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フレイム・アイ 前編

 盗みに後悔を覚えたこと、そんなのいつもだ。このくりかえしに意味なんてあるのか、そう悩んだ時期もある。もう泥棒なんてやめて、素直に自分の運命として受け入れよう。そう揺らいだ日もあった。

 けど、それでも、自分は泥棒をやめない。

 普通の高校生にもどるまで、怪盗カリスをこの世から消し去るまで。



 フレイム・アイ 前編



 いつもの通学路。いつもの並木道。いつもの高架橋の上を通るオレンジ色の電車。いつもの登校風景だ。

 ただし、普段と決定的にちがう箇所がある、となりの女だ。

 この橘香里という女が朝も早くから家に押しかけて学校へ行こうと強引に誘ってきたのだ。


「でさ、昨日ね」


 楽しそうに、好きなテレビのこと、自分の身の回りのこと、酔っ払い親父のこと、こいつは本当に可笑しそうに話す。

 それにひきかえ、今の自分はぶすっとした仏頂面だ。天邪鬼は表情にも出る。いや、表情に出ないか。

 自然とため息が漏れ出す。またひとつ幸せが逃げていく。あぁ。


「それでさ、あの映画って」

「ああ」

「お母さんが」

「ああ」

「ちゃんと聞いてる?」

「ああ」

「って、危ないよ、前!」

「ああ――ぐべっ!?」


 ボーっとしてるといきなり自転車がタックルしてきた。世間様でいう接触事故。体に鈍い痛みが走る。


「ちょっと、湊。あんた大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃない」


 後ろから香里が駆け寄ってくる。なんとか助け起こされた。


「す、すまない。大丈夫か」


 湊たちの高校とはちがう高校生。人を轢いたくせにあまり申し訳なさそうじゃない。というより、相手の様子がおかしい。顔も青ざめている。


「ほ、本当にすまなかった」

「あ、おい、コラ!」


 腕時計を見るやいなや、高校生はすばやくその場を去ってしまった。



 †



「という、出来事があったんだ」

「おまえ、いつでもトラブるな。これは一種の才能やぞ。くく」


 そのことを准に話したらいきなり大笑いした。ひぃひぃ言ってやがる。この笑いのツボは自分には永遠に理解できない。


「准、頭になんか乗せろ。オレがカードで投擲してやる」


 手元から瞬時に五枚のトランプを扇状に出した。ちなみにカリス用の細工札、実践向け使用。


 瞬時に怯えた羊になる准。


「後生やから勘弁」

「いちおう冗談だ、いちおうな」


 笑って五枚のカードを視覚的に消す。


「そ、そういえば。今度、理科の先生が新しくなるそうやってな。楽しみやね、うん。うわさでは美人らしいぞ、マジで」

「そんなデマ信じるなよ。どうせ、前と同じでハゲオヤジに決まってら」

「夢がないな、夢は見るもんや」

「はあ、夢ねぇ」


(カリスがいるかぎり。オレの夢は当分叶いそうにねえな)



 †



 満天の星空の下。淡い月光の支配する空間に怪盗は現れる。

 今宵の獲物はかの狩谷コンチェルン総帥、狩谷信三所有のパイロープガーネット、フレイムアイ。

 さてと、上空を旋回する野暮な鉄の鳥に、機動隊員が複数。狩谷邸の周囲には番犬としてドーベルマン。

 先端の尖った囲いの返しへカリスはつま先立ちで直立していた。

 

 衣の袖をがさごそと探り、純白の衣には明らかに入りきらない物体が出現する。

 拡声器。


『みなさん、怪盗カリスが来ましたよ〜〜〜〜〜〜〜!!』


 夜の静寂を打ち破る盛大な声が狩谷邸全域を揺らした。


『わたしは逃げも隠れも……するかもしれませんが。とりあえずここにいまっす!』


 ”特殊な連絡”を受けて数多の観客が押し寄せてくる。まさに四面楚歌。


(ふふん、レッツショータイム)


