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わたしの秘密  作者: ちー
3/4

うっかり

「翼ちゃん? わたくしを見て下さいまし」


「……」


 翼は目を逸らしたまま、素早くスマホの画面を消した。


「往生際が悪いですわよ、ちーちゃん?」


「っ!……」


 翼がピクリと反応した。桃はゆっくり近づく。

 考えてみれば疑わしい言葉はあった。


――自分の声嫌いだし――


 発声練習?と聞いてきたのは翼なのに、声を聞かれる前提のような返事を返してきていた。そして菜乃花の引っ掛けに対しては、


――ひっかからないよ?――


 間髪入れず見破った。

 菜乃花が心の問題と誤魔化したのは流れを止めないためだろうから意識出来なかったのだけれど、今思えば、ちーの迷いの無い反応は「なのとおもちが一緒に居ないのを知っていたから」だ。

 桃は机に向き直ったままの翼の真横に立って見下ろすと、つい愚痴っぽい言葉を漏らす。


「隠しごとされてたなんて寂しいですわ」


 翼がバッと顔を向けて


「そっちこそ配信のこと隠してたじゃない」


「ええ、お互い様でしたわ」


「?――はっ!」


 またプイスと顔を逸らした。


「くすくす、ちーちゃんたら、ほんと迂闊ね」


 また、バッと顔を向ける翼。

 桃がくすっと笑う。


「忙しいですわね、ちーちゃん?」


「うぐっ……そっちの名前で呼ばないでよ」


「認めましたわね」


「くっ、仕方ないじゃん」


 翼が心底悔しそうな表情を浮かべるのを見て桃は笑顔を浮かべ、その肩にそっと左手を載せる。


「じゃあ、次はコラボしますわよね?」


「むう」


 翼は不服そうに一声唸って上目遣いに桃を見上げると、肩の手に自分の左手を重ねて目を閉じる。

 ゆっくり深呼吸を1回。

 くいっと顎を上げて、すうっと目を開けた。


「え!? 翼ちゃん、その目――」


 桃は息を飲んだ。そして、


「――綺麗……」


 それだけ言って黙り込んだ。

 桃が驚いたのも無理もない。翼の瞳は――真紅の輝きを放っていたのだから。





「ふうっ、あっぶなー」


 翼が大袈裟に汗を拭う仕草をして息を吐いた。目の前にいる桃は、ぼうっとしたまま立ち尽くしている。


「あんま記憶を弄り過ぎると良くないしなー……Wi-Fiの規格なんて普通知らないだろうし『なんか分かんないけどネットが重くなって、あたしに聞きに来た』て感じでいいかな?」


 ペンダントがキラリと光り、翼の瞳が輝きを増した。だけどそれも10秒ほどで収まり、日本人らしい瞳に戻る。

 桃がピクリと動いたのを確認して、翼は声をかける。


「んと、Wi-Fiは無線LANの規格のひとつで登録商標てだけなの。この寮は業務用並の親機ルーターを置いて各部屋に中継機を設置してる形だから、みんなで一斉にネットを使いだしたら親機に負荷がかかって速度が落ちるし、中継機は単に中継するだけなので他の部屋の電波借りたところで速度は遅いままだよ?」


「んあっ!? え?――あたしいま……」


「どうせ発声練習がめんどくなってネットをウロウロしてたんでしょ」


 桃の一人称が「わたくし」から「あたし」になっていたけれど、今は改竄した記憶に合わせた話をして定着させなければならないのでスルーした。


「あ、あら? えーーと、」


(むう、半年間頑張って隠し通してきたのにー)


 別にストーカーをした訳では無い。

 3Dモデルを配置するタイプの漫画作成アプリと勘違いして配信アプリを入れてしまい、訳も分からないまま弄って偶然入ったギター演奏枠で、聞き慣れた笑い声と頑張って作ったのか桃の面影のあるアバターを見て「あ、桃ちゃんだーはぁと」となっただけである。

 おもちという名前が創作のペンネームだと知ったのはそれより後のことだったりする。


「んでもまあ。あたしも煮詰まって同じ状態だったからわかるよー、うんうん」


「え、ええ。そうでしたかしら。お邪魔してごめんなさいね、あ、あははははは……」


 首を捻りながら翼のスペースから出ていく桃を不思議そうな演技で見送った翼は、桃が隣の部屋に入ったであろうタイミングを待って、兄にLINEを送る。


――ごめん、やっぱイヤホン持ってきて


 直ぐに既読が付き


――急ぎなら買え


――アレお気に入りだし?なんか勿体ないじゃん?


