第32話 え、ロリコン?
その一言で空気が止まった。
兵たちのざわめきが消え、セリナの雷が一段強く唸る。
だが当のレイリアは、少しだけ首を傾げただけだった。
「いいよ」
「レイリア!」
「姉様、大丈夫。たぶん平気だから」
たぶん、の一言がまったく安心できない。
セリナは眉を寄せたまま妹を見たがその目に浮かんだ火を見てしまえば、もう無理に止められないことも分かっていた。
「……本当に無茶しないで」
「うん」
「絶対に?」
「たぶん」
「もう」
セリナは本気で頭を抱えたくなった。
その間に、ラグザールは楽しそうに肩を鳴らす。
「決まりだな」
「兄上、本当にやるんですか」
「やるに決まってんだろ。こんな面白そうなの、そうそういねぇぞ」
レイリアはその場で拳を握り、軽く肩を回した。
まだ幼い体――けれど、その足元だけが妙に安定している。
年相応の軽さと、場違いなほど研ぎ澄まされた重心。それがこの少女の異様さだった。
「じゃあ、行くよ」
「来い」
次の瞬間、二人は同時に地を蹴った。
――ドンッ!!
拳と拳がぶつかる。
小さな拳と、大きな拳。
体格差など意味がないとばかりに、正面から衝撃が弾けた。
「……っ!?」
兵たちが息を呑む。
レイリアの体が少しだけ後ろへ流れ、ラグザールもまた半歩だけ退いた。
そして、ほぼ同時に笑う。
「いいな、お前!」
「そっちも、結構かたいね!」
そこからは速かった。
ラグザールが獣じみた動きで踏み込み、拳を振るう。
レイリアはそれを紙一重でかわし、懐へ潜り込んで脇腹へ一撃。
重い音――だがラグザールは構わず膝を蹴り上げる。
レイリアは身をひねって避け、その反動で回し蹴りを放った。
ラグザールが腕で受け、衝撃が地面へ走り、周囲の砂が舞い上がった。
「ははっ、いい! ほんとにいいな、お前!」
「うるさいなぁ!」
レイリアは小さな体で地を蹴り、下から拳を突き上げる。
ラグザールの顎が跳ね、だが次の瞬間、その腕が伸び、レイリアの肩を掠めた。
「レイリア!」
「大丈夫!」
そう答えながらも、レイリアの目は真剣だった。
こんな相手は初めてに近い。父や母、姉たちとは違う。もっと野蛮で、直感的で、けれど馬鹿みたいに強い。
ラグザールは笑っている。
楽しそうに。嬉しそうに。
そして、その視線がひどく真っ直ぐで、ぞっとするほど濃かった。
「お前、最高だな」
「は?」
「殴ってて楽しい。壊したくねぇ。ずっと見てたい」
「え、なにそれ気持ちわるいよ?」
「褒め言葉だろ?」
「違うと思う」
会話をしながらも拳は止まらない。
ラグザールの一撃が地面を砕き、レイリアの蹴りが岩を割る。
十歳の少女の戦いとは到底思えない。
少し離れた位置で、セリナが剣を構えたまま低く呟いた。
「……あの魔族、レイリアに妙な目を向けているわね」
「せ、セリナ様、目が怖いです」
「当然でしょう。私の妹に変な執着を向けるなら、あれごと雷で焼けばいいだけだもの」
「落ち着いてください、セリナ様!?」
一方でゼイディスは、どこか感心したように戦いを見ていた。
「……さすが兄上。あんなに楽しそうなのは珍しいですね」
そのように呟きながら、二人のやりとり、戦闘を見ていた。
戦いはなおも続く。
レイリアが低く潜り、ラグザールの足を払う。
体勢が崩れた隙に、腹部へ二発、三発。ラグザールが吹き飛ぶ。だが空中で体勢を立て直し、着地と同時に笑った。
「やっぱいいな……」
その声には、さっきまでより濃い熱が混じっていた。
「決めた」
「え、なにを?」
レイリアが半眼になる。
ラグザールは口元を吊り上げた。
