廃駅のアルバイト
この世で怖い物は何か?
お化け、怪物、お金、異性、核、病気――色んな答えがあるだろうが、私は躊躇わず人間と答える。なぜなら、私は私が一番恐ろしいからだ。
たいていの恐怖は体験し、克服してきた。だがそれでも、私はまだ私が恐ろしいのだ。
だから今日も私は恐怖を体験する。私という生き物より恐ろしい者を求めて――
***
「おはよー、マッチー」
「おっす、マッチングババア」
「おはー、繭、ボケ葛」
「朝からひどい言い草!」
「どっちが」
朝一番の授業に顔を出すいつもの顔ぶれと、いつもの挨拶。私こと町田群青は、予備校の人気者だ。
自分で人気者なんて言ってしまうのもどうかと思うが、大きな予備校でも同じ場所で三浪目ともなれば、それなりに顔見知りが増えるんだもの、仕方なかろう。
不名誉な有名人といえばそれまでだが、私は顔見知りをせず誰とでも仲良くなれる特技を活かし、楽しく、差別もされることなく三年目の浪人生活を過ごしていた。と言っても、普段からつるんでいるのはこの色黒で長身の細マッチョの赤砂葛と、一見深窓の令嬢、実はぼーっとしてるだけの畔木繭の二人だけだが。彼らが浪人生になる前から知っているが、晴れて今年から同じ身分にになりましたよ、と。
実は私の成績は悪くない。というか、むしろかなり良い。合格しないのは、志望校の高望みが過ぎるから。あと、将来何になりたいのかがはっきりしないから。今の生活が楽しすぎることもあって、イマイチやる気が出ないんだなぁ。浪人生って身分は色々と都合もいいし。
あ、そうそう。マッチングババアなんて言われちゃうのは、私の顔の広さを活かしてちょっとしたアルバイトをしているからなのだ。
人気で成績の上がる授業を新しく浪人した生徒に教える。将来の希望にあった大学や学部を推測する。好みの異性を紹介する。割の良いアルバイト先を紹介する。なんなら、安上がりの下宿先の紹介まで。
私自身、予備校の寮を出て、割安で近いマンションに住んでいるもんね。どうせ身寄りもないから自由だし、伊達に三浪しちゃあいないんだよ、トホホ。
そんな私は、今日授業がない。というか、受講するような講義なんて、実はほとんどないんだよね。だいたい頭に入っちゃってるし、難しいやつは昼前か夕方に密集しているから、朝一番でここに来る必要なんてないんだけど。
案の定、ボケ葛がそのことに気付いた。
「あれぇ。マッチーってさ、この時間に授業あったっけ?」
「葛のくせに、ボケてないじゃん。用事だよ、用事」
「本業のマッチングか?」
「本業じゃない! アルバイトよ、アルバイト! 繭、で、誰を紹介してくれるって?」
「彼女だよ」
繭が指さす先に、絵に描いたような可憐な女性が立っていた。ああ、あれは紹介されるまでもなく知っている。この予備校の有名人、皐月更紗だ。
一部の隙なく流れる黒髪、すらりと伸びた手足、引き締まった腰に充分な胸とお尻。それでいて頭は小さく、私と同じような身長のくせに、八頭身は確実にある。ちくしょう、私はど真ん中日本人体型ですよ!
しかもそれなり以上のお金持ちで、人当たりも良いという。誰が見ても完璧な美少女は、海外帰りで卒業がずれているため、ここの予備校に通いながら受験対策をするということらしい。誰だ、こんな美少女を世に生み出した美男美女は。私は何一つとして勝っているところがないぞ、うわーん。
そう思っていたのに、その彼女が私の力を必要としていると言う。途中から予備校に参加しているせいか友人も少なく、かろうじて繭という共通の友人を辿って私に頼んできたらしいのだ。
私は繭の紹介で彼女に会うと、教室の外に連れ出した。私の何を必要としているかは知らないが、正式な依頼ということなので、秘密は守る。もちろん、それなりに紹介料もいただくが。だが一番の基準は私が楽しめるかどうか。それが私の動く理由なのだから。
授業で使用されていない教室に連れ出し、間近で皐月更紗を見た。こんな人気のない場所に黙って静々とついてくるなんて、私が男なら今すぐ押し倒しちゃうぞ。おっと、涎が出てるぞ、私。
不審に思われないようにやや横を向きながら、出来る限り素っ気なく対応する。がっついたら負けな気がする。
「で、話って? 皐月更紗さん、でいいんだっけ?」
