを見ていたり、ネズミを飲み込んだらしく、口から尻尾だけがプラプラしていたりしました。・・・蛇は恐ろしい生き物ですが、珍しくはありません。ですが、この7日間、日に何度も見ました。道端の草むらから、木の枝の上から、道の真ん中でこちらを見ていた。・・・そして今日。今日は我々の暦で蛇の日でございます」

そう言い終えると使者はバタリと床に倒れた。ガリスクラムは使者を覗き込み、呼吸音を聴き、胸の動きを見た。

「・・生きてはいるようだ」

ガリスクラムはそう言い放ち、踵を返した。クロノイヤはティュフムの前に進み、進言する。

「漠然、かつ、曖昧な証言ですが、『70日』の言い分は考慮に値すると思います」

「・・あんな戯言を信じるのか?」

「全く信憑性のない世迷言・・と言いたい所ですが、一定の信憑性はあります。彼の状態と、話の内容を考慮すると、彼の不可解な言動も説明ができます。アダルスの神殿から此処まで7日で踏破するのはニルスの体力的にも不可能です。彼の言う通り、倍以上の行程が必要になります。しかし、彼が本当に7日で特別な乗り物を使用せず踏破したのだとすれば、次元転送しかありません」

ティュフムが訝しげに聞き返す。

「生体転送が実用化されたとは聞いていないが?」

「我々にはまだ無理です。ですが、『上』であれば可能でしょう。理論は確立されていますし」

クロノイヤはそう言ってから、チラリと使者に目をやって「尤も、可能と言うだけで安全とはいえませんが」と付け加え、更に話を続けた。

「次元転送が行われたと仮定するならば、彼の状態は次元転送の副作用だと思われます。生体転送における最大の難点は、転送後の再構築時に発生する脳の不完全構築にあります。脳内物質の異常分泌状態です。彼の状態から予測するに、おそらく複数回の次元転移を受けている筈です」

そこでシル=ロスが口を出す。

「どうして何度も次元転送を繰り返すの? 距離に制約があるとか?」

「その答えは、彼の言う蛇の話に関わります。複数回の次元転送を体験する事で、彼の脳内は異常状態となり、場合によっては幻覚を見やすい状態になります。事前に精神の識域下に何らかのイメージを植え付けておけば、異常状態の脳が識域下からそのイメージを引っ張り出して幻覚を見せます。つまり、蛇の話は幻覚の話。そしてアダルスは、今日が蛇の日だと言う所に結びつける為に、彼に複数回の次元転送を施し、彼は蛇の話を語る。『今日から70日後』を確定させる為に・・まぁ、どちらにしても、世界の水没・・ひいてはニルスの全滅まで63日であろうが、70日であろうが、使者がここへ辿り着くのに7日を要したのが事実だとすれば、アダルスは7日前にそれを決めていた。そして、通信を使わず、使者を送って来たのは、準備を整える為の時間稼ぎ。そして、わざわざ決定を我々に告げるのは、警告です。無駄な抵抗はせずに母星へ帰れ・・と」

「これまでの苦労を捨てろと言うのか!」ガリスクラムの怒声が響いた。クロノイヤも大声で返す。

「これは『上』の決定でなのです! 確かに、ここでの計画中止は大損害です。本国に知れれば政府の屋台骨から崩れかねない。しかし、『上』の決めた事。それを覆すのは不可能。残された選択肢は、計画の中止か『上』の決定に逆らうか・・しかありません」

ティュフムが静かに指示した。

「・・・本国に連絡を」


 ニルスの全滅を目的とした世界の水没。それを告げたアダルスの言は、秘密裏に大陸南部の複数箇所に設置されたラスロ達の監視機器によって、直ぐに察知された。ラスロは艦長と副長を自室に呼んだ。

「大陸を水没させる!?」

艦長は思わず声を上げる。副長もまた同様に理解に苦労していた。ラスロは端末に向かい、慌ただしく指先を動かしている。何故? 目的は? いつ? どうやって? 次から次へと艦長達の頭に疑問符が湧くが、その答えに向け、歩みを進めているのいはラスロだけだった。端末から幾つかのデータを取り出したラスロが2人を向いた。

「ここ数日間の惑星における全データを解析しました。・・アダルスは本気のようです」

副長が弾かれたように聞いた

「何故、そんな事を!?」

「理由は・・わかりません・・ですが、Xデーは70日後のようです」

今度は艦長が聞いた。

「アダルスの・・・『上』の考えている事はわかるか?」

「それもわかりません・・ですが、昨日まで大陸南部のニルスに大きな変化は見られませんでした。北部も同様です。『上』の本来の目的が何なのかは分かっていませんが、それを成就したようには思えません。・・で、あれば、目的を放棄したと考えるのが妥当でしょう」

「・・・ニルスは・・ミクァルドは・・全滅するのか・・?」

「・・・おそらくは、そうなります」

「しかし・・いくら『上』でも、そんな事が可能なのか? 大陸を水没させるだけの水量を操作するエネルギーをどうやって産み出すと言うのだ」

「・・現在、それを解析中です」

艦長と副長は「信じられない」と言った様子で椅子にへたり込むように座った。冷静さを失ってはいないが、ラスロもまた同じ気持ちを抱いていた。副長は天井を見上げ、ため息混じりに言った。

「本当に・・『上』はそんな事態を起こすのでしょうか?」

ラスロは目を顰め、静かに答えた。

「我々の設置した監視機器はアダルスの神殿には有りません。この第一報はニルス達の会話から抽出した物です。ですが、全ての監視機器で同じ単語が大量に検出されています。声の抑揚波長からは、切羽詰まった精神状態が伺えます。噂程度の信憑性とはいえ、真実に近いと判断できると思います」

その時、ラスロの端末が「ピー」と電子音を上げた。ラスロが直ぐに表示された内容に目を通す。そして力なく言った。

「我々の認識は・・間違っていたようです。・・アダルスの引き起こす災害は・・大陸の水没ではなく、・・・全球規模の水没です」

艦長がガタッと音を立てて立ち上がる。

「この惑星から陸地を無くすと言うのか!」

ラスロは未だ端末に向かったまま、次々と表示されるデータを目で追いながら答えた。

「この数日、惑星規模のデータに僅かですが不自然な数値が幾つかあります。地殻、水質、重力、大気、・・他にもいくつかあります。その異常値だけを拾い解析に掛けると、そのどれもが水位の上昇に寄与する項目ばかりです。先程、艦長の仰っていたエネルギーの問題も、実行者がアダルス・・若しくは『上』に限定はされますが。これら多岐に渡る変動を水位の上昇と言う一点に絞れば解決できます。・・つまりこれは、人為的な異常値への移行と言えます」

副長が艦長に詰め寄る。

「艦長、なんとかして、この計画を止めましょう! この星の生命が死に絶えます! こんな出鱈目な計画を実行させてはなりません!」

艦長は一度大きく息を吐き、ラスロに聞いた。

「被害予測は?」

「最も端的な表現をすれば、副長の言うように、全生命の絶滅です。しかし、小型の海洋生物や微生物は個体数を大きく減少させますが、生き残るでしょう」

「確認だが・・・ニルスやミクァルドは?」

「・・・」

ラスロは答えを口にせず、ただ首を横に振った。艦長は意を決して言った。

「この計画が『上』の計画である以上、我々に阻止は出来ない」

「しかし! 艦長!」

食い下がる副長に手を向けて制し、艦長が続けた。

「もっと正確に言えば、我々には阻止する能力が無い・・だ。我々は惑星内深部まで詳しく知る事は出来ても、地殻変動さえまともに制御出来ない。力の差は歴然。ましてや、データを見る限り、この計画は既に準備を完了していると見るべきだ。計画阻止に向け、我々の打てる手立てはもう皆無なのだ」

