加護だか呪いだか知らないが、俺だけ生き残る件〜チート能力とかいらないです〜
ほのぼの書いてたら我慢できなくなった。
割と鬱なので、苦手な方はお気をつけて。
片手で握った剣を、怒りに任せて思い切り地面へ突き立てる。その力で地面はバキバキバキッと音を立て割れる。
「オラ!!死ねぇ!!!!!」
俺よりも遥かに大柄な男が、俺の背後から不意に切り掛かってくる。
「お前が死ねっ!!!!」
腹の底から出た俺の声に、男は一瞬怯んだ様子を見せる。その隙を見逃さず、即座に腰を落とし足払いを掛ける。
「てめぇっ!!」
男はバランスを崩し、前のめりに倒れようとする。その無防備になった腹へ、力の限り肘を叩き込んだ。グッと肘は沈み込み、入ってはいけないところへ入ってしまった感触を覚える。
「ぐ、ぁっ……!!」
手加減出来なかった。男が苦しげに血を吐くのを見て、こいつ本当に死ぬかもと思う。それなのに、やり過ぎたとか、殺してしまうかもなんてことは思わない。思えない。
倒れ込んだ男から視線を外すと、遠くで一人倒れている少女が目に入った。俺と一緒にここまで来てくれた少女。その少女は、腹に空いた大きな穴から大量の血を流し、その艶やかな髪を血で染めながら、うつろな目で死を待っている。
少女へ近寄ってその手を取った。死んでしまう、このままでは。
放心する俺の目の前に、静かに佇ずむ誰かが影を落としている。
「なぁ……俺が悪いのかな……。」
「知らねーよ、でもお前がこうしたんだ。」
男はそう言うと、目を背けたくなるくらいボロボロの手で剣を握り直し、切っ先をこちらへ向けて構えた。
ザシュッと肉を切り裂く音が脳に突き刺さる。
目の前が真っ赤に染まる。
ビシャっと顔に生温い液体を感じる。滴り落ちる雫が、鉄臭さが、鼻の奥を突く。
口を開くと濃い血の味がする。
空現実を直視したくなくて、思わず目を閉じた。
こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったのに。
なんでこんなことになってしまったんだ。
-
目が覚めたら剣を振る。俺はハンターだから。
俺が住処としているこの小さな家には、俺以外誰も住んでいない。俺の家族はみんな死んだ。そこに大きな理由なんてない、ちょっとした強盗に襲われただけだ。
俺はたまたまその時、森へ捨てられていたから生き残った。捨てられたことを認めたくなくて、やっとの思いで家にたどり着いたとき、迎えてくれたのは冷たい死体だけだった。
その時は俺も死んでやろうかと思ったけど、今のところそれ以上に辛い出来事が起こっていないからまだ生きている。辛い。辛い。辛い。でも、あの時より辛くない。そう思えばまだ生きていける、そう思い込むことにしている。
そして、今日もハンターとして依頼が入っている。俺はなんでもしてくれると評判だ。基本的にどんな依頼でも断らないから、普通のハンターが断るような依頼がよく来る。俺がどんな危険な依頼でも請け負うと皆知っているから。
その理由は簡単だ。俺には大きな仕事が来るほど知名度がない。それで大きな報酬を得ようと思ったら命の危険を伴う依頼を受けるのが一番近道だ。だから、どんなに危険が付き纏う依頼でもできるだけ断らない。けれど、そのせいで知名度が上がらないまま危険な仕事の依頼ばかり来る様になってしまった気がする。
1件、2件ならまだしも、10件、20件と受けてしまえば、危険な依頼を受けてくれるという評判だけが広まり、小さく危険な仕事が増える。それは大洞窟の奥に住む主の討伐、なんて大それたものではなく、一息でも吸ってしまえば即死する毒を吐く虫の大群の駆除とか、足を踏み外せば死ぬ断崖絶壁を通らないといけない運び屋、みたいな。
正直早死にするんだろうなとは思う。どこかで依頼を断らないと、そう思う気持ちはあっても、実際に目の前で困ってるんです!これだけのお金を払いますから!と言われるとまぁいいかと引き受けてしまう。ここで引き受けても別に死にはしないだろうと、どうしても思ってしまうのだ。あの時だって死ななかったんだから。
1時間ほど剣を振ったり、適当に木を切ってみたりして、依頼のための準備運動を終える。そろそろ約束の時間だ。時間に遅れると文句を言われるから、集合時間は厳守だ。
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「あ、きたー!」
「おはよう。」
集合場所の教会の裏手へ行くと、そこでは少女が待っていた。少女は、自分の背丈ほどもある大きな杖をぶんぶんと振って、俺を迎えてくれる。
この少女は一緒に仕事をしているアニエス。戦闘能力はまるでないけど、魔法が使えない俺と違って治癒の魔法が使うことができる。だから、居てくれるととても助かる。今までの依頼で死にそうになっても死ななかったのは、きっと彼女のおかげだろう。
「今日は西の洞窟の狼狩りだよ!」
「毛皮か。」
「そうそう、結構いい感じの報酬だからがんばろーね。」
「毛皮剥ぐところまでやるのか?」
「でも今日はそれだけだから!」
「ちょっと面倒だな。」
そういうこと言わなーい、といって俺の背中を軽く叩く。最近は俺に直接ではなく、アニエスに依頼が来るようになった。俺は誰に対しても態度が悪いから、話しやすいアニエスに無理難題を承諾させようというアレだ。
まぁ実際はアニエスの方が条件やら報酬やらを吟味して判断するから、俺に直接依頼した方が引き受ける確立は高い。アニエスが依頼を受け始めてから危険な依頼を受ける数は間違いなく減ったと思う。
「じゃあ行こう!何か買っていくものはある?」
「ああ、ないよ。」
「今日も準備万端だね。」
「何も用意してないだけだからな。」
「まーたそういうこと言う!」
「それにしても西の洞窟か……」
「久しぶりだねー。」
この国の四方は洞窟に囲まれている。東西南北に一つずつ、それぞれ相当な大きさと深さで最奥まで辿り着いた人は誰もいないらしい。一応ハンターとして全ての洞窟へ入ったことがあるが、必要以上に深入りしたことはない。洞窟の中はどこまで行っても奥が見えず、もしかしたらこの洞窟は永遠と続いているんじゃないだろうかと思うほどだ。
