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タイムリミット  作者:
美雪
2/5

インビジブル

美雪視点

 私は何も見えないし、何も聞こえない。


(美雪ちゃ)

(美雪、おべんと一緒に食べよう!)


 ほら、ね。何も見えないし、何も聞こえてない。


 でも、胸が痛い。見てないはずなのに、聞こえてないはずなのに、キリキリと胃の上が締め付けられる。


(ねえ、なんか、臭くない?)

(ほんとだ、くさーい)

(やだー)


 私はそれに肯定も否定もしなかった。ただ黙って笑っていただけ。だって、何も見えないもの。何も聞こえないもの。


 でも胸が苦しいんだ。圧迫されているみたいに。真由子。どこにいるの真由子。見えないのよ。聞こえないの。苦しいよ真由子。


(美雪ちゃん)

(美雪ー。谷内が呼んでるよー?)


 谷内真由子。笑うと八重歯がちらっと見えて、とってもかわいい子。同じ高校に入学した、私の、親友。親友だった、はずなのに。でも今は。


 ……なんのこと? 何も、聞こえないよ?


 途端に沸き起こる笑い声。


 あれ、おかしいな? 真由子のマボロシが見える。泣いている声が聞こえる。おかしいな。何も見えないはずなのに。おかしいな。胸が苦しいよ真由子。


「苦しい……」


 自分の声に驚いた。そして次に目に入ってきたのは、見慣れた天井。


 夢だったのか、と安心すると同時に、圧迫感が続いていることに気付いた。なんだろう、と思う間もなく、「おはよう美雪」という声に勢い良く顔を向けて。


「んみゃああああああああああっ!?」


 力いっぱい、叫んだ。


 なんで雪だるまが私の横に寝てるの! コイツの、腕が腕が、腕があああああっ。


 さっきの夢も眠気も何もかもが、一気にぶっ飛んだ。なんでっ! なんでコイツの腕が私の上にのっかってるのよおおおっ。そりゃあ圧迫感あるはずだっ!


****


 雪だるまをたたき出して、朝食の用意されているコタツにもぐりこんだ。


「おはようさん、美雪。朝から元気じゃの」

「おばあちゃん……」


 のんきに笑ってないでよもう。


「美雪が中々起きてこないから雪だるまさんに起こしに行ってもらったんじゃが、あんたにゃ刺激が強かったのか」

「刺激うんぬんよりも色んな問題があるよ……いただきまーす」


 すべては美味しそうな朝餉あさげのかおりにかき消された。おばあちゃんのお味噌汁最高なんだよね。


「だって中々美雪が起きないからさ、どこまで近づけるかなーと思って」

「そんな余計なチャレンジ精神は出さなくてもいいよ」


 雪だるまはポリポリと幸せそうにお漬物を食べている。おばあちゃんのぬかずけ最高なんだよね。


「それより美雪、うなされてたけど、なんか恐い夢でもみてた?」


「な、なんでもないよ!」


 私は慌てて雪だるまの言葉を遮った。


「でも泣いて」

「なんかない! 泣いてなんかないっ」


 おばあちゃんの前で何てこと言うのよこの雪だるまは! おばあちゃんが心配するじゃないの!


「美雪? 大丈夫か?」

「当たり前だよおばあちゃん!」


 ほうら、心配された。私は「そんなことより今日の魚おいしいね」とかなり無理やりに話をそらした。


 おばあちゃんは暫くその細い目をもっともっと細くして、ほとんど無くなった眉毛をちょっと下げていたけど、両親の話やら大好きな芸能人の話や良く見てるドラマの話、今読んでる小説についてや、最近のニュースについて、果ては今日の天気についてまで、騒ぐように話をしているうちに、私の話にコロコロと笑みを見せてくれるようになった。

 雪だるまは、黙ってそれを聞いていた。


 私ひとり賑やかなまま朝食が終わり、おばあちゃんを手伝って洗い物を済ませて、雪だるまにもそれを手伝わせた。手際が良すぎてビックリした。


 そして、日課にしている散歩に出かけようと長靴を履いていると、後ろから雪だるまに声をかけられた。


「出かけるの?」

「うん」

「ふうん」


 それだけ聞いて、雪だるまは家の中に入っていった。家の奥から「おばあちゃん、洗濯手伝うよ」という声を聞きとめて、光の速さで止めに入ったのは言うまでもない。たとえ雪だるまであっても見た目イケメンにパンツ洗われるなんて、耐えられない。


 洗濯されたり掃除されたりしちゃあたまらないから、私は雪だるまを散歩に連れ出した。


「よく考えたらアンタの服とかいるもんね」

「あー……」


 なるほど、と雪だるまは頷いた。


「そういえば俺、初めから服着てて良かったよね」

「そうだねえ」


 よく見りゃ中々センスがいい服を、コイツは最初から身につけていた。雪だるまのくせに、どこから取り寄せたんだろう。


 でもそんな疑問は、全てコイツが、雪だるまが人間になったっていうこの現実の前には微々たるものだろう。だから例えばコイツが魔法使ったとしても、雪だるまだし、で終わっちゃうと思う。