「しかし・・艦長。それでは・・」ガックリと落とした副長の肩に手を乗せ、艦長は続ける。

「阻止は出来ない。だが、抗う隙間くらいは残されているかもしれない。ラスロ博士、データから読み取れる概要を教えてもらえるか」

副長とラスロの顔に僅かな希望の色が差した。ラスロはコクリと頷いて答える。

「先づは地殻変動です。惑星内の複数箇所で地震が起き、陸地の標高が下がります。これにより、海面下での比率が変動、更に水位が上昇します。この地震だけでも地上は壊滅的な被害を受けるでしょう。次に水質の変化。作用機序は私には理解出来ませんが、水の分子核の体積を増し、水の量自体を増やす狙いの様です。この時点で大型の海洋生物から順に死んで行きます。そして重力。値を減らせば、水は押さえつけられる力が弱まり、膨らみます。結果、水位上昇。これにより海水温も上昇し、気温の上昇を招きます。そして、大気。水・気温の上昇も助けとなり、大気中の水分を雨として降らせます。大気がカラカラになるまで。計画の骨子はこの4つだと予測します。他の異常値は、この4つを補助する為の物だと思って間違いないでしょう」

「どこかに、付け入る隙はないか?」

「・・・それを探しましょう」

 艦長はこの件を文章にし、ラスロの解析結果と共に全乗組員へと通達した。それを受けた乗組員達は艦長の意図を正確に理解していた。ラスロの詳細な解析結果を元に、ニルスとミクァルドを少しでも救う手立てを探し始める。


 数日後、艦内各所から様々な提案が集まり、部署の代表者と共に意見交換が行われた。

 最初に提示されたのは、この船を避難場所として利用する案。艦内の数ヶ所を改造して居住区域とするものだったが、全ニルスに対する収容数が少な過ぎる事と、惑星に戻す確約が難しいとして却下された。次に地殻に細工を施し、地殻変動の際に、その規模を縮小させる案。これにより陸地の標高低下を抑制出来れば、陸地が残る可能性を作れる。3つ目は海底基地を作り、そこに避難させる案。既に期日まで60日余りと迫っていたが、彼等の技術を持ってすれば、簡易な施設であれば期間内の完成は可能な様だった。ただし、アダルスに発見されるリスクが大きい事と収容数にが限度がある為、ミクァルド達にしか提供出来ないとの結論になった。決定的な提案が無いまま、時間が過ぎて行く。艦長は地質班に両大陸の詳細な断層調査を命じ、建設班に海底基地の着工を命じた。他の者には引き続き「知恵を絞れ」とだけ伝えた。そして通信班を呼び、大陸北部の様子を聞いた。

「北部にもこの情報は伝わっています。・・と言うよりも、アダルスから使者を使って伝えられた様です。現在はまだ政府からの指示を待っている状態ですが、ニルスに対し特段の動きは見られないので、もう帰り支度でも始めているのでは無いでしょうか」

通信班の班長は北部の4柱に対する苦々しい感情を隠すつもりはなさそうだ。それを気に留める様子もなくラスロは聞いた。

「北部にはクロノイヤが居る筈よね? 彼女の様子はわかる?」

「他の3人と同様です。特に目立った通信の痕跡はありません」

「通常通り?」

「そうです」

その返答にラスロはクスリと笑い、「彼女だけに連絡を取る方法はある?」と尋ねた。

「他の3人に悟られずにですか?」

そう言って通信班長は顔を顰めた。少し考えて、「極端に条件を絞れば・・・あるいは」と答える。

「と、言うと?」

「極小容量、かつ、クロノイヤ博士だけが気付けるメッセージを個人端末に短時間表示させることは可能です」

2人のやり取りを聞いて艦長が口を挟んだ。

「クロノイヤ博士に協力を依頼するつもりか? 応じてくれるとは思えないが・・・」

ラスロは悪戯な笑顔で答える。

「我々からの協力要請であれば、応じる事はないでしょう。ですが、自身の希望を叶える手助けを、こちらが申し出れば乗って来る可能性はあります」

艦長はその返答に首を傾げ、「どう言うことだ?」と聞き返す。

「つまり、此度のアダルスの決定には彼女も不満を持っていると言う事です」

「何故、そう思う?」

「自分達が費やしたこれまでの苦労が水の泡となる。そんな事態を目前にして、普段通りに過ごせる人ではありません。彼女の負けん気の強さは脱帽ものですよ」

そう言ってラスロは再び悪戯に笑った。通信班長もそれで納得がいった様で、艦長がコクリと頷くと、直ぐに準備に取り掛かった。艦長はラスロに向き直り、聞いた。

「何か妙案でもあるのか?」

「私と彼女はアカデミーの同期なのです。成績は常に私の方が上でした。なのに、私は未だ科学班のリーダーで、彼女は政府の高官。この差を生んだのは負けん気の強さだけではありません。彼女の最高の強みは発想力。私達の望む妙案は、彼女の中にきっと有ります」

 クロノイヤへの秘密通信。それは直ぐに実行に移された。通信班長の提示した条件は、玉座の間の様子が把握出来なかった為に困難だと思われたが、ラスロの助言により、神殿から1番近くに設置された監視装置に電気的な負荷を掛ける事から始まった。これは通信班長には造作もない。直ぐに監視装置は小さく不穏な音を立て始める。「ジジジ・・キキキ・・」と高低の音を繰り返し、装置自体が熱を帯び始めた。どうやら、その装置をクッションに使い、クロノイヤの端末に通常の方法とは別の方法でメッセージを表示させるようだ。

「まだ続けますか?」

通信班長は淡々と作業を続けながらラスロに聞いた。

「壊れそう?」

「いえ、既に壊れています。監視装置としての使用は絶望的です。ですがまだ、形は保っていますよ。とは言え、これ以上続ければ装置は爆発。規模は極小ですが、装置の存在を向こうへ教える事になります」

「ギリギリまで続けて。犠牲になった装置の為にも。でも、爆発は無し」

「・・・今後、博士からの依頼は内容を十分に精査してから判断します」

その時、ラスロの端末にメッセージが届いた。

「来た!」

ラスロの言葉で通信班長はすぐさま作業を止め、装置が爆発していない事を確認した。注目はラスロの受信したメッセージに集まる。そこにはたった一言「説明しろ」とだけ書かれていた。ラスロはまたクスリと笑い、事前に用意していたメッセージを、数秒おいてから送信した。そのメッセージには、

・ニルスの事を案じ、内密に戻って来た事。

・艦長以下、クルーザークラスの乗組員しか居ない事。

・アダルスの計画を察知している事。

・それを阻止する意思がある事・・が、書かれていた。

ラスロがこのメッセージを送信する前に設けた数秒間で、クロノイヤはある程度の容量を、秘匿状態を保ったままやり取りできる様に環境を作り上げていた。おかげでメッセージのやり取りは厚みを増したが、交渉は難航した。

 アダルスの計画阻止に対し、ラスロはクロノイヤからの返答に大いに期待を寄せたが、クロノイヤの返答は「無理だ」の一言のみ。含みを持たせる隙間もない。艦長は一縷の望みを託しラスロを見たが、ラスロの表情は沈み、端末を弾く指も止まっていた。

「もし、ほんの僅かでも望みがあるのなら、彼女はそう言うでしょう。クロノイヤを持ってしてでも、手立ては無さそうです」

すると艦長は冷静に聞いた。

「他の3名から圧力を受けている可能性は?」

「その類は、彼女が最も嫌う物です。もし圧力を受けていれば、こんなに単純明快な返答にはならないでしょう」

「そもそも、クロノイヤ博士はアダルスの計画阻止を望んでいるのか?」

「内容はさておき、こうして返答が来ているので・・それに、彼女がそれを望んでいなければ、今頃、この船の全システムは凍結。我々は逮捕を待つしか出来なくなっている筈です」

ラスロの言葉は的確だったのだろう。艦長は反論も出来ず、眉間に皺を寄せて小さくため息をついた。その時、ラスロの端末い新たなメッセージが届いた。

《アダルスの計画を阻止するのは無理だ。方向を修正する必要がある》

《方向の修正とは、どの様に?》

《被害を出来るだけ小さくする》

 残念ながら、『妙案』と呼べる物はクロノイヤにも無かった様だ。艦長と副長は思いのほかガッカリとした様子だが、ラスロの方はそうでもない。逆にクロノイヤの提案が現実的だと理解し、明確化してゆく展望が気持ちを前向きにしていた。

 その後、クロノイヤから

《環境が整った》との連絡を受け、2人は詳細の検討に入った。それに先立ちクロノイヤからは激しい質問攻勢があった。それは「何のつもりだ!」から始まり、「何故、ニルスを救おうとするのか?」を経由し、「そこに居る全員、バカなのか?」で締め括られた。矢継ぎ早に投げ掛けられる質問に、ラスロは正直に淡々と答えた。そして、『ミクァルド』の単語が出た時、クロノイヤは艦長らの本気を悟った。

 その後2人の通信は続き、しばらくの間、艦長と副長は艦内各班から寄せられた報告の精査に追われた。

 アダルスの宣言から4日後。ラスロは船にゲストを招いた。乗組員は、その人物を驚きとざわめきで迎えた。

「お、おい・・あれって・・」

「クロノイヤ博士じゃないのか?」

「間違いない、クロノイヤ博士だ!

