リグレット
美雪視点
見上げた空は、落ちてきそうな、重い曇天。真上にあるはずの太陽を覆い隠している。もう間もなく、また、雪が降るんだろう。
真っ白に積もった雪の上に、真っ赤なマフラーがひらりと落ちた。その様子はとても印象的だったけど、そんなこと気にしている余裕は、私には無かった。
雪だるまなんて、つくらなきゃよかった。今年初めて積もった雪にバカみたいに一人ではしゃいで、こんな子供じみた事、しなきゃよかった。
でも、さ。ねえ、考えてもみてよ。これは雪だるまを作った、私が悪いの? 雪だるまを作っただけなのに?
雪だるま。今さっき私が、うちの庭の雪を丸く固めて作った、雪だるま。結構大きな、雪だるま。ううん、正しくは、雪だるまだった、モノ。その雪だるまだったモノ、は、困ったように私を見つめて。
「お腹空いちゃった。なんか食べさせて」
と、言った。反射的に私は「アイスとか?」と聞き返してしまって、また後悔。何を普通に会話しようとしてるの! 私は!
「ううん、あったかいモノがいい」
雪だるまのくせに。いや、本当にコレは雪だるまなの?
「だって、せっかく人間になれたんだもん。あったかいモノが食べたいよ」
こんな事って絵本の中だけじゃないの?
「ねえ、寒いから部屋の中に入れてよ」
ツヤツヤした黒髪、切れ長の瞳、薄い唇は寒そうに震えてる。すごくキレイな顔をした雪だるま、だったモノ、と思われるモノ。とにかくそのモノは私が落としたマフラーを拾って、雪を払い落とした。
はい、と渡されると、やっぱり反射的に受け取ってしまった。しまった、と思った私の感情を読み取ったのか、ソレ、はニヤリと口の端っこを吊り上げた。
「キミが俺を作ったんだから、責任持ってよ」
甘さを含んだテノールの声。雪だるまのくせに、雪だるまのくせに! 私は何故か逃げ出したくなり、顔に熱が集まった。
「ねえ?」
ぼすり。雪に穴を開けて、ソレ、は一歩私に近付いた。もう、限界、です。私、もう、限界。
「いやああああっ! おばあちゃあああああん!」
台所にいるはずのおばあちゃんに、持てる限りの大声で、助けを求めた。
「ぷはー、生き返るー!」
コタツに入って、毛布を被って、梅昆布茶をすするイケメン。いや、イケメンに見える、雪だるま、だったらしい、モノ。おばあちゃんは、そんな得体の知れないモノを見て、ニコニコとしている。
何の疑いもなく、コイツをウチにあげて、お昼ご飯を用意したおばあちゃん。何の疑いもなくウチに入って、それを平らげたコイツ。そして現実についていけなくて、その光景をただ遠巻きに眺めているだけの私。みんなで梅昆布茶を、すすりながら。
「それで、雪だるまさんは、これからどうされるのかね」
おばあちゃんが、やわらかく笑いながら話しかける。おばあちゃんの中では、コイツがもう雪だるまであることが決定事項らしい。
コイツは、そんなおばあちゃんに向かって、さあ、と小首を傾げた。腹が立つくらいにその動作が似合う。
「じゃあ好きなだけここにいなさるといい。ばばとこの子しかおらんでな」
「あ、いいの? じゃあ、そうさせてもらうね」
「ちょっと待ったあ!」
湯呑みをドコンとコタツに叩きつけて、私は二人の会話に割って入った。
「こんな得体の知れないモノ、うちに置くわけ!?」
私の意見、間違ってない、よね? うん、間違ってない、はず。自信はある。自信はあるんだけど、悲しそうなおばあちゃんと、この得体の知れないモノの表情を目の当たりにすると、その自信はガラガラと音をたてて崩れていってしまう。なんか私ひとりが意地悪を言ってる気分になる。
「美雪ちゃん、そんなこと、言わないで」
ああ罪悪感。無駄にキレイな顔で切なそうに見つめながら私の名前を呼ばないで。ん? 名前? 私、コイツに名乗ったっけ?
