22. 魔王城の廊下は秘密がいっぱい
最初の勇者と魔王の間には『不可侵の盟約』が存在する。それは勇者と魔王による戦い以外での、他種族への侵略を禁止するものだった。人族の欲を抑えて魔王による蹂躙を防ぐ目的だが、図に乗って盟約を破るというなら、お仕置きが必要だ。
この盟約は人族を滅ぼさないために結ばれたのだから。
アスタロトが眉をひそめて進言する。聞きながらルシファーの指がぱちんと鳴らされ、地図は存在しなかったように消えた。
「すこし用心なさった方がよろしいかと」
「誘う罠だろうと動かぬ理由にはならん」
言い切ったルシファーが立ち上がり、誰もが頭を下げて見送る。謁見時に使用する黒いローブを揺らして踵を返した。そのまま消えていく純白の長い髪が不自然に揺れる。
「いたっ」
小さく漏れた悲鳴に顔を上げたオレリアの目に、黒髪の赤子が映る。起きたリリスが白い髪を口に運びながら、赤い瞳でじっと見つめていた。魔王陛下が拾った人族の赤ん坊は、珍しく彼が飽きずに育てているため有名なのだ。
大きな目がじっと見つめてくるので、微笑ましくなったオレリアがひらひら手を振ると、嬉しそうに頬を緩めたリリスが小さく手を振る。そのまま魔王とともに退場した。
廊下にて――。
「どうした? リリスはご機嫌だなぁ」
きゃっきゃと声を上げて笑うリリスに頬ずりして、音を立てて額にキスをする。擽ったいのか、首を竦めて笑うリリスを両腕で抱き直した。
「陛下、人前ではもう少しお控えください」
「自分家の廊下なんだ、いいじゃないか」
唇を尖らせて抗議するルシファーだが、いい年した大人がやっても可愛くない。外見上20歳未満の姿を保つ魔王は、御年8万歳に届くあたりだ。いい加減中身だけでも成長して欲しいと、アスタロトは溜め息をついた。
「一応、魔王城は世界の中心なのですから」
「そんなの知らないっての」
昔から好き勝手に振舞う彼だが、基本的に最低限の責務を放り出さないあたりは評価されている。今回も謁見はしっかり行ったのだから……と気持ちを落ち着けようとするアスタロトの耳に、ベールの足音が届いた、彼にしては珍しく駆け足だ。
「ベール、城の中は……っ」
「陛下、一大事です! 魔狼の里が人族に襲われました」
「「「はあ?」」」
アスタロトとルシファー、そして偶然近くを歩いていた魔犬族の青年がハモる。
魔狼といえば、大きな群れを成す森の主だ。群れの長は灰色魔狼で、6代前のフェンリルがルシファーの養い子だった。その子孫である現当主はセーレ、先日城門で死体の片づけを請け負った若いフェンリルの父親でもある。
魔の森を自由に闊歩するフェンリルが治める里に、人族が到達できたこと自体……大事件だった。
「うわぁ……」
その後の展開を予想したルシファーの口から、こりゃ大変と呆れの声が漏れる。リリスが「あばぁ…」と声を真似た。
「今のはパパの真似? リリスちゃんは上手でちゅね~」
赤ちゃん言葉でリリスに話しかけるルシファーを無視して、アスタロトが状況説明をベールに求めた。魔犬族は魔狼達と親しいこともあり、足を止めて聞き入っている。
「襲われた、とは? 彼らの方が強いでしょう」
「子狼が捕まったらしく、その上で森に火を放たれたと」
「なんと非道な! 陛下、ここは我々がっ!!………えっと」
勢い込んで一番槍を申し出た魔犬族の青年マルクが振り返ると、ルシファーがリリスの黒髪や頬にキスを落としているところだった。喜んで声を上げるリリスの無邪気な姿にうっかり癒されてしまい、その後の言葉が途切れる。
「マルク、しっかりしなさい」
ベールが固まった青年を叱咤する。
「リリス嬢を取り上げますよ? 陛下」
地を這うアスタロトの警告に、びくりとしたルシファーは慌てて姿勢を正した。リリスをしっかり抱き締め、身体で隠す形で向き合う。
「わかった、解決してくる」
きりっと整った顔で言い切ったルシファーは魔王の貫禄十分であった。リリスに頬ずりさえしていなければ……。こうして魔狼達を救うための戦いは、魔王城の廊下であっさり決定された。
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