私の宝
20180704
遠くに陽炎が揺らめく暑さであった。
並足とは言え二人を乗せてきた馬が汗を流しているのを男の膝に頭を預けながら、女は眺めていた。
「汗ばんでいると思うんだが」
「そうですね……饐えた臭いが少しばかり。帰ったらお湯でも沸かしましょうか」
「……その時は、君も一緒だと嬉しいんだが」
「……もう、何時もみたいに言ったらどうです」
女の揶揄う声に、男は頬を掻く。
座りが悪いとでも言うように尻が少しだけ動いた。
「昼日中から誘うのは流石に憚られる物だろ。……悪くはないのだが」
「いいじゃないですか。実家も睦まじいに越したことはないと言ってますし……」
「妻としても、女としても求められるのは女冥利に尽くってものです。ほんとうですよ?」
「そんなものか」
「そういうものです」
「そうか……次からは、もう少し、努力をしよう」
「そうですねえ、流石に『今晩抱くぞ』とか」
男の巌の様な顔が少しだけ情けなく歪んだ。
「『身を清めておけ』とかぁ」
「『香油は百合の物が良い』……は、まあいいんですけれど、流石に嫁いでから4つ月が蘇るまでの間そんな風に誘うのはどうかと思いますよ」
「駄目か……遊んでこなかったからな、そう言う機微は些か疎い。赦しておくれ、我が妻殿。」
「赦してあげましょう。これから娼館に言って学ぶとか抜かしたら「一生をかけて報復に費やすところでしたけれど……今回遠乗りに誘ってくださいましたし、今後も楽しみにしてますね」
「恐ろしい細君だ。君を怒らせないように頑張ろう。さしあたり、今晩から。」
にこ、と女は笑った。
「では旦那様。どうやってお誘いになられますか?」
そうだな、と男は優しく笑い
女の美しい髪に指を通し、すりすりと顔の輪郭を撫でる。
次に武骨な指で、世界で一番美しい宝石を愛でるように優しく。ゆっくりと女の鼻梁をなぞった。
「陛下の下で武勲を打ち立ててきたこの腕でなぞる君は、それら全てに勝る。
月の光の様な髪は、月女神の恩寵を宿し、そして私を優しく慰める。
何処までも続く冬空を熔かし込んだ瞳が私を見る度に、私は君に恋をしている。
鋭くも温かい日差しの様な声が私の耳朶を震わす間に、愛が深まっていく。」
「素晴らしい、私にとって、一つしかない。天上より与えられし唯一の至宝。
どうか、どうか。私の褥に招かれてはくれませんか。」
「……ええ。私の宝、愛した人。地上に落ちた私の星。
今夜も、貴方の腕にかき抱かれて眠りましょう」
「――愛しているよ」
陽炎が、彼らの名を告げる風を覆い隠した。