ぼくのすきなもの
行ってしまった……。
ぼくは電柱の陰から、モコモコのコートを着た女の子が両親と一緒に車に乗り込むのを見ていた。車が走り出すと、後部座席の女の子は後ろ向きにすわって去っていく景色をながめた。
そう、景色をながめていると思ったんだ。今まで住んでいた家やいつも歩いていた通学路を目に焼きつけているんだと思ったんだ。だから、女の子と目が合ってびっくりした。
あの子は景色なんか気にしちゃいなかった。ふりかえったのは、ぼくを見るためだったんだ。まわりを見わたすまでもなく、まっすぐにぼくを見つけた。ぼくが電柱の陰から見ていたことを知っていたのかもしれない。
車が小さな公園の角を曲がろうとしている。
ぼくはその公園まで全速力で走って、その勢いのまま枯れ坊主の桜の木に登った。そうすれば、少しでも長くあの子を見送っていられると思ったんだ。
だけど、車はぼくなんかよりずっと早く走れる。あの子の悲しそうな顔に涙が流れる前に、あの子を乗せた車は見えないところまで行ってしまった。
あの子がこれから行くところは、ここよりも暖かいところだというから、それだけはよかった。あの子はとても寒がりだから。
あの子に新しい友達ができるといいと思う。ぼくみたいにそばにいることしかできない友達じゃなくて、一緒に泣いたり笑ったりしてくれる友達ができるといいな、と思う。ぼくみたいに本を読んでもらうだけの友達じゃなくて、読んだ本の話をするような友達ができるといいな、と思う。
ありがとう。一緒にいてくれて。
ありがとう。本を読んでくれて。
ありがとう。のら猫のぼくと友達になってくれて。
ありがとう。そして──さようなら。
*****
あれからどのくらいの年月がたったのだろう。
ぼくらには「とけい」とか「かれんだー」とか時間の流れを知るものはない。あの子の読んでくれたお話の中に出てくることがあった。ヒトは時間というものに乗って運ばれていくのだと思っていたら、あの子はぼくに言ったんだ。
「タマにだって時間はあるんだよ。猫の方が人間よりもずっと早い時間が流れているんだって」
それを聞いたとき、ぼくは時間に振り落とされるのではないかと、それはそれはこわかったものだ。今では時間に振り落とされるなんてことはないって知っている。
そのことを知るくらい長くぼくは生きてきたってことだ。
たぶんだけど、あれから二十年か三十年はたっているのだと思う。あのころの顔見知りだったのら猫たちはとっくに姿を消して、今いるのはその猫の孫やひ孫たちだ。
ぼくは時間に振り落とされなかったかわりに、時間に取り残されてしまったらしい。
のら仲間に言わせると、オスの三毛猫は長生きしないらしいけど、だったらぼくはなんなのだろう。みんなの二倍も三倍も長生きしている。それにちっとも年をとった気がしない。今までどおりに食欲もあるし、誰よりも早く走れるし、高いところにだってかんたんに上れる。
そんないつまでたっても変わらないぼくを仲間たちは不気味そうにながめるだけだ。
ぼくもあんな子供じみたやつらとなんかいっしょにいたくはない。
ひとりぼっちはちっともさみしくなんかない。
さみしくないけれど、時々ものすごくあの子に会いたくなる。絵本や童話を読んでくれたあの子に。
*****
長く生きていると、だんだんと人の言葉がわかるようになってくる。文字だってかんたんなものなら読める。もちろん勉強したからなんだけど。
あの子に会えないのなら、あの頃読んでもらった童話を読みたい。あの子があれから読んだかもしれない童話を読みたい。
だから人の言葉を勉強したんだ。たくさん童話の本を読んで、いつか童話館をつくりたい。ひなたぼっこをしているみたいな、ほんわかした童話館をつくりたい。
そうしたら、いつか、あの子がたずねてくるかもしれない。ぼくはその日を夢見て、今日も人の図書館の前の公園でひなたぼっこをする。
図書館から出てきた人がこの公園のベンチで借りてきたばかりの本を開くと、ぼくはとなりにすわって本をのぞきこむ。
やさしい人だとひざの上に乗ってもいいよ、と言ってくれる。人にだっこされるのは気持ちがいい。あの子といたころを思い出すから。
大人の女の人が本をかかえて公園にやってくる。大人なのに童話の本をかかえている。
ああ、あれは──。
女の人はベンチにすわり、本を開いた。ぼくは静かにとなりにすわる。女の人はちらりとぼくを見てほほえんだ。
「読んであげようか?」
ぼくはもちろんニャーとなく。
だって、その本はあの子が最後に読んでくれた童話だったから。
ひだまりの中で童話を聞きながら、ぼくはうとうと眠くなる。ここは本当に気持ちがいい。
それに──この女の人の読み方はあの子にとてもよく似ている。
*おわり*
切り絵:和泉ユタカ様
独立した短編童話ですが、童話企画『ひだまり童話館』裏設定でもあります。