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05

 保護した女性が再び目を覚ましたと知らせを受けたのは、それから二日が過ぎた頃だった。

 一通り書類仕事を終えてから彼女の様子を見に行こうと考えていたロディは、困り顔で執務室に現れたトーマスの報告に仕事の手を止めた。


「食事を嫌がる?」

「はい。料理だけでなく、水も飲もうとしないそうなのです。どうにかスープだけでも召し上がっていただけないかとお伝えしたのですが、頑なに拒絶されたそうで……」

「なるほど。警戒心もそこまで強いと考えものだね……」


 ロディは目を細めた。

 彼女は随分と痩せ細った身体をしていた。薄暗く、ネズミが這い回るような汚い地下牢にいたのだ。囚われの身で、まともな食事を与えられていたとはとても考えられない。


(食事を拒む理由として、一番に考えられるのは毒か……その様子では、見ず知らずの人間が作った料理は一切口にしない可能性がある。随分と慎重だな……)


 だが、今はその疑り深い性格が仇になっている。

 おそらく、彼女はまだ気づいていないのだろう。

 味方のいない環境下で過剰防衛にならざるを得ないのは分かるが、すでにほぼ飲まず食わずのまま数日を過ごしている。それでも彼女が生きていられるのは、ロディが己の血と魔力を分け与えたおかげだ。あの日、ロディが迅速に対応しなければ、きっと彼女はあのまま息絶えていただろう。

 本人が考えている以上に、とても危険な状態なのだ。


 トントン、と机の上を人差し指で叩きながら、ロディは考える。


「その様子だと、入浴も嫌がったかな」

「いいえ。やはり最初は戸惑っていたそうですが、そちらは問題なく」

「ふぅん……? じゃあ、問題は食事だけか……」

「毒見をいたしましょうか? 安心していただくには、それが一番かと」

「確かに。目の前で誰かが同じ物を食べれば安心するかもしれないね…………あ、それなら!」


 はっ、とロディは閃き、立ち上がった。


「果物をいくつか用意してくれないか」

「果物を、ですか?」

「そう。人の手が加えられた料理が駄目なのかもしれないだろう? まずはそのまま口にできる物や、その場で皮を剝いて食べられる物から様子を見てみよう」

「そういうことでしたら、今日仕入れたばかりのイチゴと、王宮より届いたリンゴがございます。すぐにご用意しましょう」

「リンゴって、また高価な物を……」


 栄養価が高いリンゴはウェステリアでは高級品だ。現在は王族の管理する果樹園で栽培されており、平民はおろか、下級貴族でさえ簡単には手を出せない代物である。

 ロディは首の後ろを擦りながら苦笑いを浮かべた。


「ん~……まあ、いいや。それじゃあ、僕の分も頼むよ」

「旦那様も、ですか? ご一緒に?」

「うん。ちょっとお腹空いたし、少しでも早く彼女と話がしたいしね」


 そう言って部屋を出ようとしたロディに、トーマスはやや暗い面持ちで口を開いた。


「実は、もう一つご報告したいことがございます」

「ん? 何?」

「目が覚めてからずっと、花嫁様は一言もお話しにならないのです」


 足を止め、ロディはぽかんと口を開いた。


「……一言も?」

「はい、一言も。とても無口なお方のように見えます」


 ロディは口元に指を添え、考える。


 確かに、女はロディと対峙した時も一切口を開かなかった。

 唯一しっかりと声を聞いたのは、聖獣に縋りついて泣き崩れた時だけだ。

 それ以外は、きゅっと口を閉ざしたまま。思い返してみれば不自然なほど、彼女は自分から声を発することを拒絶しているような、そんな素振りがあった。


「……ポールが相手でも駄目だった?」


 トーマスは首を横に振った。


「残念ながら……子ども相手に戸惑った様子ではあったそうですが、何を問いかけてもお話ししていただけず……」

「……」

「旦那様。何か、気になることでも?」


 トーマスの質問に、ロディは首を縦に振った。


「うん、ちょっとね。とにかく今から行って確認してみないことには何も言えないけど……もしかしたら、今後の対応にも支障が出てくるかもしれない」

「かしこまりました。ひとまず、旦那様にお任せいたします。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」