――暫く朝稽古は行けないが、金曜日で良ければ寮に届けられる


――ん。わかった


 短いやりとりの締めにと、白うさぎがプレゼントの箱を持って「ありがとうですわ」と言っているスタンプを送信した。これは桃の作品で、かわいいだけでなく使い勝手もいいので常用しているけれど、本人には言っていない。伝えたら喜んでくれるだろうか。

 そんな事を考えたせいか、ふと先程のハプニングを思い出す。


「タスキルでわざわざ部屋に戻ってくるなんて思わないしさー。油断したなー」


 普段ならイヤホンをしているので配信の声が漏れることはない。ところが2日前の土曜日、空に送って貰ったとき車の中に忘れてしまったものの、無ければ無いで特に支障はないからと気長に構えていた。

 そして。

 桃が配信に使っているスペースは、かつて翼が過ごした場所だ。空室のため中継機の電源は入っていないけれど、Wi-Fiの電波は壁1枚程度なら易々と貫通するため、動作が重くなった程度で戻ってくるとは考えもしなかった。


「……チャンスだったかもなのに肝心なとこでヘタレたな、あたし」


 正体がバレたら想いもバレる。

 それで気まずくなるのを嫌って無かったことにしてしまった。

 そんな自分が、とてももどかしかった。






 尾久は自宅の趣味部屋で、再生中の画録を見つめていた。

 尾久のように配信を画録する者は意外に多い。アプリにアーカイブ機能がないため、面白かった配信やお気に入りの配信を振り返りたければそうするしか無い。

 今の画面はタスキルをすると宣言し、


――オグ

――【定期】枠主はタスキル中で不在だけど、すぐに帰ってくるから待っててあげてね


 尾久が、誰か来た時のために定期メッセージを書き込んで少し経ったころ。


『お腹がなりましたわぁ!』


 おもち=桃、が唐突に叫んだ。そして間髪入れずに。


『え!?』


 と、もう一人の声が聞こえた。

 尾久は顎に手を当ててかんがえると、


「ふむ。花園さんは聖凰せいおう学園だったか」


 来店したときにある程度聞いて知ってはいたし気にしていなかったけれど、なんとなくカタカタとキーボードを叩いて学園のサイトにアクセスした。

 沿革やちょっと古臭い制度など情報を漁っていき、マップで寮の存在を知って首を傾げる。


「ふむ。そこまでは聞いてなかったけど花園さんが寮生だとすれば他の子の声が入るのも有り得るかな。だけどあの慌てようは……」


 通信の不具合のせいにして、咄嗟にその子を庇ったように感じた。


 誰から?

 おそらくリスナーから。


 でもプライバシーの問題はあるものの、たまたま声が入ったところでそんなに気にするだろうか。それにあの声の子も反応がおかしいじゃないか。

 まるで予期していなかった様だけれど、花園さんはとても礼儀正しいから親しい間柄でも部屋の住人に声も掛けず入室する事は無いと思われる。花園さんの声はラグによるエコー現象を起こしていたからもう1台の端末のスピーカーから聞こえていたはずで、だったら謎の子が声掛けに気づかなかったのは不自然だ。あれは声掛けの必要が無い部屋――つまり桃の自室――にこっそり戻って声を張り上げたから、ルームメイトが驚いたんじゃないか?