「更紗でいいわ、私も群青って呼ぶから」
「あー、その名前あんまり好きじゃないんだよねぇ。できればマッチーって呼んでくれない?」
「なら、そうするわ。私、回りくどいのは嫌いだから、端的に言うわね。お金が欲しいわ」
ぴくり、と私の直感が働いた。その言葉に、切羽詰まった物を感じる。これは極上の依頼になる可能性が高い。美少女がやや困った面持ちで、高額のアルバイトを紹介してくれという。私へのキックバックもそれなりになるだろうし、何より食指が動くじゃあないか。
私は高鳴る気持ちを押さえ、平静のまま答えた。スマホを見ながら、アルバイト先の一覧を確認する。今、紹介できるのは、と。
「へー、どのくらい欲しいの? 更紗は美人だし、海外帰りなら英語の家庭教師とか海外雑誌の翻訳も割がいいよ。もうちょっと割よく稼ぎたいなら、モデルの仕事や演劇のエキストラなんてのも紹介できるかな?」
「それより高額なやつがいいわ」
「高額なやつねぇ。モラルが許すなら、ちょっと際どい恰好の飲食店やバー。それに高収入のオジサマがいらっしゃる会員制クラブの店員。あるいは抜き差しならない事情なら、水商売や風俗なんかも紹介できるよ? 更紗の容姿なら、かなりの高額で――」
「一週間で五百万ほしい。あるんでしょ、そういうバイト」
更紗が腕組みをして立っていた。こちらを値踏みするように、そして精一杯虚勢を張っているのがわかる。
そうか、繭が連れて来るならそういう可能性もあるのか。私は思わず口の端が上がるのを止められなかった。
「なるほど、そっちかぁ。でもいきなりそういうのはなぁ」
「どうしてもお金がいるの、お願い。繭が、マッチーならなんとかしてくれるって」
「理由、聞いてもいい? 他には漏らさないと約束するけど、それだけの高額依頼になると、事情を知りませんでした、では済まないこともあるからね」
促す私に更紗は言いにくそうに答えた。
「――父が事業で失敗したの。だから海外の留学先からも戻されたわ。父は金策に走っているけど、どうしても一週間後の返済に五百万足りそうにない。だから――」
「――なるほど、お父さんの代わりに借金を返そうだなんて、泣ける話だなぁ。でも額が額だからなぁ」
悩むふりをしたが、結論はもう出ていた。それでも安請け合いはしたくない、何と言っても額が額だ、私の信用にも関わる。
少々もったいぶった後、懐から赤い眼鏡を取り出してかけた。別に意味のない動作だが、その方が相手の心理が見える気になる。本気で取り組むときの、私のスイッチのようなものだ。
祈るように手を組む更紗の前で、私は指を鳴らした。やや安請け合いな気もするが、今了解しないとマジで押し倒しかねない。美少女の弱みを握れるとか、今日は良い日だなぁ。
「しょうがない、引き受けよう。ただしちょっとした危険も伴う。それでもいい?」
「構わないわ。無茶なお願いだもの、覚悟の上よ」
「よろしい! ただし、現地では私の言うことは絶対。勝手に判断、行動しないで」
「もちろんよ。どんなルール?」
「それは現地で説明するわ。今日二十四時、青坂台駅に集合。動きやすい恰好に、水分と軽食、照明を準備しておいて」
「いいけど、何をするの?」
私は不安そうな更紗の言葉に、不敵な笑みで返した。
「廃駅探検だよ」
***
「待った?」
「いいえ」
更紗は指定した通りの場所に、五分前に来ていた。二十分は前に来て様子を見ていたが、時間に几帳面なのは及第点。遅れて登場したように見せる。
しかし、ホットパンツにTシャツ、リュックでもさまになるのか。なんてずるい女なんだって思う。私なんかどうあがいても無理したオタ野郎になるってのに。
私は更紗を先導して青坂台の駅に入った。もうすぐ終電の時間だが、人気がないことを確認し、テンキー式の扉に潜入する。更紗が目を丸くしているのが、背後でもわかった。
「ちょ、ちょっと! 犯罪じゃないの?」
「犯罪じゃないよ。ここを歩いていたら、駅員が目の前でテンキーを押しているのを見て覚えただけだから。真似したら偶然開いちゃった、みたいな」
「見つかったらどうするの?」
「平謝りして帰るだけ。大丈夫、ここは駅構内の販売店なんかの職員が使う更衣室だから。この時間にはもう皆いないわよ」
「……マッチーって何者?」
「ただの浪人生だよ。ちょっと色々なバイトに詳しい、ね」
