始まりの夏休み
初めまして、音竹と申します。
つたない文章ですが読んでいただけたら幸いです!
高評価、ブックマーク等もぜひよろしくお願いします!
少女は銀色の水面を眺めていた。
透明に揺らめくそれを一心に見つめながら、時々思い出したように瞬きをする。
おかしなことにその水面は少女の真上にあった。重力にさからっていなければそれは少女の上に落ちていただろう。しかし水面はときどき吹く風につられて、静かに波紋を作っているだけであった。
少女はゆっくりとため息をついて呟いた。
「今日も帰ってこなかった」
ガタン!車が大きく揺れた。
その衝撃で、俺は車の前の席に思いっきり頭をぶつけてしまった。あまりの痛さにうずくまる。
「いってえ・・・せっかく寝てたのに」
「仕方ないでしょう、地面に突起があったのよ」
涙目になりながら頭の痛い所を擦る。口を尖らせて、前の席で運転している母さんをキっと睨んだ。
「母さんの運転があらいんだよ」
「そんなことないわよー。あ、もうすぐ着くわよ」
季節は夏。俺、伊岐陽杜は絶賛夏休みの最中である。中学二年生の夏休みは遊ぶに限る。友達とプールに行ったりキャンプに行ったり、汗水たらして部活にいそしんだり。スイカ割りや花火大会、まあ宿題も。時間も体力もある中学生の夏はやることが盛りだくさんなのだ。
だというのに……。
「なんで一か月間も母さんの実家に帰らなきゃいけないんだよー。せめて一週間にしてくれよ」
信じられるか?俺は地獄の期末テストが終わった翌日、るんるんで予定をたてようとしていた時に母さんに言われたんだ。
『あ、陽杜。今年の夏は一か月間、おばあちゃんの家に帰るわよ』
その時の俺の落ち込みようといったらない。絶対行かねえだの行くなら死んだ方がましだだの散々文句を言ったが、結局ここまで着いてきてしまった。
「何度も言ったでしょ。おばあちゃんが体調を崩しちゃったのよ。お父さんは単身赴任中だしあんただけを家に置いていくわけにもいかないし。」
「一か月間くらい一人でなんとかできるよ」
「ご飯も炊けないあんたが何言うの」
俺は思いっきり頬を膨らませた。ルームミラーでその顔を見たのか少し笑いながら母さんは言った。
「母さんの実家はすごく自然が綺麗でいいところよ。近くに登れる山もあるし。綺麗な川もあるし。陽杜は好きなだけ遊んでらっしゃい」
俺は膨らませた頬を少し緩める。自然は好きだ。昔から長期休みには必ず山登りに行くくらいには好きだ。緑の木々や川のせせらぎは、俺をどこか懐かしい気分にさせてくれる。
それでも、なんだか認めたくなくて口を尖らせて言い返した。
「友達もいないのに?」
俺の発言に母さんはからからと笑いながらブレーキを踏む。
「あんたはすぐ友達作れるでしょう。さ、ここよ」
窓の外には豊かな自然の景色が広がっていた。その光景に少し目を細める。車のドアを開けるとわーん!わーん!とうるさいくらいのセミの声が聞こえてきた。
大きく深呼吸をする。
「暑い・・・」
「暑いわねえ。陽杜はおじいちゃんが亡くなって以来よね?」
「うん」
いつも夏休みは隣の県にある父方のほうに帰省していた。ここに来るのは初めてではないが、頻度は少ない。母さんは一年に数回は来ているみたいだが、俺は四年前におじいちゃんの葬式に来て以来だ。
車を停めたのは裏庭の方だったので、歩いて家の入口まで向かった。この家は和風建築の民家でそこそこ広い。しかし、あまり手入れが行き届いていないのか、雑草が生えまくっていたり家の壁が少し剥がれたりしていた。あちらこちらに飛び回る虫を避けながら歩いていく。
母さんは入口に着くとガラリとドアを開けた。
「鍵かけていないのか?」
「そうみたい。多分もうすぐ着くって言ってたからあらかじめ開けてたのね。おかあさーん、着いたわよー。おかあさーん?」
俺は履いていた運動靴をきちんと揃えて居間に向かった。入るとクーラーの涼しい空気がなだれこんでくる。座布団にちょこんと座っている小ぢんまりとした背中が見えた。母さんと話している。
「悪いわねえ優子。来てもらちゃって」
「いいのよお母さん。それより具合はどう?」
「具合はいいのよ。でもお医者さんに一か月は絶対安静って言われたからね。あら」
おばあちゃんがこちらを向いた。優しい眼差しに少しドキッとする。
「陽ちゃん、大きくなったわねえ。ごめんねえ、おばあちゃんのせいで夏休み潰れちゃって。後で陽ちゃんにおこずかいたくさんあげようね」
自分よりも背丈の低いおばあちゃんが、本当に申し訳なさそうにしているのを見ると怒る気も失せてくる。それにお金をもらえるのは素直に嬉しい。
「いいんだよおばあちゃん。一か月間いてもまだ十日あるし」
「悪いわねえ」
「母さん、なんか手伝えることあったら言ってよ。俺、なんでもするからさ」
母さんは呆れた様子で笑った。
「はいはい、ありがとね。陽杜、二階に部屋があるから。荷物置いてらっしゃい」
「うん、わかった。どの部屋?」
「陽杜の部屋は廊下の一番奥の部屋よ」
一か月間泊まるのだから荷物もそれなりにはある。重いボストンバッグをやっとの思いで持ち上げて、自分の部屋へと向かった。この部屋に入るのは初めてかもしれない。
襖を開けると畳の匂いがした。俺の好きな匂いだ。いったん荷物を置くと部屋の中を見回してみた。
素朴でいいかんじの部屋だ。左右には押入れ、奥には文机がありその隣にテレビがある。文机の先に窓があって、和風柄のカーテンが吊るされていた。
カーテンをかき分け窓を開けてみると気持ちの良い涼しい風が吹いてきた。
「生き返るー」
見晴らしの良い景色と緑の匂い。セミの声。夏っぽくて俺は好きだな。あ、涼しいといえば。
「クーラーつけてみよ」
俺は文机の上に置いてあったクーラーのリモコンを手に取る。そう、この部屋にはクーラーも設置されていた。しかし。
「あれ?あれ?」
いくらボタンを押しても機械が動かない。
「まさか……」
俺は一階へと降りて行った。母さんが台所で何かを作っている。
「母さん。部屋のクーラーがつかないんだけど」
「ああ、その部屋のクーラー、壊れてるわよ。あとで扇風機を持ってってあげる」
「…嘘だろ」
俺はゆっくりと天を仰いだ。
そう。
夏休みは、まだ始まったばかりだ。