 普通なら爆笑して済むはずが、そうはならなかった。

 思わず声を上げたくらいの驚き、咄嗟に枠閉じするほどの動揺。

 そこまで考えて、尾久はハタと思いついた。


「あの声。まさか、ちーちゃん? お互いに知らず同じアプリで接触してた? いや、あの子が頑なに声出しを避けてたのが身バレを避けるためだったのなら、知らなかったのは花園さんだけか」


 どこまで本気か分からないくらいグイグイ行っていた子が、実はルームメイトだったとしたら。

 ネット越しで正体が分からない立場を利用して本音をぶちまけていたのなら、普段とは違うキャラ作りをしているかもしれない。それなら、声を聞かれない限り身バレしないはずだ。


「やっべ、面白いんだけど。それとなーく後押ししてあげたくなってきたなぁ。百合はいいぞー?」


 カチャ、と音がして扉が開けられ、尾久は振り返った。愛妻が上体だけ覗かせている。


「お風呂のお湯はったけど先に入る?」


「お! 入る入るー。あ、そだ。ちょっと女子の意見聞きたいからさ、一緒に入ろうよ」


「わかった、準備して待ってるね」


 パタン、と閉じられた扉を見つめて、尾久はニコニコと笑う。


「はぁ~~可愛いなぁ。大好きだ」


 今しがた、幼気いたいけな少女達をアブノーマルな方向へ誘導すると決めた青年は、自分だけは普通の幸せを満喫する気満々であった。

 





「え!? いま女の子の声がしたんですけど!?  てかちーさんと良さげな雰囲気だったのに配信終了てどゆこと!?」


 同じころ、女子寮から遠い夜空の下にあるマンションの一室で声を上げた女子がいた。アプリのアカウント名が「翅―つばさ―」名義になっている。おもち枠の常連の1人で、ハプニングを視聴した1人でもある。

 リスナーを常識、清楚、変態で分けるとしたら常識枠に入ると自負しているけれど、


「でも、そうね。プライバシーを垂れ流す訳には行かないものね。んーーー、まあ。いいもの見れたし満足しておかないとかな? それにあの声。イメージは合うのよね。まさかとは思うけど――ちーさんだったらキューピットしたいなぁ。百合はいいものよ?」


 1人うんうんと頷いて良からぬ事を口走る辺り疑わしいものがある。

 翅は同性同士の恋を見ることに抵抗が無い。むしろ大好きと言っていいくらいどっぷりである。ただしでる側で、自分の身に起きたらという想像はしていない。

 配信はするより聴く方が好きで、あちこちに顔を出していたり大手と呼ばれる枠主と付き合いが長かったりするため意外と多くの人に認知されているらしいのだけれど、どこに行っても特定のリスナーを複数見かけるし、特に注目されたりすることは無いだろうなと思っている。

 ここ最近は「ちー」をよく見かけていて、ちょっとした失言にコメントで反応してからは、ちーが翅の事を同好の士扱いするようになっていて、ネタだろうし楽しいならいいかと合わせて遊んでいたりする。

 今日のちーは「キスに見える動作」を見せていたけれど、アバターのエモートだし実際にしている訳でもない。彼女は、そう見えてしまう心理をからかっているだけなのだ。

 だからつい、乗ってしまう。

 乗ったついでに、褒めて気分を良くさせる。もしかしたら、気分良くなり過ぎてうっかり百合に転がり堕ちるかもしれない。そうなれば。


「うふふ、もち×ちーかしら。それともちー×もち? ま、どっちに転がってもわたし的には眼福だからよきよき」


 ふと、壁の本棚を見た。

 上の2段には大学名義の専門書が数冊とそれに関連する書籍やファイルが並んでいて、下3段にはカーテンが掛けられている。

 目線は、カーテンの方。


「それとなーーく、くっ付くように突っついてみたら……誰か描いてくれないかなぁ」


 当人達にとってある意味物騒なことを呟く翅は、子供が好きでたまらない保育士の様な、とても優しい表情をしていた。






 桃が配信を週3日に抑えているのは勉強時間を圧迫しないためだけれど、行きたい枠があるからでもあって、


――おもち さんが入室しました


「あら、もちち。いらっしゃい」


 なの、こと菜乃花が手を振るエモートを操作して出迎えた。


――おもち

――( 'ω' )おこんばんは


――(つばさ)

――おもちさん、こんばんは(*´ω`*)


――オグ

――もちち、こんばんは


――おもち

――みなさん、おこんばんはですわ<(  'ω' ┌┛)┌┛


 金曜日の夜、いつもの桃なら自枠の時間だけれど、今日は菜乃花が夜枠を開いたので遊びに来ていた。


――おもち

――( 'ω')


