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永劫不滅のアステリズム

作者: 鳥乃雛

「花火をしよう」


家の縁側、ひさしの陰の下で寝そべる彼女からの、突然の提案。

先ほどの水撒きによって庭にできた小さな水たまり。そこに太陽の光が反射してキラキラと輝いていて、私は眩しさに目を細める。

それらは熱線によって蒸発していくと同時に、空気中から熱を奪ってささやかな涼しさをこちらへと届けた。


「まだ昼だけど」


私の太ももに横たえられた顔を見下ろす。目が合うと彼女は柔和な微笑みを返してくれた。

夏休みに入ってから彼女は毎日のようにウチに来ている。

毎年この時期になると、こうして一緒に縁側でだらだらと過ごすのが私と彼女の通例となっていた。


「それより、宿題したほうがいいんじゃないの」


ものぐさな彼女のことだ、どうせ何ひとつ手をつけていないのだろう。


「いいよそんなの、あとでやれば」


案の定、そんな答えが返ってくる。


「最終日になって苦労するくらいなら、普段から少しずつ片付けていけばいいのに」


「ああもう、相変わらず真面目ちゃんなんだから」


それができたら苦労しないんだよ、なんて言って勢いをつけてからだを起こすと、こちらにぐっと身を乗り出して。


「そんなことより花火だよ、花火!」


風とともに送られてくる彼女のにおい。

花のような芳しい香りが鼻腔をくすぐる。


「だから、まだ昼だってば」


「じゃあ、やるのは夜になったらでいいよ。とりあえずは今から買い出しだね」


ええ……と声が出た。庭を見ると、太陽の容赦のない光線攻撃によって水たまりはとうに霧散して、辺りには空気の揺らぎだけが残っていた。


「……買い出しも夜でよくない?」


「ダメ」


そう言って彼女は胸の前でバッテンを作る。その動作がいかにも可愛らしくて、つい緩みそうになった頬を引き締める。


「なにもこんな暑いなか、外に出なくても」


「分かってないなあ」


人差し指を立てると、チッチッチッと揺らして、それから大仰に両腕を広げて。


「暑いからこそ外に出るんだよ。一度しかない夏なんだから、めいっぱい青春しないと!」


妙に芝居がかった仕草で熱弁を振るう。

一体何に影響されたのだか。昨日の夜に青春モノの漫画でも読んだのかもしれない。


「夏はまた来年にもくるけど」


私が言うと、彼女は赤い頬をぷくりと膨らませる。

こういう彼女のいちいち愛らしいところが、ずるいと思う。


「今年の夏は一度きりなの!」


そう言うなり立ち上がると、私の手を取り持ち上げようとする。

自分は昨日までウチでずっとだらだらとしていたくせに。相変わらず彼女は気まぐれで、強引だ。


チリン、と風鈴の音が鳴った。外に目を向ければ、世界は相変わらずの夏模様。

思えば、ここ最近はずっとこうしてこの涼しい縁側でだらだらとしていただけのような気がする。

そろそろ、彼女の言うように夏を感じてみるのもいいのかもしれない。


「じゃあ……行く?」


「えっ!」


私の言葉を聞くと、彼女は先ほどまで掴んでいた私の腕に抱きつくようにして、ぐいと身を乗り出してきた。


目の前には、驚きに満ちた表情の彼女の顔。

なんというか、その、必要以上に近すぎませんかね。こちらも必要以上にドキドキしてしまうのでやめてほしいです。


「ほんとに行ってくれるの?」


いや、あなたが行こうって言ったんでしょうが。


「まあ、どうせイヤって言っても無理やり連れていかれるだろうし」


「えー、わたしそんなことしないよ?」


「嘘。この前だって……」


「小言は聞きたくないですよーだ」


そう言って彼女は私の腕を引くと、いきなり走り出した。


「ほらちゃんと走って! はやくいくよー!」


「ちょ、ちょっと待って! サイフ! 帽子! あと着替え!」


「もう! なんで用意してないのさ!」


「いや……さすがに無理でしょ」


玄関まで到達した私たちは結局、たったいま走ってきた廊下を引き返すことになった。







玄関を一歩出ると、そこはもう別世界だった。


うねる大気。ジリジリと肌を焼く日差し。

そろそろと控えめに、やけにぬるい空気を運んでくる風。空を見上げればどこまでものびる大きな入道雲。

数日ぶりの外の世界は、こうもあからさまに夏だった。


「あついねー」


横で言う彼女に、私は首肯する。


本当に暑い。太陽はギラギラしているし地面は熱気でなんかもわもわしてる。吸い込む空気すら熱くなったように感じる。

でも、それら全てが、何故か心地よかった。いま私は、全身で夏を感じている。それが、最高に気持ちがいい。


いっくよー、なんて言って駆け出す彼女を、笑顔で追いかける。振り返った彼女の顔もまた、笑顔だった。ただそれだけのことが嬉しくて、楽しくて。柄にもなく、青春だな、なんて思ってしまった。







