恋の予感と思惑と
「井伊千勢と言います。少しお時間いいかしら?」
千勢は矢島麻にそう伝えた。
「は、はい。」
憧れの存在にそう言われては、断ることも出来ない。
「家名田は、先に帰ってろ。」
後輩で彼氏でもある家名田悟にそう告げた。
「せっかくだし、ご一緒しますよ、僕も。」
「せっかくって、何が・・・。」
矢島麻は彼氏に何か言おうとしたが。
「お二人一緒で構いませんよ。」
そう言って千勢が二人の言い合いを止めた。
結局、3人で近くの喫茶店に入ることにした。
「実は、矢島さんにお願いがあって、お訪ねしたのだけど。」
「どういったお願いでしょうか?」
「なぎなたを離れてどれ位かしら?」
「5年近く薙刀には触れていません。」
「なぎなたが嫌いになった?」
「そ、そうですね。日本一になったからと言って何かが変わるわけでもなかったし。」
「強くはなったでしょう?」
「それはそうですが、この時代に強さに何があるのでしょうか?」
「難しい問題ね。私も生まれる時代を間違ったとよく思っていたもの。」
それは矢島もそう思った。
自分自身の事ではなく、井伊千勢の事を。
この人は、完全に生まれる時代を間違っている。
世が世なら巴御前と並び称される程の武将になっていただろうに。
「それで、私へのお願いとは何でしょうか?」
「あなたになぎなたを教えてほしい子がいるのだけど。」
「私がですか?」
「ええ、あなたの強さをその子に教えて欲しいのよ。」
「私の強さなんて、井伊先生に比べたら大したことは無いと思います。それに私は人に、なぎなたを教えたことがありません。井伊先生が教えられた方が?」
「私ではタイプが違うもの。教えるにも限界があるわ。」
「は、はあ。」
「あなたの強さがこのまま埋もれていくのは、惜しいと思っているのよ。誰かに紡いでみる気はなくて?」
「私の技を?」
「ええ。」
「ちなみに誰を教えるか聞いてみても?」
「ええ、刑部色葉三段を教えて貰いたいのよ。」
「えっと・・・。」
正直、誰それ?というのが感想だった。
なぎなたの世界を離れて、試合は一切見ていない。ただ全日本の結果だけは目を通していた。
東京の予選と本大会の2つの結果には毎年目を通していた。予選で優勝か、準優勝していれば名前を見たことはあるので、強い人間なら大体知っている。
が、刑部色葉なんて名は見たことがない。
「全日本では、まだ無名なのよ。来年は、あなた次第かしら?」
「は、はあ。」
「実は連盟から、簾藤さんと蔵重さんの面倒を見てほしいと言われていて、人手が足りないのよ。」
簾藤と蔵重の名は知っていた。
東京予選の優勝者と準優勝者であり、簾藤は2年連続の全日本の覇者だから。
「簾藤は2年連続で全日本を獲ってますが、その面倒を?」
「ええ、無茶を言うと思わない?」
「どうして今頃?」
率直な疑問だった。
全日本で優勝している人間を、今更、なんで井伊先生に預けるのかと。
「来年の皇后杯は、東京開催なのよ。」
「なるほど。」
矢島は納得した。
地元開催であれば、是が非でも地元の人間を優勝させたい。それはなぎなたに限らず、国体でも普通に起きうること。
「井伊先生は、来年、誰に皇后杯を獲って欲しいんですか?」
「優勝してほしいと思うから、あなたに頼むのよ。」
「わかりました。ご期待に沿えるかはわかりませんが、出来る限りで協力します。」
「助かるわ。土曜日は会社はお休みかしら?」
「ええ。」
「では、毎週土曜日にお願いできるかしら?」
「わかりました。ただ自分は、暫くなぎなたから離れてましたので、体を作るまで待ってほしいのですが。」
「わかったわ。」
こうして矢島麻は、嫌っていたなぎなたの世界に再び戻る事となってしまった。
矢島麻は、朝起きた時にベッドに一人なのが嫌いだ。
それ故、毎朝、家名田悟は、声を掛ける。
「それじゃあ行ってきますね。」
そう言って日課のジョギングに行こうとする家名田の手首を矢島は掴んだ。
いつもの甘えと勘違いして、家名田は矢島の頭を撫でた。
「ち、ちげえっ!」
寝起きに彼氏に対してそんなことを言った。
「麻先輩、どうしました?今日は仕事の日ですよ?」
「そっちでもないっ!」
全否定する矢島麻。
「私も一緒に行く。」
「えっ?」
この日から、矢島麻は、彼氏のジョギングに付き合うことにした。
いつものように剣道部の部活が終わり、悲鳴をあげる筋肉を労りながら、一息ついた刑部色葉だったが、この日は少し事情が違った。
