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06

 一方、ローランド公爵邸にて保護された女――藤ヶ谷知紗は、ロディが同じ音を繰り返していることに気づき、ようやく事態が好転する兆しを見せたことを知った。


(ろでぃ……? この人、同じ言葉を何度も繰り返してる……口元に指を向けてるってことは、もしかして名乗ってる? 私がこの国の言葉を知らないって気づいたのね……)


 それでも真剣に言葉を伝えようとしてくるのは、少なからず歩み寄りたい意思があるのだろう。

 じっと目をそらさず反応を待っているロディに、知紗は困惑しながら銀狼に目を向けた。


 声はない。

 銀狼もまた、静かにこちらを見つめていた。

 彼も知紗の反応を待っているようだった。


(この状況、自分でどうにかしろってこと……?)


 唯一の味方にやや素っ気ない態度に、知紗はこの状況に至るまでのアレコレを振り返った。






 再び意識を失い、高熱に魘されてしばらく経った頃。目を覚ました知紗はまず、メイド服を着た女と顔を合わせることになった。

 知紗の知らない言葉を話し、ぺこりと頭を下げた彼女に知紗は同じように頭を下げる以外に何も言えなかったが、服装から察した通り、身の回りの世話をしてくれるらしい。

 彼女は知紗の額に手を当て、熱を確認したあとに水を差し出してくれた。残念ながら、初対面の彼女からそれを受け取ることができなかったが、無言で首を横に振る知紗に、彼女は特に気にした様子もなく頷くと部屋を出て行った。


「そこまで警戒する必要はない」


 ベッドの足元から声が聞こえ、知紗は肩を震わせた。

 そっと上から覗き込んで見ると、あの銀色の狼が床に伏せったまま、横目でこちらを振り返っていた。


「あれはお前の世話役だ。毒を盛るような性格もしておらぬ」


 そう言われても、すぐに他人を信用できないのが知紗である。

 そんなことより、どうして獣が言葉を話せるのか気になるところだ。


「……あなたは――」


 何者なの、と問いかけようとした知紗の掠れた声は、扉をノックする音に遮られた。

 メイドが戻ってきたらしい。スープとパンをトレーに乗せた彼女は、小さな少年を伴って姿を現した。


(子ども……? この家のお坊ちゃん? あの人の子どもなのかな……)


 自分を助けたであろう青年を思い出し、知紗は首を捻る。短い金色の髪と意思の強い翡翠の瞳は全く似ていないが、青年と同じくらい綺麗な顔をした少年だった。年齢は十歳から十二歳といったところか。この世界のファッションは分からないが、装いから召使いだとは想像できなかった。


 ズンズンと大股で自分に近づいて来る仏頂面の少年を、知紗はぼんやりと観察した


「〈初めまして。僕はポール。あんたを保護した公爵の弟子だよ〉」


 淡々と何かを話す少年に、知紗は目を細めた。

 相手は子どもだが、この探るような目つきは覚えがある。それに、堂々と話しかけてくる様はどこか尊大な態度にも見えた。


(もしかして……こんな子どもにまで馬鹿にされてる……とか?)


 どうも自分はなめられやすいタイプのようだ。これまでの待遇を思い返しても、おそらく間違っていない。何が要因かは分からないが、今後も同じような目を向けられるだろう。


 しかし、だからと言っていちいち相手にもしていられない。

 そもそも、最初から言語コミュニケーションの壁が高すぎるのだ。持ち前の洞察力を総動員させて相手の言いたいことを理解しようとは思うが、限度がある。


 ――さて、どうしたものか。


 知紗が反応に困っていると、少年は不機嫌そうに唇を尖らせて腕を組んだ。


「〈ちょっと。人が名乗ってるのに無視? あんたには礼儀がないの?〉」


 どうやら怒っているらしい、というのは知紗にも分かる。その理由も、知紗が話に応じないからだというのは理解している。


 だからといって、知紗も迂闊に声を発する訳にはいかなかった。

 口を開けば、『また』ひどい目に遭う可能性があるからだ。


 知紗は助けを求めるようにメイドに目を移した。


 サイドテーブルにトレーを置いた彼女は知紗の戸惑いに気づいたのか、優しく少年に声をかけていた。


 少年はふんっとそっぽを向くと、ずかずかと窓の方に向かっていく。てっきり窓を開けるのかと思ったが、彼は鍵の部分に手をかざすだけだった。


 窓全体が青白く光った気がするが、一瞬のことだった。

 目を擦り、窓を凝視してみる。

 特に何も変化はない。

 少年が何をしているのかさっぱり分からず、とりあえず知紗はメイドが持ってきた料理に目を向けた。


 そして、知紗は表情を歪めた。


 トレーの中にあったのは、地下牢で見た物と全く同じ物だ。違いがあるとすれば、パンにカビが生えていないことだけ。


 おそらく、召し上がれ、とメイドが声と手で合図した。

 知紗はもう一度、首を横に振った。勢いが強く、止まった瞬間に眩暈が起こったが、それでも拒絶を示した。


 流石にメイドは困った顔になった。せめて一口だけでも、とスープを掬い上げてスプーンを口元に運んできたが、知紗は意地でも口を開かなかった。


(あんな場所で出された得体の知れないものなんて食べたくない……!)