 囲いの上から軽快なステップで人波に躍り出る。大群の群れへ無防備に突っ込んでいった。


「う、うわ!」「くそ、俺たちの中に」「探せ、カリスを逃がすな!」


 群れに迷い込んだ盗賊を探そうと躍起になる彼ら。

 でも、見つかるはずがない。何故なら自分はすでに”あるカムフラージュ”をしていたから。

 そう、彼らと同じ機動隊員の格好だ。


(ブラウン神父じゃないけど、木の葉を隠すなら森の中ってね)


 でも、予想以上に揉みくちゃにされた。死にそうになりながらもなんとか人垣から脱出する。

 獲物のいない狩りに熱中する野獣たち。そんな飢えた獣たちにカリスは餌を放つ。


「怪盗カリスが屋敷の奥に逃げました」


「なに!!」「警部、奥に逃げたようです」「追え、逃がすな」


 わっとある程度の人数が屋敷の奥へと消えていった。


(行ってらっしゃ〜い♪)



「さてと」


 機動隊員の格好で堂々と広大な屋敷内に進入する。


(にしても)


 女になって気づいたが、こういう男物の服は胸がこすれて痛い。それにちょっと装備が重たいので疲れる。まあ、女特有の体型を隠してくれるって利点もあるけど。


「この姿とも早々におさらばしたいなっと」


 階段を二段飛ばしで駆け上がり、ついに獲物が待つ書斎の目前まで来た。


(変装はしてないけど、今日はOKかね)


 事前に声色を変えて、紫紺の瞳はカラーコンタクトを入れ、フェイスガードで顔の造詣もごまかせる。最初から準備万端。

 豪奢な扉を開ける。真っ先に目が合ったのは、やはり因縁の橘警部。

 銀色のライターをカチャカチャと弄った動作のままこちらを凝視している。


「報告します。警部、怪盗カリスが現れました」

「あん? それぐらい、あのバカが出した大声で知ってる! 今、外を警備してた連中に追わせてるとこだ」

「それがですね。屋敷の中にこんなものが」

「これは、ヤツの衣装じゃねーか!」


 レプリカの衣装、当然だが証拠は一切残していない、を手に取り凝視する警部。


「奇妙な呪文が刻まれていて。おそらく間違いないかと」

「どこで見つけた」

「二階と三階を結ぶ廊下です」

「くそ! あいつらはなにやってんだ!」


 愚痴をわめき散らしながら警部は無線を取り出す。


『二階及び三階の各員、おまえらなにやってんだ! カリスの痕跡が出てきたってどういうことだ!」


 部下に叱責し始める橘警部。


(おーし、今のうちに)


 警部が気をとられているすきに部屋の状況を綿密に把握する。


 警備の連中たちと自分との距離は離れている。窓までの距離は走って十歩ぐらい。

 悠々と警備連中の間をくぐり、風景を切り取るようにデザインされた大きな窓を開放させる。


「おい、奴らは痕跡なんて最初からないって言ってる、あれ?」

「こっちこっち」

「あん? って、ああああああ!!」

「こんばんわ、警部」


 すでに機動隊員という衣は脱ぎ捨て、窓枠に手をかけた状態で不敵に笑む。


「今日は月が綺麗ですね。いっしょにお月見でもしませんか?」


 まるで世間話でもするような口調でカリスは微笑んだ。


「この、ミス・神出鬼没め。毎度毎度、むかつく登場しやがって。――だが、諦めろ。その下には無数の狩人がひしめいてる。おまえに逃げ場はねえぞ」 

「狩人? するとわたしは袋のネズミ、とか?」

「わかってるじゃねえか」


 窓から下を見ると、無数の飢えた狼たちが獲物が降りてくるのを今か今かと待ち構えていた。


「ふん、今日こそ年貢の納め時だな、カリス。ネズミは大人しく食われろ」

「いやいや、警部。わたしを食らうにはあと二十年遅いですって」

「なにぃ!」

「それにほら、奥さんも娘もいることですしね。それじゃ、チャオ♪」

「逃がすか!」


(いざ、エスケープ、スイッチオンだぜ♪)