唇に手を当てて更衣室に忍び込む。ここで更紗にこれからの予定を説明し、待つこと一時間。終電が過ぎて三十分も経過すると、駅は非常灯だけとなり、行き交う人は全くいなくなる。
これから始発電車が動くまで、駅の中には誰もいない。巡回の警備員、工事や点検のための作業員がいることもあるが、それらの予定もちゃあんと把握している。今、この駅はほぼ無人だ。
「行くよ」
「冒険みたいね」
更紗の声が弾む。意外とノリがよいではないか。さら、と流れた髪から良い香りが漂うと、
私の気持ちも弾んだ。言っておくが、そのケはある。私は老若男女、幅広く愛でられる人間なのだ。例外は、繭と葛。あの二人だけはそんな気にならない。だからこそ、友人づきあいができているとも言えた。
「じゃあおさらいね。ここから線路に降りて、廃駅に向かう。猶予は始発までの時間だから、探索はせいぜい一時間ちょっとが精一杯。時間がきたら撤収するわ。それまで廃駅をマッピングすることが目的よ」
「それだけで百万もらえるの?」
「そうよ、文句ある?」
更紗は首を横に振った。
「いいえ、願ってもないわ」
「そう、ならいいわ。歩きながら話しましょう」
私と更紗はライトで足元を照らしながら線路に降りた。地下鉄の幅は電車とほぼ同じ。何も来ないとわかっていても、もし万一電車が来たら――身を隠せる場所があるとは限らない。
そんな想像と、暗闇、そして静寂が私たちの精神を削る。なーんて、私はもう慣れたけど、もう更紗は摩耗しているようだ。それが普通だよね。
だから、今日は予行演習。本番は、明日以降なんだから。
「ルールをいくつか説明しておくわ。まず一つ目。廃駅では私の言葉は絶対に守って。異論は認めないし、守れないとどんな目に遭うかわからない。廃駅って、崩れたり脆くなっていて、下手したら崩落するから」
「ええ、わかったわ」
「二つ目、余計なことは聞かない。誰が、どうして、なんのためにこんなことを? なーんてのは知る必要がない。私はバイトを斡旋する、あなたはお金が欲しい。オーケー?」
「いいわ」
「三つ目、このアルバイトは誰にも知られてはならない。繭が更紗を私に紹介したのは、それなりの理由がある。もしこのアルバイトを他人に知られたら、相応の罰を受けてもらう」
「……了解よ」
「よろしい。四つ目、これで最後よ。依頼の最中はグンジョーって読んで。群青、ではなく、グンジョーよ。最後を伸ばすのがコツ」
「その理由くらい聞いてもいいんでしょうね?」
私は指を振って答えた。
「そっちの方が格好いいからよ」
「……あなた、やっぱり変わっているわ」
「そうかな? ま、自覚はあるわよ。それよりも、そろそろ分かれ道よ。迷わないように」
地下鉄の路線に分かれ道がくると、通常の路線から外れていく。更紗は不思議そうに道を見比べていたが、私は迷いなく進んだ。
その先には車庫になっているわけだが、さらにその奥へと進んでいく。
「ここは?」
「故障した電車や点検が必要な電車を収容する、車庫ね。目的はまだ先よ」
私は更紗をさらに奥へと誘うと、線路の様子が変わった。線路は錆び付き、枕木は腐って折れている。明らかに使用されていない廃線へと、私と更紗は進んでいった。
「ここは?」
「旧道。かつて使っていた路線だったり、あるいは作ろうとして断念した路線だったり。他の目的に使おうとしたり、シェルター構想の一環でもあったかもしれないわね。
統一された計画の元に作られていないから、今では路線図すら紛失したものも多いみたいよ」
「なるほど、だからマッピング。でもどうしてあなたが――と」
更紗は言いかけて口をつぐんだ。ルールを思い出したらしい、賢い子だ。
「よろしい、ルールは守られているわね。じゃあこれから地図作成の方法を教えるわ。私が持っている地図があるから、その先100mも作成すれば本日の成果は充分。ただ横道や小さな穴なんかまで記載する必要があるから、状況次第では思ったより面倒になることもある。進まないなら進まないで結構よ。時間制限のある作業じゃないし」
「了解、ボス」
私の言葉に、更紗が笑顔で敬礼の仕草を返した。美人なだけでなくて愛嬌もあるとか、私の尊さメーターを振り切るつもりか! ここに他人はいないんだぞ、わかってるか?