「煩わしいことなんか何もないさ」


 ひょいと肩を竦め、ロディは笑った。


「意外と、彼女のために試行錯誤するのは悪い気がしないんだ。これも相手が『花嫁』だからなのかな……こんなにも目が離せないくらい手がかかるのに、ついつい可愛いと思ってしまう。不思議な感覚だよ」


 思ったより上擦った声に気づいたらしい。

 顔を上げたトーマスは目を丸くしたが、すぐに安心したように微笑んだ。


「『愛しむ』とはそういうものなのですよ、ロディ様」






 ロディがトーマスと共に部屋に向かうと、ちょうど扉の前に侍女のニーナ・ベラトリックスが立っていた。こちらに背を向けていて表情は分からないが、頬に手を添えて首を傾げている。

 その向かい側に立っているのは、どうやらポールのようだった。眉をひそめ、床を足先で叩いている彼は随分と腹を立てているようだった。


「話しかけても無視。食事にも手をつけない。死にたいんじゃないの、あの人」

「ポール。花嫁様はつい最近まで監禁されていた被害者なんですよ。私達のことをまだ警戒なさっているんです。旦那様やトーマスさんからお聞きしたでしょう?」


 ポールは腕を組み、唇を尖らせた。


「でも、助かったってことは分かってるんだよね? いくらなんでも、これじゃあ僕達の手に負えないよ。ニーナだって、最初は入浴を拒まれていたじゃないか」

「ですが、説得すれば入っていただけました」

「自分から入ったんじゃなくて、フェンリルが押し込んだだけでしょ。そのあと、服を脱ぐのも嫌がって逃げようとしてたじゃん」

「きっと慎ましいお方なのですよ」

「慎ましい女は窓から脱走なんてしないよ」


 言外に『じゃじゃ馬』と言いたかったのかもしれない。

 悉く侍女の配慮をぶった切る弟子に、ロディは思わず噴き出した。

 その声に気づいたポールとニーナが振り返り、助けが来たと言わんばかりに表情を明るくさせた。


「師匠、良かった! ちょうど困ってたところなんです」

「あの、旦那様。花嫁様のことですが……」


 ロディは手を上げて二人の言葉を遮った。


「うん、事情はトーマスから聞いてるよ。二人とも苦労をかけてごめんね。……それで、彼女の様子はどうかな? まだ話す気はなさそう?」

「はい。入浴を済ませた後も、ずっと静かにベッドの上で過ごされています」

「僕も何度か質問しましたが、目を合わせるだけでうんともすんとも言いません。とりあえず、また窓から逃げ出さないよう窓に魔法をかけておきましたが……」


 ――窓に、魔法。


 ふと、それが気になった。

 ポールは思春期の少年らしい小生意気なところがあるが、根は真面目だ。人に迷惑をかけることを良しとせず、自力で物事を解決しようとする傾向もある。今回も師の懸念を少しでも減らしたい一心でやったことだろう。


 しかし、とロディは部屋に目を向ける。


 相手はつい最近まで窓一つない地下牢に閉じ込められていた女性だ。また脱走を試みようとして窓が開かなかったら、閉じ込められたと勘違いしてパニックを起こすかもしれない。

 そんな、嫌な予感がした。


 ロディはノックもせず部屋の扉を開いた。

 そして、思考が一度、停止する。


「……え」


 ロディの後ろから部屋の中を覗き込んだポール達も、思わず目の前の光景にあんぐりと口を開いてしまう。


 驚いたのは部屋の中にいた相手も同じだ。突然扉を開けて入って来たロディを見て、彼女は固まっていた。

 それも窓に向かって、水差しを頭の上で掲げたまま。


 案の定、警戒心の強い彼女は再び脱走を試みるつもりだったらしい。開かなくなった窓に焦ったのか、今のポーズはどう見てもそこに投げつけようとせんばかりだ。


 ぽかんと口を開けたまま呆けるロディの後ろで、状況をいち早く理解したポールが我に返った。


「じゃじゃ馬にも程があるでしょ……これが大魔法使いの『花嫁』だなんて、冗談でも笑えないんだけど……」


 わふん、と相槌を打ったのかは分からないが、女の足元にいる聖獣が鳴いた。冷静に成り行きを見守っていたようで、銀狼はのっしのっしと歩み寄り、女が身に纏うワンピースの袖を噛んで引っ張る。