そんな4つの洞窟の中でも、今回の依頼で向かう西の洞窟はさほど危険じゃない。俺みたいなハンターじゃなくても大丈夫だ。深入りしなければその辺の婆さんがきのことか採りに来ているのを見かけるし、地形的にも平地から地下へ伸びているような洞窟なので、入り口まで辿り着くのも容易だ。
ここから西の洞窟はそんなに離れていないので、のんびりと徒歩で向かう。どうせ今日はこの仕事しかないし、別に急ぐこともない。
アニエスの杖についている大きな宝石が、太陽の光を受けてきらきらと輝いている。この宝石は確か光を吸収する性質があるとか言っていたような。それならアニエスは今日絶好調だな。
「今日もいい天気だね~ほれ~」
アニエスが頭の上で杖を円を描くように大きく振ると、周囲に花びらのような光が舞い散る。アニエスの魔法は本当に綺麗だ。この光を浴びているとなんだか気分が高揚してくる、士気を上げる魔法だったりするのだろうか。
「ふふん、幸運のお守り!今日は天気がいいから効いちゃうぞ~」
「へー、幸運ね。」
「いいことあるよ~」
「おう、ありがとう。」
あまりに暢気で思わず笑ってしまう。煌めく光の花びらに包まれながら、幸運の加護を受けて淡く光る剣に触れる。アニエスの言う通りいい事があればいいけど。
-
洞窟の入り口まで来ると、じめっとした空気が肌を撫でる。きのこが生えているだけある。西の洞窟の奥は鍾乳洞のようになっているという話も聞くし、最奥は地底湖にでもなっているんだろうか。
晴天から光をこれでもかというほど受け取ったアニエスの杖が輝く。松明がなくてもいいのは本当に便利だ。ここで火を使ったことはないが、ここは水が多いから松明が一度消えると点けるのに苦労しそうだ。
「うひゃあ!!」
「どうしたっ?!」
突然悲鳴を上げたアニエスの方を見ると、両手で杖を握ってその場に固まっている。なんだなんだ。
「あしっ足でなんか柔らかいなんかっ踏んだ!」
「何を…………?!」
足元に目を向けると、アニエスの茶色のブーツの下にあったのは人間の白い腕だった。それを目にした瞬間、慌てて剣を抜く。
「なっ……!」
剣を持っていない方の手で、アニエスの襟首を掴んで自分のほうへ引き寄せる。いきなり引っ張られたアニエスは持っていた杖を取り落とし、バランスを崩した。
そのまま勢いあまって、アニエスを後方へ投げ飛ばしてしまったが許して欲しい。最近は腕や足が千切れた死体が動いて襲ってくるなんて噂も聞いたことがある。こいつがそうなら今すぐ叩き斬らなければならない。そう覚悟して、吹っ飛ばしたアニエスを確認する前に、杖を拾い上げて白い腕へ向ける。
杖の光で照らし出された腕は、この世のものとは思えないほどに白く細い。しかし、千切れていたり地面から生えているわけではなく、ちゃんと人間の体へと繋がっていた。黒いマントを被っているので気がつかなかったが、通路の端に人が倒れていた。マントから漏れ出る長い髪と、腕の細さから考えるに女性だろうか。
「人間か?生きてるのか?」
ピクリとも動かない倒れている女性を起こす前に、アニエスの方へ向かう。
「おい、大丈夫か!」
「おーう……足捻ったぁ」
「ごめん」
「んーん、いいのいいの!」
むくりと起き上がったアニエスに杖を手渡すと、杖を軽く振って自分の足を治療する。治癒の魔法にはかなり多くの魔力を使うというのに、アニエスは易々と使ってみせる。
光はこの世界に存在するものの中で、一番多くの魔力を含んでいる。いくらその光を吸収できる杖を持っているとはいえ、魔法が全く使えない俺からすると、まるで同じ人間とは思えない。
治療が終わったアニエスを引っ張り起こして、先ほどの腕の方へと向かう。明らかに腰が引けている少女の腕をぐいと引っ張ると、うわぁーとかいやぁーとか呻いている。こいつこんなんでよくハンターなんかやっているな。
「おい、生きてるか。」
地面にうつ伏せに倒れている女性(?)の体を軽く揺さぶる。一応剣を構えて、襲われたときに叩き斬る心の準備もしておく。反応がないのを見ると、俺の少し後ろに立ってぷるぷると震えているアニエスも、おーい!と強気で声を掛ける。声震えてますよ。
「う、うぅ……。」
女性(?)は呻き声を発しながらもぞもぞと動いた。
「うぐぅ……。」
「大丈夫か?」
死体かとも思えたその女性は、不自然なくらい滑らかな動きで音もなくゆらりと立ち上がった。ビビりのアニエスは、俺の背中に張り付いて女性の方を見ないようにしている。
「うう……」
「怪我はないか?」
「う……はい……。」
良かった。ちゃんと意思疎通のできる人間のようだ。顔の半分を覆う前髪はかなり長い。真っ白い腕や血の気のない顔を見ていると、こちらが貧血で倒れてしまいそうだ。
「ロイ、どう?どう?もう大丈夫?」
「大丈夫、生きてる生きてる。」
不安げに俺の名前を呼ぶアニエスの方を振り返り、目の前の女を指差す。
「な、ちゃんと立ってるだろ。」
洞窟の暗闇にぼうっと佇む姿は、正直あまりにも不気味だ。俺の背後から訝し気に顔を覗かせるアニエスは、こっそり俺と自分自身に守護の魔法をかけている。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だろ。」
「ロイは警戒心が薄すぎるの……。」
「驚かせてしまいましたね……。」
怯える小動物のようなアニエスに苦笑する女性の声は、その見た目にそぐわない品のある声だった。服も汚れてボロボロなのに、どこか清廉さを感じさせる。
「踏んじゃってごめんなさいっ!け、怪我があったら直しますよっ!」
「いえ……奥で狼に遭遇してしまい走って逃げてきただけですので……。」
「頭とかぶつけた?」
「いえその、ここ数日何も口にしていなくて……。」
アニエスは怯えながらも女性の手を取って怪我がないか確かめている。
しかし、狼に追いかけられたのか、何気に今回の獲物は周囲に害が出ているのかもしれない。
「突然襲われたから驚いてしまって……」
「以外と今回の危ないかなぁ。」
「そうかもな」