 本当は今日は河原を散歩したかったんだけど仕方ない。私は雪だるまを連れてバス停に向かった。


「ちょっと先ににショッピングモールがあるから、そこに行こう」

「ああ、でも俺、カネ持ってねーよ?」

「雪だるまのくせに変な気を使わないの」


 あと5分ほどでバスが来る。私は財布の中に銀行のキャッシュカードが入っているのを確認した。


「おばあちゃん、さ」

「うん?」


「おばあちゃんに、さ。いつも色んなモノもらってるから、さ。なんていうか、物もそうだけど、形のないモノ、も。だからお返ししたいんだ」

「すりゃあいいじゃん」


「でもね、おばあちゃんは私が何か買ったりしたら、すごく困った顔をするんだ。美雪のお金なんだから美雪が使いなさいって。だからいつもお手伝いとか肩叩きとかしてるんだけど。でも私はおばあちゃんに、例えばストールとか、手袋とか、ブローチとかをプレゼントしたいんだ」

「おばあちゃんは美雪のことが大事なんだよ」


「わかってるよそれくらい。でも、誕生日とか敬老の日とかなにか贈りたいじゃない」

「おばあちゃんっ子だなあ」

「自覚はあるわ」


 ブロロロと大きな音をたてて、古びたバスが来た。それに乗り込み、一番後ろのシートに腰掛ける。固い。


「私、冬休み終わったら帰らなきゃいけないの。アンタがいてくれておばあちゃんが寂しくなくなるっていうなら、アンタのモノを揃えることが、間接的におばあちゃんへのプレゼントになるじゃない?」

「……筋金入りか」


「自覚はあるってば。私、物持ちがいいし、たいして欲しいものもないんだ。だからお小遣いもお年玉も使う必要無いの」


 流れていく景色を見ながら、私はポツポツ話す。雪だるまは所々に相づちを入れてくれて、とても話しやすい。決して続きを促したりしないから、自分のペースで話ができる。


「流行なんて興味無いし、本を読むのは好きだけど、お母さんとかお父さんの本棚に山ほどあるし。お母さんはお菓子作りが趣味でこれがまた美味しいからスイーツだって欲しいとも思えないし」


 ガタガタと揺れながら、バスは私たちだけを乗せて走りつづける。町に近づくにつれて、雪がだんだん無くなっていくのがわかった。


「だからね、雪だるまは余計な心配しなくていいの」

「……美雪は、遊びに行ったりしないの?」


 ここで初めて雪だるまは質問をした。私はそれには答えずに、窓の外を見続けた。


 高校に入ってもうすぐ一年だけど、遊びに行った事なんて無い。ううん、最初は真由子と。真由子と映画やショッピングに行ってたっけ。


 黙り込んだ私に、雪だるまは「じゃあさ」と言葉を落とした。


「美雪は本当におばあちゃんのために使うときまで、そのカネは置いておきなよ」


 溜め息まじりに言われた言葉に、私は勢い良く振り返った。


「何言ってんの、一通りのものは要るでしょっ。っ、もっともらしいことを言わないでよっ」


 雪だるまはそんな私の言葉に小さく笑った。なんていうか、すごく大人びた笑い方で。

 いや、確かに雪だるま、見た目はスッキリしたイケメンの大人、多分二十代半ば、なんだけど。えっと、そういうんじゃなくって「大丈夫だよ」って言われてるような、たまに、父さんや母さんがするような、そんな感じの。


「美雪、まだ高校生でしょ? おばあちゃんにプレゼントするチャンスはまだあるよ。俺のことは気にしないで」

「……無一文が何を言うか」


 雪だるまにそんな風に感じたのが悔しくて、私はワザと低い声で反論した。雪だるまはそれに、またちょっと笑った。


「ふ。やっぱりかわいいね、美雪」

「鳥肌たつからそういうこと言わないでっ!」


 だめだ、苦手かも知れないと若干感じていたけど、やっぱり苦手だコイツ。


「ごめんごめん。大丈夫さ。だって俺は」


 出会ったときと変わらない、不敵な顔をして。


「雪だるまから人間になったんだし? なんでもできるさ」


 不適に魔法使い発言をかましてくれたのだった。なんでもできそうだと思った矢先だったから、ちょっと信じてしまった私は、単純すぎるのだろうか。


「次終点みたいだよ」

「知ってる!」


 うそ。本当は気付いてなかった。


 んもう。バスの中、暖房効きすぎてんじゃないの?