しきりに不思議がる私に、コイツはさっきの、口の端っこを吊り上げる笑い方をしながら言葉を続けた。
「わかるよ。だって俺、美雪ちゃんに作られた雪だるまだから」
えええ。何、その理由。
「美雪ちゃんはモノを大切にする子だって知ってるよ。だから俺のことも大切にしてほしいな」
いや、確かに小学校のころから同じ筆箱使ってるけど、なんでコイツがそんなこと知ってるの? 本当にコイツは、雪だるまなの?
――大きめに作った雪だるまに、おばあちゃんが編んでくれた大切なマフラーをかけた。その達成感に思いっきり背伸びをしたその瞬間、大きな音がして現れたんだ、コイツが。雪だるまのあったその場所に。
そして、名乗っていない私の名前や、物持ちがいい事まで言い当てた――
信じたくないけど、本当に本当に、雪だるまなの?
自称雪だるまは、いや、すでに私は半分以上信じかけてるし、おばあちゃんなんて百信じちゃってるけど、この得体の知れないモノ、は、不敵な笑みを浮かべた。かっこいいとか思っちゃった自分がちょっと嫌だ。
「この家の庭の雪から人間になりなすったんじゃ、ここが家じゃろう。ばばの家族も同然じゃ。のう美雪」
おばあちゃん、なんでそんなに嬉しそうなの。そして普通なの。これって超状現象だよ。なんて思ってはいるけどおばあちゃんには言い返せない。あー、とか、うー、とか、意味の無い声が出るだけ。
おばあちゃん大好きなんだもん。私のオアシスなんだもん。夏休みとか冬休みになったら、ひとりででも遊びに来ちゃうくらい、大好き。
だからそんな嬉しそうに言われると、私はもうどうしても反対なんてできないんだ。
超状現象だけど、まあもとは雪だるまだし、多分。得体が知れないけど、考えようによってはメルヘンだし。その、不敵な笑い方が似合うやたらとキレイな顔は、心臓に悪いけど。
でも、おばあちゃんが喜んでいるなら、私や私の両親が来ない間、ずっとこの古くて大きな家にひとりきりのおばあちゃんが、雪だるまと暮らしたいっていうなら、それでおばあちゃんが笑顔になるなら。
うん。私はやっぱり、どうやっても反対なんて出来ないんだ。
「そーだね……」
力無く頷く言葉は肯定。一気におばあちゃんの顔が輝いた。ああもうかわいいなあ畜生。私もこんな風に年をとりたいなあ。
「美雪は優しい子じゃなあ」
おばあちゃんのほうが、ずっとずっと優しいよ。私なんか、優しくなんてない。私、なんか。
(ねえ、ちょっと、臭くない?)
いきなりフラッシュバックする学校での光景。日常になりつつある、教室の一角。慌てて頭をふってそれを散らした。冬休みの間くらい、ここに来てまで、学校のことは忘れたいのに。
「美雪ちゃん?」
雪だるまの声で、我に返った。あれ? おばあちゃんは?
「おばあちゃんは、今、俺に部屋を作ってくれるって言って奥に行ったよ」
って、また私何も言ってないのに! 雪だるまって、人の心を読めるスキルがあったりするの? って驚いていると、雪だるまはクツクツと笑った。憎たらしい笑い方だけど、けれどもやっぱりサマになっていて、ああ、本当に心臓に悪い。
「わかりやすいんだよ、美雪ちゃんは。……あれ?」
どういう意味だ、どういう。じと目で睨み付けてやると、ちょっと肩をすくめてから長い指を私によこした。
「お茶の粉が、ついてる」
「ひゃ、あ」
あろうことか雪だるまは私の私の口の端っこを、親指でぬぐった。驚いて変な声出ちゃったじゃない!
「ぷ。かわいい」
そんなこと言われてもどうすればいいのやらわからない。だから私は何も言えなくなって、固まってしまった。
「ねえ美雪ちゃん。家族なんだから、美雪って、呼んでもいいよね?」
……ああ、やっぱり雪だるまなんて、つくらなきゃよかった。
■リグレット(意味:後悔、残念)/了