「ん? もちち、どうしたの?」


――おもち

――( 'ω')隣が寂しいですかそうですか


――おもち さんがコラボに参加しました


「あっはっはっ、そうね、うん。もちちが居ないと寂しいかもね」


――オグ

――さすもち


――(つばさ)

――言わせた感( *´艸`)


『えへへ~~。塩対応のぱいせんが寂しいって言ってくれましたわ。ツンデレたまんねぇぜ』


「何言ってるの、塩対応だって愛ある弄りじゃない」


『え? あれ弄りだったんですか』


「そうよ? もちちだからやってるだけで他の人にはやらないわよ」


『わたくしは「ひぃん」ってなってましたのに、わかりにくいだけで愛情でしたのね!?』


「でも嬉しいんでしょ?」


『当然ですわぁ!!』


――オグ

――これこれ。なのもちは癒されるなぁ


――(つばさ)

――かわいい(*´ 艸`)


――たまご焼き さんが入室しました


――たまご焼き

――こんばんは、よろしくお願いします


「あら、たっち。おはよー……じゃなくてこんばんは」


『たっち、おこぉんばんは』


 たまご焼きも2人の常連で、オグが「たっくん」と呼んだりすると「おっくん」などと返したりして懐の深そうな雰囲気がある。


――たまご焼き

――みなさん、挨拶ありがとうございます


――たまご焼き

――ちーはんは、また来てないのですね


「学生っぽいから時期的にテスト期間かもしれないわね」


『わたくしの枠にも来ていないのでお勉強が好きなのかもしれませんわ』


――オグ

――勉強に負けたもちち


『そうですわ! ちーちゃんたら、あたいというものがありながら!』


「いや学生の本分は勉強でしょ。もちちがおかしいのよ」


――たまご焼き

――もち嬢が勉強で苦労している話は聞いた事がないですね


――オグ

――ちーちゃんは理数系が致命的って自白してたからお勉強中確定?


「たぶんね。あたし達が行くお店が被るくらい近いんだから勉強会出来るといいのにね」


 菜乃花と桃がたまに行く店の話をしていてうっかり店名を言ったら、ちーが「知ってるー! たまに行くもん!」とこれまたうっかりコメントしてきて3人で慌てたことがある。

 それ以来、ちーはプロフに「推しさんと同じ市に在住。どこか聞いてきた人はブロックするね♪」と追記し公言もしていて、近いのは認めたけれど会うのはNGを貫いている。


『ちーちゃんはDMで「リアルで1番会いたいのはおもちさん」と送ってきた直後に「絶対会わないけど」って振ってきた女ですわ』


――(つばさ)

――告白して振る(*^艸^)


――たまご焼き

――告白詐欺ですか。弁護士紹介しましょうか?


――オグ

――強制的な面会が狙いかな?


――たまご焼き

――さすがおっくん。その手がありましたか


――オグ

――待ってくれ、たっくん。どう考えてもそれしかないだろう?


――たまご焼き

――詐欺とくれば訴訟と思ったのですが、おっくんは目の付け所が鋭いですね。いやぁ凄い


――オグ

――腹黒みたいに言わないでくれる?


「オグさん腹黒だったの?」


『ぱいせん、お声が笑ってますわ』


 いつもの和気あいあいといた緩い空気。それが菜乃花の枠の特徴で、特に宣伝もしていないのもあってあまり初見は入って来ない。そんなところに。


――ゆり さんが入室しました(初見)


――ゆり

――こんばんはー


 珍しく初見リスナーが来た。一斉にみんなの挨拶が列ぶ。


「ゆりさんこんばんは、だらだらとお話してる枠だけどゆっくりしていってね」


 菜乃花が挨拶しながら初見のプロフを確認する。ごく稀に悪質なリスナーがいるため、配信者なら誰もが自己防衛のためにやっている事だ。

 血文字フォントで「Let's me eat you」と書かれたシャツを着た女性アバターは初めて見る。だけどわずかな既視感があった。

 プロフに書かれていたのは


――そこな娘よ。わらわのシャツを見たな? うむ、れっみーいーちゅーじゃ。コラボに誘うときは気をつけるのじゃぞ?――


 という、のじゃキャラ設定らしいセリフだった。女子限定らしいから百合でもあるのだろうか。あ、だから「ゆり」なのか。

 一瞬でそこまで考えて、どう対応しようか思い悩みかけたときだった。桃がコメントを書き込んできた。


――おもち

――やあ、ちーちゃん


「え? ちーちゃんなの?」


 菜乃花はビックリして声が大きくなった。


――ゆり

――え!?