「何故、ここに居るんだ?」

「まさか・・バレたのか?」

艦内をクロノイヤの噂が駆け巡った。艦橋では、艦長がクロノイヤを迎えた。事前にラスロから聞かされてはいたが、本人を目の前にすると様々な思いが過ぎる。

「ようこそクロノイヤ博士。歓迎します」

クロノイヤは艦長と握手を交わし、手元の端末で艦内通信を作動させてから言った。

「気持ちは解るが、緊張も警戒も必要ない。詳細はラスロから聞いているし、諸君らの立場も望みも理解している。私との利害の一致も確認済みだ。私は私の権利と地位を捨ててはいないが、今日から艦長の指揮下に入る。本国に戻った際の便宜は図ってやれないが、私が諸君を断罪する事はないと明言しておこう。これからよろしく頼む」そう言って艦内通信を終了した。

 艦長ら遠征隊は本国政府の管理下にあった。その所属は今も継続されている。広義ではクロノイヤは艦内全員の上司に当たる。その上、見方によっては乗組員全員が政府への反逆者でもある。クロノイヤの訪問は艦内に緊張を走らせたが、今の放送で安堵した者も多い筈だ。そして、今の放送では触れられなかった部分を、艦長が質問をした。

「他の3名は・・その・・大丈夫なのですか?」

「3人はもう本国へ帰ったよ。そして私は一芝居打ってやった。「これまでの苦労が水の泡だ! せめてデータの収集と成果の確認くらいはして帰る」・・とな」クロノイヤはニタリ顔でそう言った。その時、乗組員の一人が声を上げた。

「艦長! 飛行艇が接近してきます!」

艦長が弾かれた様に反応する。

「どこの船だ!」

副長も素早く自席に戻り、機影の分析に入った。通信手の声が飛ぶ!

「艦長! 通信が入っています!・・・ガリスクラム卿です!」

一旦和らいだ艦橋の緊張が一気に復活した。先程と違うのは、その緊張の中にクロノイヤも含まれている事。「ガリスクラム・・」そう呟いて機影の映るモニターを睨み付けた。艦長はそんなクロノイヤをチラリと見て、通信手に「スピーカーへ繋げ」と命じた。

「そこに居るのは分かっているぞ!クロノイヤ!」

ガリスクラムの声は大きく全員が顔を顰めたが、クロノイヤは別の意味で顔を歪めた。

「どうして、わかった?」

「その話は後だ。とりあえず入れろ!」

艦長にはもうガリスクラムの乗船を許可するしか残されていなかった。

 ポートまで出迎えに行った乗組員に連れられて艦橋へ着いたガリスクラムは上機嫌で、大きな体に負けない大声で「ガハハ!」と笑っている。クロノイヤは警戒心と不快感を顕にしている。艦長や副長は心中の不安を悟られぬよう努めて平静を装った。ラスロも厳しい視線をガリスクラムに向けた。ガリスクラムはそんな視線にはお構いなしな様子で、ぐるりと艦橋内を見まわし、艦長に聞いた。

「貴様が、この船の艦長か?」

「・・はい」

「・・どうやら、軍所属の船の様だが、こんな辺境までの航行の目的は何だ?」

「・・・・・・」

艦長が返答に窮していると、そこにクロノイヤが割って入った。

「どうやって私がここに居る事を突き止めた? この船との通信は完全に秘匿処理を施した。お前に傍受する技術はない。・・まさか、ずっと以前から私の行動を監視していたのか?」

すると、ガリスクラムはまた「ガハハ!」と高笑いして答えた。

「人を見る目が出来ているのだよ。お前と違ってな!」

「答えになっていない!」

クロノイヤが怒鳴るとガリスクラムはニヤリと笑い勝ち誇った顔で言った。

「我らが帰還を決めた時、お前は言った。「せめてデータを収集し、成果を確認する」・・と。そんな事は部下にやらせれば良い。それにこうも言った。「これまでの苦労が水の泡だ」・・と。お前は、自らの功績が水泡に帰すのを、あっさりと認める女ではない。研究と昇進にしか興味の無いお前には、私の目は誤魔化せぬよ」

そう言ってまた「ガハハ!」と笑う。これにはクロノイヤも言い返す言葉が無い。真一文字に口を結び、ギリギリとガリスクラムを睨みつけるしか出来なかった。

 艦長は半ば諦めたような口調でガリスクラムに聞いた。

「それで・・我々をどうするおつもりで?」

「そうだな・・」ガリスクラムは顎に手を当てしばし思案した後、ポツポツと確認するように言った。

「この船は軍所属。しかし、現在この辺境への遠征命令はどこにも出されてはいない・・つまり、貴様らは軍命ではなく、船と資源を私物化した状態で、ここに居る。・・これは重罪だな。その目的によっては、更に罪は重くなりそうだが?」

そう言って艦長とクロノイヤの顔を交互に覗き込んだ。そしてニタリ顔を更に歪ませ、大袈裟な芝居掛かった言い回しで言った。

「そしてクロノイヤ・・博士。つい先程まで我々と共に居た貴方が・・政府の要人であり、重積を担っている貴方が! この様な形で重罪人どもと共にいる・・とは。もしや、この重罪人どもに情報を流していたり・・は、してないでしょうな? それとも随分以前から、この重罪人らと内通していたのでしょうか?」

クロノイヤは奥歯をギリギリと鳴らし、今にも飛び掛かりそうになっている。すかさずラスロが口を挟んだ。

「クロノイヤと連絡を取ったのは、数日前。アダルスの宣言後です! 彼女を巻き込んだのも私です! ・・どうか信じて下さい!」

ラスロの懇願にもガリスクラムの表情は変わらない。艦長も助け舟を出そうとした時、クロノイヤの手がそれを制した。クロノイヤは呆れ顔で言う。

「やめておけ。こいつは私を疑ってはいない。だが、お前達の言い分等、右から左だ。見ろ!この下品な顔を! こいつは、私がお前達と内通してようが、お前達の目的が何であろうが、そんな事に興味はない。こいつの腹の中は、私を出し抜けた喜びで打ち震えているのだ!」

クロノイヤの言葉でやっと合点がいった。この場所に居る筈の無い船。そこに乗り込んだ政府の重鎮であるガリスクラム。その彼が最初から上機嫌だったのは、そう言う事らしい。艦長達は半ば納得がいってないようだったが、ガリスクラム本人が「ガハハ!」と高笑いした後で「そう言うことだ!」と全てを認めた。これは、艦長らに取っては幸運としか言いようがない。クロノイヤにしろガリスクラムにせよ、艦長ら全員を船ごと拘束できる権利と力と理由を持っている。それを行使されないだけでも信じがたい。しかし、艦長にはまだ役目がある。なんとかしてガリスクラムをこちら側に引き込めば、少なくとも計画終了までの身の安全が確保できる。いつガリスクラムの気が変わるかも分からない。ましてや、アダルスの決定に背く計画をガリスクラムが見過ごす訳がない。どうやら、クロノイヤとガリスクラムが反目し合っている以上、この説得を担えるのは艦長しかいない。だが、慎重さを忘れてはならない。崖っぷちに爪先で立っているようなものなのだから、小さな綻びが文字通りの命取りになる。そう思った艦長が、慎重に言葉を選び、声のトーンと表情にも気を遣い、出来うる限りの準備を整えて最初の一言を口にした時、再びクロノイヤの手が艦長を制し、艦長の代わりに言った。