「……あつい」


「……暑いね」


ぼそりと呟く彼女の声に同意する。


本当に暑い。先程までの元気はどこへやら。私たちは、今にも死にそうな顔をして歩いていた。


一歩足を踏み出す。それだけでどっと全身から汗が噴き出す。髪の毛やシャツが肌に張り付く。靴は蒸れて足がかゆい。近くの雑木林から聞こえてくるセミの大合唱に苛立ちを覚える。


世界は相変わらず、これでもかというくらいに、夏。

そこにはついさっきまで感じていたような爽やかさはなく、ただただ不快感がつのるばかりであった。


「ねえ、もう帰らない……?」


「ええ、それ言っちゃう?」


私の本心からの発言に苦笑しながら答える彼女。


いやもう、本当に帰りたい。これはいくらなんでも暑すぎる。

なんでこんなにも暑いのか。答えはあれだ、夏だからだ。


「もうちょっとだからがんばろ? ね?」


「もう無理ぃー、しぬー」


「ほらほら、もう見えてきたよ、あそこ!」


そういって角を曲がった彼女が、はるか向こうで熱気に揺れるコンビニを指差す。

ゴールは見えたが、そのあまりの距離にいっそうの絶望を感じながら歩を進めることになるのだった。







コンビニの自動ドアを通り抜けると、エアコンによって冷えすぎているくらいの空気が私達を出迎えてくれた。


「はあ、涼しい」


「生き返るー!」


口々にこの天国への感想を言い合う私たち。

店内を見回すと、整然と並べられた商品棚の一番目立つところに手持ち花火のセットが置いてあった。


いくつか種類があって、そのなかでも中ぐらいのサイズとお値段の物を手に取った。彼女へ視線をやると、これでいいよ、と頷いてくれた。


「ね、アイス買おうよ」


予想通りの言葉につい口元が緩む。

これが私と彼女の通例なのだ。


買うのはソーダ味のアイスキャンディー。棒が二つ刺さっていて、真ん中で割れるやつ。


「やっぱこれだよねえ」


そういって手に取ったアイスを私に手渡して、手すきになった両腕を絡めてくる。

クーラの寒風を受け、汗が引いて冷え冷えとしてきた身体の中で、彼女と触れ合う部分だけがじんじんと熱を帯びている。


「もう、店内なんだからやめてよ」


「ええー、別にこれくらい普通だと思うよ?」


ちらりとレジへと目をやる。店員さんはこちらを気にする様子もなく、小銭を数えている。

私たちの他にお客さんもいないし、そこまで忙しくしているわけではないのだろう。暇つぶしのように指を繰る仕草から、私たちに対する興味といったものは感じられなかった。


特に奇異の視線を向けられているわけではないということに安堵し息を吐いた。

彼女の方へと顔を戻すと、不安げな、潤んだ瞳と目が逢った。なんでもないよと、小さな頭を撫でる。


彼女にこうされることは、嬉しい。でも、そういった行動は周囲からは普通ではないように映るのだろう。私と一緒にいることで、彼女が好奇の目で見られてしまうことは許せない。