押し倒す寸前の私の情念が暴走しないように堪えながら、私達は作業を続けた。坑道の高さは低いと3m、高いと10m近くになることもある。幸いにして100mの間にほとんど分岐路はなく、せいぜい鼠穴程度だった。
更紗は鼠程度には驚くことすらなく、むしろ石を投げて追い払うだけの度胸を見せた。思ったよりも度胸があるのは作業には幸いだが、見た目通りのお嬢様ではないかもしれない。
簡単な測量、穴の大きさ、そして100m進んだところで、大穴が横に開いているのを発見した。時間をちらりと見れば、午前3時23分。まだ作業できなくはないが、穴の中を照らせば、穴は下に向けて続いていた。まるで地獄へとつながるような道のりに、隣で更紗がごくりと唾を飲むのが聞こえた。
私は道を照らし、10m程進んだところで道が大きく下へと崩落していることを確認した。その辺の小石を手に取り放り投げると、石は転がりながら大きく下へと落下し、数秒でカラァーン、と乾いた反響音が伝わって来た。数m降ると、さらに道のりがあるようだ。風は吹いていない。それにじっとりとした湿り気のある空気と、黴臭さが鼻をついた。それらに混じって、嗅いだことのある臭いが漂った気がした。懐かしく、吐き気を催す臭いだ。
私は作りかけの地図を閉じて、踵を返した。
「よっし、今日はここまで! 引き返すぞ!」
「え、もう?」
「ルールを一つ追加ね。下に続く穴が見つかった時は危ないから、基本撤退。いい?」
「いいけど……こんなので百万?」
更紗は納得のいかないような顔をしたが、私は手を打った。
「そうだよ? これだけの仕事かと思うかもしれないけど、この仕事を欲しがる人もいるのさ。だからいいんだよ、お金をもらって」
「そっか……理由は聞かない、だったわね?」
「そ。今日でお試しは終わりだから、明日は準備してこの先の坑道に進むわ。この横道は無視、いいわね?」
「いいわ。また明日も同じ時間?」
「そうよ」
それだけ告げると、来た道を戻り私達は解散した。そして別れ際に私は封筒に入った現金を渡す。更紗はそれをその場で確認し、神妙な顔で帰っていった。
さて、明日と明後日も探索だ。胸が高鳴るのは、面白くなる予感があるからか。
***
翌日、更紗はさらに動きやすい恰好で集合した。トレッキングのような格好に切り替え、昨日よりも明るい表情で私の後をついてくる。大金に目が眩んだわけではないだろうが、やはり札束の重みは大きい。私もそうだもんね。ま、このアルバイトをしていると、金銭感覚が麻痺してくるけど。
一度言ったことをすぐに覚える更紗は、既に私の助手というよりは同僚にふさわしい働きを見せる。ほとんど同じことができるようになったので、作業効率は二倍。互いに親友のように他愛ないことを話した。さすがに私がどんな死に方をしたいか話すと、美しい表情が引きつったが、こんな私の話でも聞いてくれる。良い友達になれるかなぁ?
旧道を進み、さらに廃駅のホームで分岐点を迎えたところで、更紗が提案をしてきた。
「ねぇ、二手にわかれて調査するってのはダメなの?」
「ダメ……ではないけど。どうして?」
「せっかく二人いるんだもの。頑張ったら報酬を上げるとか、そういった交渉はできないのかしら?」
「できなくはないわ。欲が出た?」
「そうね、お金はいくらあっても困らないから」
意外に欲深いのか、と慎重に更紗の様子を観察したが、その表情は金銭欲にまみれた豚特有の野卑な色が見えない。金が欲しいのは本当かもしれないが、目先の金を狙っているわけではないような気がする。
更紗の運動能力と頭の良さなら、余程馬鹿なことをしない限り危険はないと思うが、どうもひっかかることがあった。私は懐から首輪を二つ取り出し、自分につけてから更紗に渡した。
「これは?」
「お守りみたいなもの。人間の可聴域外の音波を出して、蝙蝠なんかを避けるために使うやつよ。地下にいる大抵のたいていの動物は逃げるわ」
「鼠くらいなら追い払えるわよ?」
「地下のドブネズミを舐めないことね。大きい奴だと50cmほどにもなるわ。群れたら人間を襲うわよ?」
「えぇ? それは怖いなぁ」
適度な軽口を叩きながら、ある程度分散して作業を進める私達。作業は四時前に終了し、その場は別れることとした。今日の報酬は予定通り二百万。バイト主とかけあって報酬が増額になれば、また別途渡すことを約束し、本日も解散した。繭と葛と遊ぶ予定を入れていたが、明日もバイトがあることをSNSで伝えておくとしよう。
さて、明日で最終日。何事もなければよいのか、それとも何事か起こってほしいのか。私の悪い癖がでなきゃあいいが。
***
今日も夜中に更紗と集合し、予定通り探索を開始した。もう慣れた足取りで暗闇に向かう途中、身の上話などを始めた。将来何になりたいだとか、どこのスイーツがお勧めとか、穴場スポットとか、女子高生みたいな会話をしながら暗闇を進む。前そんな話をしていて「青春だね」って言ったら、葛に「ババアが何言ってやがる」って言われた。思い出したら腹が立ってきた! あとでぶっ飛ばす!