「ガリス。手を貸せ」

クロノイヤの言葉には慎重さの欠片もない。短く、端的で、投げやりだった。艦長も副長もラスロでさえ言葉を失った。しかし、意外にもガリスクラムはクロノイヤの申し出を即座に突っぱねるでもなく、「ふむ・・」と少し考えて「私に手伝えと? 共犯者になれと?」と、役者のような身振りも加えて言う。

「せめて、邪魔はするな」

クロノイヤが重ねて言うと、「おや? 私は今、命令されておるのか? 状況的には懇願されて然るべきだと思うが・・命令のようにしか聞こえんな」

最早、勘に触るガリスクラムの口調だったが、クロノイヤはポツリと返す。

「ニルスのデータ。欲しくないか?」

この一言でガリスクラムのニタリ顔は一気に消えた。顎に手を当て、「ふむ・・」と少し考えて「完全なデータをよこせ」とだけ言い残し部屋を出て行った。・・どうやら交渉成立のようだ。艦長以下、全乗組員が胸を撫で下ろした。

 とりあえず、罪人として追求される事も捕縛される事も免れた一同は、目前の役目に集中した。ラスロはクロノイヤと共にアダルスへの対抗策を検討する。惑星上の観測機器から得られたデータをアダルスの宣言から7日分遡り、その前後での変化を洗い出す。そこから水位上昇との関連を推測し、その対抗策を練らなければならない。艦長らはニルス・ミクァルド両種の避難計画の作成を始めた。しかし、ニルス・ミクァルド両種の個体数を合わせると、今や数千万。その全てを避難させるのは現実的ではない。対して、手段を選ばなければ少数なら確実に救う事ができる。つまり、命の選別を行わなければならない。種別、性別、年齢別。それとも正しき者か才能を持つ者か。知識、経験、人脈、技術。・・どこかで線を引く必要がある。乗組員全員に、それは現実として突きつけられていた。救える命と救いたい命は必ずしもイコールではなかったし、救うべき命も同様だった。何を基準に、どこで線を引くのか。その難問が皆から集中力を少しずつ奪い、作業のペースは思うように上がらない。艦長には分かっていた。作業の遅れは焦りを呼び、焦りは苛立ちを生み、その苛立ちが、ちょっとしたすれ違いの亀裂に流れ込むと、崩壊の火種になる。艦長は苦悩の数日間を過ごした。相談すべき相手は居る。副長やラスロでもいい。クロノイヤでも頼りになる。しかし、それを相談し答えに辿り着く事は、艦長と共に業を背負う事になる。救う命の代わりに捨てる命の重さを背負う事になる。艦長はそれを良しとせず、たった一人で決断した。艦橋から全乗組員に対し、口頭でメッセージを送る。

「乗組員全員に告ぐ。・・全員聞いて欲しい。此度、惑星を襲う大惨事から、ニルス・ミクァルド両種族を全て救うのは、実質的に不可能であることは皆承知の事と思う。現在、策定中の避難計画には、この船への避難は含まれて居ない。今後、含まれる事もない。つまり、最悪の場合、ニルス・ミクァルドの両種族は文字通り全滅する。そして、我々が実際に行う対処は、地盤沈下と水位上昇の2点に絞り、一切の避難誘導を行わない事とする。これには、いかなる異論も例外も認めない。・・ニルス・ミクァルド両種族に犠牲が出る以上、この作戦に成功はない。ただ全滅と言う失敗を避けるのみだ。栄光も栄誉も歓喜もないこの作戦だが、それでも全力を尽くして欲しい。・・・以上だ」

艦長が放送を終えると同時に、艦内全域に動揺が広がった。多くの者が作業の手を止め、口々に持論を展開する。それは賛同の声もあり、反対の声もある。絶望したかのように立ち尽くす者も居れば、艦長の意図を汲み感謝する者も居る。クロノイヤは艦長の覚悟を慮り言葉を失った。副長は自室で放送を聞いていたが、幾つもの感情の交錯に耐え切れず、壁を蹴飛ばした。そんな副長でさえ艦長の意思に背く事はなかったが、ラスロだけは違った。1つでも多くの命を救うべきだと艦長に意見した。しかし、艦長は頑として受け入れなかった。

「救える力が有るのならば、それを行使すべきです! 全ては無理でも出来るだけ多く!」

ラスロの抗議はありったけの熱を帯びていた。周囲の視線を憚る事もなく、艦隊の規律までも無視し、ニルス種の命だけを真摯に見つめている。艦長にもそれは痛い程伝わっていた。だが、艦長は冷静にラスロの思いを突き返した。

「多くの命を救う事が、彼らの幸せに繋がるのか?」

その言葉はラスロの心中で様々な思いを去来させ、喉の奥で言葉を詰まらせた。更に艦長は続ける。

「我々はニルスを作った。ニルスは知能を得て、自我を得た。複雑な言語を理解し、話す事で文明を築き、思想を持った。だが他方では対立を好み、和解ではなく支配を欲した。我が子を愛し、他者の子を蹂躙する。相反する2つの意思が歪に絡まった不完全な種族だ。これまであらゆる努力を重ねてきたが、ミクァルドもその歪な二面性を克服できてはいない。・・この危機を乗り越えたとしてもニルスの本質は変わらない。ミクァルドの育成に成功したとしても、理想的な条件が揃わなければ実を結ばない。我々は宇宙の質を理解し、時の流れに触れる事が出来るようになったが、神には遠く及ばない。この銀河の辺境で、不幸な種族を生み出す程度が我々の限界なのだ。我々も全員が『上』へ登れる所まで至ってはいない。そして『上』は『下』を己が利の為に選別する。そんな我々に幸福な種族を生み出す事など不可能なのだ。私はあの時、この計画を阻止出来る立場にありながら、それを実行しなかった事を悔いている。保身を優先したのは言うまでもない。だが、その保身が、身を滅ぼす程の苦悩を生み続けている。我々もまた、その程度の存在なのだ。・・だが、せめて、我々は責任を取らねばならない。決して幸福を得る事のない種族を生み出した責任を」

ラスロの心中に、幾つもの反論が生まれ、萎んでいった。ニルスのがいい未来に対し、どんな方策も焼け石に水である事はラスロ自身が理解していた。ミクァルドの計画が最も希望の持てる方策だったが、それもまた儚い光であることは発案者である自身が誰よりも理解している。ラスロにはもう、艦長の意思に抗う力は残っていなかった。ガックリと項垂れて、ポツリと聞いた。

「・・・では何故、アダルスの決定を受け入れないのですか?」

艦長はグルリと周囲を見回した。そこに居る全員がラスロと同じ疑問を持ち、艦長に答えを求めている。艦長は真っ直ぐに彼等を見つめ、答えた。

「我々が、・・『上』もまた、神ではないと悟ったからだ。ニルスにとって我々は神ではなく、我々にとってアダルスもまた神ではない。我々はアダルスの意思に抗い、後は、この星に任せよう」


 それから幾つかの時は流れ、アダルスの示した期日が目前に迫っていた。その間、乗組員達は精力的に仕事をこなした。彼等もまた、艦長と同様の想いを抱えていたのだろう。自らのキャリアと将来をリスクに晒してまで此処に集ったのだから、その思いは決して軽いものではない。押し潰されそうになる程の後悔。それを救ったのはラスロの提案したミクァルド計画。しかし、それもまた儚い希望の光である事は時の経過と計画の進行につれ顕現し、認めざるを得ない所まで来ていた。だが、小さく脆い輝きであったとしても希望であることにはかわりない。そこに縋る気持ちもあったろう。そのうち何か大きく好転する要因が見つかるかもしれない。そんな期待もあったろう。しかし、艦長の言葉で現実を突きつけられた。アダルスの宣言で時間的猶予も無くなった。もう甘えを差し込む隙間はないのだと思い知った。艦長の放送で多少の動揺はあったものの、目を逸らしていた心の膿を艦長の言葉が照らし、その方針が膿を洗い流した。そこには醜い傷跡が残ったものの、腐臭を放ち続ける膿を放置するよりはずっと良い。そんな気持ちで数十日を過ごした。期日が迫るにつれ、作業も大詰めに差し掛かっていた。