ここは4つの洞窟の中でも比較的安全とはいえ、狩りにハンターを派遣するような場所だ。いくら何も食べていなくても、大人しく入り口のきのこでも採っていた方がいい。
「今入ってきたばかりだから、ここから入り口までは安全ですよ。」
「はぁ……」
「行かないんですか?」
「ええ、いえ、いや、その……。」
女は急に言葉が喋れなくなってしまったみたいだ。こいつはきっとあれだろうな、物乞いだ。
面倒だな、と思いながら背負った袋を漁っていると、アニエスが女の顔を覗き込みながら、優しく微笑む。
「一人で戻るの怖い?」
「え?あ、は、はい!」
「一緒に行っていいよね、ロイ?」
「入り口へ戻るのは依頼が終わってからになるぞ。」
「か、構いません!!」
「じゃあ一緒に行こーう!」
意図せずパーティが増えた。狼に襲われて逃げてきたやつなんて足手まといでしかないが、アニエスが言うなら仕方ない。じゃあさっさと進もう、そう言ってカバンから取り出した小さなパンを、女の手を掴み握らせる。
「いいんですか?」
「ああ、いいよ。さっきアニエスが踏んだ分な。」
「ごめん!ごめんね!」
「ありがとう、ございます……。」
微妙に和やかな雰囲気になってきたところで、再び洞窟の奥へと進み出した。
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洞窟の奥へ進んで行くと、次第に魔の生き物が増えてくる。
暗闇で輝くアニエスの杖の光に向かって、羽の生えたトカゲが飛び込んでくる。巷では小型のドラゴンとも言うが、このサイズならトカゲとそう変わらない。
真正面から突っ込んでくるドラゴンの顎めがけて、一歩踏み出し、腰から剣を抜く勢いのままに柄頭で殴り上げる。ゴッという鈍い音がして、頭に強い衝撃を喰らったドラゴンはバタバタと翼を動かしながら地面へ落ちる。
「びっ……くりした!」
「以外と硬かった、いてーわ。」
両手で抱えられるサイズの小型とはいえ皮膚の硬いドラゴンを殴りつけたから、その衝撃が手に残っている。手がじーんとして、石の壁に手をぶつけてしまった時のように、軽く痺れる。
洞窟のもっと浅いところにいた蝙蝠たちは、たとえ火を吐いていても、アニエスの魔力の篭った光だけで逃げていった。言ってしまえば雑魚だ。
しかし、それに比べると今のドラゴンはアニエスの光に怯んでいなかったし、小型とはいえかなり硬い、つまり攻撃が通りにくくなっているように思える。
「かっこいいなぁ~私もしゅんってやってゴッ!ってやりたいなぁ~」
俺の真似をするように杖を振り上げるアニエス。
「……すごいですね。」
アニエスだけでなく、こいつからも褒められるとどう返していいか分からなくなる。特に何を考えているのか分からないから、何と言葉を返すべきか迷う。あーとかえーとか言いながら、考える振りをする。
そして、考えるのが面倒になった俺は、それを誤魔化すように地面へ落ちたドラゴンを跨いで、先へ進む。またドラゴンが突っ込んで来てもいいように、剣は抜いて手に持ったままずんずんと歩いていく。
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金属のように硬いドラゴンの皮膚に剣の刃が触れると、火花を散らしガギギギッと嫌な音を立てる。俺はドラゴンの首を切り飛ばそうと、剣を握る両腕に力を込める。太い首へズズズと食い込んでいく刃を振り払うように、ドラゴンの前足が大きく地団駄を踏み、その振動で俺は弾き飛ばされる。頭から落ちてはまずいと首を庇うように体を捻り、地面へ手を伸ばす。ズザザザッと擦れる音がして、手袋を引き裂き手のひらに深い擦り傷が出来る。いってぇな畜生!
手だけでは勢いを殺しきれず、肩から地面を一回転して止まった。
立ち上がって一歩、二歩と後ろへ下がり、体制を立て直す。
普通に切りつけたのでは振り払われてしまう。視界の端で血が滴っている自分の手と、洞窟の壁にピシっとひびが入るのを確認する。こいつは早く仕留めないとまずいかもしれない。
「ロイ!!」
アニエスの鋭い叫び声が洞窟内にこだまする。その声が聞こえた瞬間、背後から強い光を感じる。突然太陽が上ってきたかのように、辺りは明るく照らし出される。
その眩しさに、ドラゴンは俺から注意を逸らした。それに気がついたアニエスの杖はさらに強く光り、一瞬にして視界が真っ白になる。その瞬間を逃さず、洞窟内を一直線に駆け抜ける。
ドラゴンの体の下へ滑り込む。
「オラァ!!!!!」
気合いを入れた声と共に、力の限り剣を突き上げた。ガキッと一瞬引っかかったあと、そのままズブズブとドラゴンの体内へ突き刺さる。
グオォォォォォ……
「ぐっ……!」
ドラゴンの苦しげな断末魔が洞窟内に響き渡る。その反響と振動だけで心臓が潰れてしまいそうだ。
振り払われないように、突き刺した剣を力の限り押し込む。顔にブシャッと血がかかるが、剣を手放さない。その大きな体が横倒しになるのを見計らって、ドラゴンの腹に足をついて剣をその体から引き抜き、体の下から這い出る。
危なかった。こいつが今まで倒してきたドラゴンと同じで、体の裏側は比較的皮膚が柔らかくなっていて良かった。これでだめだったら普通に死んでいたかもしれない。ちゃんと幸運のお守りが効いているのかもしれない。
「だいじょーぶー?!」
「大丈夫!」
アニエスは杖を振り回しながらこちらへ走って来てくれる。俺が手からだらだらと血を流しているのを見ると、うわー!おわー!と言いながら手を取って、杖から光を放出しながら治療してくれる。
アニエスの焦った表情を見たとき、ふと思った。今のは、俺が思った以上に危なかったんじゃないか?倒せないかもしれないと、一瞬でも考えた。まだ洞窟に入ってきて大した時間も経っていないのに……。
そもそもこんな浅い、一般人でも歩いて来られるところにあんな硬いドラゴンなんていただろうか。決して俺の感覚が鈍っているわけじゃないと思う。
そこそこ狩りに慣れている俺でも硬いと感じた。そんなものがいたら、普通そちらを狩ってくれと依頼が来るのではないか?いくら毛皮が欲しいからって、ドラゴンを無視してまで依頼することか?