 それでもスプーンがさらに口元を追いかけてくるので、右へ左へと顔を背け、最後の手段としてかけ布の中に身を隠すことになった。


「何も入ってはいない」


 呆れの混じった銀狼の声と、少年の責めるような声がした。


(それでも嫌なものは嫌なの!)


 子供っぽい理屈だが、知紗は彼らの声を無視した。

 植えつけられたトラウマはそう簡単に克服することはできない。不信感から与えられた物は全て拒絶することになりそうだが、それでも構わないと思った。


 聞こえた溜め息はメイドか、狼か、それとも少年なのかは分からない。カチャ、と食器がぶつかり合う音がしたので、知紗はそっと布の中から顔を出した。


「〈でしたら、入浴を先に済まされますか?〉」


 メイドは少し気落ちしていたが、食事は諦めてくれたらしい。スプーンを皿に戻し、それならば、というように次は手を差し出された。


 どこかに連れて行こうとしているのは分かる。

 だが、知紗にはその目的地が分からない。

 相変わらず彼らの言葉は分からないので、知紗は彼女の声を聞きながらじっと固まるしかなかった。


 そんな知紗を見兼ねたか、傍らで様子を見守っていた銀狼がゆっくりと腰を上げた。眠っている間に着替えさせられたワンピースの裾を引っ張るので、知紗は渋々とベッドの上から床に足を下ろした。

 立ち上がれば背中を頭突きで押してくるので、否応なしに知紗は足を踏み出すしかない。そうして強引に導かれたのは、部屋の中に備わった浴室だった。


 入浴を促されていたのだと知り、知紗は肩の力を抜いた。


(話せるなら言葉で伝えてよ……)


 恨めしく思いながら銀狼を振り返ると、目が合った狼はぶるりと体を震わせ、無言で踵を返した。「やれやれ」という呟きの代わりに、のっしのっしと床を踏みしめる音がやけに大きく聞こえた。

 遠ざかる姿に少し心細くなってくる。


 すると、不意にメイドが知紗の服に手をかけた。


(えっ!?)


 これにはさしもの知紗も悲鳴を上げそうになった。

 祖国では、健全な人間は入浴の介助など受けない。子どもであっても、ある程度の年齢になると自分のことは自分でするのが当たり前だった。なので、当然のことながら入浴も一人だと思っていたのだ。


(思い出した……! これ王宮を舞台にした小説や漫画でよくあるやつ……! この人、お姫様とかお嬢様みたいに私の入浴のお手伝いする気だ!)


 慌てて捲し上げられる服を押さえ、知紗は今日何度目になるか分からない拒絶の意を示した。そろそろ首を振り過ぎて頭まで痛くなりそうだ。


 メイドはきょとんと目を丸くした。

 そして、たっぷりと間を置いた後、にっこりと笑う。


(わ、分かってくれた……?)


 さっきよりも物分かりがいい気がするが、手を引いてくれるのなら安心だ。


 服から手が離れると、知紗は背を向けて自分で服を脱ごうとした。


 ――が、それが大きな間違いだった。


 一向に気配が消えないのでおそるおそる振り返ると、メイドはニコニコと微笑みながら石鹸を片手に浴槽の隣に控え、今か今かと知紗のことを待っている。


 知紗は唖然とした。


(つ、通じてない……!)


 当然と言えば、当然である。

 知紗は入浴を諦めて逃げようと、一歩後退りした。

 いくら同性でも、他人に裸を見せる趣味はない。入浴のためとはいえ、自分が露出狂になったみたいで嫌悪感が込み上げてくる。


 しかし、相手は察しが良かった。

 知紗が逃げようとしていることに気づき、彼女はすかさず知紗の腕を掴んで引き止める。


 助けを求めるべく、知紗は浴室の入り口に目を向けた。

 すると、いつの間にか戻って来たあの銀狼が、じっと知紗のことを見つめていた。


「諦めて入れ。……臭うぞ」


 ぐさりと見えない何かが体を貫き、知紗は大人しくなった。

 彼氏いない歴イコール年齢。いわゆる喪女や芋女と呼ばれる類の人種だが、腐っても女だ。

 人間より数倍嗅覚の優れた獣に体臭を指摘された今、背に腹は代えられない。


(……ええい! 女は度胸よ!)