 手元のスイッチを押すと舞台上の演出を思わせる煙幕が窓枠から射出され、自分の姿を急速に覆い隠していく。


「くそ!」


 警部は急いで駆け寄ったが、カリスはすでに飛び降りた後、機動隊員たちの元へと白き衣が舞い落りる。


「急げ! また、あいつらに化けるつもりだ!」


 警部と数人の部下は慌てて部屋を飛び出していった。それを見届けて、もぞもぞとレースのカーテンがうごめく。

 煙はなおも噴射し続け、部屋に残った宝石を守る者たちを次々に沈めていった。

 効き目のよわい催眠ガスだ。ただし、吸い続けると眠ってしまう。


(いつもの煙幕だと油断したな、ケケケ)


 カーテンから出ると、ようやく窮屈なガスマスクを取り外すことができた。 


「ぷはぁ、生き返った。う〜ん、空気が美味しい」


 それにしても、予想以上にうまくいったものだ。さっきのレプリカとはべつのレプリカを木片に着せて落としただけなのに。


「ま、それはさておき。今夜のメインデッシュ、メインデッシュと」


 すやすやと安眠している彼らを起こさないよう慎重に近づく。

 獲物が封じ込められたショーウインドウの中に眠る女神像。その左眼に目当てのフレイム・アイは鎮座していた。

 手元のバールでショーウインドウを破ろうと……


「やめろ!」

「のわっ!?」


 びくっと思わず跳ねてしまった。

 カリスはしばらくの間をおき――――瞬時に振り返った。

 ドアを開けたまま立っていたのは……すくなくとも外見は高校生に見える男。それもどこか見覚えのある風貌だ。


(ああ! わたしを轢きやがったあの野郎だ!)


 朝のひき逃げ少年A、彼はカリスを睨むのをやめ、ようやく口を開く。


「その宝石はオレの母が残した大切な形見だ。絶対に盗らせはしない」


 カリスの、ショーケースを破ろうとした手がピタリと止まった。

 ――わずかな迷いと罪悪感。 

 そうこうしている内に、


「警部、怪盗カリス発見! 怪盗カリス発見!」


(げ、最悪!)


 異変に気がついたのかぞくぞくと人数が集まってきた。警部も肩を怒らし、目を血走らせてもどってくる。


「テメェ、よくもこんな木片でだましやがったな!」

「いえいえ、それほどでも」

「この、ふざけやがって!」


 そう言って手に持った木片を思いっきり投げつけた。


「やれやれ、今日は使わないで終わると思ってたんだけどなぁ」


 うでを組んで困ったように左右に首を振るカリス。


「この、まだ悪あがきを」

「いえ、今回はわたしの負けです。警部」


 直後――腕組みした袖からなにかがポロッとこぼれ、地面に接触、カッと激しい閃光が炸裂した。


「けど、憶えておいてください。わたしも盗賊の端くれとして、必ずリベンジを果たしますから」


 かけていたサングラスを取り外し、カリスは今度こそ窓枠から外界に飛び出した。



 †



 カリスが予告した場所とはいくぶん離れた都内。

 汐留シオサイトのとある高層ビル屋上。

 高層ビルの真下には何十台ともいわんパトカーがものすごい勢いで停車する。中から飛び出すように複数の警察官が現われた。

 彼らの標的はただひとり。”黒衣の盗賊”と世間で騒がれるひとりの泥棒。

 そして、当の本人は高層ビルの屋上から彼らを眺めていた。

 

「やれやれ、面倒だな」 


 漆黒のコートから銃身の真っ黒な拳銃を取り出す。剣の意匠が施された拳銃。


「さあ、ショータイムの始まりだ」


 それは不敵な笑みを浮かべる。

 この台詞を放った時刻がカリスの犯行時刻と重なっていたのは偶然か必然か。 

 ただ全てを知っているのは天井の月のみ。

 運命が交わるのも。多分、すぐそこに迫っている。

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