真剣な表情で俺の手を見つめるアニエスに、疑問を投げかける。
「なぁ、今回の依頼って遠くから来たのか?」
「ううん、この近くの町のおじいさん!あのちょっとお金持ちの人!」
「ああ、あいつか……。」
アニエスの言うちょっと金持ちの爺さんとは、毛皮とか、鱗とか、そういうのが趣味の爺さんだ。珍しいものというよりも、その時の気分で欲しいものを依頼してくる。
あの爺さんは確かに無理難題を言ってくることもあるが、それでもあんな強さのドラゴンが出現した洞窟へ、狼を狩りに行けなんて嫌がらせはしない。むしろ、もっと確実にドラゴンを屠れるやつに依頼するだろう。
俺達じゃ、依頼が無理だと判断した瞬間に先払い金を持ち逃げされる可能性すらある。
「なぁ、ここって、あんなドラゴンいたか?」
「いなかったと思う。それ私も思ってた!まだ結構浅いところなのにーって!」
「だよな。見たことない。」
アニエスは首をかしげながら、手以外の擦り傷も治してくれる。傷口に光が降り注ぐと痛みが消えていく。彼女の魔法は優しくて、暖かい。じわじわと元気になってくる。
「そういえばさっきはありがとう。」
「そう?そう?いやーでも目潰ししてる間に走っていっちゃうとは思わなくて、ちょっと焦った!」
「お前の幸運の加護が効いてたから、大丈夫だろ。」
「お?やっぱ効いた?」
へらへらと笑うアニエスに癒される。その横で、女は幸運のお守りですか、といって不思議そうにアニエスの杖を見つめる。魔法にはあまり触れたことがないのだろうか。
「お二人はよくここへ来るんですか?」
「依頼で来る。そんなに多くはない。」
「へぇ……そうなんですね……。」
女は洞窟の闇にも負けないくらいの暗さで喋る。もうちょっと、少しくらい笑えばいいのに。そんな事を思いながら気がつく、そういえば俺はこいつの名前を聞いていない。
「お前、名前なんていうの。」
「私ですか……私は……フォルです。」
「フォルさん?フォルちゃん?ん~フォルちゃんかな~!」
「好きに呼んでください……。」
フォル、という名前は聞いたことがなかった。俺がこの洞窟周辺の町で依頼を受けていて、耳にしたことはない。
「フォル、お前どこから来たんだ?」
「この近くに住んでいます。」
嘘だ。
俺はハンターという職業だが、人と接しないわけじゃない。依頼の中で、誰々にこれをプレゼントしたいから採ってきて欲しい、あの子をこっそり警護して欲しい、あいつはすごい、あの人はやばい人だから偵察してきて欲しいなんて人の名前を聞くことはむしろ多い。人脈だってそこそこ広いと言えるだろう。
しかし、今までフォルなんて名前は聞いたことがない。どこか遠くから流れてきた民という可能性もあるが、少なくとも普段からこの洞窟を出入りしている人間の中にはいない。
「でも、こんなとこ一人で入ったら危ないよ。」
「そうね、危なかった……。」
危なかったと言いながら嬉しそうに笑うこいつはとても怪しくみえる。特に必要のない嘘を吐くところがとても。
嘘を吐かれているが、特に今のところ特に危害は与えてこないから対応に困ってしまう。何かされそうになったらここへ置いていけばいい。だけど、まだ何もされていない。だからこそどう対応したらいいか分からない。
俺はともかくアニエスが襲われたら大変だ。もしそんなことになるようなら、アニエスの目の前で切り捨てることも考えなければならない。俺はアニエスが大切だから。
「でも、助けて貰えて……嬉しかった……。」
フォルは恍惚としたような表情で、ニタ、とこちらを見つめてくる。
「見捨てることもできたはずなのに……。」
熱い吐息を吐きながら自分の体を抱きしめる。
「嬉しいの……。」
言葉にできない気持ち悪さが体を走る。何がそんなに嬉しいっていうんだ、俺は何もしていないのに。アニエスはいい事したね!と能天気に笑っている。微妙にかみ合わない空間に居心地の悪さを感じて、一人先に歩き始める。
「狼を狩りに行くのでしょう?」
たたたっとフォルが俺の元まで走ってきて、頬を軽く染めながらニヤニヤと顔を覗き込む。
「そうだ。さっさと行こう。」
「強めに光出しておこうかな~」
そしてまた、3人で洞窟の奥へ向かって歩き出す。早くこの空間から解放されたい。
しかし、ここに本当に狼なんているんだろうか、正直あんなドラゴンがいたら食い殺されてしまっているような気もする。今のところ狼の姿どころか気配もないから、万が一このまま見つからなかったときは諦めて、その辺のドラゴンから鱗剥がしていくか……。
「アニエス、この辺りの探索できるか?」
「うーん、うーん、ちょっと待ってね。残りの魔力的にそんな遠くまでは……。」
「この周りだけでいい。あまり奥までは行きたくないからな。」
俺の言葉を聞くと、アニエスは頷いてコンッと軽い音を立てて杖を地面に突き立てる。そして、糸のように細い光を周囲に放つ。金持ちの家で見たベッドの天蓋のようで綺麗だ。
「むむむ……。」
「どうだ?」
「んーー……。」
アニエスの額に汗が滲む。近くまででいいって言ったのに。
「うーん、わかんない!」
「おい」
「周りに何もいないの!だからちょっと遠くまで伸ばしたけど何にもぶつからなかった……。」
「何もいない……?」
「ドラゴンも〜」
アニエスの探索の魔法は、魔力の篭った光を放ってその光で、動いたものを知覚している。それは生き物の心臓の鼓動だって感知できるような精度だ。だから、アニエスが何も動くものが何もないというのは……。
「仕方がない、帰ろう。」
「いいの?もうちょっと探索してからでもいいよ?」
さっきまであんなに生き物がいたのに、この先に生き物が何もいないなんておかしい。狼が居ないというのはともかく、ドラゴンまで一匹もいないなんていうのはどう考えてもおかしい。
普段は洞窟の奥に住んでいるドラゴンが浅いところまで出てきて、狼を喰ってしまったから狼がいないというのはまだ分かる。だが、ドラゴンまでいない理由が分からない。ドラゴンを襲う生き物なんて、そう多くはない。アニエスが見える範囲全てで生き物が全滅するなんてことはありえない。今のこの洞窟は何かがおかしい。
「早く出よう、爺さんには俺が話すから。」
アニエスの腕を掴んで、来た道を引き返す。嫌な予感がする。
「……帰るのですか?」
「ああそうだ!」
後ろから聞こえるフォルの声にも立ち止まらず答える。まるで人間とは思えないくらい無感情な声が頭に入ってくる。どんどん遠ざかっているはずなのに、同じ大きさで声が聞こえる。
「狼がいないから?」
「ああそうだよ!!」
そう返事をしながら、アニエスを小脇に抱えて走り出す。早くここから離れたい。もし洞窟の奥から毒霧やガスなんて出ているようなら、今すぐにでもここから脱出しなければ。
「ちょ、フォルちゃんは!」
「おいっ!早く来いっ!!」
フォルのことを心配するアニエスのために、一応声をかけるが、あいつを気にしているほど俺に余裕は無い。
置いて行くの?!と心配そうな表情で俺の顔を見るアニエスには気がつかないフリをして、全速力で走る。
-
「ロイ!!!ロイッ!!!!!!」
「なんだ!!」
大人しく抱えられていたアニエスが、突然俺を引き止めるように激しく叫ぶ。
「止まって!!フォルちゃんのところに何かいる!!!」
「なっ……。」
その言葉に、急ブレーキをかけ立ち止まる。何かいるって、アニエスの探知にも引っかからないような、一体どんな存在がいるっていうんだ。
「さっきは居ないって言ってただろ!」
「でも今はいるの!」
つい強い口調で反論してしまうが、アニエスの鬼気迫る表情からは、とても嘘を吐いているとは思えない。
「私が見逃してただけ!それに、フォルちゃんは最初から、狼から逃げてきたって言ってた!!」
確かにあいつは最初に、狼から逃げてきたと言っていた。しかし、洞窟の奥にはあいつを襲った狼どころか、その他の生物さえいなかった。それに洞窟の中を逃げてきたのに、怪我の一つもない。俺からしてみれば、あいつの話の方が怪しい。
だけど、今はそこに何かがいるんだと、俺が誰よりも信頼しているアニエスが言っている。
彼女は俺を信頼してくれているから、安易に戻ろうとは言わない。俺がここでこのまま脱出しようと言ったらフォルのことは諦めて、このまま一緒に脱出してくれるんだろう。
フォルを助けても何のメリットもない、襲われている確証もない。今ここで脱出しておくべきだ。
アニエスはじっと俺の判断を待っている。
「……。」
俺を立ち止まらせたくらいだから、アニエスは戻りたいんだ。それくらい俺でも分かる。
「……よし分かった!!お前はここで待ってろ、光だけ最大出力で出しておいてくれ!!!」
「!!わ、わかった!」
アニエスは先程探索をした時のように、杖を地面へ突き立てる。杖から発せられる光はどこまでも伸びる薄明光線のように、今走って来た道をほの明るく照らし出す。
「絶対そこにいろよ!!」
「わかったっ!!!」
アニエスに念を押して、全速力で来た道を引き返す。
そんなに長い距離を戻って来たわけではないのに、走っても走ってもフォルの姿は見えない。一刻も早くここから出たいという思いで、冷や汗が止まらない。早く、早く。
グルルルル……
必死で走る俺の耳に、その時確かに何かの呻き声が聞こえた。
「っ!」
アニエスの光で、うっすらと照らし出される洞窟の先にシルエットが見える。
あれは、確かに狼だ。
「おいっ!!」
狼の気を逸らそうと、大声を出す。怒鳴るように発した俺の声に反応するように、6つの黄色い光がこちらを向いた。
狼がしっかりと認識できる距離まで近づけば、フォルの足に狼が噛り付いているのが見えた。
「助けてっ」
今にも死んでしまいそうな、か弱い声で助けを求めて来る。その声を聞くと同時に腰からナイフを抜き、光る目の方へ向かって、渾身の力を込めて投擲する。
ヒュンッとナイフが風を切る音に続いて、狼の甲高い悲鳴が聞こえる。よし、当たった!
