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-第1章- ふ~ん、ここが天国ってワケね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 古びたスーパーカブの排気音が野山にこだまする。

 俺の名前は矢森 一平。

 金なし。人望なし。幸運なし。

 両親は交通事故で失った。

 住家は隣家の延焼で燃えた。

 志望校は突然廃校になった。

 バイト先はことごとく倒産した。

 悪人ではないのに、悪運だというだけで人から避けられるほどには運が無い。

 それ以外はどこにでもいる、しがない大学生だ。たぶん。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ズガァァ~~~~~ン!!!!!! 


 ――ゴボッゴボッ!


(訳がわからねえ。体も動かねえ。これは一体どういう状況なんだ?)


 ――ヌンボボゴボ。


(喋っているはずなのに声が出ていない。そうか、つまりここは――。)


 ――グビバ!


(海だ!)


 ままならない呼吸のなか、俺は自らの身に降りかかった不幸を理解したが、既に手遅れだった。

 人生密度がスカスカの俺の脳内には、つい先程までの出来事が走馬灯として流れてくる。



 話は遡ること10分前。十数メートル先の視界も得られない殺人的な豪雨に見舞われながら、俺はバイクで山道を登っていた。

 理由は簡単。俺が先週からフードデリバリーのアルバイトに就いていて、山奥にあるコテージからの注文を受注したからだ。

 ただでさえ降雨時の配達は大変だというのに、加えてぬかるんだ急勾配を往復したがる命知らずなどいるはずもなく、注文には遅配のボーナスマークが光り輝いていた。

 苦学生だった俺は迷いなく受注ボタンを押し、相棒のスーパーカブに跨り、山へと向かった。

 それが今生の - 最後の旅程ラストラン- になるだなんて、このときは露も思わず。


 湯気立ち込める唐揚げ弁当をリアシートに括りつけ、対向車が窓から投げ捨てたバナナの皮をヘルメットで華麗に受け流しながら、ようやくコテージへ到着した。

 俺にとってこの程度の不幸、日常茶飯事だ。

 無事に配達を終え、安堵しながら帰路につこうとする。

 車道を意気揚々と走り出したその瞬間、まるで重力を手放したかのごとく体が軽くなった。

 内臓が浮く感覚に血の気が引き、見慣れない角度の視界によって脳は処理落ちする。

 そう、スリップしたのだ。

 原因は明確。バナナの皮だ。

 ハンドルを握る手が離れ空を掴む。

 寄る辺を失って虚しく弧を描いた体は無様に地面に叩きつけられ、そのまま運悪くガードレールの隙間を横滑りでくぐり抜けた。

 一度くらい木や岩に抱き止められたっていいはずなのに、傾斜のある地面を何の抵抗もなく転がり落ちていく。

 人間だけでなく、自然すらも俺を避けるというのか。

 ああ、たしか、この下には――。


――ジャバジャボゾンッ!!


 激しい水しぶきが立ち上がる。

 体の回転が止まったと同時に襲い来る痛みと息苦しさ。

 水かさが増した川は、まるで怒り狂った龍だった。

 普段の穏やかな細流からは想像もつかないその表情に恐怖すら覚えた。

 俺は龍の背に乗ったかのように、あれよあれよと下流に運ばれ大海原へと放り出される。

 水洗便所で処分される大便の気持ちが、よくわかった気がした。

 呼吸ができない。だが全身の骨が砕けていて水面へ顔を出す手立てもない。

 ここまで完膚無きまでに叩きのめされりゃ嫌でもわかる。

 「あ。詰んだな、こりゃ――」




 ……と、まあここまでが事の経緯だ。

 思い返してみると自分の愚かさに腹が立つ。

 そりゃあ運の悪い俺がこんな仕事受けたら死ぬっつーの!

 まあウダウダ言っても仕方ない。死んだものは死んだ。

 そろそろ眠くなってきた。視界もだんだん薄暗く――。



 ん? なんだ、この光は……?


「――みますか?」


 声が、聞こえる。

 まるで天女を思わせる、柔らかで優しげな声だ。

 でも何を言っているかまではわからない。


「――を、望みますか?」


 望み? 今から死に向かう俺が望むことなんて。

 

 ――いや、ある。

 生きて、帰りたい。

 俺は生きて帰りたい!

 しょうもない運に左右され、何も得られなかったこのくだらない人生!

 ここで終わってたまるかよ!


「新たな人生を、望みますか?」


 今度は聞こえた。ハッキリと。

 間髪入れず応えた。


「ああ……望むッ! 次の人生を望むッ!

 ただ穏やかに生きたかっただけなんだ……!

 頼むから俺にくれよ! 普通の人生をッ!」


不意に頬を涙が伝っていた。

これが俺の、たったひとつの、ささやかな願い。


「しかと聞き届けました」


 その刹那、視界がさらなる光に包まれたかと思うとやがてそれは人型の輪郭を帯び、眼前へと近づいてきた。


「私の手に触れなさい。

 あなたには辺境での穏やかな生活を授けましょう」


 先ほどまで脳内に直接響くように聞こえていた声は、自分より一回り小さい等身にまで凝縮された光の塊から聞こえるようになっていた。


「ああ……。手、ってここか?」

「ひっ!?」


 俺は光の塊の隆起した、おそらく手であろう部分にそっと触れた。

 そこは人肌程度に温かく、とても穏やかな気分が込みあげてくる。

 触れた手を押し返すような弾力と……いや、ちょっと待て。弾力?


「め……女神の純潔なる玉体に、何を……ッ!」


 うろたえと怒りを隠さないその声色、そして未だこの手に残るほのかな感触で理解した。


 俺 が 触 っ た の は 胸 だ ! !


「待て待て、悪かった! いや、すみませんでした!

 あまりにも眩しくて体がよく見えなかったから、間違って、その――」

「言い訳無用ですっ!

 穏やかな生活は自分の努力で手に入れなさいっ!」


 えいっ! という威勢の良い掛け声とともに、丸太がぶつかったような強い衝撃が首元に走った。

 直後、俺の視界は再び薄暗くなっていった。

 フェードアウトする意識のなか、うっすらと叫び声が聞こえる。


「わわっ、まずい! 待ちなさい、ステ振りの説明を忘れ――」


そんな、短い夢を見た。



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