そんな他愛ないことを話しながら、昨日発見した廃駅に到着する。さらに古い路線を探索するもよし、駅構内に手を出すもよし。地上に出る道は閉鎖されているだろうけど、更紗の言う通り二手に分かれるのも悪くない。
更紗を見ると、荷物を広げて準備をしているところだった。私もそれに倣って荷物と地図を広げ、周囲を照らして確認を始めた。
「グンジョーってさ」
「うん?」
「頭がいいのもわかったし、予備校で言われる程危ない人じゃないのもわかったけどさ」
「私、危ない人扱いされてんの?」
「されてるよ? 永遠のババアに近寄りすぎると行方不明になる、って噂されている。もう十年も浪人しているとかなんとか、怪奇現象並みの扱いだよ」
「まあ浪人三年目だよ、ド畜生! 絶対噂を流したの、葛の奴だ! あとでぶっ殺す!」
「まぁまぁそんなこと言わないで。どうせそんなことできないし」
「あぁん? 私はやるっていったらやるんだぜ?」
「どうかな?」
地図から目を放してくるりと更紗の方を向こうとして、更紗が足音もなく背後に立っていたことに気付いた。そして、体に走る痛みと痺れ、そして途切れる意識。更紗の声が遠くに聞こえる。
「あと、うかつだよね。そんな金を見せびらかしたらさ、私に襲われるとか考えなかった? 脇が甘すぎじゃないかしら?」
くすりと笑った更紗の顔が悪女へと歪むのが、意識を失う前に霞んで見えた。
***
「……ろー」
「うーん」
「おーい、起きろー。眼鏡女ー!」
頭からペットボトルの水を掛けられ、目が覚めると目の前に多数の男と、彼らの一番後ろに更紗が立っているのが見えた。更紗は煙草をくわえて男に火をつけてもらいながら、壁にもたれて一服していた。立ち入りを禁じた横道の中であることはすぐにわかった。
男達の人相は悪く、ボディチェックの入らないクラブや、裏路地で夜にしか見ないような派手なピアスや、やたらにタトゥーを入れた格好をしていた。タトゥーに共通点があるところを見ると、半グレのチームというところか。
眼鏡から水が垂れ切ると、私は更紗の姿をぼんやりと見つめた。そんな私の腹を男が突然蹴り上げた。
「ぐぅえっ!」
「ちゃっちゃと起きろや、この不細工が」
「更紗ぁ、こいつが例の金づるか?」
「そうよ。痛めつけるのも、喋れる程度にしといてよね。口がきけなくなったら面倒だわ。これからそいつのバイトの上司の情報を聞きだすんだから。その後なら犯すなり殺すなり、好きになさいな」
「ひゃっほぉ、好きにしていいのか?」
「いいのよ、そいつド変態のドМだから。死ぬ時は、見ず知らずの亡者に穴という穴を無理矢理犯されながら地獄に引きずられて逝きたい、だっけ? さすがにドン引きだわ」
更紗は煙を吐きながら口を歪めて笑った。煙で一部しか表情が見えなかったが、口の端が上がっているのは見えた。なるほど、こう来たか。私は夕飯に食べた物を吐き出しそうになるのをかろうじて堪えながらも、沸き立つ感情を抑えられなかった。
そう、これで――楽しくなってきたじゃあないか。漏れる忍び笑いがこらえきれそうもない。
「こいつ、笑ってやがるぜ」
「なるほど、変態じゃんよ」
「多少無茶しても喜ぶんじゃない? あんたたち、そういうの好きでしょ?」
「おうよ、この前も拉致った女がすぐ壊れて楽しめなかったからよ。気に入ったら連れ帰ってもいいかよ?」
「お持ち帰りもいいんだけどねぇ――更紗ぁ、これが結論でいい? 五百万、いらないの?」
男達に蹴られ、鼻血を出しながらも笑いが堪えられない。その表情が余程鬼気迫っていたのか、男達がたじろいだ。なぁんだ、更紗以外は小物ばっかりか。更紗は表情一つ変えないところを見ると、まだ楽しめるかもしれない。
更紗は語る。
「五百万は欲しいわ。でも、長期的にはもっとほしいのよね。親父が下手うった借金が思ったより大きくってさ。親父は今頃責任取らされて沈められてるだろうけど、私までそうなるわけにはいかないんだよね。馬鹿な親父を持つと苦労するわ。
それより良いことを思いついたの。あなたが持っている金のなる人脈――それを私がまるごといただいた方がいいだろうなって。あなたより、私の方が上手くやれるとは思わない?」
「――それはどうかなぁ。でもそれだけじゃないでしょ? 元はといえば、父親の金庫から金をくすねて勝手に事業を起こして失敗したのが原因じゃんか。だから父親は首がまわらなくなった。あるはずの金がなくなったから。
それで父親のせいにするんじゃ、お父さんも報われないだろうなぁ」