「フォルッ!」
全速力で走ってきた勢いをそのままに、剣を抜き、フォルの足へ噛み付いている狼へ斬りかかる。
「っらあああ!!」
両手で握った剣を、思い切り狼の胴体へ振り下ろして、そのまま剣から右手を放す。そして、左腰に差さっているもう一本のナイフを抜き、右後方から飛び掛って来ていた狼の目を目掛けて振り抜く。ナイフの切っ先が狼の眼球を捉え、ビシャッと血が俺の顔面に向かって飛び散る。
ギャゥッッッ!!!
狼は斬りつけられたことに悲鳴を上げて、よろよろとしながら洞窟の奥へと踵を返して走り去る。最初に俺がナイフを投げた狼は、地面へと横倒しになり、ナイフに塗られた神経毒でビクビクと痙攣している。剣で思い切り斬りつけた方は…………胴体が割れ、中から内臓と血が溢れ出している。あたりは必要以上の血に塗れ、淀んだ空気に包まれる。
「ろ、ロイ……。」
「大丈夫か。」
「はい」
「……。」
「来てくれて、嬉しい……。」
フォルはうるうると目を潤ませながら、頰を染めて俺を見上げて来る。だけど、足からどくどくと血を流す姿を見ても、何故だか可哀想だと思えない。重苦しい場の空気と対応していないフォルのテンションに、少しの苛立ちすら感じる。
必要がないくらい狼を痛めつけてしまった。もう毛皮もいらないから、今すぐここから出て行きたい。楽しそうに一人で何か喋っているフォルとは対照的に、俺の冷え切った頭は俺が無傷だったのはラッキーだ、早くここから出てしまおうと、考える。
ブツブツ言いながら、なかなか立ち上がらないフォルを無理やり抱え上げ、また走りだす。さっきのように早くは走れない。フォルの足から血が滴って俺の服を汚していくが、もはやそれを気にする気力もない。
「いやだ……服が……。」
「別にいいよ、俺は杖もないから治せなくてすまんな。」
フォルは俺の言葉に少し驚いたような顔をしたあと、そんなこと大したことじゃないですと言って、また赤らめた顔を伏せる。こいつは結構な大怪我しているのに、なんでこんなに楽しそうなんだ。
「ふふ……。」
ニヤニヤとしながら俺に運ばれるフォルを視界に入れないようにしながら、アニエスの出してくれた光を伝って走る。いい加減走り過ぎて疲れてきた。早くアニエスに会いたい……。
-
「うわああぁぁ!!血だらけぇぇ!!」
血塗れで現れた俺を目にするやいなや、アニエスはあわあわと杖を振り回して目が眩む勢いで杖から光を放つ。
「ちょっ……まぶしっ……。」
「おらー!!」
アニエスは気の抜けるような掛け声で、杖から治癒の魔法を拡散させる。見境なく四方へ張り詰めていた全身から緊張が抜け落ちていく。目の前が真っ白で何も見えないほどの明るさなのに、目を開けていられないわけじゃない。目には何も映らないけど、体が軽くなって、ぼうっとした頭が冴えてくる。
「……あれっ?」
真っ白な世界から、不思議そうな声が聞こえた。見えないけど多分首傾げてるんだろうな。
「あれー?んー?」
シュンッと光が杖へ吸い込まれる。急に先ほどまでと同じくらいの明るさへと戻ったため、目の前がチカチカと点滅する。
「あ、アニエス……」
「怪我してないね?」
「あ、ああ、大丈夫だ。」
傷を治した実感が得られなかったからか、訝しげに俺の体をじろじろと見回す。俺は怪我をしなかったのだから、当たり前なのだが。
「おっかしいな〜」
「……おかしくないですよ。」
すっかりその存在を忘れていたフォルを、解放する。先程までの怪我なんてなかったかのように、自分も足で立っている。先程の光で、足はすっかり治ったようだ。
「気のせいですよ。」
「……そうかなぁ……。」
「何でも良いけど早くここから出よう。」
釈然としない様子で、うーんと考え込むアニエスを引っ張って洞窟の出口へと進む。
洞窟の外へ出た瞬間、真新しい空気が肺に飛び込んでくる。ジメジメとした空間から解放されたことが嬉しくて、大きく深呼吸をする。
「狼獲れなかったねぇ。」
「まぁそういうこともある。もうここにはしばらく来たくない……。」
「そう落ち込まないで〜。」
依頼を失敗したことなんて山ほどある。俺がここに来たくないのは、洞窟の中から明確に命の危険を感じるからだ。これが原因だ、と断定できない。なのに、後ろから首に縄を掛けられているような感覚がある。気まぐれに縄を引っ張られれば、首が絞まってしまうような。
ぽっかりと空いた洞窟入り口に、フォルが立っている。洞窟のジメジメとした空気を、そのまま外へ引っ張ってきてしまったかのようだ。
「本当にありがとう……私も今度何かお願いしようかしら。」
「ほんと!やったね、ロイ!フォルちゃんお客さんになってくれるって!!」
「ああ、やったな……。」
全く嬉しくない。
今日はフォルに出会ってから悪いことしか起きていないんだ。今すぐこの女から離れたい。
「あ、そうだ!私欲しいものがあるの!」
「なーに?」
「たくさんのい
「あー、あー!今日はもう勘弁してくれ。じゃあ、気をつけて帰れよ。この辺に住んでるんだろ。」
フォルに依頼をされそうになったところを、ぶった切ってその場から足早に立ち去る。フォルの依頼なんて聞いてしまったら、またあいつに会わなくてはいけない。
「ロイ、待って!」
俺を引き止めようとするアニエスの声も聞かず、一直線に自分の住処へと戻った。
-
次の日の朝、扉をドンドンと叩く音で目が覚めた。
「おいっ!おいっ!開けてくれぇ……っ!!」
「何事だ?」
俺の家は狭い、住むのがギリギリの大きさだ。そんな家の扉をバンバンと叩かれれば、煩くてとても眠ってはいられない。
ベッドから降り立ち、静かに扉へ近づく。扉を叩く音が止むと、ずるずると何かが扉を擦る音がして辺りが静かになる。念のため剣を背後に隠しながら、扉をゆっくりと開く。
