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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
5章

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もし、の未来を選ぶ

 




 完全な決裂。対峙した両者を前に、ルシウスは近くの仲間を見た。


 このままじゃ、剣が交わる。焦りを感じた時、



「話し合いの余地はなさそうだ」 リーベが静かに言った。


「エーレ」



 ルシウスが一歩前にいる背へと呼びかけるも、彼は沈黙し、数秒経ってようやくその肩が沈んだ。



「シュトルツ」



 この場でも変わらない泰然とした声色が仲間を呼ぶ。

 視線は互いに外さないまま、二人がこちらを気にした気配はあった。



「再会の挨拶は済んだか?」



 あまりにも場違いな言葉に、シュトルツがようやくこちらを見る。その口元はかすかに微笑まれていた。刹那、隙にテオドールの剣が振り上げられたのと、


「抑えろ」 エーレの端的な指示が同時だった。



 振り下ろされたはずの剣は、あらぬ方向へ飛んでいき、いつしかテオドールは執務机の上に抑え込まれていた。


 書類の束が床に落ちた。倒れたインクが机を這って、ぽとりぽとりと音と立てる。


 声を上げようとした彼の頭をシュトルツが激しく押さえつける音で、ルシウスはようやくその場の状況を把握した。


 歩を進めたエーレが、机の前でそっと膝を折る。頬を机に押し付けられた男に目線を合わせたようだった。



「こうして話すのは初めてだな、テオドール」


「私は貴様のことなど知らない」



 忌々しそうに睨んだ視線に、彼は数度の頷きと小さな笑いで応える。



「ヴィンセントには、俺の存在を明かす必要はないと言いつけてあったからな。知らなくて当然だ」



 彼は一度上を見た。シュトルツも彼を見ていた。



「テオドール・アウグスト・グライフェン」


「軽々しく私の名前を口にするな」


「俺はお前を責めることが出来ない。このままでいた方が、お前にとっては楽なんだろうが……悪いな」



 その手がテオドールの額に翳された。



「何をするつもりだ……!」


「俺たちと交わす言葉を取り戻したら、ヴァルハイド卿に取り次ぎを頼め」



 その言葉と共に、断絶が発動される。



「その時は、お前の怒りを俺が受け止める。その理由が俺にはある」



 最後のそれをテオドールが耳に出来たのかはわからなかった。彼が意識を失ってすぐ、エーレが立ちあがると、こちらへ振り返る。



「ルシウス、時間がない」


「はい」



 ぐたりとしたテオドールを前に、先ほどのエーレの言葉が思い返される。


 支配魔法は、人の弱みや歪みにつけこみ、他者を思うままに操る。

 彼のあらゆる記憶は、すでにすり替えられていた。


 ——それが、彼自身の望みだったのだとしたら。






 ◇◇◇







「いやぁ、ごめんねぇ。恰好悪いところ見せちゃって」


 貴族街を抜け、下町の中央通りに出た時、シュトルツが軽やかな声をあげた。


 ルシウスは彼の右手を見る。申し訳程度に巻かれた布からは、未だに鮮血が溢れている。

 何故か彼は、治癒を拒んだのだった。



「恰好悪いなんて……」



 執務室での二人を思い返して、首を振った。


 怒りを抑えて、会話を試みたシュトルツ。そのおかげで、支配魔法の影響がテオドールをどこまで蝕んでいるのか、把握することが出来た。


 それは中和をするうえでも助かることだった。



「大丈夫ですかね」



 仲間に尋ねたのか、自分に言ったのかわからない声が漂った。



 時間が足りず、中和は七割ほどしか施せていない。思った以上に根深い皇帝の支配魔法は、テオドールの生命力の中心にまで絡みついていた。


 ルシウスは数分前を思い出して、小さな身震いを覚えた。



「なんかこう……ちょっと変だったんです」


「変?」



 隣のリーベが、心配げな表情でこちらへ視線をくれた。



 執務室に入った瞬間、シュトルツと対峙したテオドール、中和を施した時のあの感覚。

 ひとつひとつをなぞって、どこまでも払拭できない違和感を、ルシウスはようやく口にした。



「うまく説明できないんですけど、アルフォンスを中和したときとかと少し違ってて……」



 自然と手に落とした視線の中に、やっとひとつのイメージを得ることが出来た。

 絡みついていた? 違う、絡み合っていた。



「ふたつの生命力がぐちゃぐちゃになってたんですけど、アルフォンスの時みたいな一方的な感じじゃなくて、テオドールさんの方も、皇帝の生命力を取り込もうとしてたというか……」