 それはどこか女の行動を諫めているように見えた。


 女の恨めしそうな目が聖獣を捉える。

 それから、頭の上にあった水差しがゆっくりと降ろされる。彼女の中でも見つかったことで諦めがついたらしい。

 窓に投げつけられることなくサイドテーブルに戻された水差しに、ニーナとトーマスは大きく息を吐いて胸を撫で下ろした。


 水差しからゆっくりと手を離した女は、ロディの顔をチラリと見ると、手を後ろに組んで顔を背けた。今まで見せていた暴挙をなかったことにしたいようだった。


 その子どもっぽい態度に、ロディは手を顔に当てた。

 もう、限界だった。


「ぶっ……ふふ……あっははははっ!」


 奇想天外な彼女がつくづく面白くて、ロディは込み上げる笑いが抑えられなかった。


 人は閉じ込められたと気づいた時、まずは騒いで助けを求めてしまうものだ。

 ましてや、彼女は数日前まで監禁されていたのだ。地下牢で過ごした時間は、常に危険と隣り合わせだっただろう。だからきっと、今も逃げ場のない閉鎖空間にパニックになると思った。

 なのに、彼女はトラウマに怯えることもなく、果敢にも窓を割ってでも外に出ようとする。発想は短慮だと思うが、ここまで大胆な女性と出会ったのはロディも生まれて初めてだった。