私がへらへらしながら告げた言葉に、更紗の顔色が変わった。そしてつかつかと歩いてくると、ブーツで私の頭をボールみたいに蹴飛ばした。頭が崖の部分からはみ出して、深淵をのぞき込む。崖下に私の血が滴ると、闇が蠢いて血を飲み込んだ気がした。
いいじゃないか、緊張感のある状況だ。くるりと上を向くと、更紗が私の胸を踏みつけながら苛立つ声で詰問する。
「どうしてそのことを知ってるのかしら?」
「さぁてね。それにしても武芸を使うとは思っていたけど、護身術のレベルじゃないよね? 足音が静かすぎるもん。テコンドー?」
「サンボと合気道、それにクラヴマガを少々。それより、質問に答えなさい! 落とすわよ!」
「準軍人じゃんか。事情なんて調べればすぐわかることだよぉ。相手が信用できるかどうか調べるのなんか、取引の基本でしょ? 繭が私に紹介するのは、面白くなること請け合いだから」
「面白い? この絶体絶命の状況が?」
更紗は意外そうに鼻で笑ったが、それは私も同じだ。追い詰められているのはどちらか、知ってもらうとしよう。
「絶体絶命? この程度の状況で? チンピラ集めていきがって、舐めてんのはどっちだ! 人間の闇を舐めんじゃねーぞ、クズどもっ! 葛、やれっ!」
「おうよ」
その一声とともに、葛が突然乱入してきた。横穴の入り口付近にいた男の腹を殴ると、男がふわりと浮き上がり、そのまま悲鳴とともに崖の下へと落下していった。呆気にとられるうちに二人、三人と葛が掴んでは紙屑を捨てるように崖下へ放り投げる。
男が手に持っていた鉄パイプで殴りかかるが、葛はそれを受け止めると、相手の腕ごと脇に抱えてへし折った。そのまま鉄パイプを奪うと、頭を殴りつけようとするところを後ろから繭がひょいと奪い取る。
「だめだよ、葛。葛の腕力で武器を使ったら、頭がなくなっちゃう」
「ワリ、直接の殺しはなしだったな」
「結果的に死んじゃうのはしょうがないけどね」
繭は右手に鎖、左手に鉄パイプを持ち、葛の前に出た。その右手と左手が同時に消えたかと思うと、男達が四人同時に血まみれで倒れた。倒れた男達は、葛が丁寧に崖下に放り投げていく。
残った男がナイフを抜いたが、繭の使う鎖に巻き取られ、操られるように自分の腿を刺した。その背中を蹴飛ばして、崖下に落とす繭。十人からいた男たちは、あっという間に一人もいなくなってしまった。
だがそれでも更紗は足をどけない。私を人質に取っていると思っているのだろう。そのまま背中のリュックからスタンバトンを取り出し、スイッチを入れて二人を威嚇した。
「改造してあるわ。下手したら心臓マヒで死ぬわよ?」
葛と繭は顔を見合わせ、くすりと笑った。その行動に更紗が怒りで顔を赤くする。
「何がおかしいっ!」
「電気椅子でも死なねー俺達にそんなもの向けられてもなぁ、脅しにも何にもなりゃしねぇ」
「それ、グンジョーに使えばよかったのに。きっと喜ぶから」
「もう使われたってーの。ちょっと濡れちゃったけど、更紗って優しいからさ。ちょびっとしか流してくれないんだもん。運ぶ時もちゃんと持ち上げてくれるしさ。どんな楽しい展開になるかってワクワクしてたけど、まぁありきたりだったかなぁ。思ったよりは格闘術が得意だったせいで、不意を突かれたけど」
「あんた、ワザと――」
更紗が私を見た時、私はライトの先端を外して更紗に向けていた。
「ねぇ、これなーんだ?」
ライトのスイッチを押すと、電極が飛び出して更紗が激しく痙攣し、気を失った。
***
「うぐ……う」
「起きて、更紗~朝だよ~朝じゃないけど~」
ペットボトルの水をかけると更紗が起きた。数秒で覚醒すると、凄まじい目つきでこちらを睨む。
「あんたたち……私をこんな目に遭わせてどうなると……」
「虚勢はやめときなよ、更紗ぁ。見苦しいよ? 背後関係がないのは調べていることだし、助けは来ないよ。私を罠に嵌めるなら、もうちょっと準備してから来ればよかったね」
「何者なのよ、あなた?」
更紗の問いに答える義務はないのだが、まだ葛の準備には時間がかかりそうだ。その間を埋めるとしよう。
「ただの浪人生のアルバイターだよ」
「ただのアルバイトがテーザーガンなんて使うかっ! それに何よ、あの葛と繭の化け物みたいな強さは! あいつらだって夜の街じゃ、本職も恐れる武闘派として有名だったのに!」
「葛と繭は特殊部隊顔負けの鍛え方をした、私の護衛だよ。子どもの遊びで武闘派なんて言われてもな。私達は本当にアルバイト。ただし、取引相手が国家機関だったりはするけど」
