謎の男たち
鉄格子越しに、人影が見える。
それが何者で、どれほどの数がいるのかわからない。
輪郭のぼやけた影たちは、亡霊のようにジッとこちらを見つめていた。
「ユリウス、お前のせいだ」
ぼやけた輪郭を突き破って、その声だけがはっきりと耳に張り付く。
「お前さえいなければ……死にたくない……」
亡霊が声を揃えて、何度も何度も繰り返す。
低い低い朧気な声が、頭に反響して鳴りやまない。
「お前さえいなければ。死にたくない。お前さえいなければ、死にたくない」
――やめて! 僕は知らない……知らなかったんだ!
そう叫びたいのに、声が出ない。必死に声を上げようとした瞬間。
紙芝居の絵が差し替えられるように、彼らは一瞬のうちに消え去り、いつしか闇の中に落ちていた。
月が、地面を煌々と照らしている。
穢れを漂わせた魔物がこちらへと、にじり寄ってくる。
空気を震わせる咆哮。血色に光る瞳。
その大きな口が開かれて、鋭い牙が眼前で光った――
「うわぁぁっ!」
自分の叫び声で、ユリウスは目が覚めた。
視界に飛び込んできたのは見慣れない天井。けれど、そこまでやってきていた恐怖に状況が飲み込めなかった。
――魔物は!?
彼は辺りを見渡した時に初めて、そこが見覚えのない部屋であることに気づいた。
「夢……」
恐怖の余韻が胸の内に燻り、なかなか消え去らない。夢と現実の境界線を感じ取るのに時間がかかった。
「随分、元気なお目覚めだったねぇ」
ようやく冷静さを取り戻して、上体を起こしたとき、斜め前方から声が聞こえてきた。
そこには朱く染まった夕日のような髪をした男。
彼はこちらを一瞥だけすると、腰をかけていた椅子から立ち上がって、左にある扉を開ける。その先へ首だけ伸ばした。
後ろで括られた髪が、ひらりと揺れるのを、ユリウスは自然と目で追っていた。
「エーレさん、起きたみたいだよ」彼は扉の先に向けて言う。
「あの、ここは……」
知らない部屋、見覚えのない男性。
僕はどうして――思い出そうとした時、頭を激しく叩かれたような頭痛がして、額を押さえた。
「やっと起きたか」
低く凛と響いた声――どこかで……
声を追った扉の先には、靴の先から頭の先まで、全身真っ黒の男が立っていた。
軽く波打つ闇夜を束ねたような黒髪。光の一片も届かない奈落色の瞳。
彼を見た瞬間、昨日の一連の出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
「貴方は昨日の……」
間違いない。昨日、魔物から助けてくれた人たちだ。
「体調は?」素っ気ない口調で、漆黒の男は尋ねてきた。
「多分大丈夫です」
「ならいい。行くぞ、時間がない」
踵を返そうとする彼を見て、気が付けば声を上げていた。
「え、もう行くんですか? 僕、まだちゃんとお礼も……」
そう言ったあとで、今の自分には、礼として差し出せるものなどないことに気が付いた。
飛び出すように城を出てきたから、命を助けてくれた礼として、見合うものなど何も持っていない。
すると彼は「は?」と、不機嫌そうに首だけ振り向いた。
その剣幕に、自然と体を強張らせてしまう。
「何言ってんだ、お前もついてくるんだよ」
彼の言葉と同時に、ベッドの上に、よく見知った鞄が置かれた。
――僕の鞄だ。どうしてここに……
鞄が置かれた先を見ると、夕日色の髪の男が楽しそうに目を細めて、こちらを見ていた。
「昨日、宿から回収しておいたんだよね」
「え? いや、僕ついていくのはちょっと……」
命を助けられたと言っても、素性も何も知らない人についていくなんて、できるわけがない。
彼らがただの善意で助けてくれただけなら、尚更ついていくことは出来ない。
ユリウスは追われている身なのだ。それを説明するのも難しい。
彼らを危険に、巻き込む可能性だってある。
「あ、もしかして昨日のやつらのこと?」
夕日色の男が、ユリウスの心を読んだかのように言った。
「それなら心配ないよ。リーベが、片付けてくれたから」