しかし扉が開ききることはなく、ガッと何かにつっかえた。ぐっと扉を押すと、隙間からだるんと何かが落ちてくる。
真っ赤に染まった人間の腕。
「ッ!!!」
扉に縋りつくようにしてうつ伏せで人間が倒れている。扉を叩いていたであろう手は、どこから出血しているのか分からないほど、べっとりと血に濡れて、扉は血で赤く染まっている。
大丈夫か?!と大声で声を掛けそうになって、はっとして息を飲む。こんな状況で大声を出したら、この人達を襲った何かが近くにいた場合、即座に見つかってしまう。
半開きになった扉から外を覗く。死体は血塗れではあるが、その向こうに見える地面に血溜まりはない。ポツポツと血の跡はあるが、それ以外は綺麗なままだ。きっとここまで歩いてきて力尽きたんだろう。
一体、何が起きているんだ。
俺の家は、街の外れに建っている。だから人が訪ねてくることなんてほとんどない。それでも町の人たちは、面倒ごとを片付けてくれる人間の家として、ここを認知している。
倒れている人達の服装などを見るに、町の住民だろう。武器らしきものは何も持っておらず、戦闘などできない普通の人々だ。そんな人達が血塗れでこんなところまで来るなんて、それはつまり、町で何か大変なことが起こっている。
扉から腕を伸ばして体を揺すっても反応はない。薄く目を開けたままピクリとも動かない濁った瞳に、こいつは死んでいると確信する。
心の中で祈りを捧げながら、扉を閉めて窓から脱出する。
俺は、アニエスのように治癒の魔法なんて使えない。この人達がもし今生きていたとしても、俺に救うことは出来ない。
「アニエスッ……。」
そうだ、アニエスは無事だろうか。
首筋を冷たい汗が流れる。何が起こっているのかは分からないが、今この瞬間ただならぬことが起きている。彼女は俺と違って、町の人が多いところに住んでいるんだ。その町の人々がここまで逃げて来たということは、
彼女は非戦闘要員ではあるが、一応ハンターなのでその辺の素人よりは強い。生き残る力はある、はずだ。
「頼むっ……。」
ろくに武器も持たず、普段では考えられないような軽装のまま、剣だけを持ってその場から駆け出す。
「何も起きないでくれ……!!」
-
血の匂い。
鉄の匂い。
「何だこれ。」
町へ向かった、はずだった。
どんな悲惨な状況でも、まだ何か出来ると思っていた。最悪な状況でも、悲鳴と怒号が飛び交う地獄だろうと。
でもそこにあったのは、静寂だった。町全体が血の海に沈んでいた。
そこら中に人間が転がっている。道端だけではない、窓から上半身だけ出た人、花壇に倒れて土まみれの人、恐怖で縮こまった体勢の人。全部、全部死んでいる。
「なっ……?はぁ……?」
あまりの凄惨さに言葉を失い、虚ろな足取りで町だったところを歩く。
アニエスは無事だろうかとか、とかそんな次元の話じゃない。町が一つ丸ごと滅んでいる。
「だっ誰かいないのか……?」
自分のものとは思えないほどか細い声が出た。その声に反応するものは無く、呻き声一つ聞こえない。
「そうだ、教会っ」
そこは町の住人が全員集まる場所と言っても過言ではないから、生きてる人は皆あそこへ行ったのかもしれない。
一縷の希望を持って教会へ向かう。そこへ行けばアニエスに会える。アニエスは生きている、生きているはずだ!!
-
途中、何かを踏みつけることも厭わず走り続けて教会へ着いた。性急に扉を開く。アニエスがここに居るはずだ。
ギイィィィィ……
大きな音を立てて開いた扉の中には、俺の期待を裏切るように、誰も居なかった。いや、全く何も居なかった訳じゃない、説教の最中に死んだのか、死体は山のように転がっていた。
建物の中へ入る気にもなれず、ふらふらと教会の裏手へと向かう。教会の中にもアニエスは居なかった。じゃあ、どこへ行ってしまったんだ。どこかへ逃げ出しているのか?
あの死体の中に居ると考えることを拒否して、自分に都合の良いことばかりを考える。
現実から目を背けるように、持っていた剣を地面へと投げ捨てる。その時、剣とその先の地面がキラリと光った気がした。
まるでアニエスの杖みたいな……。
投げやりになっている場合ではなかったと、自分で投げ捨てた剣を拾い上げる。そして、しゃがみこんだ時に気がついた。ちょうど剣の真下に紙が落ちている。
くっと息を飲んで小さな紙を開く。これはきっとアニエスが残した物だ。何の確証も無いのに、強くそう感じる。そこには酷く乱れた文字が並んでいた。
見てくれてると嬉しい
ロイ いま大変!触ると血が出る
きのうの洞窟!(西!)だと思う 行く 来てほしぃ
フォルちゃn まちが
それを理解した次の瞬間には、その場から走り出した。町を抜けて、森を抜けて、洞窟の中へと。
相当焦りながら書いたのだろう。後半は半分崩れたような文字になっている。メモの様子からして、目の前で人がたくさん死ぬのを見たんだろう。
それなのに、一人で洞窟の中へ向かうなんて、相当なことが起こったんだ。彼女は自分にろくな戦闘力がないことなんてちゃんと分かっている。戦えないと分かっているはずだ。それなのに、治療を放棄してまで彼女はなぜ、なんで一人で。
洞窟の奥は真っ暗闇で何も見えない。一歩先どころか自分の手すら見えないほどの暗闇だ。それなのに、なぜか全速力で走る事ができる。ハイになっているからか、また別の要因か、引き寄せられるように洞窟の奥へ一直線に向かって行く。
昨日から走ってばかりいる。昨日はあんなに脱出したくて堪らなかったのに、今は早く奥へ行きたくて仕方がない。
心臓が破裂しそうなくらい走り続けて、走って、走って、走った先に、突然光が見えた。
