『茨の霧 魔女の闇』
20161127
茨が絡みつかれた樹の如く、霧が地より湧き出でていた。
しゅるしゅると音が立たんばかりに湧き出たそれは、男の視界を少しずつ狭めていく。
焦燥が彼の足を動かすがじわ、じわ。と音たてる様に霧が道を狭めていく。
否。異な。それどころではない。
霧は、少しずつ男の足元までも濡らし始めていた。
焦る。歩きが速歩になり、速歩が駆け足になった。
それでも霧は――男だけを狙うように蠢いた。
白霧の中に男の息が混じる。
それを悦ぶように霧が震え、そして飲み込む。
男はもう外聞もなく走り出した。余りの恐怖に、身を任せて。
―――――
どれほど走っただろう。
少なくとも、白霧に闇が混じるくらい、彷徨っていたことは確かだった。
それでもなお、男は霧の内より出れなかった。
霧は男を逃がさなかった。
しかし――男は光を見た。橙色の、ぱつり、ぱちりと音を立てる――火の色を。
焚火の朱色を、確かに見た。
泣きながらその火の下に走る。
霧を掻き分ける。
少しずつ火が近付き――火の下には、当たり前の様に人が居た。
美しさとは、魔を孕んでいると思わせるほどの美しい、この世成らざる水気を宿した――節くれだった杖を持つ、少女だった。
魔女、である。
魔女とは杖を持った女である。
この世成らざる美貌を持ち、この世の者とは思えぬ術を振るうのだ、と言う。
無限とも思えるその力には制限があり、その術は身体に何かしら纏ったモチーフを基にした物に限定される。
少女は、茨を腕に巻いていた。霧を見ると、茨のように纏わりついていた。
男は霧の中に踵を返そうとして――霧が、茨に変じて、男の脚を絡めとった。
茨が男の脚を――太腿を――体中を絡めとり、魔女の方へと引きずった。
碧の茨が肌をひっかき、それを吸い取った。
女の腕に巻かれた茨が赤く染まり、魔女がそれをなめとって――嫣然と微笑んだ。
男の耳に魔女は囁く。
茨の毒の様に苦く甘い言の葉を。
ああ、ああ我が背。我が君、私の愛した人。
愛しております。愛しております。霧に紛れた時からもうあなたは私の物。