井伊千鶴に柏村総合病院へと連れて行かれた。病院と言っても、医療トレーニング技術センターの方だが。
「おばあ様連れて来ました。」
千鶴はそう言って、色葉を祖母に任せて、自分はいつもの日課をすべく、その場を去っていった。
「ごめんなさいね、色葉さん。お仕事で疲れているのに。」
「いえ。」
正直、仕事では大して疲れていない。千鶴にしごかれて疲れているだけだ。まあ部活も仕事と言えば仕事ではあるのだが。
「ここは、私と千鶴がよく利用しているトレーニングルームよ。」
色葉が周りを見ると、施設を利用している人間は、一般人とは異なっていた。よく見ると有名なスポーツ選手が居たりもした。
「おい、どうした?」
ガタイの良い男性が、同じようにガタイのいい男性に声を掛ける。
「す、すみません。これ本当に殴るんですか?」
コンクリートの棒状のものを前にして、躊躇するガタイのいい男性。
「拳を鍛える為には、最適だ。安心しろ、骨は折れないから。」
そう言われても、見た目は完全なコンクリート。そうそう殴れるものじゃない。
見かねた千鶴が寄ってきて。
「大丈夫ですよ。こんなの。」
そう言って思いっきり殴ろうとしたのを医師と看護師に止められていた。
そんな微笑ましい光景も垣間見られた。
微笑ましいか?
「色葉さん、こっちへ。」
そう言って我が家の如く、案内する千勢さん。
少し、広い空間へ連れて行かれた。
そこには、薙刀のような器具が置かれていた。
「これを持って、これを掛けてね。」
そう言って、ライブアイを色葉に装着させる。
手慣れた手つきでコンソールを操作する千勢。
「光球が出現するので、それを薙いでいってね。」
千勢が言ったように、色葉の周囲に光球が出現した。それを薙刀のようなもので、薙いでいく。
「少し範囲が狭くないですか?」
千鶴を全力で止めてきたせいか、少し息を切らせて関が聞いてきた。
「なぎなたの試合には、これくらいの視野で十分よ。」
計測が終わると、色葉が出したスコアを、千勢と関が分析した。
「一般男性の数値ですね、中々じゃないですか?」
関が言う。
「スポーツ選手の女子と比べたらどうかしら?」
「え、えーと・・・。」
スポーツ女子の数値。
柏村総合病院の医療トレーニング技術センターは、千勢と千鶴が我が物顔で利用しており、スポーツ選手女子のスコアが突出していた。
ぶっちゃけスポーツ選手男子のスコアを凌駕していた。
「スポーツ選手男子と比べると下の方になります。」
「男子と比べられたら、色葉さんが気の毒よ?」
「・・・。」
「色葉さん、周辺視野と反応速度のトレーニングをここでしましょう。」
「は、はあ。」
色葉は何が何やら。
「関先生、一般女性のデータが欲しかったのよね?」
千勢と千鶴のデータが突出しすぎて、さっぱり参考にならないので、以前、ボソッと漏らしたことがあった。
「そ、そうですね。」
「彼女のトレーニングメニューを作成お願いね。」
「わかりました。」
「あ、あのう、千勢先生。私は教師なので、お金の方が・・・。」
周りには最先端トレーニング機器が多数。
その辺のスポーツジムとは、比べ物にならない。
「あら、ここって有料だったの?」
千勢は、医師の関光彦に聞いた。
「いえ、その代わりデータの方は、収集させていただきますが。」
本来は有料である。
ただ千鶴と千勢からは、利用料を一切取っていない。
「それくらい、構わないわよね?」
千勢が色葉に確認をとった。
「はい。」
いいのかな?無料で・・・。
そう言って、千鶴の方を見てみると、名だたるスポーツ選手や格闘家といった面々が、千鶴のトレーニングを目の当たりにして呆然としていた。
「千鶴ちゃんは、別格と思ってください。センター長が来ましたので、ご紹介しますよ。」
千勢たちの元へ、柏村俊輔が歩いてきた。
「センター長、千勢さんが連れてきた人を紹介します。えっと・・・。」
その時になって、関はまだ自分も自己紹介が済んでいないことに気が付いた。
「刑部色葉と申します。千勢先生になぎなたを習っています。」
そう言って自己紹介をする色葉。
「・・・。」
柏村俊輔は固まったように何も言わない。
「あれ・・・?えっと私は関光彦と言います。医師でここを担当しております。」
「・・・。」
「センター長、どうしました?」
「う、あっ・・・。センター長です。」
自己紹介になっていなかった。
