別離
身支度を整えた
聡美が 綺麗な顔で
ネクタイを
結ぶ
新妻のような
愛くるしい
仕種に
照れ臭くなり
抱き寄せて
このまま
【根本】として
聡美と一緒に
生きてみたくも
なる
重ね合う唇が
愛に 変わる前に
先に唇を
離したのは
聡美の方だった
そうだな
女性は 弱いが
芯は 強いものだ
ホテルを 出て
近くのコンビニで
30万を 引き出し
袋に 詰める
これから
警察に向かう
複雑な心境にも
かかわらず
落ち着いて
いられるのは
聡美のお陰だろう
キャッシュカードごと
聡美に 渡そうか
迷ったが
それは
やめる事にした
何処で どう
事件に 巻き込まれるか
わからないからだ
財布の中に
残っていた金も
袋へ 詰める
もう 俺には
必要ない金だ
警察に 出頭し
根本の身元が
判明した時点で
黙秘を
続けようと
覚悟が 出来ていた
コンビニカゴを
片手に 商品を
眺めている聡美に
顔を向けると
カゴを持って
レジに並んだ
「本当に
サンドイッチだけで
いいの?」
助手席に乗り込む
聡美が 心配そうに
缶珈琲を 差し出す
代わりに
金の入った袋を
差し出すと
迷いながら
受け取った
「………何?」
「聡美の報酬」
「いらないわよ」
「………冗談だ
新たな門出の
祝い金として
受け取って
くれないか」
女一人
生きて行くにも
住む場所が
なければ
路頭に迷うだろう
「……ありがとう
多村さん
あのね 私 本当は
聡美じゃないのよ」
「…どうでもいい
名前など
関係ない事だろ
俺にとって
聡美は 聡美だからな
そうだろ?」
「…そうね
ひとつ お願い
してもいい?」
「ん?」
「この関東圏
日帰り温泉宿の本
貰ってもいい?
傷心旅行に
出掛けなくちゃ
いけないのよ」
聡美の笑い声に
つられて
つい
笑ってしまった
駅前のロータリーに
車を停車し
聡美を 降ろすと
振り返る聡美が
窓硝子を 叩く
「警察に行くの?」
「あぁ」
「……そう
根本のマンションや
報酬金も
失う事に なるわよ
いいの?」
「借金は…自己破産する
もう 守る者も
ないからな
報酬金も
惜しくは ないよ」
「……そう
もしかすると
無実の罪を
背負うかも
しれないわよ」
心配そうに
窓から 覗き込む
聡美の顔を見て
バックミラーに
目を移すと
後方から 車が
ロータリーに
進入してくるのが
見えた
「聡美
俺は 五十嵐を
信じてみる
そう
教えてくれたのは
聡美 お前だろ?
大丈夫だ」
パワーウインドウを
作動させ
聡美を 残し
車を 発進させた
サイドミラーに
小さく映り込む
聡美の姿を
眺める
もう二度と
逢う事は
ないだろう
名前も 住所も
携帯番号も
控えは しなかった
助手席の足元に
透明な包み紙に
包まれた
チョコレートが
ひとつ落ちている
甘くほろ苦い
ビターチョコ
可愛い落し物に
聡美らしさを
感じ
思わず 口元が
緩んだ
近くの警察署へ
車を 走らせ
何も 代わらない
のんびりとした
日常生活を送る
歩行者に
安らぎを 覚えた
数分後
警察署に向け
ハンドルを切り
正面前の
一般者駐車場に
車を 停めると
何人か
制服を着た
警察官が
車の前を
通り過ぎる
助手席の床から
チョコレートを
拾い
ポケットに入れ
車から 降り立った
自動扉を 入り
役所のような
受け付けに
向かう
ただ 応対する女性が
婦警の制服を
着ているだけで
公務員である事を
再確認する
「どうされましたか?」
「千葉県で起きた
事件の事で」
「ご協力ありがとう
ございます
情報提供ですね
担当の者を
お呼びしますので
椅子に 掛けて
お待ち下さい」
使いふるされた
スプリングの弱い
黒い長椅子に
腰を 降ろすと
数分経って
目の前に
立ちはだかる
担当者らしき
警察官が 頭を下げた
警察官に
先導されるまま
脇の通路を抜け
別棟へ 案内される
階段を 登り
ドアの前で
また 長椅子に
座らされ
警察官だけが
ドアの中へ
入って行った
誰もいない
廊下
階段を伝い
何処かで 話ている
誰かの 笑い声が
聞こえる
緊張感のかけらさえ
漂わない警察署内
聡美の落とした
チョコレートを
口の中に 入れると
柔らかな甘さが
溶けて口の中に
広がった
しばらくして
先程の警察官が
ドアを開け
ボードで区切る
狭い個室に
通された
奥側に座った
警察官が
黒い事情聴取簿を
開き
定規を使いながら
何かを
書き込んでいる
パイプ椅子に
座らされたまま
黙って眺めるしか
なかった
書き終えると
顔を 上げ
名前を聞かれる
【多村 雅一】
漢字を 確認しながら
書き込み終えると
ボールペンを置き
両手を 組んで
顔を 覗き込む
「ご用件は?」
そうさ
【容疑者】とは
こんなものだろう
≡END≡