 変な汗をかいてしまった私と、なんだかニヤニヤしてる雪だるまと、あと数人の乗客を乗せて、ゆっくりとバスは、駅のターミナルに入っていった。


 ショッピングモールに着いて直ぐに、雪だるまは「ちょっと待ってて」とどこかに行ってしまった。何をするでもなくぼんやりと待っていると、ニヤニヤしながら戻ってきた。


「お待たせ」

「別にそんなに待ってない。どこ行ってたの」


「金」

「へ?」

「カネ、作ってきた」

「はあっ?」


 何を言い出すんだと思ったらわざわざ「じゃあーん」と言いながら財布を見せられた。


「アンタそれ」

「ほら、バスの中でも大丈夫だって言っただろ?」


 そりゃ言ってたけどさ、でも、何コイツ。本当に魔法を使ったみたい。私は呆気にとられてしまった。

 雪だるまが人間になったり、私の名前を言い当てたり、無一文のやつが財布を持ってきたり。昨日から不思議なことばかり。


「ぬ、盗んだとかじゃないよね」

「まっさかあ」

「だ、だよね」

「うん、よし。じゃあ行こうか」

「ぎゃあっ」


 腰に手を回されて私は飛び上がった。


「そ、そういうのやめてってば!」


 雪だるまは笑う。絶対コイツ私のことからかってる! 雪だるまにからかわれるなんてなんとなく屈辱。


「じゃあ、これならいいだろ?」

「うひゃっ」


 ひやり、と手に冷たいものが当たったと思ったら、それは腰に回されていた雪だるまの手だった。


「よよよよ良くない良くない」

「美雪は照れ屋だなあ」

「ちょ、あ、は、さっ」


 ぎゅううって、ぎゅううって握らないで。ちょっとアンタ離しなさい! と言ってるつもりが、ハクハクと口から空気が漏れるだけでうまく喋れない。


「ぷ。何言ってんの。行くよ」

「うやああああ」


 笑うなそして引っ張るなあああ!


 私の名誉のために言っておくけど、決して繋いでるわけじゃない。握られてるんだ。しかも一方的に。ぎゅううって。


 ダメだ恥ずかしい。何なの、本当なんなのコイツ。 茹で上がった私の熱で雪だるまが溶け出したのか、握られた手がベトベトする。いや、溶け出したのは私かも。


 この雪だるま、外見は完全に男の人だから。男の人とこんなに話すのもこんなに密着するのもこんな風に手を握られるのも初めてだから。


「美雪、真っ赤」


 私は今、砂漠に置き去りにされたアイスクリームの気持ちが良く分かってしまった。分かりたくもないけど。


 何をどこでいくらで買ったのか、ほとんど覚えてない。気付けば雪だるまは大きな紙袋を三つも持っていた。片手で。


 両手で持ちなよって小さな声で言ったら「じゃあ手が繋げないじゃん」と言われた。断じて繋いでない。握られてるんだから。


 とにかく、恥ずかしげもなく言うもんだから、私は無言で拉致されている手をぶんぶんと振って脱出を試みた。因みに既に何回も脱出に挑み、ことごとく失敗している。そしてそれに漏れずに、今回も徒労に終わった。


 大げさに肩で息をする私を引っ張って、雪だるまはベンチに腰掛けた。都心から離れた町のショッピングモールにしては珍しい、デザイニングされたベンチ。くるりとした曲線が可愛いんだけど、明らかにデザインを重視しすぎてて、狭い。小さい。……近い!


 こんな状況で私が何か言える筈もなく。情けないけど。


 バスで一時間近く離れた場所にいるおばあちゃんに心の中で助けを求めながら、ただジッと下ばかりを見ていた。


「ねえ美雪」


 雪だるまの声が落ちてきた。近すぎるこの距離で顔を向けるなんて勇気は無い。返事もせずにさっきから同じ体制のまま固まっている私は、無視をしているのと変わらないんだろう。


 けど、雪だるまは気にした風もない。すらりとした上体を倒して私を覗き込んで。


「真由子って、だれ?」


 そう、言った。


 心臓が、握りつぶされたかと思った。


 何、何を言っているの、この雪だるまは。なんで真由子の名前を知ってるの。雪だるまだから? 雪だるまだからなの?


「……知らない」

「え?」

「知らない知らない! 真由子、なんて、知らない!」

「美雪!」


 走り出そうとした。でも、握られた手のせいでそれは叶わなかった。なんなのよ、いったい何だっていうのよ。


「離して、離してよばかっ」

「ちょ、落ち着けよ美雪」

「おちついてるわよっ」


 小さなベンチに座った若い男女がいきなり小競り合いをはじめたものだから、当然人目を引いた。普段の私ならきっと恥ずかしくて仕方ないんだろうけど、今はそんな場合じゃない。


 聞きたくない、真由子の名前なんて。聞きたくないんだ。だって。


「美雪が夢で泣いてた原因?」

「泣いてなんかないし、真由子なんて知らないってばっ」


 だって、心臓がすり潰されそうになるから。ごめん、ごめんなさいって、私の心が叫んでる。叫んで、叫んで、痛くて痛くてしかたがない。痛くて、痛くて、死んでしまいそうになる。


 だから私は、真由子を見ないことにしたのに。真由子がいなければ、真由子が見えなければ、こんなに苦しくなることはないから。なのに、なのに。


インビジブル(意味:不可視)/了

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