 その日、ラスロとクロノイヤ、そして各班長は作業の進捗報告の為に会議室に集まっていた。艦長と副長が緊張した面持ちで彼等を迎えた。班長らにも笑顔は無かったが、塞ぎ込んでいる者も居ない。皆が怒りや悲しみ、失望、そして責任を感じていた。そんな中、各班の報告により全体の進捗が見えてきた。

 全球規模での環境変化データを洗い出し、アダルスの目的は陸地の水没であることが再度確認され、アダルスによって引き起こされるであろう幾つかの事象に対し、それぞれの対応策が進行している。豪雨は断続的に長期間降り続く予想だが、大気関係にはクロノイヤが中心となって当たる。豪雨が比較的激しいと思われる地域では、上空にて水平指向性の爆発を用い、雲を散らす事で対抗する。また、大洋中心付近で海面温度を上昇させて巨大な低気圧を作り、陸地上空の湿度を海洋上へ移動させる案も進行している。・・が、大気の状況と保持資源の都合でどうしても散発的にならざるを得ない。

 重力変化に対しては惑星内核の対流を1.2%加速するべく電磁誘導の準備が進んでいるが、アダルスは他にも月を利用する可能性を示すデータが発見され、これには手出しする術が無い。水分子の体積変化は予測こそついたものの、その方法の解明には至らず、対応を断念する事が決定した。そして地盤沈下に対して。これにはラスロが担当し対応を進めている。地殻の断層を全て検出し、地中の割れ目を固定もしくは緩結する事で地盤の沈下を最小限に抑える計画だが、これも資源不足の為に最も効果的な断層の選別を余儀なくされている。他の事象予測にもそれぞれ対応策を講じているが全てが予定通りに成功したとしても、アダルスの引き起こす大災害の2%を抑制するだけとの予測値が算出された。これには皆がガックリと肩を落とした。『上』との力量差を明確に見せつけられた気分だった。ここまで全力で抗っても、せいぜい爪で引っ掻いた程の傷しか付けられない。会議室内はどんよりとした無力感で一杯になった。

「それでもやりましょう。2%でも、ニルスの個体数に照らせば数十万です。少なくとも、全滅とは言えません。種の継続にも希望があります」

ラスロの言葉はしっかりと前を向き、前進を促すものだった。班長らもコクリ、コクリと頷き、意思を持って部屋を出て行った。しかし、その場に居た全員が理解している。ラスロの言葉は到底、科学者の言葉とは思えない。災害規模が2%縮小し被害が同程度軽減されたとしても、そのまま助かる命が増えるわけではない。ラスロの言葉は暴論とも言える。そして、それだけ追い詰められ、他に打つ手がない絶望的な状況とも言える。しかし、ラスロらしい言葉だ。現状を正しく理解し、その中で最善を尽くす。その為には暴論でさえも使う。クロノイヤは最後まで気に食わない様子だったが、部屋を出る前にチラリとラスロに目をやって小さく微笑んだ。それはラスロを讃える様でもあり、諦めの様でもあった。


 アダルスの宣言の日まで残り3日。ニルス達は大きな混乱の中に居た。当初は動揺が広がり噂は大陸を駆け巡ったが、事の大きさ故か現実逃避かアダルスの言葉を疑うでもなく惰性のように日常は保たれていた。しかし、大陸北部の4柱が姿を消した事でアダルスの言葉が真実味を帯び、ニルス達の動揺は現実にまで侵食を始めた。日常を放棄し無気力に陥る者、ひたすら祈る者、何事も顧みず暴力に走り己が欲望を満たそうとする者、不安から目を背け日常に固執する者。反応は様々だったがニルス社会の根底を不安と恐怖が支配していた。艦長らにも当然その報告は上がっている。しかし大災害を防ぐ手段が無い以上、ただ見守る以外に出来ることはなかった。乗組員の中にはアダルスに対しあからさまに怒りを口にする者も少なくはなかった。特にわざわざ宣言をし、いたずらに恐怖を増大ささせた選択に批判は大きかった。そんな批判に対し、「それだけ大きな失望があったのだろう」と冷静に分析する者も居たが、それは『理解』では無く『共感』には程遠い。アダルスの下した決定に賛同する者は皆無で、艦内では日に日に不穏な感情が高まって行った。唯一、ガリスクラムだけはそれらに興味を示さず、作業にも参加しない。気の向くままに艦内をうろつき、時を浪費しているだけに見えたが、誰もそれを咎める者はいない。誰もがチラリと横目で見るが、関わろうとする者は居なかった。艦長にとっても、それに関わる事こそが時の浪費であり、他に向き合うべき問題は山積している。とりあえずは、艦内に充満する不穏な感情への対処が優先だった。艦長はそれを抑え、作業に集中させる事で艦内の規律を保とうと苦心したが、それが実現できているのは乗組員のレベルの高さに頼るところが大きかった。ラスロもまた腹の下に沸々と沸き上がる怒りを抑えながら平静を装い作業をこなしている。残り時間の少ない中、感情を抑え付けて目指す目標の実現に集中していた。この日は、翌日に最終チェックを控え、艦長らと共に残りの作業に向かっていた。机のモニターにはニルス大陸とミクァルド大陸の地質図が展開され、膨大な数の断層が表示されていた。限られた資源を限界まで使用し最大限の効果を得る為に、手を加える断層の選別作業だった。何度も選択を変え、数値を変更して計算し、シミュレーションにかける。きっかけとなる最初の地震から次々と地震が連鎖するのか、それとも複数箇所で同時に地震が起きるのか、それだけでも予想は多岐に渡る。始まる正確な時刻さえ分からないので潮の干満状態さえ分からない。当日の天候、気圧、月の引力。掛け合わせる要素は多く、組み合わせは膨大だった。演算上では最も効果の高いパターンが示されるが、上位30%に届かないパターンでも大陸を水没させるには十分だった。折れそうになる気持ちをなんとか奮い立たせて端末に向かう。その時、背後から聞きなれない声がした。

「表示されていない断層が7つあるが、それは意図的なのか?」

その声は艦内の誰とも結びつかない。初めて聞く声にラスロは弾かれるように振り返った。

そこに立つ人物を目にした瞬間、体が硬直し瞬きさえ忘れてしまう。

「このままでは、効果は減るが・・・いいのか?」

その言葉は脅迫でもなく嫌味でもなく、純粋に「それでいいのか?」と聞いていた。しかし、もしもその言葉の裏に何かしらの含みがあったとしても、今のラスロにはそれを読み取れはしなかっただろう。目は大きく見開かれ、唇は僅かに震えている。返答よりも質問を理解できているのかどうかさえ怪しい感じだった。その人物はゆっくりと顔をラスロに近付けて「・・ん?」と返答を促した。

 その人物はアダルス。部屋の乗組員がそれを理解した時、皆がラスロと同じ状態に陥った。全員の視線が2人に注がれる。ラスロは絞り出す様に返答を口にした。

「・・・せ、選択の・・け・・結果・・で・・す」

体は硬直していても頭は働いている。

(違う! 何を言っているんだ私は! 言うべき言葉はそうじゃない! 「何故、あなたが此処にいるのか?」 だ!)

