175. たくさんだね
「パパ! 起きて!!」
早朝を通り越して、まだ夜明け前だ。地平線が青紫に染まる前の時間に起こされたルシファーは、腕の中のリリスにペチペチと頬を叩かれた。文字通り叩き起こされた形だ。
「……うん? まだ早いぞ、お姫様」
寝過ごしたかと慌てて外を見るが、そもそも城の侍女達が卒園式の日に寝過ごしなど許すわけがない。楽しみすぎて目が覚めたリリスがはしゃいでいた。
「劇の日よ、パパ」
「卒園式だね、おはよう…リリス」
挨拶を忘れていると促せば、「おはよう」と返事があった。ひとつ伸びをしたルシファーは、騒ぎながらも腕の中にいるリリスの額にキスをする。
「勝手にキスしないで」
「ではキスをお許しいただけますか? 私の大切なお姫様」
「どうしても?」
「どうしても!」
ぎゅっと抱き締めて身体を揺する。笑うリリスが白い髪を引っ張った。
「じゃあ、リリスがしてあげる!」
意味を考えるより早く、ぐいっと髪を引き寄せられた。動きに従って俯いたところに、リリスの唇が触れる。頬に押し当てた唇はキスというより、触れたという表現が近かった。思わぬご褒美にリリスにキスの嵐を降らせると、冷たい声が突き刺さる。
「……こんな幼女相手に盛る犯罪者が最高権力者」
ぼそっと呟かれた声に顔を上げると、しっかり正装のアスタロトが立っていた。見られた気恥ずかしさはない。だが、ここは上司として注意しておこう。
「アスタロト大公、我が居室に入る際はノックをしろ。それと勝手に…」
「しましたよ。それも2回もね。お返事がないのでまだ寝ておられるのかと思えば、嫁候補の幼女を襲うケダモノを見つけまして、退治しようか迷っておりました」
被せられたアスタロトの辛辣な物言いに、ルシファーはひとつ溜め息を吐いた。彼に口で勝てた試しがない。そもそも側近であるアスタロトは緊急時を含め、居室に自由に出入りできる立場だった。
「パパ、お風呂~」
「朝も入るの?」
昨夜は赤い薔薇を浮かべた風呂で楽しそうに遊んでいたが、足りなかったのだろうか。首をかしげるルシファーの足元で寝ていたヤンが欠伸をしながら立ち上がった。毛皮に潜り込んでいたピヨが転がり落ちる。
「うん、今日はうんとキレイにしていくの!!」
「わかった、リリスの言う通りにしようか。アスタロトは外で待機」
しっと追い払う仕草に肩をすくめたアスタロトが退室すると、急いでリリスを連れて入浴準備をする。湯船にお湯をため、卒園式用に用意した服を取り出すと、愛娘を抱っこして浴室へ運んだ。アスタロトが起こしに来たということは、今朝の予定が増えたのだろう。
入浴を終える頃には、アデーレも待ち構えていた。乾かしたリリスを託すと、大急ぎで自分の準備を整える。正装なので飾り物が多いが、元から侍従ベリアルの手を借りずに着替えるルシファーは、さっさと身支度を終えた。
「陛下、こちらの書類にサインを」
アスタロトが「ルシファー様」と呼ぶときは私的な場合で、逆に「陛下」と呼称する際は公的な立場だ。大公として魔王にサインを求めた書類に目を通し、アデーレ経由で頼んだ調査に必要な立ち入り許可を求める書面だと気付いた。
許可のサインを書き込んで返すと、アスタロトが書類を片手にすぐ踵を返した。見送った後、ヤンの毛皮を綺麗にして梳かす。護衛として彼も卒園式に顔を出すのなら、やはり見た目は重要だ。ピヨは勝手についてくるだろうが、梳かす羽毛がないので手で撫でておいた。
「パパ、準備できたから行こう!」
劇の準備があると興奮した顔のリリスの手を引いて、ルシファーは廊下を歩き出す。
「あのね、皆も見に来てくれるの。頼んだら、いいよって」
「誰を呼んだんだ?」
普段接しているアデーレやヤンだろうとあたりをつけて聞けば、リリスは繋いでいない方の手で数え始めた。
「うんと……ヤン、ピヨ、アデーレ、ベリアル、アシュタ、ベルちゃん、ロキ、ベルゼ姉さん、首なしのお兄ちゃんと……えっと、ちっこいおじちゃん、緑のお姉さん達、えーへー?の人」
「ちょ、ちょっと待って」
ベルゼビュート辺りまでは普通に予想がつくラインナップだ。首なしはデュラハン、小さいのはドワーフか? 緑のお姉さんは……この並びでいくと緑の髪や瞳をもつエルフだろう。えーへーは衛兵、つまり城門の番人じゃないか? 彼らは勝手に持ち場を離れたら困る。というか、どこまで手広く声をかけたんだ。
「たくさんだね」
「うん!」
無邪気に喜んでいるリリスに「衛兵は勝手に動かしちゃいけません」と注意できなかったルシファーは、溜め息をついて城門をくぐる。夜明け前の紫色の空が、やっと朝日の赤に染まろうとしていた。
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