曲がり角の先、行先が、薄ぼんやりと発光している。
洞窟の奥が不審然に光っていた。それだけでどこか薄ら寒いものを感じる。そんな自分の気持ちを押し殺すように、走る足を緩め、剣を構えながらその先へと足を踏み入れた。
喉の奥が震える。緊張のあまり吐いてしまいそう。
-
一歩足を踏み入れた先、そこに広がっていたのは、俺が世界で一番見たくない光景だった。
「アニエスッッッッッ!!!!!!」
喉が千切れそうなほど叫ぶ。開けた空間の真ん中に、アニエスがうつ伏せで倒れている。いつも綺麗にしている服も、髪も、無残に血に染まっている。
なりふり構わずに駆け寄って、抱きかかえる。完全に脱力して、全く生気を感じない。座らない首を支えようと手を首筋に当てた時、べちゃりと嫌な感触がした。
どろっとしていて、柔らかい何か。わざわざ自分の手を確認する勇気は俺にはなかった。
「アニエス!!!しっかりしろ!!!!!」
その顔は真っ白になって、ピクリとも動かない。これは、今さっき嫌というほど見てきた。俺にはどうしようもないと諦めて置いてきた……
「起きろっ!!!!!」
「あら、いらっしゃい。」
腕の中のアニエスを怒鳴りつける俺に、突然頭上から声が降ってきた。涼やかで軽やかな声だった。
「誰だ……」
ゆっくりと睨みつけるように顔を上げる。
「……は?」
「はい」
「なんだよ……誰だよお前……」
「うん?ありがとう!」
「はぁ……?」
何だこいつ。
俺はアニエスを助けなきゃいけないのに。どうしてこれ以上俺の理解を超えたものが現れるんだ。
その声の方を向いた時、その声の主のあまりの巨大さに脳が理解を拒んだ。あまりにも大きすぎて、目の前に何が現れたのか分からなかった。
俺に話しかけてきた声の主は、長い前髪を優雅に揺らし、ふわふわと浮かんでいるこの空間と同じ大きさほどもある女。その顔立ちは、この世のものとは思えないほど美しい。人間とは思えないほど整っている。彫刻が喋っているような違和感。
「?……???ぁ……????」
この空間に入り切れるほどの体の大きさではないと思うほどの大きさ。しかし、女が顔を引けば、顔はその分小さくなって、体が現れる。
「お前、お前何だよ。」
「信仰するのです。」
「だからお前は何者なんだって……。」
「私はあなたに会ったとき命運を与えたの。」
美しいその顔から目を背けるように目線を落とした時、血塗れのアニエスが目に入り、喉の奥から勝手に言葉が出てくる。
「お前がこれをやったのか……?フォル……」
どうして俺は今フォルの名前を出したんだろう。あいつがアニエスを殺すなんてそんなことあるわけない。大体こんな人間離れした容姿を持つ女が、あんな死にかけの物乞いのようなフォルだなんて……
俺の言葉を聞いた女は、そうですと言わんばかりに、目をぱぁっと輝かせる。様々な色に反射する髪を靡かせて、楽しそうに頭を左右に振っている。
「お前フォルなのか……?お前がアニエスをころ…こんな目に合わせのか……?」
「ふふ」
アニエスの残したメモにあったフォルという言葉を思い出して、戦慄する。まさか、本当にあの惨状を作り上げたのはこいつなのか?
ぐたりとするアニエスの体を引き寄せて、引き離さないようにしっかりと掴む。今にも奪い取られて、どこかへ持っていかれてしまいそうだと感じる。
「アニエスは死んだわ。」
「うるさいっ消えろ、お前が何をしたのか知らないが、アニエスを助けないといけないんだ……。」
俺の質問には答えず、無情な現実を突きつけようとしてくるフォルに焦りと苛立ちが止まらない。手の中の少女からは暖かさを感じない。じりじりと、最初から無い希望が無情に削り取られていく。アニエスはもう……。
「ロイ」
「うるさい、アニエスを助けられないなら消えろ、お前が何だってもうどうでもいい。」
この存在がヤバい何かだってことは俺でも分かる。それでも、希望を捨てられない。
この空間の支配者である女を完全に無視して、アニエスを担ぎあげようとする。
「残念ですが、あなた今死にます。」
「だから、何だよ。」
完全に自暴自棄になっていた。自分がここで死ぬことなんて、大したことじゃない。家族が死んでから初めて、俺は本当にもう生きていけないかもしれないと感じている。
「けれど生き延びさせてあげる。」
「いらないそんなの……。」
「私は知ってる。あなたは生き残るべきよ!」
「うるさいっ……町の人達だってお前が殺したんだろう!!」
「生贄は多いほどいい。」
「生贄?お前は神か何かのつもりか……?」
会話しているようでしていない。お互いに言いたい事を言っているだけだ。秩序を感じない気の狂いそうな時間。
「嫌です。だって私、嬉しかったの!あなたはゴミのように死んでいた私を助けてくれたでしょう!」
「適当なことを言うな!お前は死んでいなかった!」
「生きるも死ぬも些細な事。」
「ふざけるな!お前がアニエスを殺したのか!!」
「神は必要のない殺戮は行わないと。」
「アニエスがお前を助けようとしたんだぞ!」
「私はあなたに助けられたことが嬉しい……。」
「アニエスはっ……」
「だって私はあなたを愛しているのだから!」
「……は」
「私はあなたを愛することに決めました。」
「何なんだよお前……。」
あまりにも言葉が通じず、言葉を失う。俺がおかしいのか?こんなものとまともに会話しようなんて思ってしまった俺が。
「ああそうだった、これを授けましょう。」
巨大なフォルが無造作に手を振ると、近くに転がっていたアニエスの杖が、ひとりでに立ち上がる。
「は……。」
何を言っているんだ。
これはアニエスの物だ。お前が、授ける?