「そんな……日本政府のエージェントだっていうの?」
更紗が驚きの声を発したが、その時葛の準備が終わったらしく、長いロープを持って入って来た。
「グンジョー、これで足りるかぁ?」
「どうだろ? まぁ足りなくてもいいんじゃない?」
「ひでーやつ」
「何、何をする気?」
「ルールを破ったからね、報いを受けてもらうよ?」
更紗が不安そうに怯えたが、葛が義務的にロープを腰に巻き付けて肩に担いだ。そのまま崖の傍に来る。
「落とす気?」
「ちょーっと違うかな。ネタバレしちゃうとね、確かに私はエージェントなの。ただし、相手が日本政府だけとは限らない。この廃駅とか地下って、広大な実験施設なのね。私はその実験施設の管理人」
「地下帝国の女王なんて呼ばれてるよな?」
「はい葛、だまらっしゃい! 廃駅のマッピングは本当。アルバイト代も普通にやってれば普通に払ってた。ただし依頼主は複数いてね。そろそろ下の化け物達が繁殖期に入るから、手ごろな餌が必要だって言われてたの。どこから調達するか悩んでいたけど、せっかくだから利用させてもらっちゃった。その武闘派なんちゃらは、今頃下で楽しんでるよ。生きてたら、だけど。
でも更紗は美人だから、できれば私と仲良くなってほしかったけどなぁ……ルールを破った奴には例外なく罰を下すことにしているから」
更紗に向けて投げキスをしながら、崖の下を強力なライトで照らす。そこには白くぬらぬらと光る体色をした、人間ほどもある巨大なサンショウウオのような生物が多数蠢いていた。目はなく、光には反応しておらず、口元は血に濡れていた。先ほど落とした男達がどうなったか、更紗は知った。
見たこともないおぞましい光景に、さすがに更紗がごくりと唾を呑む音が聞こえた。
「あれは――何?」
「地下の実験生物の一種。デカいのがいるって言わなかったっけ?」
「言ってない!」
「音にしか反応しないから、気を付ければ逃げられるよ。だからその首輪を渡したのね。あいつらが万一上がってこようとしても、この首輪があれば嫌がって襲われないから。
それがなくても更紗は美人さんだから、気に入られれば割と長く生きられるかもしれないよ。でも化け物達の慰み物なんて、死んだ方がマシかなぁ……それは人によるか。
あ、ちなみに逃げようとしてもここはツルツルの断崖絶壁だから、ボルダリングがどんなに上手くても上がってこれない。別の出口を探してね?」
「な、なんてことを――」
「まぁまぁ。あと一つプレゼント。その首輪にはね、もう一つ仕掛けがあって。こうやってスイッチを切り替えると――」
私が手元のスマホで操作をすると、下にいる化け物たちが一斉に更紗の方を向いた。更紗が小さく悲鳴を上げると同時に、葛が更紗を下に降ろし始める。
「い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! やめろ、馬鹿、やめてぇ!」
「うーん、美人の悲鳴はたまらんねぇ。意外と良い声で鳴くじゃないか」
「グンジョー、オジサンっぽい」
「グンジョー、ロープの長さが3mほど足りねぇ」
「じゃあ切っていーよ」
「あいよ」
葛が何のためらいもなく更紗の体を固定していたロープを切った。当然更紗は受け身もとれず地面に落下し、しこたま足首をひねった。
「うあっ! あ、足が……!」
「じゃあ頑張ってねぇ、更紗。冒険楽しかったわ。バッドエンドなのは残念だけど」
「ちきしょう! テメェ、絶対に殺してやる!」
「いやん、汚い言葉遣いはダメよ。美人が台無しになっちゃう。あぁ、もう一つ面白いことを教えてあげよっか?」
「?」
「あなたの事業が失敗したのね、私が裏で手を回したの。結構ヤバイ連中と付き合いのある、若くて美人の企業家がいるって聞いて、どんな破滅をするかなって興味があってさ。取引先の闇金も私の配下だし、ちなみにお父さんは無事だから。自分の命と娘を差し出すのとどっちがいいって聞いたら、即答で娘を差し出したよ? いやー、父娘揃ってクズだねぇ。
ちなみに私の噂を知ったのも、繭と葛が手を回してました。最初っから更紗は掌の上だったんだ。驚いたかな?」
「て、て、テメェ~‼」
声にならない絶叫と怒声は、化け物たちが興奮して更紗に群がる声でかき消された。眼下の喧騒を聞きながら、私は背筋を伸ばし、歪んでしまった赤い眼鏡を外した。
「あ~、面白かった。まぁまぁのイベントだったね」
「もうちょっと長く遊んでもよかったのに。またグンジョーの遊び相手を探すのは面倒なんだけど」
「しょうがないじゃん、更紗が行動に移すまでが思いのほか早かったんだから」
