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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鬼封じ Another story

作者: 雛罌粟飛鳥

 ―――彼女は、不思議な存在だった。



 有名進学校の新入生たちが集う教室で、彼女はひっそりと存在していた。

 誰も気づかない。脆く、儚く、けれど確かな強さを秘めた少女。

「・・・・・・氷月(ひづき)六花(ゆき)

 端的な自己紹介でそのまま席に着いた彼女の存在を誰も気に留めようとしない。けれど、何故か僕だけは彼女のことが気になってしょうがなかった。


 この国では珍しい、銀髪に藍の瞳をした氷月さんに誰もその傍には近寄ろうとはしなかった。僕もその一人だった。

 あの事件があるまでは―――。



 僕らが入学して二か月が経った頃、進学校には似つかわしくない事件が起こった。


 ある朝のことだった。

 その生徒は来年受験する難関大学の合格をより確実にするために、毎朝早くに学校へ来て教室で勉強をしていた。

 それを知っているクラスメイト達は、余計な声をかけず静かに応援していた。

 けれどその生徒は教室の壁に貼り付けにされ、冷たくなった身体から鮮血を流しながら死んでいた。


 発見したそのクラスの生徒の悲鳴によって、その事件は全校生徒に知られることとなる。

 すぐさま警察が呼ばれ、死体検分と現場検証が行われた。

 事件であることは誰の目から見ても明らかなことだが、問題は誰がどうやって生徒を殺したかだった。


『今日と明日は臨時休校とします。生徒は速やかに下校をして下さい』


 校内放送で告げられた内容に騒然としながらも、生徒は素早く帰り支度をすると足早に教室を出て行った。きっと殺人があった現場にいることと、どこかに殺人犯がいるかもしれないことが僕たちを恐怖させているんだろう。

 僕も教科書を鞄に仕舞っている最中、ふと氷月さんのほうに目が行ってしまった。こんな時に、とは思ったけど、何故かその時はひどく彼女のことが気になったのだ。


 彼女は周りが帰り支度をしているにもかかわらず、じっと席に座って外の景色を眺めていた。

 研ぎ澄まされた刃をその眼に宿して、そのにある何かを睨みつける。

「―――人を喰らわなければ、ヒトに戻ることもできたのに」

 その呟きは、不思議と離れた席にいた僕にまで届いた。けれど、その言葉の意味を理解することは出来なかった。



 誰もいなくなった校舎は、普段は感じることのない不気味な静けさに包まれていた。

 はっとした時には、どうしてか僕は夕暮れの校舎の中にいた。確かに家に帰ったはずなのに、また学校に来ている。どうして。

「―――腹を空かせているんだろう。人の血肉の味を覚えてしまった鬼は血肉を狂い求める」

 目の前に氷月さんが立っていた。その手には抜身の刀が持たれていて、その切っ先は僕のほうに向いていた。

「愚かな鬼。たとえその心を鬼に呑まれたとしても、人を喰わなければヒトに還ることもできたというのに」

「お、に?・・・僕、が?」

 彼女が何を言っているのか、意味が分からなかった。鬼とは何だ?人を喰う?

 氷月さんはゆっくりと僕に近づいてきた。その眼には教室で垣間見た研ぎ澄まされた刃が宿っていて、その瞳には額から角を生やし、歪な顔をした何かが映っていた。

 彼女の目の前に立っているのは、僕。・・・じゃあ、この化け物は、僕?

「せめて、苦しみの無いように逝かせてやる」

 そう言った彼女が僕の喉元で刀を横に薙ぐ。

 僕の意識は、そこで途切れた―――。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ―――お前なんか、生まれてこなければよかった!

 ―――誰に似たんだ。この愛想のねえガキはよぉ。


 罵られ、ぶたれ、足蹴にされることは日常茶飯事で、僕はもうそれに何かを感じることはなくなっていた。あるいは、心が麻痺していたのかもしれない。


 そんな僕が心の拠り所にしたのは、本の世界だった。

 空想の詰まった本は、僕をその世界へと誘うように綴られていて、僕自身もその世界へと入っていきたいと願っていた。

 けれど・・・。


 ―――本だぁ?うちにそんなもんを買う金があるとでも思ってんのか?

 ―――誰のおかげで飯食っていけてんだ、ガキがっ!でけぇ口叩いてんじゃねえぞ!


 父である男は不機嫌そうに言い放って、また僕を殴って蹴って、その怒りを僕にぶつけた。

 そして、目の前で本を焼いたのだ。


 父さんと母さんに初めて買ってもらった、大切な思い出の詰まった絵本を、父親であるはずの、いや、父親だった男は、安物のライターで燃やした。

 僕の大切な、家族の絆そのものだった絵本が燃やされた。それが、僕の限界だった。


 それまで何の反撃もしなかった僕が唸り声をあげて男に飛び掛かることに驚いたのか、男は躱すことすらしなかった。

 床に倒れた男に跨って、無意識のうちにテーブルに置かれていた果物ナイフに手が伸びる。


 ―――お、おい!やめろ!俺はお前の父親だぞ!?


 都合のいい時だけ父親面をする男が、僕の父親であることがひどく不快だった。


 ―――ひぃっ!や、やめてくれ!俺が悪かった!


 無様に泣き叫ぶ男に、僕は手に持った果物ナイフを突き立てる。

 何度も。何度も。何度も。

 男の命が失われたと気づいたあとも、ずっと男の胸を、腹を刺し続けた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 どこかで聞いたことのある話に、悪魔を倒した勇者はその悪魔の血を全身に浴びてしまって、結局悪魔になってしまった、という話があった。


 あぁ。僕は、父親だったあの男を殺して、化け物になってしまったんだ。


「強い想いが人を鬼に変える。鬼に堕ちてしまえば、容易くヒトに戻ることは出来ない」


 じゃあ、僕はもう人じゃないんだ。もう、ヒトには戻れないんだ。


「我々氷月(ひょうげつ)一族は、鬼となった者を人に還すことを生業としている」

 お前の場合は手遅れだったが、とひどく哀しそうに彼女が呟いた。

 僕を助けられなかったことを悔やんでいるのかもしれない。そんなこと、気にする必要はないのに。


 殺されてしまったというのに、何故か僕の心はひどく凪いでいた。

 もしかしたら、父親を殺してしまったことを心のどこかで後悔していて、その罪を裁いてくれた彼女に感謝しているからかな。

 あと少しもしないうちに僕はこの世から消えることが分かった。だからこそ、彼女に伝えたかった。


 ―――ありがとう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 事件から半年が経過し、生徒も教師も殺人事件があったことなど忘れたかのように、ありふれた日常を過ごしていた。

 殺人犯は逮捕されたと報道された。けれど顔写真はおろか、名前さえ発表されない内容に人々は首を傾げながらも、過ぎ去った脅威に安堵のため息を漏らす。


 一人の少年が姿を消したことさえ気付かずに、安穏とした生活を享受する。

 その様子を冷ややかに見つめる一対の瞳が窓から見える景色に向けられる。


 秋が過ぎ去り、やがて来る冬を思わせる景色は、人の世界など関係が無いかのように時を刻み続ける。

 人が生きようと死のうと関係もなく、意味もなく、ただ淡々と時の針を進めていく。


「―――来世(つぎ)は、人のままに生きれるといいな」


 ぽつりと呟いた言葉は誰に聞かれるでもなく、教室の喧騒の中に消えていった。


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