彼は部屋の奥――ユリウスの後方を見た。
その視線を追うと、そこには、月の光を宿したような銀髪の男が立っていた。
すぐ近くにいたのに、全く気が付かなかった。
「片付けたって……」
だから昨日、追手が姿を現さなかったのか……
それにしても、皇帝が差し向けた追手を、たった一人で対処できる彼は、一体――
考えこんだ時、再び扉の方から、声が投げ込まれた。
「礼がしたいとか言ってたな? じゃあとりあえずついてこい。話はそれからだ」
漆黒の男の言葉と同時に、銀髪の男がコートを渡してきた。
昨晩まで羽織っていた、フード付きのコートだ。
それを見て、今、自分が外見を曝け出していることに気づいて、咄嗟に髪に手をあてた。
この特徴のある長い髪も、瞳も、彼らはしっかりと目にしてしまっている。
皇帝の血を色濃く継ぐ、唯一の証。
混乱して、言葉が出てこなかった。
「エーレさん、割と短気なんだよねぇ。とりあえず行かない?」
夕日色の髪の男が、顔を覗き込んできた。
炎が燃えているような赤い瞳。それが拒絶を許さないように、こちらをまっすぐ見つめていた。
何が何だかわからなかったが、彼らがユリウスの素性を知っているとは限らない。
それに、しっかりお礼すら言えてない。
この先、どこに向かえばいいのかも、わからない。
ここに留まっても、埒が明かないのは事実だ。
ユリウスはそう思って、ベッドから出ることにした。
「俺はシュトルツ、こちらがエーレ」
空き家を出て、彼らに続いて歩いていた道中で、夕日色の髪の男――シュトルツが言った。
彼は先頭を歩く漆黒の男――エーレを指した。
「で、あっちがリーベ」
後ろを指されて振り返ると、銀髪の男――リーベと一瞬だけ目があった。
砂の中に金を散りばめたような美しい瞳が、すぐに伏せられて見えなくなる。
リーベは手に四角い鞄を持ち、腰には一振りの剣が、下げられてあった。
隣を歩くシュトルツと名乗った男を見ると、大きなカバンを肩から下げて、背中には剣袋を背負っている。
それに比べてエーレは、コートの下に隠れるように下げられた剣が一振りあるだけだった。
ユリウスは、フードを深く被りなおした。
「僕はルークです」
城を抜け出す際に、あらかじめ決めておいた偽名を口に出す。
ほんの一瞬――気にならない程度の沈黙が、挟まれた気がした。
「ここからかなり歩くけど、まぁ頑張って」
自己紹介だけ済ませると、シュトルツの言葉を最後に、彼らは会話を終えた。
前にエーレ、隣にシュトルツ、後ろにリーベ。
隙のない彼らに囲まれて歩いていると、まるで連行されているような気分になった。
そこに会話は、ほとんどない。
しばらく歩くと言うが、彼らはどこへ向かっているのだろう。
何故、僕を連れて行こうと思ったのだろう。
どうして昨日、あんな時間に森の中にいたのだろう。
後から後から湧き出してきた疑問をいくつか、そのままを投げかけてみたが、全て一蹴された。
どういうわけか、何も話す気はないらしい。
名前以外、何も明かそうとしない彼ら――
けれど、こちらのことも何も聞いてこなかった。
どう考えても怪しい――不穏な感じだ。
彼らを観察しながら、思考を巡らせているうちに、先頭のエーレは街道を逸れた森のある方向へ向かっていく。
この時期に、森の中を突き進むなんて正気じゃない。
初春に差し掛かり、雪解け水で、地面はぬかるんでいるところが多く、足場は最悪だ。
その上、木々によって陽が遮られる森の中は視界も悪く、夜になると特に冷える。
少し遠回りすれば、街道がある場所の森なんて、誰も入らない。
人が歩くための道なんてないのだから、行き先を阻む枝を払いながら、進むことになる。
森に入る直前、そのことを訴えた。しかし――
「時間が惜しい、こっちの方が早い」
エーレはそれだけ言うと、ユリウスの言葉など聞いていなかったように、森の中へと足を踏み入れた。
今日、初めて投稿してみました。他に、1作品投稿してみたので、見ていただけたら嬉しいです。