――ゆり

――なんで!?


――オグ

――即バレww


――たまご焼き

――www


――つばさ

――w


「あっはっはっ、もちち何でわかったの?」


――おもち

――愛ね


――(つばさ)

――オォ(*˙꒫˙* )


『というかですねー、基本ちーちゃんのアバターは目を合わせないんですの。合ってるように見えても微妙にそらしているのですわ』


「………本当ね。微妙に焦点が合ってないわ」


『あと表情?がなんかちーちゃんだな、て』


――ゆり

――マジかー





「マジかー」


 翼は206号室の共用ソファに身を投げだして呻き声をあげた。

 イヤホンがまだ届いていないのもあり、前回の様な失敗をしないよう桃が帰ってきてもすぐに分かる位置取りだ。

 今週は勉強に追われて月曜日以来のログインなのだけれど、少しばかり不安があったのでサブアカウントを作ってみた。というのも、体験を元にした記憶は完璧に上書きするのが難しく、世界に干渉した大掛かりな改変でも想いの強さから夢という形で残り、やがて完全に思い出した例がある。

 それと比較すると、桃に使った魔法はグレードが数段下と言ってもいい。その分多めに魔力を消費したけれど、スマホに例えるなら新たなブラウザに履歴をコピーして使わせている様なもので、元のブラウザを消した訳ではないから無かった事には出来ていない。


「ちーだと思い出すかもだから新しく作ったのにー」


 口を尖らせつつログを辿ってみたら丁度自分が話題になっていたらしい。


「それで多少意識していたとしてもさー。おもちさん凄すぎでしょ」


 アプリにログインしているときは「おもち」呼びを意識している。そうでないとうっかり「ももちゃん」と書きそうだ。


「それにしても、表情かー。確かにコピアバ作っても表情までは再現出来ないもんね。アプリが凄いんだろーなー」


 カメラを見つめてボヤき、みんなの弄りに「もーーーーw」だの「なんでよ?」だの「きったねー」だのと感情的な返事を返していく。

 間違って入れたアプリだったけれど、おもち=桃の居るところで素でいられるのが心地よく、枠が開かれるとつい行ってしまう。


「サブ垢の意味なかっ……あっ!」


 突然アプリが落ちたかと思ったら、デフォルトの電話アプリが立ち上がり着信音を響かせた。

 発信者名は御門空みかどそら


「はーい、あたしー。イヤホンのこと?」


『そうだ。が、説明して欲しい事がある。この声でもう分かるな?』


 軽やかな翼に対して若干の堅苦しさを感じる兄の声は、翼と同じ物になっていた。





 桃がスマホの熱を気にしてコラボから降りようとしていたときだった。


――ちー

――ごめーん!お姉ちゃん来た落ちるー


――ちー

――あ、お兄ちゃんだったわw


『どういう間違いよ。はーい、またねー。おやすみ、ちーちゃん』


 菜乃花が手を振るエモートを使い、


「ちーちゃん、おやすみなさいですわー」


 桃も同じエモートを使った。


「ぱいせん、わたくしもスマホが熱くなってきたので落ちますわ」


『あー、そうね。あたしのも熱くなってるし、そろそろお風呂入らないとだから枠閉じしよかな』


「わかりましたですわ。わたくしもシャワーに行きますわね。おやすみまし、みなさま」


 言うと同時にコラボから退出すると、イヤホンをケースにしまってスピーカーに切り替えた。

 そのとき。

 隣りからバタンと扉を閉じる振動が、廊下から音が聞こえた。

 いつもなら気にしないだろう。だけどタイミングが良過ぎた。


「なんで翼ちゃんが? あれ? どうしてかしら、ちーちゃんと翼ちゃんを混同していますわね」


 もやもやする頭を傾げながらロフトを降りて窓辺に行く。

 まだ開いている門扉に向かって駆けていく翼が見えた。元気な子ねと微笑んだら更に元気な事に、門扉をくぐって来た人物に向かって飛び付いたのだけれど――


「え!? 翼ちゃんが……2人?」


――相手は遠目にもはっきり分かるほど、翼と瓜二つだった。だけど桃は翼に双子が居るなど聞いた事がない。兄が1人だけなら聞いている。そういえばちーが兄を姉と有り得ない間違え方をしていた。