私のせいで、彼女に嫌な思いをさせてしまうなんてことは、絶対にあってはならないのだ。


「花火とアイス、買いにいこっか」


私がそう言うと、彼女は私から離れた。







日もとっぷりと沈んで、網戸から吹き入れる風にも一抹の涼しさを覚えるようになった頃に彼女はまたやってきた。


あのあと、一度お互いの家に帰って夕飯を頂き、入浴まで済ませてから再度集まろうということになったのだ。


彼女は白色の生地の上を赤と黒の金魚が泳ぐ、いかにも夏らしい浴衣を着ていた。

私が着ているのは紺の生地に色とりどりの朝顔を咲かせたもの。どちらも二人で一緒に選んだ浴衣だ。

せっかく花火をするだから、少しでも雰囲気を作ろうという、彼女からの提案だった。


「浴衣、かわいいね。やっぱりよく似合ってる」


私がそう言うと、隣でえへへと笑う彼女。可愛すぎる。

彼女も私の浴衣姿を褒めてくれる。それだけで胸の中が幸福感で充足するあたり、自分ってちょろいのかなって少し思う。


縁側には既に花火とロウソクに水を入れたバケツが用意されていた。その横には三角に切られたスイカ。私が浴衣を着ている間に、お母さんが準備していてくれたのだろう。


「おばさんにお礼言っとかないとね」


そう言ってスイカを手に取る彼女。私も一緒に並んで縁側に腰掛け、スイカをかじる。歯で噛むとシャリシャリと音を立て口じゅうに水分を散らす。舌に広がるこのかすかな甘さが私は好きだ。


昼間、あれだけ騒がしかったセミたちの声も、さすがにこの時間にもなると聞こえない。外からのささやかな風が入り込むたび、風鈴が小さく鳴るのがよく響いた。空には眩しすぎた太陽の代わりに、やさしく輝く満月。そして流れる雲に、大きくかかった天の川があった。


七夕はとっくに過ぎていて、彦星と織姫が出会うのはまた約一年後。もしも私が彼女と引き離されたら、彼らのように健気に会える日を待つことができるだろうか。

私たちも来年には受験生だ。彼女はいったいどこを受けるんだろうか。県外の高校に行ったりしないだろうか。

そもそも彼女は、私と一緒にいたいと考えているのだろうか。彼女から、私と離れたいと言われることはないのだろうか。もしそうなったら、私はどうしたらいいんだろうか。


「隙ありっ」


ぼうっと空を眺めていたら、手に持っていたスイカにかじりつかれた。彼女の手にあるスイカは半分ほど食べられていて、三角から台形らしき形に変わっていた。


「おいしい?」


「んんー、甘い」


「同じ味でしょ。まずは自分の食べなさいよ」


「だってなんか考え事してるんだもん。せっかく一緒にいるのに」


あなたのことを考えてました、なんて言うのはなんだか気恥ずかしくて、ぷくりと膨らませた彼女の頬を人差し指で突いた。ふにふにと柔らかいその感触は、いつまでも触っていたい心地にさせる。


「私は怒っています。そんなことでは私の機嫌は取れませんよ。ていうか指、ちょっとべたべたしてる」


「えっごめん、スイカの汁かな」


浴衣の裾で彼女の頬を拭ってやる。彼女の綺麗な肌を傷つけないよう、優しく。すると彼女が手に持つスイカを渡してきた。空いている左手で受け取る。


「もう許しません。こうだー!」


叫びながら抱きつくように飛びかかってくる彼女。


「あははは! ちょっ、こら、やめて! 浴衣に汁ついちゃうでしょ!」


彼女の浴衣を汚さないよう、スイカを持つ手をよける。そのせいで開いてしまった脇へと彼女の手が突っ込まれる。くすぐったさに反射でつい腕をたたんでしまいそうになるのをこらえる。しばらくじたばたとしていると、ようやくくすぐる手を止めてくれた。


ぜえはあ、と息を整える私にのしかかり、見下ろすようにして顔を見つめてくる。


「反省しましたか。わたしを怒らせた罰ですよ。お詫びとしてわたしは頭なでなでを所望します」


先ほどまで一緒に食べていた果実とも野菜ともつかないそれを握っている手を眺める。いまさっきの奮戦のせいで、私の両手は見るも悲惨なことになっていた。


「手、洗ってからね……」







二人一緒に、手持ち花火を地面に置いたロウソクの火へと近づける。

彼女のほうが早く火がついて、やや遅れて私のものもぱちぱちと火花を吹き出す。


「わあ、綺麗」


「ほんと。なんだか久しぶりにやった気がする。こんなに綺麗だったんだ」


「ね? やってよかったでしょ」


花火の光に照らされて、可愛らしい得意顔が闇の中で輝いている。それをもっとよく見たくなって、彼女の隣から一歩右へと離れる。すると彼女も右へと移動し、ぴったりと私にくっついてきた。


「もう! なんで離れるの!?」


「いやちょっと近すぎたかなって。顔をよく見たくって」


「えっやだ、恥ずかしいからちゃんと見ないで!」


そう言って私の肩へとおでこをぐりぐりと押し付けてくる。確かに彼女の顔は見れなくなったが、ちゃんと花火は見えているのだろうか。本日のメインはそっちのはずなんですが。