心の中でそう叫んでも喉から声が出てこない。視線さえ外せない。アダルスは「そうか・・」と呟き、ラスロの前にある端末画面に手をかざした。すると7つの断層が新たに表示に加わった。

「口を出す気はないのだが、もう一度、検討してみるといい」

アダルスはそう言ってゆるりと視線を前方へ向けた。その先には艦長が居た。

「君がこの船の指揮者かね?」

乗組員は皆、誰一人として例外なくアダルスの顔をよく知っている。だが、その声を聞いた者も直接会った事がある者も居なかった。艦長もその一人。緊張なのか恐怖なのか、目が合い、質問を投げ掛けられても答えることさえ出来ないでいた。アダルスはそんな艦長を意に介す様子もなく、ゆったりとした動きで辺りを見回した。

 なんとも奇妙な感覚だった。アダルスを目にした全員が同じ感覚を得たに違いない。アダルスは膝まである長い髪を持ち、長身で整った顔立ちをしている。その声はしっとりと落ち着いており、女性の様な柔らかさと男性の様な力強さを持っていた。切れ長の目を向けられ、その声を浴びれば、言葉には出来ない圧を感じる。まるで呼吸を許されて深い海の底に居る様な感じ。辛うじて呼吸は出来るが思うように身動きが出来ない。瞬きさえ重い。アダルスの動きもまた、それを助長する。一歩進む、その足の動きさえ緩やかでゆったりとしている。だが、決して緩慢ではなく鈍いわけでもない。音を全く立てず、周りの空気が全く動いていないように感じる。そしてある程度、物理的距離が近づくと鼓動が速くなり、耳鳴りを感じる者も居た。見た目は船長やラスロと大きくは変わらない。同じ種族だと括っても差し支えない程。だが、全くの別種。迫力や色気といったレベルではない。目には見えない根本的な違いが、歴然としてそこにあった。

 アダルスは艦長の前まで進み出ると、直立のまま微動だにしない艦長に顔を近付け、襟の階級章を見た。

「ふむ・・どうやら、君がこの船の指揮者で間違いなさそうだ」

アダルスが力の籠っていない声でそう言うと、艦長は喉の奥から言葉を押し出した。

「・・・ど、どの様な御要件で・・」

これは悪手だと皆が思った。艦長本人も後悔の念に苛まれた。計画を邪魔しようとする者の前に本人が現れた。この行動が照らし出す選択肢は、そう多くはない。『お前達を殺しに来た』と答えられても、抵抗する術がない事は明白。ただそこに居るだけで、これ程までに体が異常な反応を示すのだから。ここで核心に触れてしまうと、希望的観測の上に成り立つ僅かな可能性さえも吹き飛ばしてしまう。もっと遠回しに、むしろ核心を避けながら時間を稼ぎ、探りを入れるべきだった。艦長にまでなる人物であれば、これはむしろ得意な手段の筈。・・いや、そんな艦長でも余裕を無くしてしまう程、・・と言うことか。部屋中に緊張と諦めの空気が漂った。しかしアダルスはニコリと笑い意外な返答を返した。

「緊張も心配も必要ない。君達の邪魔をする気はない」

あまりに意外な返答に、その簡易な言葉を理解するのに数秒の時間を要した。

「邪魔する気は・・な・・い?」

艦長の脳裏には、理解と疑念、警戒、希望、安堵、懸念等、多くの感情が渦巻いた結果、間抜けなオウム返しになった。アダルスは単純な笑顔のまま「いかにも」と答えた。そして正面にある大モニターに映し出されるミクァルドの様子を見て言った。

「あれが、君達の創り出したニルス種・・確か、ミクァルドと言ったかな?」

今度は、ラスロが「そうです」と短く答えた。その後でラスロは驚愕する。アダルスが見つめているだけで、大モニターにはミクァルドのあらゆるデータが次々と表示されていった。その中には極秘扱いの物もあれば、ラスロ個人しか所有していないデータもあった。

「ふむ・・なかなか良い出来ではないか」

アダルスのそんな声に、ラスロも艦長も、部屋の全員が微かな希望を感じた。アダルスは邪魔をしないと言った、そしてミクァルドの出来を評価している。もしかしたら、何かが変われば、あるいは気まぐれに、此度の全球水没を撤回するのではないか。その為には何が必要なのか。何をすれば良いのか。ラスロがそう考え始めた時、アダルスは言った。

「・・でもダメだ。所詮は下等種。意識の醜さと獣臭が拭い切れていない」

アダルスの言葉は皆の背筋をゾワリと冷やした。僅かに芽生えた希望を粉砕された落胆よりも、そのあまりにも冷酷な言葉にショックさえ感じた。知性を持ち、自我を持ち、愛情も感情も持った種族を、全滅させる事に一片の抵抗さえ持っていない。テーブルに溢れたパン屑を払う事と何ら違いはない。その程度の事としか思っていない。アダルスの言葉と表情は、そんな印象を抱かせた。アダルスの言葉を受けて、ラスロの腹の底で何かが蠢いた。それは持ち前の気の強さか、それとも信念か。その蠢く物は後先を考慮もせずに言葉を口から押し出した。

「し、しかし! ミクァルドとニルスの邂逅が実現すれば、ニルス種の未来は・・変わり・・・・・」

発言の途中でアダルスの視線がラスロを捉えた。相変わらずのゆったりとした動きには攻撃性の欠片もない。しかし、その視線は重い密度を持ち、相手が何者であろうとも意に介する事のない淡々とした表情は、どんな抵抗も、何万光年も先のブラックホールに小石を投げ込む程、無駄に思わせる。ラスロは己が信念の無力さを知った気がした。その声は萎み、最後まで言い切ることは叶わなかった。アダルスはニコリと微笑んで言った。

「勘違いしないでおくれ。このミクァルドという種を、その手段を、本当に素晴らしいと思っているのだよ。君の考えている事は理解出来る。ミクァルドが居ればニルスの自滅の運命を変えられる可能性は小さくない。・・そう思う。・・私はね、ミクァルドに興味を持っていたのだよ。ずっとね。今しがた、それらに会って来た所だ。実際に会話もしたよ。その上で、君達の計画が成就する可能性を感じたのだよ。だが、あれらもまた内包している。不遜、卑しさ、狭量・・そして崇高さへの種は芽吹いてさえいない。あれらの意識には常に獣臭が混ざり、その形は歪で醜い。ニルス種の自滅を回避し、繁栄を手にしたところで、この星は獣の星にしかならない。私はこの星が好きなのだよ。気に入っている。地上に降り、幾許かの時を過ごしたのも、それが理由だ。この星はもっと崇高な種族の為に在るべきなのだよ」

今度は艦長が意を決して口を開いた。

「しかし! ニルスを作ったのは我々です! 我々のエゴがニルスを作った!ニルスの未熟さや、種としてのステージの低さは我々の技術力の低さに原因がある!我々はニルスを生み出すべきでは無かった。ですが、生み出した以上、責任がある!彼等へ幸福への道筋を示すのが責任であり、命を奪って全てを消し去ることではないと考えます!」

アダルスは熱弁する艦長の方を向くことをしなかった。興味深気にずっとラスロを見つめていた。そしてラスロの側に歩み寄り、耳元で囁くように聞いた。

「君も、そう思うのか?」

ラスロは最早視線を上げる事も出来ず、小さく「・・・はい」と答えた。アダルスは「ククク・・・」と笑いを押し殺し、クルリと艦長の方を振り返って言った。

「君達は大いなる勘違いに埋もれている。『命を奪うな』というのか? その意見は命に価値がある前提ではないか? それは大きな間違いだ。命だろうと魂だろうと、価値はその質にある。虫ケラの命にどれだけの価値がある? これまで雑草にも価値を見出してきたのか? せいぜい、食物連鎖の輪において他者の命を支える程度の物だろう? 肥やしの一部でしかない。その肥やしが、この星に撒き散らされ、酷い悪臭を放つのだ。海も大地も空さえも、その肥やしに汚染される。汚物と悪臭に満ちたこの星の未来を君はどう思うかね?・・艦長」

艦長が視線を下げ、返答に窮しているのはアダルスの威厳に圧されただけではない。苦し紛れに「・・そうなるとは限りません」としか言えなかった。アダルスはニタリと笑い、再びクルリとラスロの方へ振り向くと「限らないのか?」と聞く。艦長は眉間に皺を寄せてキツく目を閉じた。それは取り返しのつかない失言への後悔。気押され追い詰められた状態から子供じみた理屈を口にしてしまった自責。その失態がラスロを追い詰める事を理解していた。ラスロもまた、視線を落とし苦悶の表情を見せる。あちらこちらへと思考を巡らせるが、起死回生の答えは見つからない。アダルスは穏やかな顔でラスロの返答を待つ。