「ちーちゃんが翼なら辻褄が合いますわね」


 そう口にした瞬間、頭の中で何かが弾けた。


「あら? あ、あーーーーー!!」


 思わず出た大声に自分自身がビックリして肩が跳ね上がり、慌てて自ら口を塞ぐ。


「思い出しましたわ。ちーちゃんは翼ちゃんで、あのとき瞳が赤く光って……」


 独り呟く視線の先では2人が何やら言葉のやり取りをしているようだったけれど、何かを渡された翼がもう1度抱きついて、お互い手を振りながら別れた。


「ふむ。色々尋ねることが出来ましたわね」


 桃はいたずらっぽく笑うと窓辺を離れた。





 翼が部屋に戻ると、入ってすぐの所に桃の外用スリッパがあった。既に戻っていたらしく共用ソファに姿があった。翼も部屋用のスリッパに履き替えて


「ただいまー」


 と声をかけた。いつも通りである。だけど。


「おかえりー」


 桃は返事をして一瞬のちにガバッと振り返った。翼がビクッとする。


「て!ちーちゃん、何を言わせますの!?わたくしまるで配信者みたいでしたわ!勘弁して下さいまし!」


 突然の剣幕だけれど、実は配信の最中にそうと知りながら「ただいまー」と言って「おかえりー」と返事されたあとに同じ事を言われている。それを再現しているらしい。翼がクスリと笑う。


