106 二軍監督に干される
天才などこの世にいないと言い続けて丸一年が経過していた。既に同期入団の選手達はぼちぼちと一軍の仲間入りをしていた。成績は芳しくなくとも一軍には上げて貰っているのだ。だが、一方のチビは一軍昇格など夢のまた夢である。二軍での成績はギリギリ3割を越えてはいる。越えてはいるのだが、二軍は投低打高と呼ばれるリーグだ。3割越えなど当たり前だのクラッカー。去年、イースタンリーグの首位打者は脅威の打率.480を記録していた。3割など及第点にすらなりえないのだ。現に二軍首位打者が上にいっても首位打者になれるかと言えばまず不可能だろう。精々、打率.280を維持出来れば合格だ。それぐらい一軍と二軍のレベルの差は歴然だった。チビもそれは分かっているので打撃に関しては何も言えなかった。だが、人一倍努力をして頑張っているのは他でもなくチビだ。こんなに頑張っているのに評価してもらえない。給料にも努力手当など存在しないので頑張っても給料は上がらない。まして、出場試合が激減していた。二軍監督もチビの存在を無視するかのように他の若手や旬を過ぎたベテランを使っている。誰よりも努力をしてきた筈のチビは嫌がらせに近い扱いを受けていた。これでは「なんで自分だけがこんな目に……!」と思っても無理は無い。現にチビは自暴自棄になってアルコールの摂取をしていた。いつもならチューハイを半分飲む程度なのだが、最近は一日にチューハイを一本飲み干すレベルだ。チビはその度に顔を真っ赤にして暴れ回り、タオルを掴んでゴシゴシと洗ったり、食器を勢いに任せて洗って、いつもよりピカピカに磨き上げていた。チビは怒る度に生活習慣が改善されるのだ。遠征に行っている間にめちゃめちゃになった部屋も怒り狂いながら掃除機をかけ、ギャースギャースと怪獣の如く喚き散らしながら雑巾で床掃除をしていた。気が付くと、新築かと錯覚するぐらいに磨きのかかった床と天井に様変わりである。結局はストレスさえも生きるための活力に変わるのだ。特に仕事で感じたストレスは日常生活を薔薇色に染める可能性を秘めている。この場合、チビの上司は二軍監督になるが、上司に嫌がらせを受けてストレスを溜めこみ日常生活で発奮する。だからと言ってドアをけ破ったり、怒りに身を任せて食器を叩き割るのは大人として最低の行いだ。真の社会人ならば普段の行いにストレス解消の場を見つけ出すのが本望だろう。チビはそれを知っていたので、食器洗いや洗濯などの雑用をストレス解消の場に見立てた。日曜日のお父さんがたまに掃除をしたり家事を手伝ったりするのは奥さんを休ませるためでは無い。掃除をする事で仕事で受けたストレスが綺麗さっぱり流れるのを知っているからだ。そんな事を言うと奥さんに怒られるので敢えては言わないが、世のお父さんはストレス発散のために家事手伝いをしているのだ。それで奥さんも喜んでいるのだからWIN-WINが出来上がっている。
「ちきしょう、あの二軍監督め。なんで僕を使ってくれないんだ!」
歯がゆい思いをしながらも、チビはせっせと便器や風呂を磨いて部屋の中をピカピカにしていた。それぐらい、今の彼は怒り狂っているのだ。怒りに身を任せて掃除をしないと誰のためにもならない。そう自分に判断を下していた。「この際練習など放り出して、身の回りの片づけをしてるよ!」とぐれたのだ。まるで思春期の子供のように。やっていることはヤンキーと同じなのだ。本当にしなければいけないことを放棄してまで、他の事をするのだから。ヤンキーは基本的に暴力と服従こそが全てと鼻息を荒くして言い聞かせている。動物虐待、一方的な暴力、親父狩り、コンクリートに生き埋め、強盗、強姦……クズの集まりである。そうならないためにもチビは真面目に生き続けないといけないのだ。でも、真面目に生き続けてきた結果が二軍監督に嫌がらせを受けるという屈辱に繋がってしまった。チビのような不確定要素は社会に出ても仕事を与えられないのだ。だったらボイコットしてやると、チビはチビなりの不真面目な行動をしていた。昼間からチューハイを飲み干して顔を真っ赤にして、雑巾を持って廊下を走り回っているのだ。悪い子である。せっかく人化して野球をするだけの能力に目覚めた。ところが、いざプロの世界に入っても挫折ばかりで前に進んだ気がしない。嫌味な二軍監督に疎まれて出場機会を減らされて自分の仕事が出来ない。チビは悔しい気持ちを抱きながら身の回りの整頓をひたすらするのだった。それしか反抗的な態度をとれないのだから。そんなチビの思いを察するかのように一本の電話がかかってきた。相手は2000本安打を達成したレジェンド、ミラベルからだった。「今日あたり飲みに行かない?」とお誘いを頂いたのだ。無論、チビは違う意味で顔を真っ赤にして即答した。「もちろんでございます」と。やはりチビもオス。オスはオスなりの考え方を抱いているのだ。チビもそろそろ彼女が欲しい年頃である。周りの皆から子ども扱いされていても、れっきとした社会人であるのには変わらないのだ。一矢報いなければ気が済まないのである。