「欲しいって、言ったでしょ?」
「は……はぁ……?」
「あなたが言ったのよ!杖があれば私の傷を治せるって!なんて優しさに満ちているの……まさに勇者だわ!!」
「お、お前……。」
「あなたがこの子を私に捧げてくれたから、この杖も私の物。だからあなたにあげちゃう!それにね、この子驚くほどたくさん魔力を持っていて……
凄く、美味しかったから!」
こいつは何一つ悪いと思っていない。
子供が貰った贈り物を自慢するように、純粋に喜んで、俺にそれをくれようとする。
そのあまりの純真さに圧倒された。この世の言葉の限りを尽くして罵倒してやろうと思ったのに、何一つ言葉が出てこない。こいつを今すぐ剣を突き立てて、真っ二つにしてやりたい。俺が無駄に殺してしまった狼と同じようにしてやりたいと思うのに、指の一本も動かない。
「嬉しすぎて言葉が出ないでしょ……分かります、その気持ち。私もそんな気持ちだったの、あなたが助けてくれた時。」
「力を失って死んだも同然の私に気がついて、助けてくれたのはあなただけ。外まで連れて行ってくれたのもあなただけ。」
「愛す。決めました、あなたをどこまでも加護します。」
「お前のこと、許さない。」
「許すのは私。あなたは許された。私に愛されるとはそういうことです。」
眼球の奥が痛い。
アニエスの冷たい体を抱きしめている両腕に、ぎゅっと力を込める。どれだけ抱きしめても、温もりの一つも感じない。
「殺す……。」
「今、なんて?!?!!??!?!」
「殺してやる。」
「まぁ、優しい。」
頰をぽっと赤らめる。今まで生きてきて、この上ないほどの殺意を向けたというのに、何も伝わらない。殺意の欠片すら全く何も伝わっていない。
「じゃあ、また!さようなら!」
「お前、神ならアニエスを助けてくれよ……。」
「二度と会うことはないでしょう。」
「頼むよ」
「でも、またすぐ会いましょうね。」
「なぁ」
自分は好きなだけ喋っておきながら俺の言葉にはまるで耳を貸さない。少しずつその姿は遠ざかり、その背後から発せられる強烈な光がその場を満たす。
アニエスも同じような事をしていたけど、それとは比べものにならない。刺すように、抉じ開けるように、ただ力を与えてくる。
与えられるあまりの魔力の強さに、まるで直接脳を揺さぶられているようだ。指先から力が抜けていく。
「アニエスッ……」
飛び書かけた意識を引きずり戻し、アニエスの体をがっちりと掴む。離してしまわないように必死に力を込める。
自分の体も見えない真っ白な空間で、体が浮き上がったような感覚があった。俺は死を覚悟する。きっとこのまま壁に叩きつけられて俺は死ぬ。
そしてその予想通り、凄まじい力で岩壁に叩きつけられた。体のあちこちから嫌な音がして、咳き込む事も出来ずに、肺が、喉が閉じるのを感じる。
「アニ……エ……ス…………」
アニエスがどこにいるのかすら分からない。何処へも行って欲しくない、何処へも……。
「……」
そして、その時俺は確実に、一度死んだ。
〜
「ローイ!起きてー!」
無邪気な声が聞こえる。知らない声だ。けれどまるでアニエスみたいな……。
「アニエスッ!」
意識が急激に覚醒して、ガバッと起き上がる。ここはどこだ。アニエスは、フォルは、俺は、
「ロイどうしたの?寝坊なんてするから見にきてあげたのに、体調悪い?」
「おーい、ロイ起きたか?」
全く知らない男女が親しげに話しかけてくる。
誰だこいつら、何で俺の家の中にいるんだ。一体何が起きているんだ。アニエスの姿どころか、自分の体にも血の痕跡すらない。
「一昨日の依頼は狼だったでしょ?おばさんが今度はドラゴンの角が欲しいって。」
「毎日依頼くれるのは嬉しいけど、一回に言って欲しいよな。」
「ほら、早く準備して。」
「俺外で待ってるわ。」
その二人は、もう慣れ切ったいつものことであるかのように言葉を交わす。俺がこの空間にいることが、当たり前であるかのように会話を進める。
呆然とする俺を余所に、男が扉を開けて外へ出て行く。部屋に残った少女は、ベッドから立ち上がった俺を一瞥すると、ベッドの端に立てかけられた杖を差し出してくる。
「これ、は」
「今日は持っていかないの?いつも持ってるでしょ、魔法ろくに使えないのに。」
少女が差し出した、それは俺の背丈よりも少しくらいの長さがある、光を受けて輝く宝石を頂いた杖。窓から差し込む太陽の光を吸い込んでいく。
紛れもない、これはアニエスの杖だ。
「アニエス、アニエスはどこにいるんだ。」
「アニエスって誰?町の人?」
「町、そうだ、町はどうなってというかお前達は」
「おーい、まだー?」
少女に掴みかからんばかりの勢いの俺は、外から声が聞こえる男の声で踏みとどまった。
知らないと心では思うのに、脳は目の前のここが現実だと訴える。ここはいつもの俺の家で、今から現実が始まるのだと、俺が錯乱しているだけで今この瞬間が現実なのだと。
「分からない。」
「何が?」
「俺、何も分からないんだ。」
「えっ」
「俺は死んだんだ……」
「ちょっと、大丈夫?頭打った?」
「俺は死んだはずなんだ……。」
渡された杖を持って、虚ろな足取りで家の外へ出る。
外は良く晴れていて、燦々と降り注ぐ光を杖は吸収していく。いつか見た光景。
太陽の光を受けて、少女は気持ち良さそうに伸びをしている。先に外で待っていた男も眠そうに欠伸をする。昨日の記憶は嘘だと主張しするように穏やかな光景だ。
「今日もいい天気ね。」
少女は俺の惚けた俺の顔見て微笑む。光に包まれながら笑う少女に、俺は幻覚を見た。
『今日もいい天気だね~ほれ~』
『ふふん、幸運のお守り!今日は天気がいいから効いちゃうぞ~』
『いいことあるよ~』
少女の笑顔に重なって、嬉しそうにはしゃぐアニエスが見えた。
アニエス、アニエスは死んだ。あの時死んでしまった。もういない。本当は、この手に抱えていた俺が一番よく分かっている。洞窟の奥へたどり着いたとき、彼女はもう死んでいた。
そう認めると涙が出てきた。流れて落ちないように堪えていると、頭が痛くなってくる。もうアニエスはいないんだ。
夢じゃない、アニエスは夢なんかじゃない。そう思いながら杖を軽く振ると、杖から光が降り注ぐ。少女と男は、杖から発せられる光になんの疑問も持たず、当たり前のようにそれを受け入れる。
俺には、魔法を使いこなすことが出来ないから、この光が一体なんなのかすら分からない。けれど、これがアニエスの魔法だということは分かる。この杖は、俺のものなんかじゃない。
「眩しい……」
視界を光で埋め尽くされる前、フォルは俺を生き延びさせると言った。それは、世界から俺を消し飛ばすという事だったのかもしれない。あの時の状態では俺があの世界では生き残ることができないから、ここへ飛ばした。アニエスがいない違う運命の世界へ。
自分でも何を考えているんだと思う。けれど、そう思わないと正気を失いそうだった。この現実を取り乱さずに受け入れている自分に、頭がどうにかなりそうだった。
「夢じゃないんだ……。」
そう確かめるように呟くと、頭の中に声が響く。
『えぇ、生き延びさせるわ。』
それはあの洞窟の中で聞いた、巨大なフォルの声。
「フォル……。」
「愛しているもの。」
「お前っ……」
耳元で熱い吐息が聞こえた。不本意にもその声で確信した。あの出来事は現実で、これも地続きの現実だと。
咄嗟に剣を抜こうと、腰へ手をやる俺を全くと言っていいほど気にせず、フォルは一人で言葉を吐き続ける。
『あなたに力を与えましょう。剣の一振りで何者も斬り裂けるように。』
「何を……」
『あなたに頑健さを与えましょう。何者にも侵されないように。』
「いらない……アニエスを返せ。」
『あなたに与えましょう。私の祝福を。』
悪魔が囁く、明確な好意という名の悪意を持って。
『何があっても死なないように。』
「そんなもの、求めてない……。」
あの光の中で感じた、体を引き裂くような力が満ちてくるのを感じる。アニエスの光とは違う、優しさのない力が。
『愛してる』
そうして俺は手に入れてしまったんだ。俺という人間には不相応な何かを。