「ええええ? いや、おもちさんは配信者でしょ」


「わたくし如きが配信者を名乗るなんて烏滸おこがましいですわ!所でちーちゃん! おもちさんて誰ですの?配信者って何ですのーー!!」


「え?………ああああ!! しまっ!!」


 うっかり乗せられたと気付いたけれど、もうどうにもならなかった。

 桃が満面の笑みで自分の隣の背もたれをポンポンしている。


「はい、正座」


「うう……はーい」


 翼はただ従うしかなかった。





「ふっふふーん、ふっふふーん、ふっふふっふふーん♪」


 隣で鼻歌を鳴らしながらカップにウーロン茶を注ぐ桃は上機嫌で、黙っていたことや記憶操作などやましさ満載の翼は、いつ責められるのかと不安でビクビクしていた。


「ねぇ、ちーちゃん」


「は、 はい!」


「うふふ、ちょーーっと質問するだけですの。怯えないで下さいまし」


 ふ、と顔を覗き込んでニパッと笑われて、翼の心臓が飛び跳ねる。


「そそそんなことは、あ、はい」


「ふふ、諦めるの早いですわね。それでぇ、最初の質問ですけれどぉ」


「ん」


 いよいよかと翼が身を固くした。


「アバターの目が赤いのはそっちに合わせたの?」


「はい???」


「ほら、この間のですわ。ちーちゃんのオメメが透き通った綺麗な赤に変わりましたの。アバターはあれに合わせたの?」


「……そこを聞かれるとは思わなかったんだけど。そーだよ」


「あはははははっ! 口調がちーちゃんね。なるほどぉー。それが本当の翼ちゃんなのですわね」


「くっ、あーーもーーー! ええ、そうよ!色々あって隠してました!あたしが悪いのは重々承知だし? 罵倒でもなんでもどうぞ!!」


 針のむしろな気分に業を煮やした翼が開き直って叫ぶ。だけど桃はニッコリ笑って首を傾げた。


「どうして? 人は誰でも秘密の10や20は持ってるものですわ。わたくしはたまたま知ったけれど、知らなかったとしても何も変わらないと思いますの」


「えーーーと。それはそうね、うん」


 桃の感性は少々どころでないくらい変わっている。秘密が多過ぎじゃない?との突っ込みは飲み込んだ。


「突っ込む所ですわよ」


「あたしの気遣い」


「んなもん要らねえですわ」


「んじゃー……秘密多過ぎでしょ」


「謎多き女は大人っぽく見えるのですわ」


 翼は桃の頭のてっぺんからつま先までしげしげと眺めて、


「どこ「いっぺん言いたかったんや!ちーちゃんだって変わらないですわ!!」


 率直な感想を言う前に封殺された。そもそもそんな歳でもないでしょうにと翼は呆れる。

 だけど最初から用意していたかの様な強引さである。おそらく翼の気分を解すために道化をしてくれたのだろう。お陰で冷静になれたと感謝した。


「それはそうと、ちーちゃん。あなた何者ですの? 先程は双子さんが来てましたわね。あの方も同じ事が出来ますの?」


 落ち着いてから切り出したという事は、これが聞きたかった事なのだろう。ようやく本題に入った感じだ。


「あーーー。あれ見られたんだ」


「油断大敵ですわー」


「あーね」


 翼はあきらめ顔で天井を仰ぐと、大きなため息をついて視線を戻す。


「?」


 桃がカップを口に運びながら首を傾げた。

 翼にとつまてはまだ1年数ヶ月の付き合いだけれど、器の大きさに随分と救われ離れるのが惜しいと思うまでになった。

 恋心を抱いてしまったのは、初恋の相手が血の種類が繋がっていない女体化した兄という異性のはずなのに同性だったため、初手で恋愛対象がこじれてしまったのかもしれない。

 種族的にも性別的にも叶わぬ恋だ。打ち砕かれるなら早い方がいい。だから翼は。


「他はまあ、長くなるから今後少しずつ教えてくとして、あたしが何者かの答えは、おもちさんに恋した魔族よ」


 いきなりぶっ込んだ。

 桃がバッと横を向いて


「ぶゎはっ!!」


 口に含んだばかりのウーロン茶を盛大に吹き出した。

 そうなると予期していた翼が魔法を使って回収し、テーブルのテッシュを取って吸収させる。


「ちーちゃんの言動はネタだと思っていましたけど、まさか本気でしたの? 違いますわよね?」


 そう問われると、である。

 翼は桃に正対してジリ……と距離を詰める。桃がさっと立ち上がり、テーブルを挟んだ方のソファに移動して腰を下ろす。


「無駄よ」


 声はすぐ側から聞こえた。

 反射的にそちらを見たら間近に翼の顔が。


「ひいっ、いつの間に! ですわぁ!」


「くすくす、襲ったりしないってば。もーー」


「そんな事言って、油断した隙に唇を奪う気ですのね!まだ誰にも許していない唇をっ!」


 それを聞いて翼がピタリと止まった。


「え? ……そう、なの?」


 きょとん、とした表情に引っ掛かりを覚えて、桃がジロリと睨む。


「何が言いたいんですの? こんなときに見栄張ったりしないですわ」


「うん、そうよね。うん、なんかわかる」


 翼が目を逸らした。

 働く女の勘。


「待ってくださいまし、翼ちゃん! あなたまさか!?」


「あ、違うの、事故なの」


「どうだか」


「本当だってばー。起こしに行って寝顔を楽しんでたら桃ちゃん寝返り打って、そのときに、ね?」


 桃の目がきゅっ、と細められた。


「ノーカンですわ」


「うん?」


「わたくしは覚えていませんもの。ノーカンですわ」


「あ、そーゆー解釈ありだとおも」


「解釈言うなですわ。ノーカンですの」


「ノーカン?」


「ノーカン」


「りょかーい」


「ですわ」


 そこでふと思う。お互い真剣な顔で見つめ合って何を話しているのか。


「ぷっ、ふふっ」


「くすくす」


 先に桃が吹き出し、翼もおかしくなって笑い出して。


「あはははははっ!何してるのかしらね」


「あはははーー、ほんとにね」


 幸いにも今日は金曜日。


「ちーちゃん?今夜はゆっくり聞かせて頂きますわね?」


「はいはい。もーどーにでもなれよー」


 おどけたとも投げやりとも取れる翼の言葉。だけど不思議なくらい信じられる響きだった。


「お風呂は?」


 桃が誘う。

 いつもなら翼が迷い、桃が引っ張っていく。でも、今日は。


「いくいくー」


 ふたつ返事で立ち上がった翼は、どこか吹っ切れた様な目をしていた。


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