鴎
あらすじすらどのようになっていくかわかりません。
変化を楽しんでくだされ。
二三日続いた雨もようやく上がった。
5月半ばから続いていた好天で干上がった母の畑にもこれで水が行き渡るだろう。驚く程今朝の空は青く晴れ渡っている。潮騒もただ静かに地球の鼓動を伝えている。カモメだろうか、波間に静かにたゆたっている。
耳朶からはお気に入りの男性アーティストの伸びやかな歌声が流れている。声は波動であるという。彼女はその曲のイントロを聞くと冷え込んだうみかぜを大きく吸い込んだ。そして消して上手くはない歌を大声で歌った。鎮魂の歌。強く生きるための歌。
歌が波動であるならば彼女は伝えたかった、彼女自身を中継点として、全世界に全宇宙に、一人一人が愛されて守られていることを。だから、争ったり傷つけたりしなくてもいいことを。
続けて何曲か歌ったところで後方から散歩客が通っていくのに気づいて気まずそうな顔をし歌うのをやめた。歌っている彼女をコーラスするようにアァーアァーと鳴き交わしながら波間から飛び上がり風の中にたゆたっていたカモメたちはどこかに去っていった。
北海道太平洋沿岸。南風が吹くと海洋を渡ってきた風が日差しによって温められた空気を冷やしてしまうため、夏になろうというこの時期でも寒い日が続く。その潮風は毎日のように深い霧をうみ、多くの住民の心に重くのしかかる。大きな海と緑の丘に囲まれたこの美しい街で何故か自殺者が多くいる。北海道に古くから開けた土地であるはずのこの街だがあまり個々のコミュニケートがうまくできていないのだろうか。心を閉ざし死を選ぶ者たちがかなりいた。前出でも述べたが古くから開けた街のため多くの公的機関がこの土地に置かれた。それは精神科がある病院もである。精神科があるというものは心の拠り所として今であれば重要なものであるが、前世代以前は忌むべきところという病院の科であった。現在でもそれはまたその風習が続いているようで、あの狭い街で精神科にかかるというのは、重い悩みの一つにすらなってしまうだろう。
そして数ヶ月前にもどうにもならなくなった夫婦が二人で亡くなったという。そのニュースを聞いた彼女はいたたまれない気持ちだった。なぜなら彼女自身この5月だけで5回未遂に終わっているからだ。もしかしたら、自分の死亡広告も同じように新聞に載ってしまったかもしれない。それよりもまず、力のない濁った目の自分を母に見せることが一番嫌だった。現在も優しく見守ってくれる母にそんな辛い仕打ちをさせられなかった。だから、なんとか堪えて命を永らえさせてきた。
しかし、もうちがう。彼女は、死を選ばないと芯から決めた。自分の心の中に秘めた目標まで、何も諦めないと決めた。
「ほんの少し、ほんのすこしだけ。つよくなろう。そして、1ミリももう夢を諦めたりしない」彼女はようやく自分自身を認め対峙しそして受け入れた。自分の中の未来の扉の鍵が開けられ僅かに光が射すように思えた。彼女はそれがただの幻想でもいいと思った。彼女の好きなことを毎日コツコツと変わりなく行っていくのが今の彼女の生きていく糧だからだ。
何度も彼女は挫折を繰り返した。自分の人生は何一つ完成しない。何一つ、素晴らしいものはないと感じていた。振り返り足元を見ると子供の頃に望んでいた場所に佇んでいた。世間的には挫折し病んだ敗北者にしか見えないだろう。でも、彼女はそれでよかったのだ。苦しみ悩み壊れ、あがいた。何度も何度も何度も。人々と同じように生きて生きるために。人と同じようなレール。それが彼女には自分のためのレールとどう見ても違うものだとは見えなかった。だからこそ、人と同じような幸せを望んだ。人と同じようにスタンダートと言われる人生を進むべきだと思い込んでいた。
だが、そのレールでは学がなく就職経験もなく手先も不器用な彼女は、まともな就職もできなかった。現代の日本では通用しない人物であると何度も思い知らされた。でも、生きていくためにはなんとか世間一般のレールにはしがみつかなければならない。そんな時だんだんと異変は起きていく。風邪をひきやすくなり、不調が続き、不注意により骨折や怪我が多くなる。そして、体の不調と合わせるかのように心が萎んでくる。そしてだんだんと心が病んでいく。気づかないうちに。そして、取り返しがつかない壊れ方が始まる。