「本当に期待を裏切らないな、僕の『花嫁』は! まさか窓を割ってまで出ようとするなんて……ふはっ! いいね、その度胸。ますます気に入ったよ!」


 一見すると、目の前の女はどこにでもいる普通の女性だ。物静かなので、侍女が用意したであろう白いワンピースが清楚で大人しい雰囲気を増長させている。

 そんな女性が、まさか窓を割って逃げ出そうと考えているなど――いったい誰が想像できるのだろうか。

 腹を抱えて笑うロディに、ポールは白けた目を向けた。


「師匠、笑い事じゃありませんよ」

「ごめんごめん。でも、こんなに笑ったのは久しぶりだよ。……ねえ、君。少し僕と話をしないかい?」


 ロディは目尻に溜まった涙を指で拭い、優しく声をかけながら女に近づいた。

 女はロディの大笑いに少し目を丸くしていたが、彼の足が自分に近づくとすぐさま近くにいた銀狼を盾にした。

 用心深い黒の瞳が、これ以上近寄るな、と訴えている。

 なんとなく予想していた反応だが、実際に目の当たりにすると保護した立場としては少しやるせない。


「うーん……話がしたいだけなんだけどな」

「……」

「君のことを知りたいんだ。少しでいいから、僕と話をしないかい?」

「……」

「ありゃ……」


 銀狼に構わず一歩近づけば、女は部屋の隅に逃げた。

 間に挟まれた銀狼が、どこか呆れた目をしてロディを見上げた。こちらもこちらで物申したい表情をしている。


 仕方ない、とため息が零れ落ちた。


「分かった……少し強引にいこう」


 そう言ってロディは女に向かって右手を差し出し、そのままクイッと自分の方へ指を曲げた。

 次の瞬間、女の体がふわりと浮き、そのまま何かに引っ張られるようにびゅんっと飛んで来る。

 ロディは腕の中に飛び込んできたそれを難なく受け止めたが、少し勢いをつけすぎたらしい。自分の胸板にぶつかった彼女から「ぅあっ」と痛みに呻く声が漏れた。


「旦那様」


 やや乱暴な扱いに責めるような執事の声が聞こえたが、ロディは聞こえないフリをした。


 女は何が起こったのか理解できないようで、目を白黒させながらおずおずと顔を上げる。髪と同じ色をした瞳が、少しずつ恐怖に揺らぐ気配がした。


 ロディは、そんな彼女をじっと見つめ返した。


 身長は自分より頭一つ分小さい。ポールと同じくらいか、それより少し上といったところか。

 ボサボサで痛んでいた長い髪は肩の辺りで前下がりに切り揃えられ、今では美しい濡羽色に変わっている。丁寧に洗われた後、たっぷり花の香りがする香油を塗ったようだ。本来の艶やかさを取り戻し、バラの香りがふんわりと漂ってくる。まだ顔の血色は悪いが、食事ができるようになれば元に戻るはずだ。ここまで身綺麗になったのはニーナの努力の賜物だろう。


(改めて見ると小さいな……歳は十八ぐらいかな?)


 ロディは無意識に女の髪に手を伸ばす。指を通せばするすると流れていき、触り心地が良かった。

 くすぐったいのか、それとも他人との触れ合いが居心地悪いのか。女がしかめっ面で逃げようと身を捩った。


「よしよし。もう何もしないよ。大丈夫」


 しっかりと細い体に腕を回し、落ち着かせるために頭を撫でてみる。ついでに長いまま残された横髪を掬い上げて口づけてみせると、今度こそ彼女は目を見開いたまま、石のように動かなくなってしまった。


 その隙に、ロディは彼女の体を抱き上げてベッドに座らせる。流れるような一連の動作に体を小さくして固まる彼女の反応につい悪戯心が煽られてしまうが、いつまでも遊んではいられない。

 隣に腰かけ、再び視線が交錯した瞬間を見計らい、ロディはゆっくりと声を発した。


「ねえ。僕の言葉、わかるかい?」


 黒い目が、ぱちくりと瞬いた。

 ロディは自分を指差し、言葉を続けた。


「僕はロディ。ロディ・ローランド。ロ、ディだよ。言える?」


 返事はなかった。

 けれど、絡み合った視線が逸らされることもなかった。

 無意識に薄く開いた唇は音を発しないものの、ロディの唇の動きに合わせて動こうとしている。


 ――やはり。


 ロディは確信した。


「僕の名前、ロディ。ロ、ディ、ロー、ラ、ン、ド。ロ、ディ。繰り返してごらん」


 自分の口元を指し示し、辛抱強く、何度も同じ音を繰り返す。


 そこで、二人のやり取りを見守っていた従者達はようやく女の置かれた状況に気づいた。


「まさか……言葉が分からなかったんですか……!?」

「そんなことあるわけ……! ……いや……でも、本当に異世界から召喚されたのならあり得るのかも……」


 ニーナの呟きを肯定したのはポールだ。魔法使いの弟子として、修行の一環でありとあらゆる書物を読んだ彼は、『聖女』に纏わる書物にも目を通したことがある。


「初代聖女も、最初は異国の言葉を話していた。聖女が僕達と同じ言葉を話せるようになったのは、召喚した魔法使いのおかげだと言われているんだ。もし本当に奴らが『儀式』に成功していたのだとしたら、あの人も……」


 彼女が異世界から召喚されたのだとして、彼らの前で母国の言葉を口にしてしまったのだとしたら――。


「……ひどい扱いを受けたのでしょうな」


 トーマスがぽつりと呟く。


「排他主義者であった前王を支持するような人間です。度々提言されていた鎖国案にも協力的でした。ましてや、あのような金と権力に目が眩んだ者達が相手では……」

「ええ。すぐに殺されなかったことが救いですわ……」


 ニーナが沈痛な面持ちで頷く。

 きっと、彼女を保護した時点でロディはある程度予想していたに違いない。従者達からの報告を受けて、すぐにその考えに辿り着いたのだ。

 飄々としていながらも、やはり公爵位を賜る当主。頭脳明晰で優秀な魔法使いなのだ。

 無言の女に何度も話しかけ続けている主人に、改めて三人は尊敬の眼差しを向けたのだった。

中途半端ですが、ここで一旦区切ります

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