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第36話 闇の中で囁くもの

(セバスチアーン視点)


 ワシはセバスチアーンと申す者。

 東に倒れた者あれば、駆け寄り起こし、西に困った者あれば、手を差し伸べる。

 若き頃より、そうして生きてきたワシを人はこう呼んでおる。

 マスター・バトラーと……。


 大陸の各地を巡り、様々な出会いと別れを繰り返す。

 まさに泡沫(うたかた)の如し。

 一所(ひとところ)に身を落ち着かせることなく、世界を流離(さすら)うワシはいずれ、一人寂しく死ぬであろう。


 そのように凝り固まっていたワシが、考えを改めたのは一人の男と出会ったのだ。

 コンラート・チェフ。

 生涯でただ一人、認めた男である。

 主と見定め、彼に仕えようと首を垂れるワシの手を取って、友と言ってくれた男である。


 以来、ワシはあの御方に命ある限り、お仕えすることを誓った。

 誓いは永遠の物である。

 我が主が王の座を退こうとも何も変わりはしない。




 そして、ワシは今、とある貴族の家を視界に捉えた尖塔の上に一人佇んでいた。

 夜の帳が下りた空に黒雲が立ち込め、遠くで雷鳴の轟く音が聞こえる。

 嵐が近づいているのだ。


「急いだ方がよさそうですな」


 誰に問うこともなく、口が動いたのはとある貴族の家から、並々ならぬ禍々しき気配を感じたからである。

 このような気配を感じるのはいつ以来であろうか。


 あれはそう。

 確か、主と出会う少し前のことであった。

 黄金の穂が揺れる様子はまるで金色に輝く海のように美しい原初の風景をよく覚えておる。

 世界を見て回り、様々な景色を目に焼き付けてきたワシがもっとも美しいと感じたと言っても過言ではない。

 全てが焼け、多くの生命が失われた虚しき戦いが起きたのだ。

 一人の男の昏き願いに国が亡び、人が死んだ。


 あの戦いの中で確かに感じたのである。

 禍々しくも甘美にして、邪悪なる気配を……。




 激しく、似ておると言わざるを得ない。

 庭先に何の生物かも既に定かではない白骨が散乱しておるではないか。


 その時点で察しはついていた。

 邸内に入った途端、修羅場をくぐり抜けてきたワシでさえ、吐き気を催すほどのむせかえる異臭が立ち込めておるのだ。


 数多の戦場を駆けてきたワシでもこれほどの血生臭い臭いはついぞ、嗅いだことがない。

 まさに死の匂いと呼ぶべき忌まわしきものである。

 一体、どれだけの生命を犠牲にしたのか。

 何と罪深きことよ。


 ワシの勘と異臭が漂う元は一致した。

 間違いなく地下から、漂ってくるのだ。


「こちらですな」


 ここまで何者の妨害も受けていない。

 何より、この屋敷に生きているものの気配を感じないのである。

 死の匂いと沈黙が支配する不気味な空気のみが漂っておるのだ。


 幸いなことに地下室へと向かう階段にはすぐ行き着くことが出来たのだが……。

 これだけ臭いがもろに漂ってくれば、素人でも気付くというものだ。

 当然ともいえるように扉には鍵がかかっておった。

 階段を降りられたら、困るということであろうな。


 しかし、執事道大原則の一つ。

 執事に開けられない鍵があってはならないのである。

 ワシの手にかかれば、この程度の錠前など、あってないようなものと言えよう。




 降りて、これほどに後悔する地下室にお目にかかったのは我が人生において、初めての経験であった。

 人工的に作られた地下室ではなく、天然の洞穴に近いものである。

 岩肌が露出した壁や床はお世辞にも整備が行き届いたものとは言えない。


 臭いはさらに酷くなっている。

 もし、ワシでなければ、この世の者ではなくなっておるかもしれん。

 それほどに酷い。


 原因と思しき物を突き止めた。

 正しく、これのせいであろう。

 床に散らばる人の手や足。

 そして、頭。

 眼球と思しき小さな球体もそこら中に散らばっている。

 不思議な色合いをしたそれは眼球を模した物に過ぎなかった。

 硝子細工とでもいうのであろうか。

 まるで多くの生命が供物として、捧げられたと言わんばかりに血溜まりがあちこちに出来ておった。

 むせ返るような血の匂いと腐敗臭が充満する中、洞穴の中に咲き誇っている草花があった。

 ベラドンナである。


 これで全てが結びついたのである。

 やはり、あの家で起きていた異変の原因はここ(コラー家)であったか。

 早く、主に報告せねばなるまい。




 一階へと戻ったところ、微かな変化を感じた。

 何者かがいる気配を感じたのである。

 静まりかえった邸内に灯は点っておらず、辺りは闇に包まれておる。

 ワシは察知されないように照らす物は手にしていない。

 例え、暗がりであっても見通せる目がなければ、執事は務まらんのである。


 遠くで鳴っていた雷鳴が近づき、稲光がパッと邸内を照らした瞬間、何かが横切った。

 キイキイと馬車の車輪が軋むのに似た音がした。

 車椅子のような物が横切ったのかもしれん。


「光を闇が……世界が……闇に覆われる……気を付けてください」


 囁くような男の声だった。

 その声は確かに聞き覚えのある男のもので間違いない。

 ダニエルのものだ。

 コラー家に婿入りした男である。


「ダニエルくんかね?」


 答えはない。

 キイキイという軋む音がしたかとと思うとギチギチと嫌な音とともに扉が開き、締まった。

 再び、稲光が走り、辛うじて見えたのは車椅子らしき物の上に三つの影があったことくらいであろうか。


 なぜ、ダニエルがいたのか。

 何かを伝えてくれようとしたのか。

 慌てて、彼が入ったと思しき部屋の扉を開けた。


 書斎らしき部屋である。

 大窓の傍には先程の音の正体と思われる車椅子が置かれていた。

 分厚い蔵書が収納された本棚は学問好きなダニエルのいかにも好みそうな物だ。

 だが、それよりも目を引くのは机の上に置かれている異様な物体だった。


「なんじゃ、これは……」


 硝子で出来た大きなグラスにも似た入れ物に収められていたものは信じられないものだ。

 皺が刻まれた灰色がかった色合いのソレは、人間の脳なのである。

 ソレはどういう原理なのか、まだ、生きている。


「セバス……さん。早く……知らせて……みんなに」

「ダニエルくんなのかね」

「早く……」


 その時、再び、稲光が走り、窓際にあった車椅子が光に照らされた。

 浮かび上がった影の正体にワシは息を呑んだ。

 車椅子の座面にあったのはダニエル・コラーだったものの頭と両手だったのである。

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