「刑部さんのトレーニングメニューを作成することになりましたので。」
そう関が説明すると。
「私がやります。」
「は?」
「やります。」
変な口調で、立候補を表明する柏村俊輔。
「ま、まあ、センター長がそう言うなら。」
「こ、ここちらへ、どうぞ。」
そう言って、柏村俊輔はぎこちない態度で、色葉を案内していった。
「おや、まあ。」
「どうしました千勢さん?」
「柏村先生は、まだ独身でしたよね。」
その場に残った千勢と関が話をしだした。
「ええ、そうですね。」
「独身貴族ってわけじゃあなさそうだけど?」
「ええ、医療一筋ですよ。中にはセンター長を狙う看護師も居ますが、あの人は見向きもしませんね。」
「色葉さんは、美人ですから。」
「確かに、美人ですね。って、え?」
「一目惚れじゃないかしら?」
「そんな古典的な。」
そう言って、年下の上司を関は目で追っかけた。
ぎこちない動きが、それを証明していた。
「脈はなさそうですね。」
色葉の態度を見て、関は、そう感じた。
「今、色葉さんは、なぎなたの事しか頭にないから。」
自分がそう仕向けておきながら、他人事のように言う千勢さん。
「刑部さんは、フリーなんですか?」
「どうかしら?そう言った話は聞いたことないし。でもまあ、フリーだと思うけど。」
「センター長もいい年だし、そろそろ落ち着いても。」
妻子持ちの余裕からか、上から目線で関は年下の上司を心配した。
その日の夜、千鶴は福岡からの電話を受けていた。
「元気じゃろうか?」
「私は元気です。」
「それは声を聴けば判るけぇ・・・。刑部先生は元気じゃろうか?」
「部活が終わる頃は、いつもヘトヘトですよ。」
「それは千鶴ちゃんが、しごいてるからじゃあ?」
「まあ、そうですけど。」
「少しは加減しちゃって・・・。」
「それは出来ない相談です。」
「まあでも、なぎなた一筋っちゅうことは、悪い虫は付きそうにないね。」
「そうですね。出会いはありません。ただ。」
「ただ?!」
「福岡から心配しても、意味ないでしょ?」
「うぐっ・・・。ま、まあ、来年の4月には東京へ行くけえ。」
「観光ですか?」
「違うっちゃ。転属願い出しちょるけえ。」
「ほう、昇進試験に落ちたような人間が警視庁に簡単に転属できるんですか?」
「うぐっ・・・。」
小熊航は、電話口で涙ぐんだ。
「いい加減に引退させてくれませんか?」
警視庁のお偉方に、宮本は嘆願した。
「そういうなら、後進を育ててから言え。」
「笹木が居るでしょう?」
「笹木は、お前が育てた訳じゃあないだろう?」
「俺は、もう全日本を引退してるんですよ?」
「だから何だ?」
「何で全国警察剣道選手権には、まだ出ないと行けないんです?」
「そんなもの言わなくても分っているだろう!」
「公安の人間が人目に付くのは、よくないと思いますが?」
「外事だから、問題ない。」
「・・・。小野田を男子の部に参加させるのを辞めさせたらどうです?」
「今更、そんな事が出来るかっ!」
「じゃあ、いいじゃないですか、小野田が本大会に出場できても?」
「警視庁の、いや、男の沽券に係るっ!」
小野田宵は、女性警官の中では、圧倒的に強い。それ故、近年は男子の部で出場している。が、未だ本大会には出場できていない。
警視庁には、男子の2強、宮本と笹木がおり、予選で常にどちらかに敗退していた。
「くだらない。」
「そうだ、お前、小野田を嫁に貰え。そうすれは全国警察剣道選手権にも出場しなくなるかもしれん。」
「俺は妻子持ちですよ。何言ってるんですか。」
「なら、笹木か?」
「こないだ、子供が生まれたばかりでしょうに。」
「お前ら以外に、誰がアレを嫁に貰うと言うんだ。」
お偉方に逆切れされて宮本は困り果てた。
「福岡の小熊が小野田の先輩だったと思いますが?」
「そいつは、小野田より強いのか?」
「俺と笹木以外で、強い男は警察には、居ないでしょうに。」
「やっぱあれだろ?強い女ってのは、自分より強い男とってのがあるんじゃないのか?」
「さあ、どうでしょうね。自分が知ってる限りじゃあ、剣生先生は、決して千勢先生より強くは無かったと記憶していますがね。」
「鬼神、井伊千勢か・・・。そういえば小熊から転属願いが出ていたようだが。」
「それは渡りに船では?」
「ふむ、とりあえず宮本。当面、引退は認めんからな。」
「はあ、了解です。」
宮本はため息をついた。