 どうにか言葉として出した時、感心のような声が隣から落ちてきた。



「つまり……テオドールの生命力が、支配に抗おうとしていたということか?」


「多分、そうかもしれません」



 そうだといい。希望的観測を乗せて答えた時、



「それは買被りすぎでしょ」と、シュトルツが笑いと共に首を振り返らせた。


「理論上、不可能ではない。中には水と同調できずとも、耐性を持ち、退けるものもいる」


 しかし、リーベが即座に反駁する。


「そうだとしても、俺から見たあいつはそう見えなかった」


「お前の感情が、目をくらましているのだろう。中和を施したルシウスが言っているんだ」



 飛び交った会話に、二人の視線に僅かな苛立ちが交差された。



「私もたしかに違和感は感じ取っていた、それはお前もだろう?」



 珍しく追撃したリーベに、シュトルツは眉を寄せる。



「ちょ、ちょ、喧嘩しないでくださいよ!」



 ルシウスは咄嗟に数歩かけ出て、両手を振り、訴える。



「ごちゃごちゃうるせぇな」



 そこに先頭をいくエーレの言葉が飛んできた。



「中途半端だったが中和は施した。あとはテオドールからの連絡を待つだけだ。答え合わせしたいならその時でいいだろ」



 鋭い視線が二人をさっと捉え、反駁の機を逃したシュトルツはふいと空を仰ぎ、リーベは小さく頷いた。



「来ますかね、連絡」


「さぁな。あいつが余程の馬鹿じゃない限りはくるだろうが」



 エーレはこちらに一瞥することなく、ちらりと隣を見ていた。


 視線を追った先で、その背がテオドールが重なるが、その想像はどうもぼやけて霞んでいく。

 先ほどまで対峙していた彼の姿が、上手く思い出せなかった。



「テオドールさんが……」



 七割。七割の中和で、どこまで本来の彼を取り戻すかは、僕にもわからない。


 あの感覚が、彼が支配に抗っていたというものなら、彼の意思さえ加われば、正気は取り戻すことになるかもしれないし……



 エーレの残した言葉が、ルシウスの頭に過る。



 彼が思い出したくないというのなら、残り三割の支配が、彼をまた蝕んでも、おかしい話ではなかった。


 口にした言葉は後に続かず、執務室に蔓延していた皇帝の生命力だけがル脳裏に蘇っていた。



「もし上手くいかなかったときは、どうするつもりなんですか?」



 誰ともなく問うと、何故か全員がこちらを見た気がした



「思い出しても、協力してくれるとは限らないじゃないですか」



 現実的に起こりうることを口にしたはずだった。そこに軽やかな笑いが二度、滑り込むように響く。



「それは考えてなかったねぇ」



 表情は見えないエーレの背も何故か笑っているような気がして、咄嗟にリーベを見た。彼は首を振るだけで、何とは言わなかった。



 妙な沈黙が挟まる。


 その時になって、耳が通りの喧騒を思い出したように拾い始め、ルシウスは知らずのうちに俯き気味だった顔を持ち上げる。


 急激に広がったように思えた視界。そこには何も変わらない、いつもの街並みと、行き交う人々の姿があるだけだった。


 石畳を叩く靴裏の感覚が、脚に這い上がってくる。

 ルシウスは歩を進めるごとに動いていく街並みを眺め、前にいる仲間を見た。



 数歩先を行く尻尾のような赤い髪の束が、規則的に揺れている。

 その背は、未だ僅かに拭いきれない苛立ちを背負っていた。



「もし、もしですけど、中和が上手くいってなかったとしたら――」



 シュトルツが応えるように首を振り返らせる。



「もう一度、僕にやらせてください」



 その瞳が細められ、口元は微笑まれた。



「了解。もしその時があれば、ぐるぐるに拘束して連れてくるから、頼むね」



 再び軽やかな笑いがあがる。すかさずエーレが反駁した。



「俺が許すわけねぇだろうが。自重を覚えろ」


「大丈夫だって、拉致()るだけ拉致()って、元の位置に戻すだけでしょ?」


「食いもんじゃねぇんだぞ」


「食べ物は食べたら返しようがないでしょ」



 交わされ始めた会話に、ルシウスはホッと息を吐きだす。詰めていた息はいつしか、歩と同じ呼吸を取り戻していた。



「貴方がひとり気負う必要はない」



 ふと隣からの声が柔らかく落ちてきた。彼は変わらずシュトルツを見ていた。



「経験則から、私たちは最悪を避ける術を身に着けたつもりだ。心配はいらない」



 こちらを捉えた視線は温かかったが、同時に些細な翳りも認めたルシウスは、聞き漏らしそうになった言葉を拾い上げた。



「最悪?」



 彼はすぐには応えず、再び前を見た。



「シュトルツが弟に会ったのは、今回が初めてではない。二度目、同じようなことがあった」



 ――その時はどうなったんですか?



 ルシウスは言葉を飲み込む。彼は答えない。それがわかったからだった。

 代わりに肺の中に留まった酸素を、本によく見た空想で吐き出してみることにした。



「せっかくの兄弟の対面なんです。いつだって感動的なものに決まってますよね」


「違いない」



 ほんの少し後ろから、小さな失笑が聞こえた。


 頭の中にある物語を繰ってみても、二度目の再会は記されていない。そこを書き埋めるための想像をやめることにした。


 代わりに最後のまだ真っ白な頁を開く。今日のこと、これからのことを書き記すため、ルシウスは今一度、足の感覚を確かめた。






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