「・・・そうなる可能性は高い・・と思われます」

アダルスはその返答を受け、満足そうに頷いた。芳醇なワインの香りを楽しむ様な満ち足りた表情。まるで猫がネズミを弄んでいるかのような余裕の態度。それがラスロの癪に触った。周りから見れば明らかにラスロへの挑発に見えた。普段のラスロであれば気にも留めずに流していただろうが、艦長と同様、ラスロも余裕を無くしていた。

「価値がなくとも、命を奪う権利など・・」

そこでラスロはハッとし、すぐさま口を噤んだ。売り言葉に買い言葉。思考の伴わない反射的な反論。ラスロの言葉は浅く、効力を含まない。それに気付いたが時すでに遅し。アダルスはゆったりと首を傾げ、「・・権利?」と呟くと、いきなり両手を大きく広げた。その瞬間! 部屋中の全員に異変が襲いかかる。まるで喉の奥に蓋をされたかのように呼吸が出来なくなった。両目を大きく開き、喉元を手で押さえる者、何とか空気を取り込もうと口を大きく開ける者、艦長もラスロも例外ではない。ただ一人、アダルスだけが笑みを溢し、皆の顔から血の気が引いてゆくのを眺めている。そして頭を左右に振り、芝居がかった苦悶の表情で言った。

「ああ、本当に君達は! どれだけ軽薄な勘違いを重ねているのか。かつては同じ種族であったと思うと嘆かわしい。・・だが、無知で深慮のない子供の様な者。諭すのも我らの務めか・・」そう言ってグルリと周りを見回してから続けた。

「権利・・権利。・・では、君達は何の権利があって、酸素を消費し二酸化炭素をバラ撒いているのかな? 誰か・・より高次の存在に委任でもされたのか? その体を使って、酸素と二酸化炭素のガス交換をしろと? そんな命令でも受けたのか? 勝手に酸素を消費するのは、君達の権利なのか? そんな権利が君達にあると?」

そう言うとアダルスは一層に声を大きくして言った。

「君達にはそんな権利なんて無いのだよ! 我らに許されて! 初めて呼吸が出来るのだ! 君達が生きること自体! 我らの赦しの上に成り立っているのだよ!」

呼吸する事、生きる事が赦しの上に成り立っている。そんな荒唐無稽にしか思えない言葉だったが、その真偽はともかく、正に今、赦しがなければ呼吸ができない状況にある。既に頭痛は激しく、意識を保っているのも難しい。アダルスがここへ来た目的は、これだったのかもしれない。そんな考えさえ浮かぶが、それ以上進まない。膝から力が抜けてゆく。視界が狭まり見えている物もボンヤリとし始めた時、アダルスは広げていた両腕を静かに下ろした。その途端、皆の肺の中に突然空気が飛び込んできた。皆、慌てて荒い呼吸を繰り返す。中には耐えきれずに膝をつく者も居た。涙を流し咳き込む者も居る。

 ・・・衝撃的だった。アダルスの腕の一振りで全員の呼吸が強制的に止められた。部屋から空気が無くなったとは思えない。だが、実際、皆は意思に反して呼吸を止められ、顔から血の気が失われ、激しい頭痛と共に意識が飛びかけた。集団催眠なのか、それとも物理的な何かなのか。そして、これはアダルスによる攻撃なのか、権利の剥奪なのか。

 皆の呼吸が落ち着きを取り戻し始めた時、その心の中に有るのはアダルスへの反感ではなく、苦痛から解放された安らぎと苦痛への恐怖だった。その心は折れ、この時間が一刻でも早く終わることを切望していた。アダルスは言う。

「君達は目を開き、目に映る物全てを見ている気になっている。だが、脳が認識しているのはほんの一部なのだ。そうやって認知と補完で君達の認識は成り立っている。そうしなければ君達の脳は情報を処理し切れない。君達は『その程度の事は知っている』と思っているだろうね。だが、『知っている』だけで『克服』は出来ていない。そうしようともしない。私の場所まで辿り着くのは、まだまだ先のようだ」

その時、部屋の扉が「バン!」と大きな音を立てて開いた。そこにはガリスクラムが息を切らせて立っていた。ガリスクラムはアダルスの姿を認めるとすぐさま膝を降り頭を垂れた。アダルスの存在に驚いた様子もない。この行動からもガリスクラムの来室にはアダルスの存在が影響している事は容易に想像できるが、アダルスの来訪以降、部屋には誰の出入りもないのに、どうやってアダルスの来訪を知ったのか。その答えはすぐに知ることが出来た。膝を折ったガリスクラムは言った。

「アダルス様・・只今参上いたしました」

つまり、ガリスクラムはアダルスから何らかの方法で呼び出しを受けていた。アダルスは穏やかな口調で言った。

「やあ、ガリスクラム君。息災かい?」ガリスクラムは無言のまま更に一段頭を下げた。アダルスは続ける。

「君はすぐに国へ戻った方が良い。やるべき事に手を付けるのは早い方が良いからね」

そう言って左手をガリスクラムへ向けると、ガリスクラムの巨体はあっけなく音もなく消えた。

「さて・・これで用事は全て終わった。・・が、ここは故郷から遠く離れた未開の地。銀河の外れ。加えて君達がここに居る事を知る者は少ない。ここで何を話しても誰にも聞かれない。そして君達はあの興味深い種族を作り上げた。褒美に良い事を教えよう。・・これは君達が我らの階層へ上がる為に重要な要素だ。特別だよ? ・・・君達と我らを隔てる最も大きな違いは何か? 君達の階層では成し得ないが、それを知らなければ我らの階層までは登れない。君達はニルスの絶滅を憂いている。だが一方で、ニルスが絶滅を回避すれば、将来、この星を汚すであろう事を予測している。君達はその相反する矛盾を解消する答えから目を背け、保留している。・・・全くダメだ。それは君達が『誤』である事を示す。正しくない。正しくなければ、この宇宙の構成物には成れない。だから君達は、その狭い世界から出られない。それでも君達は『存在』している。それは『存在』を赦されているからだ。僅かに残る素養が命を繋ぎ止めている」

そう言った後、アダルスは青い星へ目をやり、続ける。

「だが、あれらはもっと愚かだ。全く『正しく』ない。そして歪。無闇に自らの都合だけを伸ばし、捻じ曲げ、理屈を通す。そして、己が利の為の努力を他者の為と言い放ち、そんな己に疑問も持たない。これはもう、救いようがない。だから我らは答えを出した。残念な結末ではあったがね。法に頼らねば社会が成り立たない君達には理解し難いかもしれないが、この答えこそが『正』なのだ。我らは完全なる『正』であり、その答えもまた『正』なのだ」

アダルスはそう言い終わると、今度はあからさまに柔和な笑顔を作り、「それではそろそろお暇するとしよう」と言った。皆の心中は複雑だった。この時間から解放される安堵と、為す術もなく言いなりで終わる悔しさがグルグルと渦を巻く。特に艦長は、その責任と立場から不甲斐ない自分に苛立ちを覚えていた。しかし、アダルスへの反論は乗組員の命を危険に晒す可能性を含んでいる。このまま黙ってやり過ごすべきなのか、それとも皆の意思を代弁するべきなのか決めあぐねていた。だが、どうしても確かめておかなければならない事がある。艦長は意を決し、アダルスに聞いた。

「・・ミクァルド達に何を言ったのですか?」

アダルスはゆっくりと艦長の方を向き、小さく笑って答えた。

「伝えてあげたよ。この地はもうすぐ海の底へ沈む・・とね」

部屋の空気がザワリと揺らいだ。

 どんなに手を尽くしても、ミクァルド達を地上に残したままでは救う手立てはない。ミクァルドの大陸には平地が多く、計算では全てが海面下に沈む。それがラスロの計算によって導き出された答えだった。この船へ一時避難させるには許容できる数が少な過ぎるし、他の大陸へ移動させるにも、そもそも水災害を避けられる地域は小さい。事前に船で海へ出ても、急激な地殻変動による大波に耐えられる造船技術をミクァルドは持っていない。技術の供与をしたところで、全てを救うだけの物は造れない。いづれにしても救えるのはほんの一握り。だからこそ、彼らは何も伝えずに去る決断をした。それは苦渋の決断だったし、心が引き裂かれる思いだ。それでも艦長はそれを選び、皆は従った。なのに、アダルスはあっけなく、世間話程度の気軽さで、それを踏み躙った。艦長は怒りに震え、冷静さを失おうとする自分に気付きながらも、あえてそれを律する事をしなかった。