火の消えた花火を水入りバケツに投げ入れ、空いた右手で頭を撫でてやると、ぐりぐり攻撃は収まった。それでも彼女の頭は離れないで、私の左肩にずっしりとした重みを感じさせていた。後ろでまとめた髪からは、彼女がいつも使っているシャンプーの香りが漂ってくる。


「もう、そんなにひっついてたら花火できないよ」


「…………ね、こうやってわたしにひっつかれるの、イヤ……?」


伏せた頭から聞こえてきた彼女の声が、なんだか湿り気を帯びていることに私はびっくりした。もしかしてだが、泣いているのだろうか。


「え、ちょ、どうしたの? 私、そんな嫌そうにしてるように見えた?」


「前はこんな風にくっついても、離れてって言わなかったもん。さっきだってわたしが話しかけても何か考え事してた。そんなこと前はなかったのに」


どうやらさっきあんなに怒っていたのは、考え込むあまり彼女の話を無視してしまっていたかららしい。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。


彼女が近くにいるときに、周りの目が気になるようになったのは、彼女との関係が変わったからだろうか。


夏休み前のちょっとした休日。海の日に海に行くなんてベタなことをしたあの日。夕暮れの帰り道。自転車で風を切る感覚が心地良くて、ついそのまま告白してしまったのだ。


「ずっと昔から一緒にいて、ずっと好きで、ようやくこないだ付き合えたのに、すぐにどっか遠くにいっちゃいそうで、不安。近づいても、なんだか、わたしのところから離れていきたがってるみたいで、不安。高校だって、何も言わずに遠くのとこ受けちゃうんじゃないかって」


嗚咽混じりの声色で、ぷるぷると震えながら思いのたけを吐き出す彼女。そんな彼女を見て、彼女の想いを知って、実のところ私はとても嬉しく思っていた。


なんだ、彼女も同じ想いだったのだ。私の心配なんて、杞憂だったんだな、と。


うつむいたままの頭をよしよしと撫でてやると、少しだけ彼女の震えが止まった気がした。


「大丈夫だよ、どこにも行ったりしない。前と距離が変わったのは……ちょっと周りの目を気にしすぎてたみたい、ごめんね。でも、私だってほんとはずっとくっついてたいって思ってるよ」


「…………もっと」


「えっ、あっ、えーと、好きだよ?」


「……もっと」


「好き、大好き」


「そうじゃなくって……」


がばっと勢いよく上げられた彼女の顔はやはりぐしゃぐしゃで、涙のあとが夜闇に光っていた。浴衣の袖でそれらを拭っていると、彼女がぼそりと小さく呟く。


「……ねえ、お願い」


そう言って彼女は目を閉じ口をすぼめ、顎を突き出してきた。


な、なるほど、そういうことか。


彼女の意図を理解し、一気に顔が熱くなっていくのが自分でも分かる。彼女のほうも、頬にほんのりと赤みがさしているように見えた。

小さい子供の頃はよくしていたらしいが、物心がついてからとは話が別だ。


どきどきと高鳴る心臓の音がうるさい。彼女の頬へと手を添えると、ぴくりと肩が揺れた。やはり彼女の方もかなりの勇気を振り絞ってくれたようで、熱すぎるくらいの温度が手のひらへと伝わってくる。

そうしてしばらく逡巡していたが、今かいまかと待ちわびる様子の彼女を見て、意を決する。


私達は付き合ってからの、そういう意味での、初めてのキスをした。







買った花火もあらかた燃やし尽くして、最後に残った線香花火に火をつける。


「わあ、きれい~」


手に持った紐の先でぱちぱちと弾ける小さな火の玉。眩しく輝きながら一心不乱に燃え上がるその炎を見て、まるで私の心のようだと思った。


「あ、わたしの落ちちゃった」


花火の入った袋から新しい線香花火を取り出し、私の持っているものに近づける彼女。


「火、もらうね」


私の花火の炎が彼女の持つ線香花火を燃え上がらせるのを見て、たまらなくなって彼女にキスをした。


彼女はびっくりした表情のあとににっこりと笑って、それから互いにぴったりと肩を寄せ合った。


もうしばらくすると、地元の花火大会もある。そこでは、真夏の夜空を彩る数十発の光の花が、打ち上げられる。


今年もその花火を見るのだろう。今まで通り、同じ花火を、同じ場所で。今までより少しだけ距離の近くなった君と。



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