「――俺のモノになれよ」
戦場が、しん、と静まった。
兵たちが固まる。
セリナの目が据わる。
ゼイディスが「あー」とでも言いたげな顔をする。
そして当のレイリアだけが、きょとんと首を傾げたあと――
「え、ロリコン?」
あまりにも率直な一言だった。
次の瞬間、後ろで兵たちが一斉に噴き出しかけ、慌てて口を押さえる。
セリナは片手で顔を覆い、もう片方の手に握る剣へ雷を走らせていた。
「……レイリア、それは正しいけれど、もう少し別の言い方があったかもしれないわ」
「でも事実じゃない?」
「事実かどうかはともかく、だいぶひどいですね」
ラグザール自身は、一瞬だけぽかんとしたあと、豪快に笑い出した。
「ははっ! なんだそれ! お前、ほんと最高だな!」
「褒められてる気がしない」
「褒めてる褒めてる。すげぇ気に入った」
「やっぱり気持ち悪い」
「ひどくねぇ?」
「ひどくないと思う」
レイリアはいまいち理解をしていない。
そもそも彼女はまだ子供なのだから、目の前の男が何を言っているのかわからず、首を傾げる事しか出来ない。
すると、セリナが前へ出た。
「……その辺にしていただける?」
「ん?」
「これ以上うちの妹に妙なことを言うなら、今ここであなたを雷の炭に変えるわ」
「こわ」
「当然よ」
「姉様、大丈夫だから」
「大丈夫じゃないわ。あなた理解していないけれど、これはかなり危ない案件よ。アレクの雷が落ちる」
セリナはきっぱり言い切った。
その背後で、兵たちが深く頷く。
「でしょうね……」
「知ってました……」
ラグザールは肩をすくめたが、その目はまだレイリアから離れなかった。
「まあいい。また会おうぜ、拳姫」
「会いたくない気もする」
「でもお前、次も殴るだろ?」
「それはまあ……」
「ほらな」
妙に満足そうに笑ってから、ラグザールは踵を返す。
ゼイディスもそれに続いたが、去り際に一度だけセリナを見て立ち止まった。
「……兄上とは別に、私もいろいろ興味深いものを見つけました」
「帰りなさい」
「はい」
即答して、ゼイディスは消える。
その即答ぶりに逆に不気味さが増した。
戦いの余熱が残る中、レイリアは小さくあくびをした。
「……なんか、変なのに目つけられた気がする」
「気のせいではないわね……今後は私から離れないでね」
「姉様、それ保護っていうか監禁じゃない?」
「違うわ。愛よ」
「それもどうなの」
そう言いながらも、レイリアは少しだけ姉の方へ寄った。
セリナは当然のようにその頭を撫でる。
その光景を見ていた兵たちは、ようやく緊張を解いたように息を吐いた。
「……助かった」
「生きてる……」
「でも今の、すごかったな……」
「レイリア様、やっぱり最強だ……」
「しかもかわいい」
「そこ大事か?」
「大事だろ」
そんな声が飛び交う中、レイリアは眠たげに目を細める。
「ねえ姉様」
「なに?」
「帰ったら寝ていい?」
「いいわ。今日はよく頑張ったもの」
「わぁい」
「ただし、私の部屋で」
「えぇ?」
「変なのに狙われた以上、しばらくは監視します」
「やっぱり監禁っぽいよ」
「愛よ」
「姉様、その押し通し方ずるい」
そんな姉妹のやり取りを、兵たちはどこか微笑ましく見つめていた。
この日を境に。
拳姫レイリアの名は、さらに戦場で広まることになる。
そして同時に、魔族ラグザールにとってもまた、忘れられない存在として深く刻まれることになったのだった。
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