「・・・出て行け」

押し殺したような声が、艦長の口から漏れる。

「・・んん?」アダルスは挑発的に首を傾げた。

「この船から出て行けと言ったのだ! 私の船から出て行け!」

艦長の怒声が飛んだ。そんな艦長を初めて見る者も少なくない。ラスロもまた、艦長を後押しするかのようにアダルスを睨みつける。副長も艦長の横へ並び、顎を上げ、真っ直ぐにアダルスを見据えた。アダルスは呆れ顔でため息をつき、余裕綽々で言った。

「ああ、そうするよ。必要なデータは手に入ったからね。・・と言っても、コピーしただけだよ。データくらい残してあげないとね。君達の慰め程度にはなるだろう?」

そう言い残し、アダルスの姿はガリスクラムと同様に音もなく消えた。

「ニルスのデータを精査しろ」

艦長が静かに指示を出す。

「ニルスのデータ、数分前と差分はありません。改竄の痕跡もありません。・・しかし、コピーされた形跡は・・あります」

いつの間に、どうやったのか、誰にも解らなかった。「アダルスだから」としか言いようがない。一方、ラスロは強張った顔で端末を操作している。艦長が声を掛けると「・・信じられない」と呟く様に答えた。更に艦長が問うとラスロは動揺を抑えながら答える。

「アダルスの言った断層。・・見落としていました。私のミスです。再計算してみました。効果は1%程上がります。現時点では最良の結果です」

そこで艦長は首を傾げる。

「再計算の結果が出るには、早過ぎないか?」

「信じられないのは、そこです。・・計算プログラムの適度が400倍に跳ね上がっています。・・・今、他の端末で従来の計算プログラムを用いて再計算していますが、・・同じ結果が出るでしょう・・・・」

部屋中が静まり返った。一人の例外なく皆が手を止め、何かを考えていた。アダルスの言葉。その内容。ニルスの未来。自分の未来。感情と希望。慣れ親しんだ惑星の将来。やるべき事とやりたい事。その成否と結果。成し遂げようとしている事と、その後。皆の頭の中を巡る物は多過ぎた。そのうちポツリポツリと作業に戻る者が出始め、しばらくすると皆の予定は終了を迎えた。それでもどこか落ち着かない。胸に抱えるのは不安なのか不満なのか。それとも絶望。そんなはっきりとしたものではない。曖昧で有耶無耶。それでいて重く、心地悪い。浮ついたような、落ち込んだような奇妙な感情を抱え、それでもまだ計画は進行する。惑星に降り、計算で導き出された手段を実際に急ピッチで講じなければならない。一人、二人と部屋を出て、次の作業へと移って行く。残ったのは艦長に副長、そしてラスロの3人。

しばしの沈黙があった後、副長が口を開いた。

「アダルスは何故、我々に手を貸すような真似をしたのでしょう?」

「大勢に影響はないと考えたのだろう」

艦長はそう答えるが、声にも口調にも覇気がない。心此処に在らずと言った感じだった。副長はそんな艦長に気付いてはいるが、更に疑問を口にした。

「しかし、母数は全級規模です。1%の効果は決して小さくはありません」

そこでラスロも話に入る。

「我々の手段が1%の効力を上げたとしても、ニルスの生存者が1%増えるわけではないわ。アダルスの目的はニルスの全滅。海面の最高到達値が数メートル下がっても、陸地が遥か下であれば目的は達せられる。おそらく、ミクァルドの大陸は地殻変動だけで海に沈むわ。雨が止み、潮が引いても陸地は戻らない」

ラスロは遠い過去の悲しい思い出話をしているかの様な顔つきをしていた。感情の抑揚は浅く、手に触れる事さえ出来ない諦めがあった。副長も同様で、1つ溜息をつくも、そこには怒りも悲しみも見えない。諦めの形をした空虚があるだけだった。その時、部屋のドアが開き、そこにはクロノイヤが立っていた。クロノイヤは3人の顔を見るなり言い放った。

「承認請求に返事が無いから、もしやと思って来てみれば。案の定、呆けているのね。全く、情けない。まだ何も終わってないのよ? 計画は進行中なの。それとも、もう止める? 勝てないからと噛み付くことさえ諦めるの? それなら好きにしなさい。『上』が強大な事は最初から分かっていた事でしょう? 反抗すれば勝てるなんて思っていたわけでは無いでしょう? 私達は最初から、勝てない相手に挑んでいるの。勝ちのない戦いに臨んでいるの。心が折れたくらいで1度決めた事を投げ出すなんて、そんな矮小な愚か者で居たければ、そうしなさい」

クロノイヤの発破は効いた。3人共がその顔に表情を取り戻した。艦長は「そうだな・・すまなかった」と謝った後、「ありがとう」と伝えた。

 それから乗組員達は精力的に働いた。乗組員達の士気高揚にクロノイヤがあちこちで貢献していた事は言うまでもない。そして52時間後。全ての作業を終了させ、最終点検も済んだ。

「地表の様子は?」艦長が問う。

「大気に変動の兆候が見られます。それも複数箇所。全球で降雨はまだありません」

「地殻及びマントルは?」

「マントル滞留速度、上昇傾向ににあります。密度が7%低下。・・未知の物質の生成を確認。地殻部へ上昇中」

「・・・とうとう始まるのだな」

艦長は窓越しに青い星を見た。去来する様々な思いと記憶。それらを振り払う様に踵を返し、船の発進命令を出した。

 船が動き出す。みるみると青い星が小さくなる。副長は艦長の傍で言った。

「せめて、最後まで見届けたかったですね」

「アダルスがガリスクラムを帰した以上、ここへ艦隊を仕立てる可能性は見過ごせない。そうなれば我々は罪人だ。・・我々は出来る限りを尽くした。今は一刻も早く、ここを去ることだ」


 艦長らを乗せた船は惑星から去った。自分達の行いの成否も目にする事は叶わず。ただ希望だけを携えて去った。

 その後、惑星が1度の自転も終えぬ間に、ポツリポツリと雨が降り始めた。雨は60日の間、激しさを増して降り続き、すぐに川となり、群れて集まり大地を削って濁流となった。茶色く濁った濁流は、とてつもない質量を持って荒れ狂い、触れる物全てを薙ぎ払う。地盤は大きく揺れ、割れて、沈み、マントルの流れを狂わせた。火山は山肌を吹き飛ばし、石と炎の雨を降らせた。地殻の割れた反動は海底を押し上げ、行き場をなくした海水は津波と成って陸地を襲う。惑星全体が大渦と波のうねりに覆われた。ニルス達の営みと歴史の証は、波に砕かれ、渦に攫われ、まるで過去を消し去る様に、多くの命と共に洗い流された。

 


 こうして1つの時代が終わった。しかし、最後に記しておかなければならない。

ニルスとミクァルド。2つの同じ血を引く種族。彼等の一部は生き残った。あるニルスは洞窟で。または高地で。そこは波に飲まれたものの、見えない力で守られた。その中には食料があり、乾いた土地があり、十分な酸素が供給されていた。

 ミクァルドの大陸はラスロの計算通り完全に水に沈んだが、船を出し、西の高山地帯へ辿り着く者が居た。荒波に耐えうる船を彼等は持っていなかったし、実際、彼等の船は小さく貧弱だった。その上、船は何度も波に飲まれた。しかし船は沈まず、甲板が濡れる事さえなかった。

 

 ニルスとミクァルド。その両方にもたらされた奇跡は、艦長らの計画には無い。



終。


 


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