 入浴が終わったら絶対にあの狼のことを聞き出してやる。

 そんな思いで泣く泣く自ら服を脱いだ知紗は、勢いよく浴槽に飛び込んだのだった。






(やっっっと解放された……)


 ベッドの上にぐったりと横たわり、ため息を吐く。

 短いようで長い入浴時間を終えたあと、世話焼きなメイドは痛んで不揃いだった髪を丁寧に切り揃えてくれた。

 横髪を肩の辺りまで伸ばし、後ろはベリーショート。

 こんなに短い前下がりの髪型は学生の頃以来だった。

 軽くなった自分の髪に触れ、知紗は少し感心した。


(あの人、切るの上手なのね……流石メイド様……)


 一言も喋らない知紗に、彼女は嫌な顔一つ見せない。困惑はしているが、それだけだ。素っ気ない態度でも、今は仕方ないと考えているのかもしれない。


(それに……私、凄く臭かったはずなのに……)


 湿気の多い場所で過ごし、助け出されるまでは風呂も入れない環境だった。知紗は気づかなかったが、おそらく耐え難い臭いを放っていたはずだ。


 なのに、彼女は負の感情を表に出さない。それどころか、少なからず彼女は現状の知紗の心情を察している。こうして一人部屋に残されているのが証拠だろう。

 そこも、メイドの鑑だと評価に値した。あくまで評価であって、気を許した訳ではないが。


「ようやく落ち着いたか」


 ため息混じりに呟いた銀狼を振り返り、知紗はじとりと睨む。狼は優雅に腕を重ねて伏せっていた。


「人間は臆病な生き物だが、お前は殊更、その傾向が強いようだ」


 やはり、狼が言葉を話す時に口は動いていなかった。

 知紗はゆっくりと起き上がる。


「……あなたは、ナニモノ?」


 少し声量を落として問いかけると、銀狼はさらりと答えた。


「見ての通り、ただの狼だ」

「ただの狼は人の言葉を話しません」


 間髪入れずツッコミを入れると、銀狼は不思議そうに首を捻った。


「我は人の言葉など知らぬ」

「今こうして話してるじゃない。普通じゃないわ。もしかして、神様だったりする?」


 銀狼は口を開き、牙を見せた。


「獣の我が神だと? それは愉快な話だ」


 言葉通り、おかしそうに笑っている。


「フェンリル。人間は我をそう呼ぶ」

「フェンリル……? 外国の神話の狼……?」

「我は神ではない。聖獣だ」

「? 聖獣……?」

「……分からないのか?」


 金色の瞳が少し丸くなる。

 知紗はむっと顔をしかめた。


「……知りません」

「……そうか。ならば、これからゆっくり知っていくと良い。今はここが一番安全だからな。落ち着いて周りを見るには十分な場所だ」


 それがどういう意味なのか知りたかったが、話が長くなりそうな気がした。


「……私、家に帰りたいの」


 知紗は本題を切り出した。

 銀狼は一度、ゆっくりと瞬きした。


「我は帰り道など知らん」


 ひどく冷たい言葉だが、それが真実なのだろう。

 あまり期待もしていなかったので、知紗は小さく息を吐いて肩を落とすだけに留まった。


「我は神ではなく聖獣だ。まあ、人間には似たような存在なのかもしれんが……それこそ、この世界のどこかにいる精霊か、魔法使いでなければ帰る術も見つからん」


 知紗は思わず素っ頓狂な声を上げた。


「精霊? 魔法使い? そんなのがいるの? 本当に?」

「不思議なことを言う。お前の『婿』は魔法使いではないか、ローランドの『花嫁』」


 不思議なことを言っているのは狼の方だ。

 知紗はますます混乱し、首を捻った。


「い、意味が分からない……『婿』とか『花嫁』とか……私、いつの間に結婚したの?」

「そうではなく、特定の魔法使いと最も相性の良い人間のことだ。……本当に何も気づいてないのか? 今もそうして動いていられるのは、ローランドから魔力を受け取っているからだぞ」

「いつ?」

「お前を助けた時だ。魔力を流し込まれただろう、口から」

「へえ、口から。……えっ!?」


 助けられた時と言えば、地下牢での出来事だろう。今の今まですっかり忘れていたおぼろげな記憶を辿り、知紗はぎょっと目を剥いた。


「も……もしかして……血を飲まされたアレ……?」

「そうだ。血は魔力を多く含んでいる。ローランドがいち早く気づいたおかげで今も生きていられるのだが……なるほど。本当にお前は何も知らなかったのだな」


 狼はそう言って窓辺に近づくと、鼻先を外に向けた。


「お前が脱出しようとしたそこの窓を開けて見るといい。さっき小僧が窓ガラスを強化して、鍵も開けられないようにしたはずだ」


 知紗はベッドから降り、言われた通り窓の鍵に触れた。

 鍵は、本当に開錠できなかった。どれだけ指先に力を込めても、両手で押し開けようとしても、びくともしない。


「……え。閉じ込められた?」

「お前の身を守るためだろう。そもそも、軽率に脱走しようなどと考えなければ良い話だ。さっきも言ったが、今はここが一番安全………………待て。何をするつもりだ?」


 途中で言葉を遮り、銀狼はサイドテーブルに置かれた水差しを手に取った知紗に問いかける。


「割れば外に出られるでしょ」

「我の話を聞いていたか? 強化魔法を施してある」

「やってみなきゃ分からない」


 はっきりとそう言葉を返せば、銀狼は息を吐いて後退し、窓から離れた。

 それを確認した知紗がボールを投げるように水差しを持ち上げた。


 ――その時だったのだ。


 ガチャリと部屋の扉が開かれ、あの美しい青年が姿を現したのは。

ここまでお読みくださりありがとうございます。

なかなか話が進みませんが、ここで一旦区切ります。

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