「もし普通に更紗がバイトしてたら、どうした?」
葛の質問に私は笑顔で答える。
「その時はフツーに友達だよ。性格がよかったら遊び友達、悪かったら調教して肉奴隷」
「歪みなく変態だな」
「お褒めの言葉をどうも。あ、賭けない? 更紗がどうなるか」
「化け物に食われるに百万」
「化け物の慰み物としてしばらく生きているに二百万」
葛と繭の言葉に、私は笑顔で返した。
「生き延びて私に復讐に来るに五百万」
「……ぜってー何か仕掛けてるだろ、グンジョー」
「はぁ、性格悪いなぁ。また賭け金総取り?」
「まーまー、結果はごろうじろってね」
私は悲鳴をBGM代わりに聞きながら、その場を上機嫌であとにしていた。
***
三日後、昼休みの予備校の屋上。ここで一人サンドイッチを食べながら街を見下ろすのが好きだ。ほどよく高く、地面を這いつくばって動き回る必死な庶民と、さらに上のビルから人を見下ろしながら仕事をする自称勝ち組の勘違い共を同時に観察することができるからだ。
私はそのどちらにもなりたくない、なんてことはモラトリアムが許される年齢だから感じるのだろうか。などと考えながら次の遊びの算段をしていると、不意に携帯が鳴った。非通知だが、だいたい誰か想像がつく。
「ハロー、ジェイク」
「オー、どうしてワタシだってわかるのですカ?」
「昨日港湾で情報局と一戦やらかしたでしょ? そりゃあわかるわよ」
「さすが地獄イヤーね。情報局の高瑞樹さんによろしくしてくだサーイ。私の右肩を撃ちやがったクソッタレ野郎デース」
「はいはい、今度会うから伝えとくよ。んで、ステイツの特殊部隊の隊長さんが何用? 依頼の成果を確認したら、送金だけしといって連絡したでしょ? 盗聴されたらどーすんの、この電話」
「地下帝国の女帝の電話を盗聴なんて、恐ろしくて誰もできないデース。依頼の成果は本日確認しまシータ。だけど一人、生存者がいるデース。その相談をしまショーウ」
「へー、女の子でしょ?」
「そうデース。腕が一本無くて、体もあちこちひどい状態ですケド、ぶつぶつとグンジョーの名前を呟きながら、かろうじて生きてマース。しかもちょっと面白いことになっているので、ステイツの研究機関で経過観察してもいいデスカー? もちろん、追加料金は払いマース」
「好きにしてよ。だけど一個だけ取引しない?」
「ナンデショウ?」
「追加料金はいらないから、研究が終わっても生き延びてたら、その子を鍛えてよ。それで私の国にエージェントとして送り込んで。手引きはしてあげる。悪い相談じゃないでしょ?」
電話の相手はしばらく沈黙していたが、緊張感が高まったのがわかる。私も今どんな悪い顔をしているか、屋上にいる予備校の連中共には見せられない。
「……イーエ、悪い相談デース。アナタの遊び相手にする気デスカー?」
「遊び相手になるかどうかは本人次第かな? 面倒ならいいよ、研究が終わったら処分してくれて」
「そういうことなら、使い物になったら送りマース。まったく、女王様には適わないデスネー」
「だから私はドМだからさぁ、女王様なんて呼ばないでほしいなぁ」
「間違えました、最低ビッチのクソ女デスネー……あ、もう切りマスネー。私達の居場所、情報局にタレコミやがりましたネ~? 撃ってきやがったデース」
「ははっ、こっちも商売でね。あんたたちから三千万、情報局から五百万いただきました~。毎度あり~」
「チキショウ、このファッ○ンビッチ。五百万程度で俺達の命を売るなっツーノ。死にやがれデース。じゃあオゲンキデー」
そう告げてジェイクの電話が切れると、ふっとおかしくなってきた。
「死んでほしいのか元気でいてほしいのか、どっちだろう?」
「マッチー、いたいた~。今度の合コンなんだけどさ~官僚を紹介してくれるってマジ?」
予備校で新しく知り合った女の子二人が私を見つけて走り寄ってくる。そういえばそんな話を何日か前にしたなぁ。さて、真面目な官僚を紹介しますか、変態の官僚にしますか。お勧めは後者。だって、後ろにいる清楚目の女の子、絶対ド変態だもんね。匂いでわかるよ。
また新しいアルバイトのことを考えなきゃあいけないね。これだからやめられないんだ。こりゃあ来年も浪人かなぁ。妙に青い空を見上げながら、私は次の遊びを考えていた。
終
二作目の投稿が間に合った……
主人公に腹が立っても怒らないでくださいね。
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