本は文字を紡ぎ出す
フロレンスから早朝の出来事を聞いた者は、例外なく耳を疑った。
――――有り得ない。前代未聞だ。
成人した人間が、再び生まれた時の姿に戻るなど。そんな魔法みたいなことが起きるわけない。
そのような彼らの胸中の思いを汲み取ったかのように、フロレンスは低く呟いた。
「ならどうして総轄長がいない」
「お産の直後だからじゃないの?」
あっけらかんとした言い草である。そしてこの女児を産んだセラフィナのお相手は‥‥言わずもがな。
もう一度向けられた不審な目を振り払い、フロレンスは女児の脇の下に手を滑り込ませて高々と持ち上げた。
「では質問です。貴方は総轄長ですよね?」
「うぅ!」
「ほら」
それ見ろと言わんばかりの態度を示すフロレンス。しかしこれまでの様子から判断すれば、赤子は音に反応している。だから同意を求めたり質問したりしても、それらしい反応が返ってくるだけのことであろう。本人は何も意図していない。
しかし必死に縋るような目でフロレンスが見てくるため、一応二人は納得してやった。
「‥‥‥まあ確かに、着ている服もおちびちゃんと一緒だし、指輪もロザリオもある。そのままちっちゃくなったんだろうね」
「外見と中身が一致したな。いや、それにしては幼すぎるか‥‥?」
「あうぅ?」
大きくて黒目がちな双眸をぱちぱちとさせて、セラフィナらしき赤ん坊は青年達を見上げた。そして。
‥‥ぱあぁぁ!
先程とは比較にならないほど、破壊力抜群の無垢すぎる笑顔をいっぱいに咲かせた。
そして、その愛らしい様子を真正面で目撃したディナダンは息を呑み、半瞬後に噴出した。
「ちょおぉぉ!!可愛いよ何この子!お兄さんをそんなに悶えさせたいの!?」
「ダン、戻ってこーい!!」
イグナーツの叫びもどこ吹く風。耳を通って抜け出てしまう。
初めて見る青年の豹変ぶりに危険を察知し、フロレンスはすかさず赤ん坊をひしと胸にかき抱いた。今こいつに渡せばやばい、毒牙にかかってしまう‥‥と。
そこまで見通せてしまうのは、友人という関係を築き上げてきた故か。
「コホン。‥‥‥それでだね、僕は言いたいのは今後の総轄長の処遇についてなんだけど」
騎士団城は言わずもがな託児所ではない。いくら子供っぽい修道女をトップの座に据えているとはいえ。
ひとまず落ち着きを取り戻したディナダンはセラフィナを見詰め、ふわりと優しく微笑んだ。あー、と無心に伸ばされた小さな手に、己の指を絡ませる。
なんて弱々しい腕なのだろう。縋ることしかできない短い手足。
この子は誰かが助けてやらねば、きっと倒れてしまう。そんなにも弱い存在なのだ。いつものセラフィナに対するものとは違う、『護りたい』――――否、『構いたい』という感情が込み上げる。
彼は掌にすっぽりと収まる頭を撫でた。
「まあでも、一人じゃ何もできない状態だから、面倒見てあげようよ。どうせずっと続くわけじゃないだろうし」
それに、幼かりし日のセラフィナを垣間見られる絶好の機会である。沢山愛でてあげようじゃないか。
そんなディナダンの心の声が聞こえたのか、子持ちの騎士を中心に全員が大きく頷いた。騒ぎを聞きつけてやってきた食堂のおかみや下働きも、大広間の死角に隠れてちゃっかり親指を立てている。
かくして、やる気に満ち溢れた男達の熱き子育て騒動が幕を開けたのである。